「姿」の文化・ネアンデルタール人と日本人67


古代以前の日本列島に「霊魂」という概念などなく、したがってもともとの「たま」というやまとことばにはそのような意味はなかった。
「たま」は、人と人の関係性から生まれてきた言葉だった。関係性の充実・充足を指して「たま」といった。人間にとっては、それこそがもっとも根源的で切実な生きることの主題ではないのか。
古代以前の人々は、べつにお金という霊魂を主題にして生きていたわけではない。現代人がお金を主題にして生きているということは無意識のところで共同幻想としての「霊魂」という概念に支配されているということであり、今どきの歴史家はもう、人間は自然に霊魂という概念を持ってしまうとか、原始的であればあるほど霊魂という概念に縛られているなどと決めてかかっており、この日本列島にかつて霊魂という概念を知らない人々がいたという仮説など思いも及ばないらしい。
人間の生のいとなみの原初的なというか本質的な主題は人と人の関係をやりくりしてゆくことであって、霊魂などというものを意識することではない。
そして、他者に他愛なくときめいてゆくことは、人と人の関係性の基本であると同時に究極のかたちでもある。そのようにして「たま」という言葉が生まれ、やがて男女のあいだの「ときめき」や「快楽」を指す言葉にもなっていった。
仏教伝来以前の日本列島には「神」や「霊魂」という概念がなかった、という仮説は、そんなに荒唐無稽だろうか。
われわれからしたら、縄文時代からすでに神や霊魂という概念とともにアニミズム(呪術)があったと決めつけている方が、よほど粗雑な思考だというか、思考にすらなっていないと思える。
現在提出されている考古学の証拠や日本文化のかたちというものを検証してゆけば、上代の日本人は神も霊魂も知らなかったと考える方がよほどつじつまが合う。



日本列島の歴史の「孤島性」というものがあり、大陸における文明の歴史をそのまま当てはめることはできない。
日本列島では文字や共同体を持つことが、大陸文明より何千年も遅れた。それは、そのまま文化の停滞や後進性を意味するのではない。そのあいだに孤島ならではの文化が洗練発達していた。つまり、神や霊魂を知らない文化が。
文字や共同体を持とうとしなかったということは、神や霊魂を知らなかったということなのだ。
文字とは言葉に「意味」を定着させる機能であり、そのとき「意味」は言葉の霊魂である。言葉をひとつの意味に限定して使っていたら、必然的に文字を覚えてゆく。言葉をひとつの意味に限定するということは、すでに言葉が伝達の道具になっていることを意味する。言葉を伝達の道具にしようとする欲望の上に成り立った社会である。そして伝達の道具としてなら、しゃべるよりも文字の方がはるかに効率的である。聞き逃す心配がないし、聞き間違うこともないし、記憶しておく必要もない。確実に伝達できる。とくに、文字が共有されていれば、支配の道具として極めて有効である。支配制度の確立のために文字が生まれてきた。
伝達するということは、相手を支配することである。相手の意識をその言葉の意味に従属させることである。自分が認識している意味を、相手にも同じように認識させることである。世の中の人と人の関係がそのようになってゆくことによって文字が生まれ、支配者があらわれ、共同体になってゆく。
支配者にとって、民衆が支配と被支配の関係を知っていなければ、支配することはできない。支配することは、ひとつのコミュニケーションなのだ。
言葉がひとつの意味に限定されている社会でなければ、文字は生まれてこないし、支配者もあらわれてこない。
しかし古代以前の日本列島においては、言葉はひとつの意味に限定されていなかった。言葉の機能は、音声のニュアンスの上に成り立っており、ひとつの言葉がさまざまな意味合いをまとっていた。
つまり、言葉に霊魂となる限定された意味がなかった。人々にとって言葉はつねに一回きりの「音声」であり、言葉の意味やニュアンスは、そのときその場のなりゆきの人それぞれの流儀で汲み上げられていった。このことを「ことだまの咲きはふ」といったわけで、言葉は中身としての意味よりも、「音声=姿」としてのニュアンスが交歓されていた。彼らには、文字を持つべき理由がなかった。文字として意味を限定してしまうよりも、もっと豊かな言葉の扱い方をしていた。
文字には、音声がない。音声が持っているニュアンスを文字として定着させることは不可能である。だから、文字だけでは飽き足らなくなって演劇や映画などの芸能が生まれてきた。
人間は、神や霊魂といっているだけではすまない存在なのだ。もともとそんなものは知らない存在だったのだし。
日本列島の古代以前の人々は、言葉においても身体においても心においても、「中身」よりも「姿」を問題にしていた。彼らの美意識や生命観において、身体や心の中身としての「霊魂」を発想する契機は存在しなかった。
彼らは、霊魂のような「中に宿っているもの」を問うよりも、「姿」としてあらわれたものにときめいていった。原始人は世界中みんなそうだったのだし、縄文人は、その原始性を引き継ぎ洗練させていった人々だった。日本列島というこの絶海の孤島で。



どう考えても縄文人が霊魂という概念を持っていたといえる根拠はない。彼らが土器の表面にさまざまな装飾を施していったのは、中身としての霊魂よりも、表面の「姿」が気になったからだ。そしてあれほど豊かな装飾性を持っていたということは、「ことだまの咲きはふ国」として、言葉の音声のニュアンスも豊かに花開いている社会であったことを連想させる。
縄文人にとっての「ことだま」は、「言葉の姿」だった。いや万葉人だって、基本的にはそのような意識で「ことだま」という言葉を使っていた。「たま」とは「姿」という意味だった。中身としての霊魂という意味だったのではない。
彼らの意識は、「中に宿っているもの」には向かわなかった。あくまでも「姿」が気になる人々であった。
彼らは、死んだ子供を家の出入口の下に埋めていた。つまり彼らにとってもっとも重要な場所は、家の中ではなく、家の内と外の境界にあった。霊魂を意識していたのなら、家の中に埋めたはずである。これもまた、土器の表面を飾り立てていた意識のなせるわざではないだろうか。
現代人の感覚からすると、いつもいる家の中に埋めておいた方がいつも思い出すことができると考えがちだが、たぶん彼らは「中に宿っているもの」に対する意識が希薄だったから、それでは忘れてしまいがちになったのだろう。家の中にはもちろん生きた人間がいるのだから、生きた人間のことばかり思って土の下の死んだ人間のことなど忘れている。そこは死んだ人間のことなど忘れてしまう場所だったともいえる。
死んだ人間のことは、家の中でも外でもなく、その境界である出入り口に立って心が無になった瞬間に思い出される。彼らは、そこにこの世界の「裂け目=他界」を見ていた。だから、その場所こそが死者のいる場所だった。
まあ、死者の霊魂などというものが信じられるならいつでも死者と対話できるのだろうが、彼らにとっての死者は、自分が思い出すというかたちでしか存在しえなかった。
それに対して現代人が死んだ子供の部屋をいつまでもそのままにしておくというようなことをするのは、すでに霊魂という概念を持ってしまっているために、四六時中死者と対話しているからだろう。部屋の中のすべてのものに死者の霊魂が宿っていると思う。しかし、そのような現代人の意識をそのまま縄文人の意識にも当てはめることはできない。またわれわれだって、人が死ねば永遠の別れをしたというかなしみがこみ上げてくるし、死んだ人間の部屋をそのままにしておいてもせんないことだという思いもある。おそらくそれこそが、縄文以来のこの国の伝統的なメンタリティであり、人間の普遍性=自然なのだ。
四六時中死者と対話しているなんて、「今ここ」の世界に対する反応を失っているという、ひとつの病気だろう。普通は目の前のことに反応しながら生きているから、どうしても忘れがちになる。しかし、何かのはずみでというか、心がエアポケットに入ったときに突然ありありと思い出されたりする。そういうエアポケットが家の出入口にある。そこは、この世界の裂け目である。
人間は、死者のことを忘れてしまうくらい目の前のことにあくせく反応しながら生きている存在であると同時に、この生を嘆きながら死と生の境目に立って生きている存在だから、何かのはずみで鮮やかに思い出がよみがえってくる。
霊魂を意識すると、忘れないでずっと思い続けていることになる。
霊魂を知らない心は忘れてしまうと同時に、鮮やかに思い出す。人間は、その自然状態において、心が空っぽになっている状態と何かの思いが充満している状態を意識するだけで、心の中心で心を支配している霊魂の存在など意識しない。自然状態で意識するのは、心の「姿」であって、「中身」ではない。
しかし霊魂が存在するという共同幻想に冒された文明人の心(観念)はそれを前提にして思考するしかない状態になってしまっており、彼らにはもう、それを変更する能力はない。
霊魂が存在するという証明も存在しないという証明も誰にもできないが、この世の中に霊魂の存在を信じ切っている人はたしかに存在する。
そして、霊魂を知らない心模様は、人間の自然として誰の中にもある。
縄文人には、霊魂という概念を持つ契機がなかった。
霊魂とは物事の中に宿るものであり、彼らはそんなものは気にしなかった。あくまで表面の「姿=輪郭」が気になっていた。森であろうと木であろうと岩であろうと他人の身体だろうと、その中に宿っているものなど感じようともしなかった。あくまで表面の「姿」が気になった。
「姿」に対する意識は、「霊魂」に対する意識とは対極にある。
人間なら誰だって「姿」に対する意識を持っている。それは、「霊魂」を知らない意識である。
日本人のメンタリティの基底にあるのは、「霊魂を知らない意識」なのだ。
日本列島の古代以前に「霊魂」という概念が生まれてくる契機は存在しなかったし、古代にその概念を持ったといっても仏教伝来とともに外からもたらされたのであって、内発的な契機があったわけではない。
まあ今でもわれわれは、神や霊魂をうまく実感することのできない民族である。
いや、世界中の人間が、いまだに神や霊魂は存在するか否かとすったもんだしながら語り合っている。また、いいかえれば神や霊魂を信じることくらい、ちょっとしたデマゴーグを信じてしまう心の動きがあれば足りることである。
神や霊魂を深く信じているからといってえらいわけでもなんでもない。そんなことくらい、文明社会の制度性に冒された心があればかんたんに信じ込むことができる。まあ、そういう受難の傷ついた心だともいえるわけで気の毒といえば気の毒なのだが、彼らに人間のほんとうの知性や感性の持ち主であるかのように自慢されるのは、まあ堪忍してくれよといいたくなってしまう。



現在は文字文化が発達して、文字を上手に扱う能力があれば自分が高度な知性や観念の持ち主であるかのように見せびらかすことはできる。しかしその能力はあくまで「今ここ」にはない中身としての「意味」を取り扱う能力であり、それは往々にして「今ここ」の「姿」に気づいてゆく知性や感性の喪失を代償にしている場合が多い。
まあこれは、現代人の一般的な傾向であるのかもしれない。
たとえば現在の枕詞の研究者たちは枕詞に限定的な意味を付与しようとするばかりで、感慨の表出としての枕詞の「姿」については誰も考えようとしていない。それでは、枕詞だけでなく、神も霊魂も知らなかった縄文人の心模様に推参することはできない。
文字という「意味=霊魂」を宿したものに慣れてしまったわれわれはもうそんなものをかんたんに信じてしまう心の動き(観念性)になっているが、文字を持たなかった上代の人々が内発的にそれを身につけてゆくことはけっしてかんたんなことではなかったはずである。
まあアフリカやアマゾン奥地の未開の民の社会にも精霊信仰があるから歴史家はついそれが人間の自然だと考えてしまうのだが、未開の民だっておそらく文明社会から伝播してきたそうした観念性に冒されているだけのことであって、絶海の孤島であった日本列島にはその影響がなかった。縄文社会に霊魂という概念がなかったことは、そういう地理的条件よるいわばひとつの奇跡だったのだ。日本文化の「孤島性(島嶼性)」というのは確かにあるのだし、それはしかし原始人から引き継いだ人間性の普遍の問題でもある。縄文人は、そういう原始性を洗練発展させて歴史を歩んできた。
日本人の先取の気性が大陸人に比べて劣っているというわけではないことは誰もが認めるところだろう。縄文社会は、大陸のような文明社会の制度性は未熟ではあったが、「文化的」な洗練において劣っていたわけではない。
ともあれ、縄文人が神だの霊魂だのという概念を持っていたということはあり得ないのだ。
「たま」は表面の「姿」をあらわす言葉であって、「中身」を意味しているのではない。ましてやその語源において「霊魂」という意味だけに限定されて使われていたということはさらにあり得ない。
「表面=姿」のきらきらした輝きを「たま」といった。したがってこれは、「霊魂」とは反対のニュアンスの言葉だった。日本列島ではそういう無邪気なときめきの心の「姿」こそもっとも大切とも美しいとも思うものだったが、そんな心の姿をつくっているが「霊魂」だといわれれば、「霊魂」とは「たま」のことかと納得してゆくしかない。
「たま」には、「もっとも大切なもの」というニュアンスもあった。
だから「たま」を文字表記しようとするときに「霊」という字をあてるようにもなっていったのだが、それでも「たま=霊」と言い切ってしまうには違和感が残った。で、霊のことはそのまま「れい」というようになってゆき、「たま」には「玉」という字を使う方が一般化していったし、漢字という表意文字に対して「ひらかな」という表音文字を生みだしていった。
「姿」の美意識の日本列島では、言葉をひとつの意味に限定してしまうことには、どうしても違和感が残った。
朝鮮が漢字を廃止してハングル文字を使うようになったのは、朝鮮語の発音が漢字ではあらわせなかったのだろうが、日本列島ではそのことにはあまり問題がなく、すぐにやまとことばを万葉仮名で表記していった。しかし、多くのやまとことばが漢字が持っている表意性にどうしてもなじめなかった。
ひらかなが表音文字だからといって、ハングルやアルファベットのように純粋な音声記号としての役目だけになっているのではなく、その一音一音が意味とはべつにさまざまな感慨のニュアンスをまとっている。
「た」と「ま」は、基本的にはともに「充足」「充実」のニュアンスを持った音声だが、そのほかにも「完了」「安心」「納得」「独立心」「決断」等のさまざまな感慨のニュアンスをまとっている。そしてたとえさまざまであっても、「た」なら「た」というほかない固有のニュアンスもあるわけで、日本人が「た」という音声と「ま」という音声の使い分けを誤ることはない。
たとえば「たったひとつ」と「ただひとつ」と「まだひとつ」と「まあひとつくらいは」と「まあまあおひとつどうぞ」というようなニュアンスの使い分けは誰にでもできるし、それらの「た」や「ま」にはあふれるようなニュアンスをまとっているのに、ひらかなで表記しないとどうもしっくりこない。それらのニュアンスは、漢字が持っている「意味」とはちょっと違う。こうなるともう、ひらかなはただの表音文字ともいえない。単純に「記号」ともいえない。
「えをかく」と書いて「絵を描く」と読めないわけではない。この場合の「え」と「か」は、表意文字でもある。日本語は、その一音がすでに意味を持った言葉になってしまっている。
日本列島と中国大陸では、言葉に対する感覚が、まるで正反対といってもいいくらいに違う。本質的に違う。中国と朝鮮半島よりももっと違うのに、漢字をそのままアレンジしたひらかなをつくり、漢字もそのまま使うようになっていった。これはまあかなりアクロバティックな受け入れ方で、一朝一夕にはならなかった。そのあいだにいろんな試行錯誤があったことは、歴史の事実が示している。
朝鮮半島では、漢字で自分たちの言葉を表記することはけっきょくできなかったが、もっと異質であるはずの日本列島ではそれをしてしまった。ひらかなだって漢字のうちなのだ。「安」の草書が「あ」というひらかなになっただけのこと。ひらかなという文字をつくりだすことはべつに難しいことでもなんでもないが、ひらかなという文字を社会で機能させてゆくことはそうとうややこしい心の動きがともなっている。
霊魂を知らない民族は、そういうアクロバティックな受容の仕方をすることができる。日本文化は「姿」だけで中身としての「霊魂」を持たないから、なんでも受け入れることができる。



「みそぎ」をして中身を空っぽにすること、すなわち自分を捨てていないと受け入れることはできない。中身を空っぽにするという美意識を持った民族が、森や木や岩や身体の中に霊魂が宿っているという発想するはずがない。
日本人は、汚れていない部屋のことを「きれい」という。しかし外国人は「ビューティフル」とはいわない。ただ「クリーン」というだけだろう。
日本人にとっては、「クリーン」は「ビューティフル」でもある。
「まっさら」は「きれい」でもある。
身体や心の中に「自分」とか「霊魂」などというものがつまっていたら、その身体や心は「きれい」とはいわない。そういうものを洗い流して「みそぎ」をするのが日本列島の作法である。
「きれい」とは「表面の輝き」のことであり、それを「たま」という。それほどに表面の輝きが好きだということは、それほどに中身が空っぽになることを意識しているということだ。
中身が空っぽになることによって表面の輝きが生まれる、知性や感性とは心の表面の輝きのことであって心の中身のことではない……まあ日本列島の住民は、そのように意識して歴史を歩んできた。
どう考えても仏教伝来以前に神や霊魂という意識を持っていたはずがないし、仏教伝来によってその概念を持たされても、もう一方に神や霊魂を知らない心を残してきた。神や霊魂を知らない心で神や霊魂という概念を受け入れてきた。そのようにして「ひらかな」や「神道」が生まれてきたのだ。
もともとの神道は、山や森や岩に「神が宿っている」とはいわなかった。そこに「神が下りてくる」とか、そこで「神を迎える」といっただけである。これが、神を知らない民族の神という概念を受け入れる作法だった。
漢語とはまったく異質の日本語を漢字で表記していったのも、まあ同じようなことだったのだろう。
これは、縄文人がつくり上げた「見知らぬ旅人を受け入れもてなす」という伝統だった。
つまり、他愛なくときめいてゆく心。しかし人間性の普遍として、それこそが高度な知性や感性になってゆくわけで、その他愛なくときめいてゆく心を古代人は「たま」といった。
古代人の心や古代文学を語るのに「たま=霊魂」などという安直な定義でかたづけてしまうことはできない。「たま」と「霊魂」はまったく正反対のニュアンスの言葉だともいえるのだが、それでも古代人は「たま=霊魂」という言葉の使い方をした。それはひとつのアクロバットだった。この国ではずっとそのような外来文化の受容の仕方をしてきたわけで、とりもなおさずそれは神や霊魂を知らない民族だからだ。
異質なものを受け入れるというアクロバット、しかしそれは、もともと男と女がそのような関係であり、雌雄の関係を持った生き物の本性だともいえる。たがいの「断絶」を飛び越えてときめき合ってゆくという関係性。「断絶」があるからこそときめき合うというか、そこに雌雄の関係の本質があるのかもしれない。これは、娼婦が好きでもない男にやらせてやることができるのと同じで、日本列島は娼婦性の文化だともいえる。
それは、恥じることでもなんでもない。娼婦性こそ、生き物であることの本質なのだ。山の向こうの異民族が異質だからといって戦争をしかけてゆくことより低級で下品だともいえまい。
この娼婦性は、北ヨーロッパネアンデルタール人が氷河期の冬の原野での暮らしをくぐりぬけてきた生態にもいえる。この自然環境との関係性は、好きでもない男にやらせてやっているのと同じだ。人間が暮らしにくい土地だったらさっさと逃げ出すと考えると歴史を見誤る。生きられない生を生きるという娼婦性。娼婦性とは、先取の気性のことだ。人間とはおそらくそういう生き物であり、それによって地球の隅々まで拡散してゆき、知性や感性を進化させてきた。
娼婦性とは、人間性の別名である。
国家をつくったり戦争をしたりする文明社会を持たなかった縄文人が、そのときの大陸人よりも知性や感性において劣っていたわけではない。文明社会は呪術を生みだしたが、呪術によって知性や感性が発達するわけではないことは、現在の未開社会を見ればよくわかることだろう。
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