責任を問わない文化・天皇と神道(137)

この国に天皇が存在するということを、どのように考えたらいいのだろう。
僕はべつに右翼ではないが、それはもう歴史の事実なのだから、今さら否定することはできない。
左翼の人たちは、天皇の戦争責任をいう。
天皇に戦争責任があるということは、戦争をはじめた東条内閣というじっさいの支配者にはその責任はない、ということになる。そんなことをいってしまったら、支配者の思うつぼではないか。この国の支配者は、みずからの支配の「不在証明=アリバイ」として天皇の存在を利用して歴史を歩んできた。だから、この二千年のあいだ天皇を滅ぼさなかった。
支配者はなぜ天皇を滅ぼさないかという問題は、世の左翼たちが考えるほどかんたんではない。そして世の右翼たちが天皇を崇拝しているからといって、天皇に対して清廉潔白だというわけでもない。彼らは、みずからの卑しい支配欲の隠れ蓑として天皇を利用し、畏れ敬っているにすぎない。
あの戦争裁判においては、アメリカやイギリスの支配者たちでさえ天皇の戦争責任を問わなかった。彼らだって、この国の民衆支配のためには天皇の存在が有効であることを本能的に察知していたし、もし天皇を滅ぼしたら民衆の暴動が起こるかもしれないと怖れた。つまり彼らは、天皇を滅ぼしたらこの国は共産主義化してしまうかもしれない、と危惧した。
じっさい戦後の左翼思想の台頭によって一時は共産主義化してしまいそうな時代の風潮も生まれてきたのであり、まあそうやって50年代60年代には全学連全共闘学生運動がさかんになっていったわけだが、そのときもしも天皇制が廃止されていたらその運動は成功していたかもしれない。成功しなかったのは、天皇を祀り上げている民衆を巻き込むことができなかったからだ。
支配者は、天皇を前にすると、思考停止に陥ってしまう。天皇がそなえている「異次元性」に魅入られ、畏れ敬ってしまう。彼らはこの世のもっとも現世的な存在であり、だからこそ自分にはないその「異次元性」にひれ伏してしまう。彼らはもっとも死を怖れている存在であり、天皇は死の世界に存在するかのように見えてしまう。まあだから、支配者たちは、民衆に対して「天皇のために死ね」と命令することができた。
それに対して民衆は、死に対して親密な感慨のよりどころとして天皇を祀り上げてきた。民衆は、天皇を怖れてなどいない。もう、他愛なく天皇にときめいている。
支配者と民衆とのあいだの天皇に対する感慨は、けっして同じではない。
天皇制は、人々を思考停止に陥らせる装置であると同時に、人と人が他愛なくときめき合いながら高度な連携を生み出してゆく装置にもなっている。

日本人は、あるときとつぜん思考することをやめてしまう癖がある。信号は青になって横断歩道を渡る。それはもう決まりだから、それ以上のことは考えない。赤でも車が通っていなければ渡っていいのかということは考えない。それは、あさましいというかはしたないことだ、と思う。そうやって、規則だから、ということであっさり考えることをやめてしまう。しかしだからこそ、あの大震災のときに生き延びようとすることをやめてみんなで粛々と助け合うことができた。そのとき誰もが「あさましいことはしたくない」という思いがあった。
日本人には、生き延びようとするのは卑しいことだ、という無意識の感慨がある。そこから「切腹」や「特攻隊」の習俗が生まれてきた。なにはともあれ、良くも悪くも死に対する親密な感慨の上に成り立った文化風土なのだ。それは、死ぬことが美しいとか名誉だということ以前に、死のことは「わからない」ということをそのまま受け入れているだけだ。宗教は死のことを説明してくれるが、非宗教の日本人の思考は、死のことは「わからない」という前提に成り立っており、その「わからない」ということに対する親密な感慨がある。それが「新しもの好き」の進取の気性になるし、どこまでも「わからない」世界に分け入ってあきらめない探求心にもなっている。それは、「わからない」ということの前で立ち止まる、ということでもある。
日本列島の職人は「極めた=わかった」というようなことはいわない。死ぬまで修行だ、という。
わかったつもりの知ったかぶりほど思考停止している。「わからない」ものを探求することができないで「わかっている」ものだけをかき集めている。
自分は今生きてあるということは、誰にだってわかる。それに対して「生=わかる」ではなく、「死=わからない」ということに寄り添って生きることは、けっして幸せなことではないに違いない。しかし人間なんか誰だって「不幸=悲劇」を抱きすくめて生きている存在でもあり、そこからこの世界に生きてあることのさまざまなニュアンスも生まれてくるのだし、その「わからない」という「不幸=悲劇」に分け入ってゆく探求心が人類史に進化発展をもたらしもした。
この生のことだって、何もかもわからないことだらけだ。

日本人が「天皇」という「神聖なもの」を祀り上げようとすることは、けっして政治経済の問題ではなく生きてある「今ここ」の実存の問題であり、それは、この世界の構造と秩序を説明する「宗教」ではなく、あくまで「わからない」という「非宗教」の「混沌」の場を生きようとすることでもある。
天皇はなぜ、支配者を思考停止に陥らせつつ、支配者から利用されてしまうのか……そういう問題がある。
現在のこの国は、支配者の論理によって天皇を祀り上げているのか、それとも民衆の論理によってか……そういう問題もある。
日本会議に代表される声高な右翼の天皇観は、支配者の論理の上に成り立っている。それに対して民衆にとっての天皇は「異次元=非存在」の対象であり、ふだんは意識されることなく、無意識のところで祀り上げられており、それがふだんの思考や行動に作用している。前者は支配と被支配の関係を成り立たせるために天皇をこの上ない権威として祀り上げているわけだが、後者は、ただもう人と人が他愛なくときめき合う関係を結ぶためのよりどころとして天皇に対する親密な感慨を寄せている。
戦前の社会は、たしかに天皇の権威を基礎にして、国家による支配や家父長による家族の支配や男による女の支配などを成り立たせてきたわけで、そういう「秩序」を取り戻したいと思っているものたちは今なお一定数いるのだろうが、日本列島の起源以来の伝統は、民衆社会における「無主・無縁」の「混沌」を生きるためのよりどころとして、天皇という「異次元の世界の神聖なもの」を祀り上げてゆくことにある。

右翼たちは、日本人の「同質性」をいう。しかし日本列島の歴史は、人類拡散のムーブメントとともに北から西から南からさまざまな異質なものたちが集まってきたその「混沌」を生きるところからはじまっているのであり、誰もがその「混沌」の賑わいを生きようとしているところにおいて同質なだけなのだ。日本人は、中国人や朝鮮人よりもずっとひとりひとりの顔かたちや性格が違う。そういう「混沌」の歴史を歩んできたからこそ、「連携」の集団性が発達しているのだ。「同質」であれば、「結束」は強化されるが、だからこそ「連携」の集団性が育たない。
人類拡散の通り道においては、異質なものを排除して同質性で「結束」してゆく文化の伝統になっている。
日本人には、中国人や朝鮮人イスラム教徒やユダヤ人のような、外国に移住しても自分たちだけのコミュニティをしっかりつくってゆくという「結束」の能力はあまりない。
日本人は、「連携」しても「結束」はしない。中国人やユダヤ人は、「結束」しても「連携」はしない。だから彼らはかんたんに国を捨てられるが、日本人はいつまでも「国=故郷」のことを思い続ける。「連携」することは「相手」を思うことであり、「結束」することは集団に身をまかせることであって、「相手」は存在しない。集団に身をまかせている「自分」に酔っているだけであって、思うべき「相手」など存在しない。
まあ、結束することが下手な日本人をむりやり国家神道によって結束させていったのが明治維新から敗戦までの歴史だったのかもしれない。戦時中の勤労奉仕では、じつはさぼるものがいくらでもいて、勤務率は6割くらいだったともいわれている。これは、奈良の大仏をつくるときに最初はなかなか人が集まらなくて民衆に人気のあった在野の僧侶(行基)を大僧正という最高位に抜擢して責任者にしたということにも通じている。豊臣秀吉大阪城をつくったときでも、ちゃんと民衆に給料を払っている。
日本人は、けっして「結束」する民族ではない。その代わり「連携」する。火事のときのバケツリレーなどは、まあみんなで神輿を担ぐ「お祭り」みたいなもので、「結束力」というのではない。あの大震災のときでも「連携」したのであって、「結束」したのではない。「結束」できるのなら、暴動を起こしている。
まあこれは日本列島だけではなく、ヨーロッパとアラブの戦争の歴史だって連携力と結束力の闘いだったのであり、ヨーロッパにもネアンデルタール人以来のヨーロッパ的な連携の伝統がある。
ユダヤ人やイスラム教徒の結束力は並大抵ではないし、そのための排他性も強い。残酷さとは、ひとつの排他性であり、そうやって宗教者は残酷な戦争をするし、イスラム国のような残酷な処刑をすることもできる。彼らは、自己の存在の正当性にものすごく執着している。
今どきのネトウヨだって、とても排他性が強く、「連携」することができない人たちだ。何がなんでも、自己の正当性を確認したい。そのためには、どんなに卑劣な排除の仕方も厭わない。それは日本列島の伝統ではないし、そのの排他性は団塊世代を先頭ランナーとする戦後社会の流れでもある。
しかしオリンピックのスケートのパシュートではないが、日本列島の伝統としての「連携」について考え直そうとする動きも出てきてはいるのだろう。戦後70年たって、戦前の社会の「結束=排他性」のコンセプトが一部の右翼勢力とともにゾンビのようによみがえりつつあると同時に、ようやく反省されはじめてもいる。

人類の集団性の本質は、「結束」ではなく「連携」にあり、それによって進化発展してきた。
ただ、人類最初の文明社会は、異民族を排除しようとする「結束」のコンセプトによって生まれてきたわけで、それらのエジプト・メソポタミア・インダス等の4大文明の社会は、それにゆえにこそ歴史とともに停滞・衰弱してゆくほかなかった。
文明社会は、その「結束=排他性」とともに病んでゆく。
そして日本列島の古代の民衆は、大和朝廷という文明制度が仏教とともに差し出してくるその「結束=排他性」のコンセプトに対し、祭りの賑わいととも他愛なくときめき合いながら「連携」してゆく集団性の伝統を守るかたちで「神道」を生み出していった。
日本列島の歴史でそれなりに独自の文化がはぐくまれ、アジアではいち早く近代文明を身につけてゆくことができたのも、けっきょく民衆社会の「連携」の集団性が守られてきたからだ。
今どきは自国ファーストの右翼思想がさかんらしいが、その「結束=排他性」の集団性は、一時的な盛り上がりはあっても、最後は必ず停滞衰弱してゆくのが歴史の法則になっている。
あの太平洋戦争の敗戦だって、国家神道の「結束=排他性」の集団性によって自滅してしまった、ともいえる。もちろん戦力そのものの限界ということがいちばんだろうが、戦術も硬直化していったということがある。兵士はたしかに勇敢だったが、「結束=排他性」のモチベーションにこだわった軍の上層部には、おそらく創造的な「連携」の戦術を生み出す能力がすでになかった。それこそが日本軍の生命線のはずなのに。
関東大震災のときは、朝鮮人排斥のデマが流され、集団で大虐殺してしまう事件が起きた。そのころからもう、日本人が狂い始めていたのかもしれない。戦争の世紀は、日本人の集団性をもそのように変質させてしまった。
であれば、戦後のこの国においては、ほんらいの「連携」の集団性を取り戻すことができるかと問われている。たぶんアジアの各国の民衆だって、民主化のためのひとつの指標として、この国の現在に注目しているに違いない。それなのにまた戦前の「結束=排他性」の集団性に戻っていったら、アジア全体の民主化もまた、さらに遅れてしまうことになる。
敗戦後のこの国は、世界の「生贄」になる覚悟で生きてゆくことを誓ったはずだが、とっくに忘れてまたぞろ昔の夢を追いかけ始めている。

敗戦後の天皇は、マッカーサーの前で「私が全責任を負う」といったのだとか。そんな立派な態度を見せられると、よけいに責任を問えなくなる、とマッカーサーはいう。ほんとにそういったかどうかという議論もあるわけだが、そのときのマッカーサーとしては、それなりに「神聖な」気配を感じたのだろう。「戦争を望んだわけではないが、止められなかったのは私の責任だ」というようなことはいったかもしれないが、左翼の人たちがいうような「責任を東条英機に押し被せた」ということはあるまい。「敗軍の将、兵を語らず」というくらいのたしなみはあっただろうし、天皇家帝王学は「すべてを許す」ということにある。
まあ、どんな話をしたかということはたいした問題ではない。とにかくアメリカやイギリスは天皇の戦争責任を問わないことにしたわけで、それが歴史の事実だ。
アメリカやイギリスにだって後ろめたいところはある。本気で自分たちに正義があると思っていたわけでもあるまい。さしあたってそういうことにして、「決着」をつけることができればそれでよかった。決着をつけることが「平和」だ、と思っていた。彼らは善(正義)か悪かという物差しで考える癖がついているだけで、善悪の本質がわかっているわけではない。そんなことは、誰にもわからない。彼らだって人間なのだから「善悪の彼岸」の「神聖なもの」に対する想いはあろうが、宗教のせいでそのことを第一義にするわけにはいかない社会の構造になっている。正義か否か、すなわち善悪の物差しに当てはめてゆくのが彼らの政治作法になっている。
宗教の神(ゴッド)は、善悪を裁く。
しかし非宗教の日本列島は、善悪を超えた「異次元の世界=神聖なもの」を想う。天皇はそこに立たねばならない。それが天皇家帝王学であり、昭和天皇だって幼いころからそれを仕込まれて育ってきた。

天皇は、善悪の彼岸に立っている気配をそなえていなければならない。そしてこれは、天皇だけのことではない。民衆社会の「村の寄り合い」だって、そこに立って諍(いさか)いの調停をしてきた。
有名な大岡裁きの話……一人の子供を挟んで二人の女が私こそほんとうの母親だと主張している。そこで二人の女に、両側から子供の手を引っ張らせ、最後まで離さなかったほうにほんとうの親子の絆がある、ということにした。引っ張られて泣き叫ぶ子供。片方の女は、途中で手を離してしまった。
で、大岡は、手を離した方がほんとうの親だと宣告した。ほんとうの親なら、子供の手がちぎれるまで引っ張っていられるはずがない、と。
つまり、ほんとうか嘘かということなどどうでもよい、やさしい心の女が育てればよい、というだけのこと。ただのつくり話だろうが、ここに民衆社会の「善悪の彼岸=神聖なもの」に対する想いがあらわれているわけで、だからただのつくり話でも長く語り継がれてきたのだろう。
天皇家帝王学だって、まあこのようなことだ。
敗戦の廃墟に立った民衆は、これからはもう人類世界の「生贄」として生きてゆこう、と心に刻んだし、それは天皇自身の想いでもあった。そういう「時代の空気」があった。で、そういうたぐいの「泣ける話」が流行した時代だったし、新憲法の作成にかかわった学者や内閣も、そうした決意表明をしている。
ちょっと前にも、『一杯のかけそば』という話が流行った。日本人は、他愛なくセンチな物語にしてやられる。しかしそれは、「神聖なもの=異次元の世界」に対する遠い憧れでもある。
「神聖なもの=異次元の世界」を想うなら、「善(正義)か悪か」ということも「真実か嘘か」ということもどうでもよい。
というわけで、古代以前の奈良盆地の民衆がどんな想いで天皇を祀り上げていったかということは、「偉大な支配者だった」というようなありきたりの空想ですむ話ではない。
人の心は、根源において異次元的な「神聖なもの」を祀り上げている。それは、とても下世話でかんたんな問題であると同時に、政治経済や宗教のレベルではすまない形而上学的な問題でもある。
青い空を見上げたり道端の草にふと目をとめたりする心にも、異次元的な「神聖なもの」に対する遠い憧れが息づいている。