「まれびと」の文化は正しくないから根源的なのだ

朝鮮半島の歴史は、つねに近隣の大国から侵略されつづけてきた。彼らは、国民性として、「異人」に対する怖れと排除の衝動を持っている。だから彼らがいつまでも日本を許そうとしないのはしかたのないことだし、許せないことが彼らの不幸でもある。
彼らにとって日本は、おそらく中国よりももっと異質な国であり、日本が日本であることそれじたいが、目障りでもあり憧れでもある。彼らは、日本を恐れつつ、いじめたがっている。そして中国もまた、日本がどうしようもなく目障りで、韓国と同じような思いと衝動を抱いている。中国人にとっての日本人は、アメリカ人よりももっと異質なのだ。
敗戦国日本の国民は、原爆を落とされたアメリカにあっけらかんと擦り寄っていった。そういう節操のなさに、韓国人や中国人はいらだち、ますます日本に対して意固地な態度をとる。
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日本人にとって世界のすべての国は、自分たちとは異質だ、と思っている。その国民感情は無意味だとよくいわれるが、僕はそうは思わない。
われわれは、世界に対して「自分だけが正しくない」と思っている。だから節操なくアメリカに尻尾を振ってついていったのであり、明治維新のときは、鎖国からあっという間に「脱亞入欧」の思想に邁進してゆくことができた。そういう可愛げがあるから、アメリカやヨーロッパが手助けしてくれたのだし、属国にされなくてすんだ。
日本人は、外国人から批判されることをよろこんで聞く。こんな国民も珍しいのだとか。それは「自分たちだけが正しくない」と思っているからだ。自分たちが正しくないことを確認することが、自分たちのアイデンティティを確認することだからだ。
自分は正しくない、と思わなければ、しんそこから他者を祝福することなんかできない。
日本ほど外交の下手な国はないといわれているのに、どうして明治維新のころに欧米列強の属国にならずにすんだのか。日本よりはるかに外交の上手な中国が、なぜイギリスに踏みにじられてしまったのか。
日本が上手に立ち回ったからではない。上手に立ち回ってイギリスとフランスを喧嘩させるとか、そういうことはしなかったからだ。こちらは無邪気に信用していったし、だから相手も信用してくれたのかもしれない。
そのとき日本人は、外交は下手でも、「客」を「まれびと」としてもてなす文化を持っていた。日本人は、自分は正しいという主張を持っていない。自分だけで自分の生を完結させることができない。完結させることができないことが、日本人のアイデンティティなのだ。だから、自分の正しさを主張するよりも、自分が正しくないことを確認するために他者を肯定し祝福してゆくという身振りと心の動きをする。
「粗末なものですが」と言って贈り物を差し出す。そうやって自分が正しくないことを確認しながら、相手を祝福してゆく。
「粗末なものですが」というべきなのです。それが、根源的な他者との関係なのです。二本の足で立ち上がること(直立二足歩行)は、胸・腹・性器等の急所を相手に晒すことであり、すなわち「粗末なものですが」と言って相手の前に立つことなのです。
二本の足で立つことは、相手にかんたんに攻撃されてしまう「正しくない」姿勢なのです。攻撃されないためには、相手を祝福するしかない。相手を祝福しているから、そういう姿勢がとれるのです。そうやって祝福し合うことによって、誰もが直立二足歩行する群れが出来上がっていった。
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もともと人類の群れは、「正しくない」ことの上に成り立っていたのだ。
みずからを「正しくない」と認識することは、とても人間的な心の動きなのです。
みずからの正しさではなく、他者の正しさを止揚してゆくこと、それが「祝福する」という態度です。
女の性器の中に男の性器が挿入されているとき、女は、自分の中に入ってきている男の性器ばかりを感じて、自分の体は空っぽの空間になっている。つまり、自分は正しく存在していないという認識です。そして、この世界に存在するのは男の性器だけだと感じている。そうやって彼女は、他者の存在の正しさ(=確かさ)を祝福している。
もちろんそのとき男のほうだって、女の体ばかり感じて、自分の体は空っぽの空間になってしまっている。
この鬱陶しい身体にとらわれている「意識」を引きはがし、身体の外の他者(世界)に向けること、それが「祝福する」態度です。というか、そこで出会った他者(世界)から、身体にとらわれている意識が引きはがされる体験、というべきでしょうか。そういう「出会いのときめき」を体験させてくれる他者を「まれびと」という。
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折口信夫にせよその研究者にせよ、「まれびと」の「まれ」は、「珍しい」とか「めったにない」という意味だったと解釈しているが、語源的には、そうじゃないないのです。そういう意味は、あとになってから生まれてきたにすぎない。
「まれびと」の「ま」は、この世とあの世の「間」です。「まれびと」は、あの世からこの世にやってくる。だからこの世の存在になったかといえば、いぜんとしてこの世の存在ではない「客=異人」として遇されているのだから、この世の存在ともいえない。「まれびと」は、この世でもあの世でもない「ま=間」の存在です。そういう「間」を探索する心の動きから「まれ」という言葉が生まれてきた。めったにやってこないから「まれびと」だなんて、その点では折口信夫の解釈だってずいぶん安直です。
われわれは、「正しくない」穢れたこの世の住人です。そして「まれびと」は、正しくこの世とあの世の「間」に存在している。古代人にとっては、あの世だって、けっして天国でも極楽でもなく、わけのわからない「黄泉の国」だったのです。したがって、この世とあの世の「間」に存在するものだけが「正しい」存在だった。
「間(ま)」の文化。生き物は、自然(世界)から逸脱した存在です。自然(世界)にぴったりとはめ込まれて空腹も暑さ寒さも痛みも苦しみも起きてこない状態にまどろんでいたい、と誰もが思うでしょう。そういうあの世でもこの世でもない「間」にはめこまれた身体の状態に対する憧れとそれが決定的に不可能なことであるという自覚から、「まれ」という言葉が「珍しい」とか「めったにない」という意味として使われるようになっていったのです。
古代人や縄文人を、ばかにしちゃいけない。
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二本の足で立っていることは、とても不安定で鬱陶しい姿勢です。人類は、もう数百万年もこの姿勢で進化してきたのに、いまだにこの姿勢を保つことの苦痛から逃れられない。自分が自分であることは、「正しくない」のです。
しかし、そのまま歩き出せば、これほど楽な姿勢もない。体重をほんの少し前に移動させるだけで、勝手に足が歩いていってくれる。気持よく歩いているとき、われわれは足のことなど忘れてしまっている。わざわざ足に歩けと命令する必要など何もない。人間ほど長時間歩きつづけることのできる動物はほかにいないのだとか。
気持よく歩いているとき、われわれは、足のことなど忘れて、まわりの景色に見とれている。それほどに足(自分の身体)のことを忘れてしまっている。つまりそのとき、意識が身体から引きはがされて、世界を祝福している。
意識は、みずからの「正しくない」身体から離脱して、他者(世界)に着地する。
机の表面を手で触れば、机の表面ばかり感じて、手を知覚する意識が消えている。
「行為」とは、意識を身体から引き剥がすことであるらしい。
直立二足歩行する人間にとって、この身体は「正しくない」のだ。
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女にとっての膣の中は、もっとも鬱陶しさがたまっている場所であるのかもしれない。だからそこに、ペニスを迎え入れることができる。迎え入れた瞬間、鬱陶しさが消えて、ペニスばかりを感じている。「まれびと」を迎え入れるという感覚の根源は、そこにあるのではないかと思えます。
氷河期が明けて海に閉じ込められた縄文時代の日本列島において、そこで暮らす人びとの意識は閉塞感が募っていった。その閉塞感から逃れようと、男たちは外に出て行きたがったし、女たちは来訪者を待ち焦がれた。女の閉じようとする身体生理からは、外に出て歩き回ろうとする衝動は生まれてこない。あくまで外なる他者との出会いを待ち受けている。
閉塞感、すなわち身体の鬱陶しさ。そこから逃れるために男たちは歩き回る暮らしを選択し、女たちはそういう男たちの来訪を迎え入れる暮らしを選択した。つまりそうやって、知らない他人と出会って驚きときめくことの解放感が生まれる社会ができていった。
男たちは、とにかくよく歩き回った。そのために足の骨が変形してしまうことも少なくなかったことが、遺跡から出土した骨によって確認されている。
そしてこのことから、男たちはそれほどにつらい労働を強いられていた、などという歴史家もいるのですが、縄文時代に「労働」などというものがあったはずがないじゃないですか。べつに田んぼや畑を持っていたわけではないのに、どんな労働が必要だったというのですか。好きで歩き回っていただけでしょう。彼らは、歩き回らずにらいれないくらい強い閉塞感を抱えていたのであり、人間にとって歩くことがいかに豊かな解放感をもたらす行為であるかということを意味しているだけでしょう。
食いものをもとめて歩き回っていたのではない。縄文人は餓死するほど食うに困っていたわけではないし、なんでも食うだけの意欲もあった。彼らにとっての第一義的な生きるいとなみは、食うことではなく、身体の鬱陶しさから解放されることにあった。歩き回ることにあった。他者との出会いの場を持つことにあった。
男たちは山野を歩き回り、女たちは山の峠や頂きに小さな集落をつくって男たちの来訪を迎え入れた。それは、男の身体生理とも女の身体生理とも、みごとに合致した社会形態だった。
西洋の概念的な言葉に対してやまとことばがなぜ身体的かといえば、日本列島の歴史が、期せずして直立二足歩行が生まれた原初の森の状況を模倣するものであったからであり、それだけ根源的な言葉なのだといえる。
そしてやまとことばが身体的であるということは、古代の「まれびと」の文化もまた身体的な衝動の上に成り立っている、ということを意味するはずです。
来訪する「他者=異人」を祝福し迎え入れる縄文時代の習俗は、たしかに「まれびと」信仰の原型になりうるし、それは、男性器を迎え入れるという女の身体構造に由来しているのかもしれない。
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われわれは、世間の常識に沿うていないから「自分は正しくない」と認識するのではない。存在そのものにおいてすでに「正しくない」からだ。
われわれの身体は、正しく存在していない。空腹であるとか、暑いとか寒いとか、痛いとか苦しいとか、たえず正しく存在していないことを知らせてくる。そうして、直立二足歩行そのものが、正しくない姿勢なのだ。
われわれは、存在そのものにおいて、正義を獲得することの不可能性のもとに置かれている。
それにたいしてわれわれは、他者の身体の痛みや苦しみを知覚することはできない。それは、「私」という無意識が、他者の身体を痛みも苦しみもない「正しい」存在として認識していることを意味する。
正義は、他者のもとにある。
われわれは、他者との出会いにおいて、この正しくない身体から意識を引き剥がして他者の身体に憑依し、その正しさを祝福してゆく。これが、直立二足歩行の身体感覚です。起源における直立二足歩行は、ひしめきあって鬱陶しくなってしまった他者との関係をいったん解体し、あらためて祝福するべき「出会い」の場に立とうとする姿勢だったのです。
日本列島の住民は、「客」をもてなす文化として、伝統的に「他者=異人」との出会いにこだわって生きてきた。われわれは、異人との関係(絆)をつくろうとはしない。あくまで「客=よそ者」としてもてなす。海に閉じ込められてこの島国でひしめきあって暮らしていれば、いまさら「仲間」など必要ない。われわれは、「異人」と仲間になろうとはしない。われわれに必要な他者は、「仲間」ではなく、「客=よそ者」なのだ。そういう歴史が縄文時代からはじまり、江戸時代250年の鎖国状態を経た幕末の日本人もまた、そういう態度で欧米人と接していった。そのとき幕府が欧米と交わした条約の数々は、じつに屈辱的で理不尽なものばかりです。しかしこの交渉下手な国民を、欧米人は、みずからの奴隷にしてしまうことができなかった。彼らは、その閉じ込められたところで培われてきた国民性(=まれびとの文化)に、根源的な人間性を見ていた。
幕末から明治にかけて、そういう国民性を愛した欧米人の例は、シーボルトやラフカディオ・ハーンだけでなく、司馬遼太郎の小説を読めばいくらでも出てきます。
閉じ込められた地域で生まれてくる他者に対する感受性、それは、他者との関係(絆)の鬱陶しさを極限まで体験したということです。それが、直立二足歩行が生まれた原初の森であり、海に閉じ込められた日本列島の状況でもあった。
そうして「まれびと」の文化が生まれてきた。
しかし戦後日本は、その伝統を屠り去って「仲間」との「絆」を止揚しながら高度経済成長を実現してきた。ようするに、アメリカの真似をした、ということです。そしてそれが、世界の正義であり、普遍的な人間の生きる流儀です。べつに悪いことじゃない。
というか、「まれびと」の文化こそ「正しくない」のです。それは、閉じ込められた状況からしか生まれてこないのだから、普遍性になりようがない。
「まれびと」の文化は、根源的ではあるが、普遍的ではない。「自分だけが正しくない」と思うほかない文化です。
しかし今やわれわれは、この地球に閉じ込められてある、という閉塞感を体験しつつあるのですからね。今こそ世界的に「まれびと」の文化が生まれつつある状況であるのかもしれない。