「まれびと論」・5  新嘗祭

折口信夫の「国文学の発生・まれびとの意義」という論稿の第二節の「門入り」では、武家や貴族の賓客をもてなす習俗をどうとかこうとかと説明しているのだが、僕は「貴人」とか「賓客」という言葉は嫌いだから、それはすっ飛ばします。
で、そのちょっとあとに、「出会い」に関する言葉の分析がなされています。そこを検討してみます。
「贄(にえ)」も「嘗(な)め」も「忌(い)み」も「戸(と)」も「音(おと)」も、みんな「出会い」の体験として生まれてきた言葉だと思えます。
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 にほどりの葛飾早稲(かつしかわせ)を「にへ」すとも その可愛(かな)しきを外(と)に立てめやも
 誰ぞ この家の戸押(おさ)ふる 「にふなみ」に 我が夫(せ)を行(や)りて 斎(いわ)うこの戸を
この二種の東歌(あずまうた)(万葉集)は、東国の「刈り上げ祭り」の夜のさまを伝えているのである。「にへ」は、神および神なる人の天子の食物の総称なる「贄(にへ)」とひとつ語であって、刈り上げの穀物を供(くう)ずる所作を表す方に分化している。この行事に関した物忌みが、「にへのいみ」すなわち「にふなみ」「にひなめ」と称せられて、新嘗という民間語源説を古くから持っている。
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新嘗(にいなめ)祭は、秋の刈り入れが終わってその新米を食べたりして祝う祭りです。
それはとても大切で厳粛な儀式だから、祭祀は、その祭りが行われる前の一定期間を精進潔斎して身を清めなければならない。つまり「忌(い)み」を祓うわけです。多分民間語源説はそういうところからきているのだろうが、折口氏はこれを、二段目の歌にあらわされているような「新嘗の夜に来訪する神に対する恐れ」が「にへのいみ」だといいたいわけです。
僕は、これは両方とも違うと思います。
祭祀が精進潔斎して忌みを祓うことは、祭りそのものの直接的なコンセプトではない。その目的は、あくまで新しい収穫を祝うことにある。だから、新しい天皇が即位するときも、その延長として「大嘗祭」を執り行う。
べつに「にへのいみ」を祓うのが目的ではない。
だから、「にへのいみ」が「にひなめ」になったとは考えにくい。
そして折口氏は、この日に神が来訪するという言い伝えがあるから、その神に対する畏れが「忌み」だといっているのだが、まったくのこじつけです。この祭りが生まれたから、この日に神がやってくるという言い伝えが生まれてきたのでしょう。はじめに神がやってくる日があって、その日に新嘗祭をするようになった、というわけではないはずです。
話が逆なのです。「にへのいみ」のある日に新嘗祭をするようになったのではない。はじめに新嘗祭があり、やがてその日に神がやってくるという言い伝えが出来上がっていった。「にひなめ」から「にへのいみ」という言葉が生まれてきただけのことだ。
つまり折口氏は、「にひなめ(の夜)のいみ」が「にひなめ」になった、といっているのです。
こんなとんちんかんな学説があるものか。
「にへなめ」の祝が定着していったその過程で、その日に神がやってくると言い伝えが生まれてきたのです。したがって「にひなめ」という言葉の成立に、神がやってくるという言い伝えは何も関与していないはずです。
最初は、あくまで収穫の祭りだったのだ。みんなで祝って神をお迎えしていただけのことだ。それがやがて、個人の家にもやってくるようなイメージになっていった。なぜそうなったかは、次回に書きます。
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「なめ」は、折口氏がいうように「のいみ」から転じたのではあるまい。「のいみ」から転ずれば「なみ」になるのだろうが、「なみ」はもう「なめ」にはならない。なぜなら、「なみ」のほうが発声しやすいからです。「なめ」が「なみ」になることはあっても、「なみ」がわざわざ発声のあいまいな「なめ」になることはない。
たぶん、「なめ」という言い方ははしたないから、気取った女は「なみ」と言っていたのでしょう。
新嘗の「なめ」は、最初から「なめ」だったのだと思えます。
「舐める」の「なめ」です。
新しく収穫されたものを食べてみるのは、煮えた鍋の中のものを舐めて味見をしてみる、というのと同じ行為でしょう。そういう行為はおそらく縄文時代からしていたにちがいないのだから、「煮え舐め(にへなめ=にひなめ)」という言葉も、その祭りが生まれる以前からすでに使われていたにちがいない。
縄文人は、ほとんどのものを煮て食っていた。とくに主食であるどんぐりや栃の実は、よく煮てアク抜きしなければ食べられない。
つまみ食いをしようとする子供に対して、「お母さんがちゃんと<にへなめ>をするまで待っていなさい」、なんていったのかもしれない。「にへなめ=にひなめ」とは、煮えたものの味見をすること。
「味見をする」=「新しい収穫を祝う」=「新嘗祭」。
「贄(にえ)」という言葉にしても、もともとはべつに神や貴人の食べ物というより、「煮え」という食い物一般をさしていたのではないだろうか。縄文時代は、煮えたものが食い物だったのだ。すこし限定すれば、煮えた食い物=主食、となる。その「主食」という意味が発展して、神や貴人の食べ物だけを指すようになっていったのかもしれない。
しかし縄文時代には、「貴人」などという人種はいなかった。古代における「贄(にえ)」だって、一般人の食いものでもあったはずです。起源における新嘗の「にへ」は、「神の食物」という意味ではなく、あくまで食物一般のことであったはずです。
「煮え」の「に」は、「にこやか」と「ニヤニヤ」というように、体が暖まっていくような音韻です。「に」と発声するとき、息があまり洩れず、そのまま体を暖めていくような感覚がある。
夕日が沈むときの「にし」の空は、茜色に染まって温まっていくように見える。
「憎い」というときは、暖まりすぎて熱くなっているさま。だから、体に力の入る「く」という音が下についている。煮えすぎの状態。
「え」は、声に力が入らない。「ええ」とあいまいにうなずく。「煮える」と、だんだんやわらかくなってゆく。
「にえ」とは、まさしく「煮える」ことだと思えます。われわれが「もう煮えたか」と聞くときだって、それは「もう食えるようになったか」という意味で使っている。日本列島の住民は、かつてそういうものを主食にしていたから、「にえ」が「食い物」の意味になった。すくなくともその言葉に、「高貴」を意味するような響きは何もない。
新嘗祭は、今でこそ皇室だけの祭りだが、むかしは庶民もしていた祭りだった。
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つぎに「なめ」という言葉の語源を考えてみます。
「な」は、「泣く」「ない」のな。
「な」と発声するとき、体の力が抜けて空虚になってゆく感じがある。
「汝(な)」は、「あなた」のこと。「あなた」と出会ったとき、意識が「あなた」の身体に憑依して、「私(の身体)」に対する意識が消えてゆく。そういう感慨とともに、「汝(な)」と発声する。
「汝(な)」とは、語源的には「あなた」と出会った「私」の心の表出であって、「あなた」そのものの名辞や概念があらかじめイメージされて生まれてきたのではないはずです。
「な」は、世界や他者と向き合っているときの身体感覚の表象。
「め」は、「めっきり」とか「めったに」の「め」。意識が集中して何かに注意しているさま。だから、「目」という。
「め」と発声するとき、体の力がほどよく中心に収まってゆく感じがある。
ゆえに「なめ」とは、世界と向き合って意識がおだやかに集中しているさま。つまり、「出会い」の瞬間のこと。
舐めて味見をすることは、食うことと食わないことの「間」におけるひとつの「出会い」であり、キスという舐める行為だって、セックスすることとしないことの「間」における「出会い」の体験であるはずです。
「舐める」ことは、「出会い」の体験なのだ。
新嘗祭」とは、新しい収穫との「出会い」のよろこびを祝う祭り。
「なめ」は、「にえの忌み」から転じたというような、そんな駄洒落ように変化したのではなく、最初からそのままの「なめ」だったのではないだろうか。
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「忌(い)み」という言葉にしても、語源までさかのぼれば、こんな概念的宗教的な意味ではなく、単なる実生活上の言葉だったはずです。言葉は、そこから生まれるのだ。
折口先生の神話的文学趣味に沿って生まれてくるのではない。
「忌み」の「い」は、否定の気分を表す。「いや」とか「いいえ」とか「いかなる」とか「いらだつ」とか、もちろん「忌み」も否定の気分です。
「い」と発音するとき、息が、うまく体の外に出て行かないで、体の中に逆流してゆく感じがある。
「いち(一)」「い」は、体の中心の一点に力が収まっていくような体感であり、そのようにしてほかのものすべてを否定すること。
「み」は身、「み」と発声するときは、同じイ行でも、「い」のときほど息が逆流するのではなく、体じゅうに行き渡るような感じがある。そうやって体のことを指す言葉になった。
「忌み」とは、体の穢れのこと。
で、「にへの忌み」といえば、煮物のアクのことでしょう。精進潔斎するとは、煮物のアクを抜くために湯にくぐらせるのと同じで、体の穢れを祓うために体を水にくぐらせること。
もしかしたら縄文人は、煮物のアクのことを、「いみ」と言っていたのかもしれない。この場合の「み」は「実」です。つまり、「実(み)の穢れ」。
神道の精進潔斎の思想は、縄文人がけんめいにどんぐりや栃の実のアク抜きをして主食にしていた生活の伝統に由来している、のかもしれない。神がどうのという概念だけで、そうした文化がつくられてきたわけではないのだ。「まれびと」の文化がそうであるように。
ちなみに「アク」という言葉は、「アクア(AKHA)」という仏教用語のはずです。