都市の起源(その三十一)・ネアンデルタール人論182

その三十一・東京の復興

承前
秋葉原通り魔事件の加藤君は、東京に出てきて、自分は正しく優秀な人間であらねばならないという強迫観念がさらに強まり、その裏返しとしての挫折感や劣等感も頭の中でいっぱいになっていたらしい。
都市にはたくさんの人がいるのだから、自分は彼らよりも正しく優秀な人間かという自問もさらに膨らんでくるし、自分よりも正しく優秀な人間がたくさんいるということも思い知らされる。
みんなは彼女とデートをして楽しく生きている、ということを想うだけでも劣等感になる。彼がまったく女にもてなかったというよりも、女にときめいてゆく心をすでに失っていた。そうして、アニメやマンガなどの二次元の世界に耽溺していった。
彼は、現実の女にリアリティを感じなかったのではなく、その生々しいリアリティに耐えられなかった。女だけではなく、すべての人間に対して過剰なほどに生々しい存在感を感じてしまい、雑踏の中にいることが耐えられなくなっていた。だから、雑踏を破壊しようとしていった。
誰の心の中にも、生きてあることに対するいたたまれなさは息づいている。人類の二本の足で立つ姿勢は、そういういたたまれなさを生きる姿勢なのだ。
人類は「生きられなさ」を生きることによって知能=文化を進化発展させてきた。
人は、この生やこの世界の存在の生々しさには耐えられない。心が、そういう「日常」の外の「非日常」の世界に超出してゆくことによってこの生が成り立っている。人は「非日常」の世界に対する「遠い憧れ」を紡ぎながら生きている。
都市の雑踏の群衆が生々しい存在感をもって目に飛び込んできたら、雑踏の中を歩いていることなんかできない。だから意識¬=視覚は、たえず何かの一点に焦点を結んでそのまわりはぼやけた状態になっている。
都市にはたくさんの人がいる。しかしだからといって、たくさんの人から好かれるのが都市生活の醍醐味になったり、たくさんの人に好かれようとするのが都市生活の流儀になっているのでもない。そういう観念の傾向になってしまうところにこそ、現在の都市生活の病理がある。
都市生活の醍醐味と流儀は、たったひとりの「あなた」に気づいてときめいてゆき、そのまわりのたくさんの人々の姿はぼやけてしまうところにある。そういうタッチを持っていなければ、都市では生きられない。
まあ、たくさんの人に好かれようとしながら社会的に成功してゆく人もいれば、そうやって人に好かれようとして自分を見せびらかすことばかりしながらかえって人に嫌われるということを繰り返している人もいる。自分を見せびらかしたくてストーカーになる。クレーマーになる。思うほど人に好かれなくて苛立つ。そうやって人は、みずからの知性や感性を停滞・衰弱させてゆく。どんなに知識をため込んでも、考えたり感じたりする心の動きは、すでに停滞・衰弱してしまっている。自分を見せびらかそうとばかりしているから、世界や他者が耐え難いほどに生々しく立ちあらわれてくる。
世界のリアリティを失って、心を病んだり、その表情がうつろになったりわざとらしく大げさになったりするのではない。彼らの表情は魅力的なニュアンスに乏しく、うつろであるにせよわざとらしいにせよ、どこか殺伐としている。
統合失調症とかアスペルガー症候群とか、自閉的な人ほど、世界の生々しい存在感に悩まされている。
人は、この生やこの世界のリアリティによって生きているのではない。その生々しい現実感によって心を病んでゆく。彼らは、世界がぼやけて見えているという、その無防備な状態を知らない。
世界のリアリティは、人の心に警戒と緊張を強いる。
世界がぼやけて見えているのなら、引きこもる必要なんか何もない。ぼやけて見えているということは、何か一点に焦点が結ばれときめいている、ということだ。
内田樹のような生き延びようとあくせくしている人間より、愚かでぼんやりしている今どきの「下層・下流」の若者のほうが、ずっと人間性の自然=本質に根差している。
加藤君は、都市の雑踏の群衆に対して無防備になれなかった。


人間にとってこの世界のリアリティが大切であるのなら、人類拡散という現象は起きていない。それは、より住みにくいところ住みにくいところへと移住してゆく現象だったのであり、この生やこの世界のリアリティが大切でそれをたしかに認識しているのなら、より住みにくい土地に住み着くということは起きるはずがない。住みにくさというこの生やこの世界のリアリティなんかどうでもよかったのだ。
住みにくい土地だからこそ、その「現実=日常」のリアリティから異次元の「非日常」の世界に超出してゆく心の動きがよりダイナミックに起きてきた。それはつまり、心が華やぎときめいてゆくということ。どんなに住みにくかろうと、その体験ができるのなら、そこに住み着く理由になる。
終戦直後の東京は、経済においても景観においても、世界でもっとも荒廃した都市だった。そんな東京が、なぜ世界でもいち早くもっともダイナミックに復興していったのか。そんな東京に、なぜどんどん人が集まってきたのか。
終戦直後の東京の人口は350万人で、復興途上の10年のあいだに、倍の700万人に膨れ上がっていった。そのとき人々は、住みやすい故郷を捨てて、より住みにくい「廃墟」あるいは「荒野」の東京を目指して集まってきていた。
なぜか?
どんなに住みにくくても、そこには人と人がときめき合う「祭りの賑わい」という、「非日常」の世界に超出してゆく体験が豊かに生成していたからだ。
「祭りの賑わい」すなわち「娯楽」こそが、この国の戦後復興のエネルギーになった。
戦後の日本人は、「日常」を忘れた浮かれ騒ぎで復興していったのだ。生き延びたいとか、生き延びるための衣食住を求めるとか、そんな欲望などそっちのけで復興していったのだ。
まあ生き残ったものたちには、生き残ったことの疚しさというかうしろめたさのような感情もあったに違いない。自分が生き延びることよりも、子供をはじめとする生きられない弱いものを生きさせることに熱中していった。というか、誰もが生きられない弱いものになりながら、たがいに相手を生きさせようとする「連携」の関係が豊かになっていった。生きられない弱いものとして生きることが、戦争で死んでいったものたちに対するひとつの「供養」だった。
そしてこれはたぶん、あの一連の大震災直後における人々の「連携」の問題でもあったに違いない。
終戦直後のそのとき故郷を捨てて東京に出てゆくことは、「生きられない弱いもの」として生きようとすることだった。「生きられない弱いもの」は、生き延びようとする欲望によってではなく、「世界の輝き」にときめいてゆく体験に生かされている。そうやって日本中で「祭りの賑わい=娯楽」と、それにともなう「連携」の関係が盛り上がっていった。
戦後の東京の復興は、おそらく人類史において「都市」が発生してきたこととどこかでつながっている。
猿とは違う人間的な「連携」はおそらく二本の足で立ち上がったときからすでにはじまっているはずだが、その関係を本格化させて氷河期明けの都市の発生の準備をしたのは、集団的置換説でいうようなアフリカの地にとどまり続けた歴史の上に登場してきたホモ・サピエンスではなく、氷河期の北ヨーロッパまで拡散してゆき住み着いてきたネアンデルタール人だった。
都市集団の自然=本質は、「連携」にあるのであって、「結束」にあるのではない。アフリカ人の部族意識ほど強い「結束」もないが、だからこそ彼らは「都市」を生み出すことができなかった。それに対してヨーロッパの都市は、「結束」の緩やかな「連携」によって進化発展してきた。それは、ネアンデルタール人以来の伝統であって、部族意識が強いアフリカ人がいきなりその地に行って生み出せるような関係ではない。
「結束」という「秩序」、それに対して「混沌」の中から生み出される人間的な「連携」のダイナミズムによって「都市」が生まれてきた。
終戦直後の日本人だって、けっして「結束」していったのではない。地縁血縁の古い村社会など、どんどん解体して東京に人が集まってきた。それは、良くも悪くも、「結束」を捨て去るムーブメントだった。「結束」によって戦争を遂行していったという反省もあったのかもしれない。戦後20年たってからの全共闘運動だって、一部では大いに盛り上がったらしいが、けっきょく日本人全体が「結束=団結」することなんか起きなかった。
現在の左翼系市民運動家の人たちは「反安倍」「反原発」等々で日本人が「結束」してゆくことを夢見ているらしいが、日本列島の伝統として、そういうことはそうかんたんには起きない。生き延びるための「結束」なんかしない。「もう死んでもいい」という勢いの「混沌=祭りの賑わい」の中から「連携」してゆく。
舛添叩きは、ひとつの「お祭り騒ぎ」だったのだろうな。それを「衆愚」といって批判する人もいるけど、こんなにもかんたんに盛り上がる人々が、いざ政治のことになるとどうして「無党派層」とか「選挙に行かない層」などの人たちが諸外国に比べて異様に多くて冷めているのだろう。おそらく「生き延びるために結束してゆく」ことに対するそこはかとないうしろめたさがあるのだろう。そしてそれは、二本の足で立ち上がって以来の人類史の伝統でもある。そのとき人類は、「もう死んでもいい」という勢いで立ち上がっていったのだ。
人の心は、「もう死んでもいい」という勢いを持ったセックスアピールに引き寄せられてゆく。
多くのマスコミ知識人がどれほど「平和で豊かな未来」のための正義のヴィジョンを声高に叫ぼうとも、日本人の本心はそれほど政治には関心がない。
戦後の復興だって、政治的な展望・計画によって実現したというより、なりゆきまかせのお祭り騒ぎで盛り上がっていっただけかもしれない。民衆の「連携」のダイナミズムというものをバカにしてもらっては困る。「衆愚」でけっこう、それが日本人の思考や行動の習性であり、右翼だろうと左翼だろうと、あなたたち知識人のえらそげなご託宣など知ったこっちゃない。