「霊魂」と「たましい」は同じか?・神道と天皇(41)

神道で「人の道」というとき、それは世俗的宗教的な「道徳」というようなことではなく、「倫理」といったほうが正確かもしれない。人として「なすべきこと」というより、「せずにいられないこと」、べつに誰が決めたのでもなく、人間性の自然として、誰もが裸一貫のピュアな存在になれば知らず知らずそうしてしまうことを「倫理」という。
たとえば、「なぜ人を殺してはいけないか」というようなことが議論されたりするが、そんな問題などもともと存在しないのであり、「人を殺すことなんかできない」という人間性の自然があるだけだろう。それを「倫理」という。
人は、人間性の自然として、人には生きていてほしいと願っている。なぜなら、自分なんか生きていてもしょうがない存在だという思いがあるから、人が生きていてくれないと、生きていられなくなってしまう。誰だって、他者の「生きていてほしい」という願いの上に生きている。心のどこかしらでその願いをそこはかとない気配として感じているから生きていられる。そうやって、人は集団をつくっている。集団なんか鬱陶しいだけなのに、集団の中でしか生きられない。人に対して生きていてほしいと願わないと、生きていられない。そしてこれは、自分個人の願いではない。集団そのものに「人には生きていてほしい」という願いがある。それは、人間集団の願いであって、そこにおいては「私」などどこにも存在しないともいえる。集団において生成している願いだから共有できるのであって、「私」の個人的な願いが共有できるはずもない。

まあ心なんか、「私の中」で生成しているのではなく、「私の外」で生成している。正確には、「私の中」と「私の外」の「境界」で生成している、ということだろうか。それは、「私の心」であって「私の心」ではない。だから、人と共有できるのだ。
「私の心」などというものはない、といってもいい。
「私」などというものが存在するのかどうかというのは、よくわからないことだ。したがって「私」が生き延びねばならない必然性も、生き延びようとする欲望があるのかも、よくわからない。自分が生き延びるために人を殺そうとするのだろう。文明社会の制度性においては、確かに生き延びようとする衝動が生成している。しかし人間性の自然において、そんな欲望は存在しない。自分なんか生きていてもしょうがない、と思うのが自然なのだ。であれば、人を殺そうとする欲望が生まれてくることもまたありえない。
心の底に自分なんか生きていていてもしょうがないという思いがあるから、人には生きていてほしいと願うし、人と人はときめき合うのだ。
「道徳」は、「私」を縛るものとして「私の中」に存在している。それに対して「倫理」は、「私」を縛るものでも「私の中」に存在しているのでもない。それは、すでに「私」から離れたところの、「私」の内と外の「境界」で生成しながら他者と共有されている。「私」から離れているものでなければ共有することはできない。

古代以前の日本列島の住民は、宗教的政治的な「道徳」に縛られるほどの「私=自我」を持っていなかった。だから、かんたんに政治に支配されていったし、「宗教=仏教」をやすやすと受け入れていったのだが、支配され受け入れつつ、それらを忌避してもいた。そうやって、それらとは対極にあるコンセプトの神道が生まれてきた。
そのとき奈良盆地の都市集団には、人間性の自然の上に成り立った「倫理」の問題としての「人の道」の文化が、すでに洗練成熟したかたちで生成していたからだ。彼らは、すでに人として「せずにいられないこと」を深く豊かにそなえていた。
まあ自我が薄いからそうした政治道徳や宗教道徳を強制されたらひとまず受け入れもするが、それでもそれとはまた別に、彼らなりの世界観や生命観や生きる流儀があった。
拒否反応なしに受け入れることなんかできないし、拒否反応がなくてむやみにもたれかかってゆくから駄々をこねる。

神道でいう「人の道」は、教えることができない。なぜならそれは、「するべきこと」でも「してはならないこと」でもないからだ。
「せずにいられないこと」は、人それぞれで違う。百人いたら、百通りの「せずにいられないこと」がある。それはもう、誰もが自分で見つけてゆくしかないし、性格や体型や体質や人生のめぐりあわせとか、誰もが固有の存在の仕方をして、固有の心模様を持っている。存在の孤立性というか固有性というか、そこに立てばもう、いいとか悪いとかというようなことをいってもしょうがない。この世のすべては赦されている、と思い定めるしかない。それが、神道における「人の道」なのだ。
もともと日本列島の伝統風土に、集団であれ個人の心であれ、「安定秩序」に対する志向性はない。集団のいとなみも個人の人生も、すべては移ろい流れてゆくものとして認識されてきたわけで、それは縄文時代以来の伝統なのだ。
安定秩序を求めることは、心が停滞し澱んでゆくということだ。それを「けがれ」という。
神道における「人の道」は、「みそぎ」のカタルシスにある。それは、教えることができない。それぞれの孤立性(固有性)の上に立った「せずにいられないこと」として成り立っている。「しなければならないこと」も「してはならないこと」もない。すべては赦されている。「八百万の神」なのだ。そうやって、すべての存在の「孤立性(固有性)」が祀り上げられてゆく。
すべての存在の「孤立性(固有性)」が祀り上げられるのなら、「教える」ということは成り立たない。
政治にも宗教にも「教え=法」というものがあるが、神道にはない。

古代の神道においては、「霊魂」と書いて「たま」と読む。
仏教伝来以前の日本列島の住民は、「霊魂」という概念を知らなかった。やまとことばの古語としての「たま」は、丸い「玉」であり、「たまる」「たまらない」「たまげる」「たまさか」「たまたま」の「たま」だったわけで、「霊魂」を指す言葉など存在しなかった。
「たま」とは、「中心」「完結」「究極」の語義。丸い「玉(たま)」は、「究極」のかたちなのだ。「たま」とは「心」であり、心は人という存在の中心のもの、そうやって古代人は「霊魂」を「たま」と読むようになっていった。
「たまげる」は、「心が真っ二つになること」。「ける=蹴る」は「分裂」の語義。「たまさか」は「中心の事柄がはっきりとあらわれること」というようなニュアンス。「さか」は「盛(さか)り」の「さか」。
仏教伝来のそのとき、「霊魂」とは「玉のようなかたちをした心の中心にあるもののこと」だろうかと思ったから、「たま」と読むようになっていった。そのように読まないことには、「霊魂」という概念を理解できなかった。あるいは、そのように読むことによってその概念を受け入れた。「仏」を「ほとけ」と読んだのと同じやり方だ。
つまり、「拒否反応」を残しながら受け入れるということ、それが、日本列島における外来文化を受け入れる流儀なのだ。
「たまきはる」という枕詞がある。これを一般的には「霊魂=魂が極まる」とか「命が充実する」と解釈されているのだが、「きはる」とは「端を削る」とか「痩せ細る」というような意味なのだ。すなわち「命が痩せ細る」ことを「たまきはる」というのであって、「命が充実する」ことではない。まあ、「極まる」ということだって、「雑多であいまいなかたちがたしかなひとつのかたちに収斂してゆくこと」であり、それもまた「痩せ細る」ことに違いない。そして「たま」の表記にはとうぜん「霊」とか「魂」という字が当てられているわけだが、そのときの日本列島の住民には、「存在の本質・根源」に向かういわば哲学的実存的な思考があった。
「魂(たましい)を込める」ということを「全身全霊を込める」ともいう。しかし「全霊」とは、いったいなんなのだ?「霊」とは「中心のただひとつのもの」なのだから「全部の霊」などという言い方は成り立たないだろう。ここにも「八百万の神」の思考法がのぞいている。「魂(たましい)」とは、「全身全霊」すなわち「存在のすべて」ということ。そしてそれは人それぞれの固有のかたちがあり、そのとき古代人はそうした「存在の孤立性」を意識していたから、「たま」に「しい」という言葉を付け加えたのだ。「しい」は「シーン」の「しい」、「静寂」「孤独」「固有性」の語義。彼らは心の底の深いところで、そうしたこの生の根源・本質を自覚していた。
まあ「身(み)」という言葉だって、たんなる「身体」という意味だけでなく、「存在の本質」というようなニュアンスで使われてきた。「身が入る」とか「親身になる」とか「身に覚えがない」とか、そこにも存在の「本質・根源」とか「固有性・孤立性」ということが意識されており、それが「みそぎ」の「み」、「かみ」の「み」なのだ。
小林秀雄はこのことをこういっている。「日常生活の基本的な意識経験が、すでに哲学的意味に溢れているわけで、言わば哲学的経験とは、われわれにとってまったく尋常なものだ、ということになる(『考えるヒント』より)」、と。
宗教というものを知らなかった古代の民衆の思考の射程は、世の歴史家が考えているよりもずっと深く遠いのだ。