娼婦性の伝統・ネアンデルタール人と日本人・68


日本列島の土着の「たま」という言葉は、「霊魂」という概念とはまったく関係ない。それはきらきらしてときめく心模様のことで、この生やこの世界は一回きりのものとして「今ここ」において完結している、という感慨=死生観のことである。そのような感慨=死生観を込めて縄文人は、硬いヒスイの「たま」を磨き込んでいた。
そしてこの感慨=死生観が、現在に至るまでの日本列島の伝統的な美意識になっていった。
このヒスイの玉の首飾りは男も女も着けていたのかもしれないが、磨き込むという仕事は女がしていたはずである。
男は山道を旅するということに明け暮れていたのだから、そんな暇などなかった。
おそらく、女の夜なべ仕事だったのだろう。病の床の死んでゆく人を見守りながら、その別れのかなしみを込めるようになだめるようにして磨き込んでいったのだろうか。
その首飾りは、現代人のようにそれをつければ長生きするとか天国に行けるとか、そんな願いを込めたものではなく、ただもう、そのまんまるのかたちときらきらする輝きに対する感動があっただけだ。つまり純粋な美意識があっただけであり、心の「けがれ」をさっぱりと洗い流してしまいたいという切実な願いがあっただけだ。
縄文人には、「霊魂」などというものを当てにする意識はなかった。あれば、「うつわ」という言葉も、日本的な「みそぎの文化」も「姿の文化」も生まれてこない。
土器作りだって、その中身(=霊魂)ではなく、表面(=姿)を装飾する夜なべ仕事だった。
日本人が長生きしたいとかそんなまじないをすれば長生きできると信じこめる民族であるのなら、「なりゆき」という言葉などもつことなくそれを徹底的に否定してもっと作為的な歴史を歩んできたはずである。日本人が「なりゆき」という言葉を持っているということは、そういう心の動きが希薄な民族であることを意味する。
縄文人は、この世界やこの生を支配する神や霊魂を意識するのではなく、この世界やこの生の「なりゆき」の「姿」を意識していた。
まあ日本列島の伝統のこの「なりゆき」の世界観や美意識はいろんなことにいえるわけだが、とにかく縄文人の生きる作法は、世界や他者を支配しようとするのではなく、世界や他者のその「なりゆき」に反応してゆくことにあった。だから、そこには共同体(国家)も戦争もなかった。
人は、未来に対する執着を強く持ってしまうと、「今ここ」のこの生やこの世界に対する反応が鈍くなってしまう。しかし日本列島では、「今ここ」のこの生やこの世界に対する反応を深く豊かにしてゆくという作法とともに「なりゆき」という言葉が受け継がれてきた。
「たま」とは、「今ここ」のこの生やこの世界に深く豊かに反応してゆく心のことだ。
目の前の「今ここ」に深く豊かに反応してゆく心を持っているから、新し物好きで外来文化をひとまずなんでも受け入れてしまう。
日本列島は「娼婦性」の文化なのだ。
「たま」とは、「娼婦性」のことである。実際に昔は娼婦のことを「たま」といっていたし、今でも女全般を指して「あの女は上だまだ」とか「いいたまだ」とか「たまのこし」といったりする。
娼婦とはセックスをやらせてくれる女のことで、男を選り好みしない。その場の「なりゆき」で、どんな男にもやらせてあげる。それはもう、外来文化を受け入れてきた日本列島の文化そのままの態度である。
縄文時代の女だけの集落はまさしく娼婦の里のようなもので、その伝統は江戸時代まで続いていて、「飯盛り女」や「女護ヶ島」というような習俗になっている。
まあ「やらせ女」というのは世界中どこにでもいるのだろうが、日本列島はもう、文化のかたちそのものが「やらせ女」の文化なのだ。未来の時間に対する展望がなくて、「今ここ」でこの生を完結してしまおうとする作法。まあセックスをするということ自体がつねに「今ここ」の一回きりの行為で、そのつどの「死んでゆく」という体験であるともいえる。
とにかく、「今ここ」でこの生やこの世界を完結させてしまうのが日本文化の基礎的なかたちであり、それはもう、おそらく縄文時代以来の「たま」という感慨の伝統なのだ。



「たま」という「今ここ」でこの生やこの世界を完結させてゆく女の「娼婦性」の向こうに、「人間」という概念がある。人間性そのものの基礎に「娼婦性」があるのだが、人類はまだこの「娼婦性」に目覚めていないし、まず女が目覚めることによって、男も女の持つそれを感じながら目覚めてゆくのだろう。
つまり人類はもともと娼婦性で歴史を歩んできた種だったが、氷河期明け以降にこの娼婦性を否定して闘ったり競争したりする歴史に突入していったのだが、人間であるかぎりそれだけではすまないことは誰もが知っている。
まあ人間もいろいろだから、個人差というものもある。闘争や競争が好きな人もいれば嫌いな人もいる。
人類が根源において抱えている「娼婦性」は、闘争や競争を拒否する。
おそらく一夫多妻制のアフリカやアラブ地域の女たちは、みずからの「娼婦性」に目覚めていない。男たちは、女とセックスをすることは「やらせてもらうこと」ではなく「強い男の権利」だと思っている。その闘争と競争の意識、もちろんこのような意識は世界中の男が多かれ少なかれ共有しているのかもしれないが、アフリカやアラブ地域でとくに顕著であるのは、女がそれを表現することを禁止しているし、男たちも女のそうした本性に気づいておどろきときめくという心の動きを持っていない。それはつまり、まだ人間という概念に目覚めていない、ということだ。
ヨーロッパではネアンデルタール人の女たちにそれがあったのだが、氷河期明けにいったんそれを喪失し、ルネサンス以降にまた復活してきてやがて現在の「ジェンダー」とか「フェミニズム」という意識になってきた、というような状況になっているのだろうか。
おそらくもっとも本格的な「フェミニズム」とは、女がみずからの「娼婦性」に目覚めることだ。いやそれは、現実問題としてどんな男とでも寝るというようなことではなく、「今ここ」のこの生やこの世界に反応してゆく知性や感性を豊かにしてゆくことを意味しているわけで、日本列島の古代人はそれを「たま」といった。
ネアンデルタール人の時代や縄文時代はまさに男が女の「娼婦性」に驚きときめいていた時代だったのであり、原始時代の人類史は、拡散してゆくにつれて人間としての「娼婦性」に目覚めてゆき、行き止まりの地でそれが極まった。
だが氷河期明けの人類はいったん「娼婦性」を封殺し、闘争と競争をもとにした共同体(国家)の制度文明を構築していった。
ともあれ人類拡散の行き止まりの地だったヨーロッパと日本列島には、ひとまずそういう下地がある。
ヨーロッパではそのようにしてルネサンスというムーブメントが起こり、そのあとのロココ時代はまさに女の「娼婦性」を色濃く反映したきらびやかな文化だったわけで、そこにおいてフランス革命の「人間」という概念が用意されていたのだ。そのとき男たちも、女の「娼婦性」に気づきながら「人間」という概念に目覚めていった。
まあ、何のかのといっても、フランスがもっとも女の「娼婦性」が露出した文化になっている。
「ファッション」とは女の「娼婦性」の表現である、ともいえる。
アフリカやアラブは、女の「娼婦性」が露出してくる可能性を持った社会の構造になっていないし、男だって女の「娼婦性」に気づいて驚きときめくという知性や感性が希薄である。
「娼婦性」とは、知性や感性の問題である。
人類の過去と未来は、女の「娼婦性」の向こうにある。
内田樹などという鈍感な俗物が説く道徳論の向こうにあるのではない。
まあ今どきのスピリチュアルの言説だって、どれもこれもけっきょく下品で通俗的な道徳論や人生論に収斂してしまっている。
神だの霊魂だのといっているかぎり、つまるところ「いかに生きるか」という話になってしまって、女の「娼婦性」が持っている「いかに死んでゆくか」という主題に対する想像力がはたらかない。「人間」という概念は、その「いかに死んでゆくか」という主題とともに体験されるカタルシスの向こうにある。
闘争や競争を否定して「いかに死んでゆくか」という問題を思うことは、現代社会においてはけっしてかんたんなことではないが、それでもわれわれが人間であるかぎりその問題から逃れられるわけではない。これはたぶん個人の人生の問題であると同時に、憲法第9条の問題でもあるのだろう。



階級が存在しない共産主義社会というのは人類のひとつの理想であるのかもしれないが、女の「娼婦性」にも、そういう意味合いがないでもない。女の「娼婦性」は、階級を無効にする。女がみずからの「娼婦性」に目覚めている社会でなければそんな理想もおぼつかない、ともいえる。
「娼婦性」とは、「今ここ」のこの生やこの世界に豊かに深く反応してゆく知性や感性のこと。
女とは、セックスを「やらせてくれる」存在。女にも性欲があって男にはセックスをする権利があるというのではない。女は、やらせてくれているだけなのだ。しかし「やらせてくれる」といっても今どきの男と女の関係においてはいろいろ駆け引きとか社会の構造の問題とかもあって、その純粋な「女性性」を抽出するのは難しいだろう。
しかしその「娼婦性」としての「今ここのこの生やこの世界に深く豊かに反応してゆく知性や感性」は、日本文化の本質の問題である。
古いやまとことばでは、女のことを「をみな」といった。
「な」とは「親密な感慨」のこと。
そしてやまとことばのこの「み」を「中身」と解釈してしまうと間違う。「魚の身」「果物の実」これらの「み」は「味」であり、「味わい」という「姿」のことなのだ。
「見る」とは、気づくこと、わかること。「み」が「中身」という意味なら、こんな言葉の使い方はしない。「味わい=姿」に気づくことを「見る」という。
根源的な意識は、対象の物性を見ていない。「味わい=姿」を見ているだけである。対象の物性は、触ってみることではじめてわかる。
「を」は「おおっ」と驚くときに発声される。あとの音韻を「強調」して「を」という。
「をみな」とは、最初に感動の「を」がついているくらいだから、男がありったけの親密な感慨を込めてそう呼んでいった言葉なのだろう。つまり語源としての「をみな」とは、男が女に対して「やらせてくれ」と訴えていった言葉だったのかもしれない。そして女自身も「やらせてあげる」という親密な感慨(=娼婦性)を持った存在であるという認識があったのだろうか。女の「娼婦性」に対する感動として「をみな」といった。そういう男女の関係性から生まれてきた言葉である。「をみな」とは「娼婦性」のことだ、と言い換えてもよい。
ひとまず日本列島の縄文・弥生時代は、原始共産性の社会だったはずである。古代の土木工事はすべて民衆自身の意思と連携でやっていたということは、その時代になってもまだ原始共産性が残っていたということを意味する。だからこそ、自分たちで勝手なことをやっているばかりでなくお上の指図に従って動くという観念性も持たせなければならい、という理由で支配者が仏教を輸入していったのだ。
民衆が自分たちで協力連携しながら土木工事をしてゆくことはひとつの「娼婦性」である。女がセックスをやらせてくれる社会でなければそういう関係性は生まれてこない。まあ、女の「娼婦性」にならってみんなが連携協力していったのだ。セックスが占有されている社会ではなかった。誰もが、女がセックスをさせてやるのと同じように自分を捨ててその工事に参加していった。
で、権力者にとってはその「娼婦性」が目障りだった。女の「娼婦性」は、権力による支配を無効にする。「娼婦性」とは、猿社会のメスがボスに隠れて普通のオスにセックスをやらせてやるようなことである。そうやってみんなが勝手にセックスしまくっていたら、ボスの権力など成り立たない。民衆が自分たちで土木工事をすることは、ボスに隠れてセックスしまくっているのと同じ行為なのだ。
最初の仏教は権力者による支配のための道具だった。このことは歴史の事実としてちゃんと認識しておくべきではないだろうか。ここから日本列島の原始共産性が崩されていった。
日本列島の原始共産性は、ネアンデルタール人の社会と同様、女の「娼婦性」に対する感動の上に成り立っていた。
人類の歴史は、まず女の「娼婦性」に対する感動とともに文化が進化発展してきて、おそらく最終的にもそのようなかたちにおさまってゆく。その過程段階にあるわれわれ現代人の社会だって、男と女の関係なんかつまるところ女の「娼婦性」に支えられて成り立っているのであり、世界の地域性とか民族性の違いといってもその「娼婦性」の濃淡や色模様の違いにほかならない。



1500年前の日本人が仏教という大陸の異文化を受け入れていったのは、日本文化の「娼婦性」にある。それは、権力者が無理やり広めていったのであって、ローマ帝国キリスト教を認めたときのように、すでに民衆のあいだに定着していたのではない。
そのときの日本列島の民衆には大きなとまどいと好奇心があった。そして大きなとまどいがあっても好奇心が優先してしまうのが、日本文化の娼婦性である。
仏教に強姦されたというわけではないが、それはたしかに生きてあることの根幹を崩されそうな極めて異質な文化だった。
よくそんな異質な生命観や世界観を受け入れてゆくことができたものだと思う。
それはもう、ユダヤ人がキリスト教に転向するどころの話ではない。神や霊魂という概念を知らないことを基礎にして生きてきた民族がそれを受け入れ信仰して生きねばならなくなったのだ。
まあ、不幸なコペルニクス的転向とでもいうのだろうか。太陽と地球のどちらが動いているのかということなど実生活に大した影響もないが、素直に死を受け入れて生きてきた人々が、「死などない、死後の世界がある」などといわれたら、目の前の現実そのものの見え方まで変わってきてしまう。そうして、死後の世界はないということも、死後の世界があるということも、どちらも半分しか信じられない。
幽霊の存在におびえるということはそこからはじまって、現在まで続いている。東北大震災に遭った人たちの多くが「幽霊を見た」と語っている。死後の世界があるという認識とそんなものはないという認識の両方を同時に成り立たせるためにはもう、幽霊が現実世界にさまよっているということにしないとつじつまが合わなくなってしまう。それを、ただの迷信というべきではない。それこそがもともと霊魂というものを知らない日本人としてのきわめて素直で誠実な心の動きなのだ。
太平洋戦争の東南アジアのジャングルで死んだ兵士の遺骨に人格を見る感覚は、死後の世界はないということと死後の世界があるということがごちゃまぜになっている、それはそれできわめて日本的な生命観なのだ。
平安時代には、無念の死を遂げた人の怨霊がこの世界に舞い戻ってくるという思考の「御霊信仰」が大流行したし、能における旅の僧侶が怨霊と語り合うという物語はその延長として生まれてきた。そして江戸時代は幽霊や百鬼夜行の怪談が大いに語られたし、日本人はもうずっとそんな混乱を繰り返して歴史を歩んできた。
ともあれそれは、神も霊魂も死後の世界も生まれ変わりも知らないという生命観や世界観を失わなかった、ということを意味する。
その失わなかったところに、日本列島の文化の「娼婦性」がある。べつに性欲があるのではない、「やらせてあげる」だけだ、という「娼婦性」。神や霊魂が存在するといわれれば頷きもするが、それをすっかり信じ込んでしまうこともできない。
「いかに生きるべきか」という主題とともに神や霊魂の存在が信じられてゆく。それがこの生の中身としての「自分=肉体」にこだわる視線である。
一方、「日本文化の「娼婦性」は「どう死んでゆくか」ということが主題であり、その生と死の境目としての「輪郭=姿」を見てゆく美意識である。日本人は、そのように「自分=肉体」というこの生の中身を捨ててその「どう生きるべきか」ということが主題の神や霊魂という概念の外来文化を受け入れてきたが、だからこそ「どう生きるべきか」ということが主題の神や霊魂という概念はけっして信じきることはできない。
仏教伝来以後の日本人は、この二律背反を嘆き収拾しながら歴史を歩んできた。まあ、もともと縄文以来、嘆くことが生のかたちになっている風土だった。
日本文化にとっての神や霊魂という概念は、受け入れ信じるべきものであると同時に受け入れ信じることのできないものでもあった。そうやって今日も、遺骨収集団は、異郷の地で涙しながら骨を拾っている。



「娼婦性」とは、「今ここ」のこの生やこの世界に深く豊かに反応してゆく心の動きのことである。そうやって生きものの世界に雌雄が発生してきたわけで、「娼婦性」とはそういう問題なのだ。
生き物であることの根源においては、「今ここ」のこの生やこの世界があるだけで、神も霊魂も死後の世界も生まれ変わりも存在しない。何がスピリチュアルか、くだらない。
われわれは、「今ここ」を生きて「今ここ」を死んでゆくのだ。
ただ、同時にわれわれが神や霊魂や死後の世界や生まれ変わりを信じ込まされてしまっているということも否定できない。否定はしないが、それがすべてではないしそれが人間性の本質・基礎ではないということはいえるのだ。
それでも人は、神や霊魂や死後の世界や生まれ変わりでは救われない心を持っている。それが、日本文化の「娼婦性」である。
日本人にとって神や霊魂や死後の世界や生まれ変わりという概念はもともと知らないものであるがゆえに新鮮でたらしこまれやすい説得力を持つのだが、それだけでは救われないのも日本人なのである。いや、人間であるなら、それだけでは救われないのだ。それだけでは、生きることも死んでゆくこともできない。
「今ここ」に身をまかせる「娼婦性」を失っているからそうした概念にたらしこまれて舞い上がってしまうのだが、それは、知性や感性が鈍磨してしまっているということだ。
共同体の制度性は、「娼婦性」を捨てよと迫ってくる。じっさい「娼婦性」を捨てないとうまく生きられないのがこの社会の現実ではあるのだが、それでも人の中にはというか日本人の中には避けがたく「娼婦性」が息づいており、そこから知性や感性や人間的な魅力やセックスアピールが生まれ育ってくる。
こんなことは言いたくはないが、もしも日本人が周辺諸国の人々よりも欧米人から興味をもたれるとしたら、それは、日本人の「娼婦性」にある。それこそが人間の知性や感性やセックスアピールの正味だからだ。
日本人は、神も霊魂も死後の世界も生まれ変わりも知らない不安と嘆きとともに歴史を生きてきたのであり、あんまりスピリチュアルがどうのと騒いでばかりいたら、けっきょくわれわれもまたただ嫌われさげすまれるだけの民族になってしまう。
なんのかのといっても、宗教者は、人類史における嫌われものであり続けてきた。これは、普遍的な歴史の事実だ。神だの霊魂だのと騒いでいたら、嫌われさげすまれてもしょうがないのだ。まあ嫌われものどうしが仲よしこよしになって集団をつくってゆくという手でいまだに宗教団体が健在であるのだが、そこに第三者を魅了するような知性や感性やセックスアピールがはたらいているという保証はない。
神や霊魂や死後の世界や生まれ変わりが存在するかどうかという問題ではない。人間にはそんなものを知らない心がはたらいているのであり、そこから人間的な知性や感性や関係性が生まれてくる。それを、ここではひとまず「娼婦性」ということにしている。
まあ、神だの霊魂だのと騒いでいる思考よりも、「娼婦性」の方がずっと高度で根源的な知性や感性や関係性なのだ。
人と人の関係性は、根源的には「娼婦性」の上に成り立っている。そこから、「出会いのときめき」が生まれ「別れのかなしみ」が生まれてくる。それによって人類は地球の隅々まで拡散していったのだし、旅が好きでセックスが好きな生きものにもなっている。人間にはそういう「たま」という感慨がある。
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