「まれびと」の文化の起源は、縄文時代にある

若者がセーター買うのを我慢できない欲望より、おじさんおばさんたちの「自分は正しく生きている」と思いたい欲望のほうが、はるかにえげつない害毒をこの社会にまきちらしているように思えます。
若者のビル・ゲイツになりたい望みよりも、ビル・ゲイツになれなかったおじさんの居直りのほうがよっぽど不気味です。
「自分は正しく生きている」と思いたい欲望、商品の購買欲よりも、そちらのほうがずっとたちが悪い。けっきょく、高度資本主義を暴走させているのは、そういう購買欲ではなく、そういう制度性なのだと思います。そんなふうに思えるかぎり、戦争しようとあくどい商売をしようと、なんの後ろめたさもない。というか、現代人はそういう詐術を心の中に持っているから、なんでもしたがる。そういう欲望が際限なく膨らんでゆく。
かれらのあつかましくえらそげな自己正当化のメンタリティこそが、「資本主義」および「近代」の問題であり、病巣なのだ。
おじさんおばさんたちのアイデンティティのよりどころは、けっきょく「家族」なんですね。
家族なんて、普遍的なものでもなんでもないから、いずれ解体される。
昔の大家族制度が解体して現代の核家族になり、その核家族の絆もなんだかあやしくなってきている。そうして最後に残るのは母子関係だけかといえば、代理出産とかが可能になってきたし、先日のお母さんの生首を切り落として自首していった17歳の少年が現れてくるなど、それすらも先行きどうなるかわからない。
すべての関係は解体される。人間の歴史など、どうせこの先も関係を作っては壊し作っては壊しして流れてゆくだけなのかもしれない。
縄文人は、日本列島の歴史で最初に家族を解体した人びとだった。というか、われわれの歴史は、家族の解体から始まっている。
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縄文時代は、1万2千年前の氷河期明けから始まっている。そのとき地球は温暖化し、海面が上昇したために、つながっていた大陸と日本列島が切り離された。そして日本列島を覆っていた氷も溶け、海沿いの平地はすべて水浸しになった。
氷河期の日本人は、ネアンデルタール(クロマニヨン)と同じように、象やオオツノジカなどの大型草食獣の狩をして暮らしていたらしい。大型草食獣は、山岳地を駆け回ることができないから、平原で暮らしている。その平原が湿地帯になっていったのだから、とうぜん一部は大陸に避難し、残りはすべて絶滅してしまうしかなかった。
そして人間にとっても湿地帯は住めないところだから、山に移動してゆくことになる。
こうして縄文人は、山の民になった。
原始人の大型草食獣の狩は、男女の共同作業だったらしい。女子供がたいまつをかざして獲物を窪地に追い込み、そこで待ち構えていた男たちが肉弾戦を仕掛けてゆく。そんな具合だったのだとか。
だから、そのころは男女が一緒に暮らし、しかもかなり人数の多い集団を形成していた。象を一頭し止めるには、30人から50人のチームワークが必要だったでしょう。とすればその集団は、子供も含めて百人前後になる。縄文時代に、これほど大きな集落はほとんどなかった。たいてい女子供だけの20人前後の規模です。
縄文時代になぜ集団が解体していったか。
海辺の平原の暮らしから、山の暮らしに変わっていったからでしょう。女の体力では山歩きは困難だし、ましてや妊婦や赤ん坊を抱えていたら、ほとんどできなくなってしまう。そのために、女子供は集落に残り、男だけで狩に出かけてゆくというかたちに変わっていった。そして初期のころは山間の地でも低地は水浸しだったのだろうから、とうぜん集落は山の峠や頂きにつくるしかないし、そこには多くの家をまとまって建てるスペースがないから、わずかな平坦地を探して分散してゆくことになる。
男たちもまた、あまり大きくない山の動物を狩るのに大きな集団をつくる必要がない。それに山の敏捷な動物を追いかけていれば、自然に散り散りになってしまう。
こうして、女が10人前後の集落と、男10人前後の狩のチームが出来上がっていった。
男たちは、何日もかけて獲物を追いかけてゆく。そうしたら、すぐに自分たちの家に戻ることはできない。ときには、帰り道さえわからなくなっていることもあったでしょう。そんなとき、近くに女だけの集落があれば、そこに宿を求めることになる。これは、自然な成り行きでしょう。
やがて男たちは、家を捨てた。女たちも、すべての訪れ人を迎え入れるようになっていった。こういう社会の形態が定着してゆけば、男も女もいつもセックスして暮らしてゆけるし、男たちは、より遠くまで出かけてゆくことができる。
たとえば、富山県の川で取れるヒスイが秋田県の遺跡で見つかるとか、彼らの行動範囲は、それほどに広かった。それは、富山県秋田県で交易をしていたとか、そういうことじゃない。富山県の人が秋田県まで行ってしまった、というだけのことでしょう。とにかく男女が一緒に暮らしてせっせと家と仕事場を往復するような暮らしをしていたら、ありえないことです。
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日本列島が海に閉じ込められていたことはひとつの象徴的な状況だが、そのとき縄文人が山の中に入っていったということは、さらに閉塞感を募らせる事態であったはずです。
最初は氷河期の大きな集団ごと山の中に入っていったのでしょう。
まず、周りが山ばかりの景色は、少なからず違和感を抱いたにちがいない。
しかもそこには、氷河期に平原で暮らしていたときのような安定した広い平地はない。
たぶん氷河期のころは、大きな集合住宅を造って、みんなでわいわいがやがやして暮らしていたのです。ネアンデルタールのように、家族というほどの確かな枠組みもなかった。それが、寒冷地の暮らしの自然なかたちです。
しかし山での狩は、そう大掛かりなチームワークは必要ないし、山間地にはみんながまとまって暮らせるだけのスペースはなかった。散らばって住めば、しだいに群れとしての団結心は薄れてゆき、むしろ小さな集団どうしの対抗心が出てきた。
それに、山の地面は起伏や傾斜があるから、多人数がまとまって暮らせるような大きな家屋はつくれない。けっきょく家族単位の小さな家を別々に建ててゆくしかなかった。女たちもそれを喜んだ。それは、閉じようとする女の生理にうまく叶っていた。そうして女たちはもう以前のように狩に参加することなく子育てに専念できたし、気候もよくなったから、乳幼児の死亡率は減り、一世帯あたりの家族数はどんどん増えていった。
女たちは子育てに熱中し、それを眺める男たちはいらだった。女にとってその閉じられた暮らしは心地よいものであったろうが、そういう暮らしの伝統を持たない男たちは、閉塞感がいっそう募った。だから彼らは狩の獲物が少なくなっても、なお狩にこだわって山の中に入って行き、その日のうちに帰ってこないことも多くなった。
また、氷河期と違って木の実や野草などの食料資源が増えたから、男たちが毎日帰ってこなくても、それらの採集だけでも女子供の暮らしが成り立った。
男たちは、いわば居候のような立場になっていったのかもしれない。
けっきょくそうやって、男は家を捨て、女子供だけの集落ができていったのだろうと思えます。山の中の狭いスペースに集落をつくって暮らしてゆこうとすれば、もう、そうするしかなかった。それが、歴史の必然だった。そしてそれが8千年も続いたということは、いかにそれが人間の本性に合致した社会形態であったかを物語っているのかもしれない。
かれらは閉塞感から追い立てられるようにして、そういう社会形態をつくっていった。そこには、地理的な閉塞状況に加えて、集団としての閉塞状況もあった。そしてそれがなぜ本性的かといえば、原初の人類はそういう状況を解体するかたちで直立二足歩行をはじめたわけで、縄文人も同じようにしてそういう社会形態をつくっていったのだ。
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共同体を解体するためには、男と女が一緒に暮らす家族形態を解体するべきなのかもしれない。そしてそれこそが、もっとも人間の本性にそった社会のかたちであるのかもしれない。
しかし現代のように競争意識や価値意識が肥大化してしまった状況では、もうそんな社会もたんなるおとぎ話でしかない。われわれは今、家族を解体しようとする衝動ばかり募って、解体することのできない状況を生きている。
であれば、縄文人から学ぶことはあるはずです。
ほんらい人間は、「関係(絆)」を解体しようとする生きものであるということ。
そうして「出会い」の場に立とうとする生きものであるということ。
現代のように閉塞感がますます募る社会であればこそ、われわれはもう避けがたくこれらのことを確認させられるほかない状況に立たされているのではないだろうか。
「関係(絆)」をつくりつづけることなんかできない。われわれは「関係(絆)」の中にまどろむことなんかできない。まどろみたいという衝動(欲望)があるだけだ。そういう不可能なことを希求する衝動を持っているだけのことだ。そうやって「関係(絆)」こそいちばん大切なものだという思想を持ち、そこにまどろんでいると思おうとしているだけのことだ。それは、「関係(絆)」にまどろんでいるのではない。「関係(絆)という言葉」にまどろんでいるだけのことだ。そうやって思考停止しているだけのことだ。
意識は身体の苦痛として発生する。それは、ストレスです。意識がはたらくということは、ストレスが生まれるということです。思考停止しているとは、意識がはたらいていないということです。あるいは、まどろみたいという強迫観念=ストレスに浸されることです。
意識を持っている人間が、じっさいにはまどろんだり思考停止したりすることはないのであり、それじたい強迫観念に浸されている状態です。
そういう強迫観念で共同体が安定し、マジョリティが連帯している。
誰も「関係(絆)」にまどろむことはできない。まどろみたいという強迫観念に浸されているだけのことだ。
幸せとは、強迫観念に浸されて、感動がなくなることです。誰だって幸せになってまどろみたいけど、その思考停止(停滞)の状態にまどろむことはできない。なぜならそれは、まどろむという感受性を失っている状態だからです。したがってそれは、まどろみそれじたいではなく、幸せという言葉に執着する思想(強迫観念)によって維持される。
感動とは、ひとつのストレスです。だから、鳥肌が立つ。そのとき意識が身体から引き剥がされる感じで鳥肌が立つのであり、それは、身体が空っぽの空間になる体験です。
幸せに浸っている人間は、身体が空っぽの空間になった心地よい状態を体験できない。逆につねに身体という肉体を意識していなければならない。その強迫観念という思考停止は、意識が身体(肉体)のところで停止(停滞)してしまっている状態でもある。
身体が空っぽの空間になる心地よい状態は、嘆いて泣き疲れたもののところにやってくる。
心はいつも動いている。そして苦しんだり悲しんだりする。だから、まどろみたいと願う。しかし、誰もまどろむことはできない。それはまどろむ心を失ってしまうことだからだ。まどろみは、まどろみたいという願いの中にしかない。そういう心の動きの中にしかない。
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氷河期明けの縄文人は、食い物の心配からも、厳しい寒さからも、そして狩の獲物を追って群れごと移動するという暮らしのあわただしさからも解放され、男女が寄り添って定住してゆくという幸せを手に入れた。しかし彼らは、その幸せにまどろんでゆくことはできなかった。彼らは、毎日でもセックスできる暮らしを手に入れたのに、だんだんセックスしなくなっていった。セックスしたかったら、男だって遠くまで狩に出かけてゆこうとはしなかったはずだし、女だって、今夜もかならず帰ってきてくれと頼んだはずです。縄文時代の女だけの集落は、木の実や野草やイモなどの採集と、集落のまわりに落とし穴を仕掛けるというかんたんな狩をしながら、自給自足してゆくことができたのです。女だけで自給自足できるということは、男が狩に出かけなくても生きてゆけた、ということです。つまり、そのつもりなら毎晩セックスする暮らしをすることができた、ということです。それなのに彼らは、そういう暮らしに、逆に追い詰められていった。そうして、男と女が離れて暮らすというかたちで群れを解体し、あらためて「出会い」の場に立つという関係をつくっていった。
彼らは、「関係(絆)」の鬱陶しさをとことん味わい、その果てに、男は女たちの集落を訪れ祝福し、女たちはそれを「まれびと」として祝福し返して迎え入れるという文化をつくっていった。