まれびと論・13 まれびとの身振り

コンビニやカフェなどで、とくに女の子が、つり銭を渡すときにもう片方の手を下に添えるしぐさをすることが多くなってきたのは、最近のことでしょう。
それでときに手と手が触れて、客の男が、よろこんだり誤解したりしている。
そんなことをしてもこぼれたつり銭が受け止められるものではない、といってはいけない。そうやって相手の意識を手元に注意させれば、そうかんたんにはこぼさないのです。つまり、そうやってつり銭を渡す瞬間の「出会いのときめき」がプロデュースされている、ということです。そしてそれが、コンビニやカフェから起こってきたということは、若者たちのあいだから生まれてきた、ということを意味します。
もしかしたらそんなようなしぐさは、むかしからあったような気もします。それがいつの間にかすたれて、またコンビニやカフェで復活してきた。日本列島に地下水のように染み込んでいる「まれびと」の文化です。
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いっちゃなんだけど、僕は戦後生まれの団塊世代のひとりとして、そういう文化がどんどん滅んでゆくのを見ながら育ってきたのです。自我と仲間意識が強い団塊世代以降のおじさんやおばさんたちがめちゃめちゃにしてしまった文化を、現在、若者たちが呼び戻し修復しているのだと思います。
彼らは「仲間」よりも、「出会いのときめき」を欲しがっている。薄汚い「自我」などというものは持っていないから、そうやって平気でへそを出し、太腿をさらけ出している。
「やらせ女」の文化です。つり銭を渡しながら平気でお客の手に触ってゆくことのできる「やらせ女」と、触ろうとしない自意識過剰の女と、どちらが文化的な存在であるか。
「やらせ女」のほうが、身体の扱い方は上手ですよ。むやみに肩は凝らないし、鬱病にもならない。鬱病になりそうだったら、つまらない「自分さがし」なんかしていないで、へそ出しルックで町を歩いてみればいい。電車の中で化粧してみればいい。電車の中で男と抱き合ってみればいい。というか、そうでもしないと鬱病になっちまいそうな世の中なのでしょうね。
若者は、大人たちから追いつめられている。だから、大人たちの望むように道徳的にならないし、大人たちの着れないような服を着る。彼らは「大人になんかなりたくない」と思っている。
「自我の確立」などと叫ぶおめえらの低級な脳みそが若者を追いつめているのだ。低級な脳みそしか持っていないくせに「自分は正しい」とか「自分はこれでいい」なんて思うなよ。若者と和解できないことに居直るなよ。かっこつけて若者を嘆くなよ。彼らは、電車の中で化粧してしまうくらい、大人と和解できないで孤立してしまっているのだ。大人なんか、へとも思っていないのだ。彼女らには「公共心」がないと言っても、彼女らは電車の中なんか「出会いのときめき」が生まれる公共の場だと思っていないのだもの。電車の中がそんな空間なら、化粧なんかするものか。酔っ払いのおじさんが寝そべり、バーゲンの紙袋を下げたおばさんたちが大きな尻を揺らせて座席に割り込んでゆくだけの空間じゃないか。大人たちがすてきな顔つきや姿を持っていたら、化粧をしてしまうような無防備なことをするものか。大人たちのいる電車の中に、他者と出会っているというときめきも緊張感もないのだ。彼女らにとって「出会い」の場は、電車の「戸」の外にある。そういうかたちで大人たちが「反抗」されているということを、少しは自覚しろよ。
そのとき彼女は、「戸」の中にいる。そして、戸の外の立つ「まれびと」のような顔をした乗客などひとりもいない。
電車の中であほずらこいてあほな話を声高にしている大人たちと、化粧をしているギャルと、どちらがぶざまか。勝手に化粧していることくらい、ほっといてやればいいじゃないか。あんな限られた条件の中で、小さな袋からこまごまとした七つ道具を取り出してひとまずひと通りの化粧を果たしてしまうその緻密な技能性と、自分の体が存在する場所だけを世界のすべてだと思い定めてその狭い空間と和解してゆくメンタリティは、この国特有の高度な文化です。その姿は、ちょっと感動的でもある。そこには、江戸時代の職人芸や中世の茶室文化の伝統が息づいている。
「まれびと」の文化のこの国では、戦争に負けたあとでもないかぎり、「自我の確立」などという倒錯的なスローガンに身を浸すことはできない。
「自我の確立」も「公共心」も、けっして普遍的な問題ではなく、たんなる「大陸という辺境」の文化に過ぎない。この国は、戦争に負けたことによって「大陸の一部」になった。しかしけっきょくは、大陸の一部ではないところの「まれびと」の文化を持った島国だったのだということを、われわれいまあらためて思い知らされている。
たぶんもう世界的に、そうした大陸の文化を止揚するだけではすまなくなってきている。
僕は、くだらないアメリカの正義やこの国の大人たちの薄っぺらな良識よりも、電車の中で化粧をするばかギャルの方を支持する。