「まれびと」をもてなす文化

「まれびと」の文化は古代信仰(神話)から生まれてきた、と考えるべきではない。
それは「客」を迎え入れる文化です。
客を「まれびと」としてもてなす日本列島の文化はいったいいつから始まったのかと考えた場合、縄文時代までさかのぼることができる。たぶん、折口信夫がいう、海の向こうの「常世(とこよ)」の神、などという概念(神話)が生まれるよりもずっと前のことです。
男たちは山野をさすらい、そこに点在する女子供の小さな集落を訪ね歩く。そうやってつねに出会いと別れを繰り返していたのが、縄文社会です。彼らは「今ここ」の出会いを大切に生きていた。別れの悲しみを体験しているから、出会いのよろこびもより深くなる。「客」をもてなすという行為は、「今ここ」の真剣勝負です。「まれびと」の文化は、そういうところから生まれてきたのだ。
それは、氷河期が明けた1万年くらい前の、日本列島が大陸から切り離されて海に閉じ込められたときからはじまる。そのときから人びとは、「客」の来訪を待ち焦がれる心性を募らせていった。
来訪する「客=異人」は、停滞した家や共同体の空気に、新鮮な風を吹き込んでくれる。縄文時代の日本列島は、遠い国から人がやってこないところだったからこそ、そういう関係をみずからの社会の中につくり上げていった。彼らは、日常の生活習慣そのものに、他者を「まれびと」として迎え入れ、祝福し祝福される関係を持っていた。
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「サービスの文化」ですね。
ヨーロッパでこの文化が一番発達しているのは、フランスだろうと思えます。レストランの支配人である「ギャルソン」は、サービスの達人として尊敬されている。その店の格はギャルソンで決まる、ともいわれる。
サッカーの司令塔の選手のことを、日本のマスコミではよく「王様」といったりするが、このポジションの本質的な役割は、「ギャルソン」的なものです。シュートをする選手にボールを配給するのがうまい選手でなければつとまらないし、その才能において他の選手から尊敬されるのです。ただシュートがうまいだけの選手は同じポジションにいても「セカンドストライカー」といわれる。
フランスサッカーの司令塔であったジダンは、人柄もプレーも、まさに「ギャルソン」そのものだった。そしてチームのプレースタイルも、美しいパス回しという「サービス」の交換の上に成り立っている。彼らが国民性として議論好きなのも、ひとつの「サービスの文化」なのだろうと思えます。
フランスは、ヨーロッパ大陸の行き止まりの地です。だから雑多な人間が集まって、みんなわがままです。そして行き止まりの地だから追い出すこともできないし、逃げてゆくこともできない。そういうややこしい関係をやりくりするために「サービスの文化」が育っていった。またそんな土地柄だから、フランス女はとくにヒステリックでわがままです。そういう女たちを相手にしてしかもレディファーストの習俗があるのだから、男たちの「サービス」のセンスが磨かれないはずがない。「ギャルソン」は、いわばそういう文化の結晶です。
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日本の代表的な司令塔の選手は誰かといえば、小野伸二。ドイツでプレーする契約が怪我のために挫折したらしいけど、こんな選手はもう二度と現れないだろうと思えるくらい、高度な「サービス」のハートとテクニックとインテリジェンスを持っている。怪我さえなければ、今ごろは世界のトップ選手になっていたはずなのに。怪我をしてしまうと、メンタルも体の動きも変ってくるから、それが心配です。たとえば、接触プレーを怖がるあまり、近くの選手ばかりが気になって視野の広さが失われ、判断のスピードも遅くなったりする。このところ繰り返す怪我のために日本代表のメンバーからも外れているが、オシムも「小野の名前は一度だって忘れたことはない」と言っていた。
ただ、日本のサービスは、「ギャルソン」ではなく、「女将」の文化です。旅館や料亭の女将はもちろんのこと、芸者もホステスも普通の女房も、日本の女たちはみな「サービス」の身振りを本能的にそなえている。
若者たちが居酒屋で飲み会をやると、軽薄そうなギャルが楽しそうにみんなの世話をしていたりする。自然に女が世話をする係りになってしまう。こういうことは、日本だけの現象らしい。
縄文時代、男たちは山野をさすらい、女たちは山の峠などに小さな集落をつくって、男たちの来訪を迎え入れた。縄文人が漆の技術をみずから考え出したり、凝った模様の縄文土器をつくったりしていたのは、「まれびと」たる男たちの来訪をもてなそうとする女たちの「サービス精神(心映え)」によるのだろうと思えます。
火焔土器のあの絢爛豪華な装飾性と情念性は、男と一緒に暮らしているような生活環境からはぜったいに生まれない。一緒に暮らしていたら、縄文土器ももっと機能的で味気ないものになっていたはずで、あんな面倒な作業をする動機も時間もなかったでしょう。あの土器には、男を待ち焦がれる女の狂おしさがこめられている。自分で見る楽しみのためにつくったのでもなければ、交易の商品にするためでもない。縄文時代に交易をしていたのは男たちだけであって、女はいっさいしなかった。その土器は、ひたすら男に見せるためであり、男のいない長い夜の慰めのためにつくられたのだ。そういう孤独や閉塞感がなければ、芸術が生まれてくる場所などないのだ。
男が女の家を訪れてゆくという「ツマドイ婚」の習俗は、縄文時代に始まり、その後長く日本の歴史の中に引き継がれてゆくことになる。そのようにして女たちは、伝統的に「客」をもてなすという「サービス」の身振りを体にしみ込ませていった。
フランスのことはよく知りません。しかし日本的な「サービス」とは、正しくないわが身を嘆き、相手のほうが正しいと認識する身振りのことです。「つまらないものですが」と贈り物を差し出すことです。
小野伸二のパスは、「ベルベット・パス」などとオランダで言われていたくらいで、それはもう、女将や芸者の客に対する繊細で行き届いたもてなしそのもののようです。日本にはそういう「サービスの文化」があり、ジダンがもっともフランス的な司令塔であるように、小野もまた、もっとも日本的な司令塔なのです。
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日本文化において、サービスを受けるものは「客=まれびと」です。
もてなすがわは、家の「主=あるじ」、あるいは「主=ぬし」です。古くから使われていた言葉は、おそらく「ぬし」のほうでしょう。
もともと日本列島では、家の主は女だった。「ぬし」といったほうが似合うような気がします。
「ぬし」の「ぬ」は、沼の「ぬ」。池だか湖だか水溜りだかよくわからない水場のことです。「ぬめり」とか「ぬくもり」の「ぬ」。ここにもあいまいな気分が漂っています。「ねばねば」とか「ねっとり」といえば、その感触がすでに突き止められているが、「ぬ」と発声するときは、まだあいまいです。口の動かし方もあいまいだし、声にもあまり力が入らない。
「ぬーっ」とあらわれる、ともいいます。
「知らぬ」の「ぬ」は、否定を表す。これもあいまいな気分の表現です。
そして「し」は、「シーン」とか「静か」とか「死ぬ」の「し」。静かで動かないさまです。息を口の中にとどめておきながら薄く吐き出して発音します。
つまり「ぬし」という言葉の本来の意味は、ひとつところにじっとしている孤独で淋しい人、というようなニュアンスだったのでしょう。「池の主」とか「川の主」などというときも、ほんらいは化け物じみて大きな生き物、という意味ではなかったはずです。
古事記大国主命オオクニヌシノミコト)といえば、なんだかえらそうな名前のようだけど、たくさんの兄弟のいちばん下で孤立し、いじめられてばかりいたわりと情けない神様です。おまけに天上の神から日本列島の国づくりを命じられても、一人じゃできないと途方にくれていたところ、神の国から遣わされた少彦名命スクナヒコナノミコト)の助けを借りてやっとその仕事を果たした、ということになっています。つまりその名の由来は、国づくりにさいして少彦名命という「客=まれびと」を迎え入れた「主(ぬし)=途方にくれている神」、と解釈することもできます。
であれば、山の小さな集落でじっと男が訪れるのを待っている縄文の女こそ、まさしく「ぬし」という言葉にふさわしい存在だったのではないだろうか。
やまとことばの多くは、嘆きの感慨がこめられています。「主(ぬし)」といっても、語源的には、家の中でいばっている男のことを意味していたのではない。縄文時代に、あくまで共同体的な「主人」という言葉などなかったのだ。
それは、言い換えれば、海に閉じ込められた日本列島の住民のひとつの閉塞感でもあったのであり、そういうところから、「まれびと」をもてなす文化が育ってきた。