アニミズムだったのではない・「天皇の起源」60


人にときめく心があれば生きていられる。これが人間性の基本であろうと思える。
人の素晴らしさをほめたたえることは、人を裁くことの裏返しでもある。神という概念を持ってしまった人類は、そういう人を裁く心の動きも同時に持ってしまった。
あなたは良い人間か、あなたは賢いか、美しいかどうか……そうやって人を詮索し吟味する。現代社会に生きていればそれはもう避けられない心の動きではあるのだが、しかし原始人はそんなことはしなかった。「あなた」が「あなた」であればそれでよかった。「あなた」が「あなた」であることそれ自体にときめいていった。
現代人は「あなた」の素晴らしさをほめたたえることが何か美徳か人類の知能の進化のように考えがちだが、原始人の「あなた」は「あなた」であればいいという心の動きは、それ自体知性の究極のかたちでもある。
日本列島の住民は、そういうもっとも原始的であると同時に究極でもあるというかたちをイメージしながら天皇を祀り上げてきた。
天皇とは、「あなた」が「あなた」であればそれでいいと、この世界のすべてを赦している存在である。
そしてそれは、原始神道のコンセプトの問題でもある。
神道は宗教ではないという意見もあるが、古代人は古代人なりに生きてあることのよすがは必要だったわけで、神社のような場所に集まってみんなで「祭り」をすることが彼らの生を支えていた。そうしてそこで語り合ったさまざまなことが人々の生の指標や集団運営のコンセプトになっていったのだろう。それは、宗教といえるようなものではなかったが、人々の生のよりどころにはなっていたわけで、やがては仏教に対するもうひとつの宗教のようなものになっていった。



神道が仏教やキリスト教と違うことのひとつに、教祖がいないことがある。いるはずがない。なぜならそれは、ひとりがみんなに説教してはじまったことではなく、お祭り広場などでみんなして語り合っていたことだったからだ。
原始神道とは、そのころの人々の世界観や生命観のことである。そしてこの世界のすべてを赦しているということは、神の態度ではない。神は「裁く」存在である。つまり、神道には「戒律」というものがない。仏教が入ってきたころ、「戒律=規範」というものがない暮らしの歴史を歩んできた人々は、すくなからずそれに戸惑ったそうである。そうしてこの国の仏教の戒律は、時代とともに有名無実化していった。
原始神道に神など存在しないし、天国や極楽浄土も地獄もない。みんなで祭りをしている「いまここ」が「あの世=他界」だった。
もしも原始神道に戒律があったら、仏教を取り入れる必要もなかったが、古墳時代に生まれた大和朝廷が「戒律=規範=法」にしたがって生きるということを知らない民衆を支配してゆくためには、どうしても仏教が必要だった。
歴史の文書には、神道派の物部氏と仏教派の蘇我氏が争って、そのころの疫病を鎮めるのに仏教が有効だった、というようなことが書いてあるらしいが、こんなことは後世のつくり話に決まっている。
支配者にとっては、誰にとっても仏教が必要だったのだ。どちらがその主導権を握るかという争いはあったとしても、「規範=法」のない神道に民衆を浸らせておけば支配に支障をきたすという意識は物部氏にもあったはずである。
神道が宗教ではないということは、支配者にとってはとても煩わしいことだった。だから仏教は、その後の神道が宗教のようなかたちになってゆく役割も果たしていった。
神道が宗教のようなかたちにならなければ神道は生き残れなかったし、民衆は神道を手放そうとしなかった。
まあ神道は、民衆の「お祭り」だった。「お祭り」がなければ民衆どうしの連携結束は成り立たなかったし、そのころの支配者には民衆どうしの連携結束を組織してゆく能力はなかった。なぜなら、異民族や他の地域から侵略されるかもしれないという不安などない土地柄だったからだ。そういう侵略から民衆を守るということをして、はじめて支配者の主導で民衆の連携結束を組織することができる。
そのころの支配者は、民衆自身の連携結束に寄生していただけだった。だから、あんなにも熱心に仏教を取り入れたのに、神道を滅ぼすことはついにできなかった。
そして民衆は、神道を仏教のような宗教のかたちにしてゆくことによって神道の「祭り」を守ってきた。
この国に神道が残ってきたということは、いつの時代も民衆自身の連携結束が機能し続けていたことを意味し、権力者が主導してそれを組織することが不可能な土地柄だったことを意味する。
天皇神道を滅ぼせば、民衆の連携結束が崩壊する土地柄だった。おそらくいつの時代の権力者たちも、そのことを本能的に知っていた。外圧のない海に囲まれた島国だったから。
外圧を扇動して民衆の連携結束を組織しようとすることは、いまでも世界中の権力者の常套手段になっている。



外圧のない島国の民衆は、他愛なく人と人がときめき合う文化の伝統を持っている。これが、原始神道のコンセプトである。自然に対するアニミズム(精霊信仰)とか自然との一体感とか、そういうことではない。彼らは、森や鳥を支配している精霊などというものは知らなかった。「すべてのものは赦されている」とは、そうした現象に作用をおよぼすものなど存在しない、ということである。
神社の森や石が神の「依り代(よりしろ)」だといわれたのは後年のことだし、それだって最初は、そこに神がやってくるといわれていただけで、そこに神が宿っているなどとは誰も思わなかった。「よりしろ」の「より」は「寄る」でもあり、「やってくる」ということだ。
だいたい、「神がやってくる」という発想自体が、もともと神など知らなかった証拠である。日本列島においては、神はすでに存在するものではなく、どこかからやってくるものだった。
神を知らない民族の苦肉の策ととして、神社の森や石に神がやってくる、と発想していった。最初からそこに「宿っている」のではないのだ。ほんとは、「宿っている」ということ自体が彼らにはよくわからなかった。なぜなら彼らは、身体が空っぽの「空間」になってしまったような心地を「あはれ」といい、それを「みそぎ」として生きていたのであり、森や石に最初から何かが「宿っている」のだとしたら、それは森や石の「穢れ」を意味したからだ。
古代以前の日本列島においては、身体に「霊魂」が宿っていることはひとつの「穢れ」だった。その矛盾をとりつくろう苦肉の策として、「やってくる」という発想をしていった。
日本列島の民衆が仏教を受け入れることはそうかんたんなことではなかった。だから、この国では仏教がどんどん変質していったし、神道も原初的なかたちをとどめることができない運命を負うしかなかった。
「この世界のすべてを赦す」という神道のその態度は、神の存在に矛盾する。
アニミズムは、そもそも世界中のどこにおいても原始的な信仰でもなんでもなかったのだ。
いまどきの歴史家のほとんどは、「アニミズム(精霊信仰)は原始的な信仰である」というのだが、そんなのは大嘘だと思う。
未開社会の人々がアニミズム信仰を持っているからといって、彼らがそれを1万年前から続けてきたという証拠などどこにもない。文明社会の神の意識や制度性が伝播していった結果として、つい最近はじめたことかもしれない。1万年も続けていればそれなりに洗練はあるし、どんどん変質してゆく。彼らにだって1万年の歴史があるのだ。1万年前からそんなことを続けていれば、いまごろは他人の中に「宿っているもの」をあれこれ詮索して、文明人のようなややこしい人間関係になっているのかもしれない。
人間が自然との親密な関係を結ぶようになったのは、つい最近のことだ。そこからアニミズムがはじまった。
たぶんアフリカやアマゾン奥地の未開の民は、つい最近「精霊=霊魂」という概念を持つようになった。
アニミズムだってひとつの文明であって、原始的な心性によるものではない。
原始神道アニミズムだったのではない。縄文人弥生人も「精霊=霊魂」などというものは知らなかった。
原始神道は、呪術などという作為的な信仰だったのではない。彼らは、この世界は何ものの作為もはたらいていない「なりゆき」で動いていると思っていた。これが原始神道の世界観であり、だからそれは「宗教ではない」というしかないのだ。
呪術であったのなら、立派な宗教である。それは、文明とともに見い出されていった観念であるが、日本列島の住民は弥生時代になってもまだそんなものを知らなかった。
まあ、キリスト教だろうと仏教だろうと現代人が仏壇に線香を上げることだってただのアニミズムじゃないかと僕は思う。
日本列島の住民だって、仏教のせいでアニミズムを知らされてしまったのだ。それは、アフリカやアマゾン奥地の未開の民が、文明社会の制度的作為的な観念が伝播していった結果としてアニミズムを知らされてしまったのと同じこと。
古代のエジプト文明よりも先にアフリカ奥地にアニミズムがあったはずがない。それは、文明社会の制度的作為的な観念であって、原始的な心性ではない。



原初以来の人類は、自然から隠れるようにして暮らしてきた。そういう生態を持っていたからやがて大きな集団をいとなむようになってきたのであり、自然に親密であるのが人間の本性であるのなら、人間はもっとばらけて暮らす存在になっている。自然に親密なら、寄り集まる必要なんかないではないか。
たおやかな姿をした山なみに囲まれている奈良盆地は、それ自体自然に対する隠れ家だった。そういう環境に安らぐのは、直立二足歩行の開始以来の人間の本性である。言い換えれば、大きな集団を形成したことがなかったそのころの日本列島の住民が寄り集まって大きな集団を形成してゆくためにはそういう環境が必要だった、ということだ。
彼らは自然から隠れるようにして暮らしていたのであり、そういう原始的な心性から原始神道が生まれてきた。
彼らの暮らしの第一義的なコンセプトは、自然との関係ではなく、人と人の関係にあった。それこそが彼らのもっとも困難なことであると同時に、もっとも深いカタルシスをもたらすものだった。
自然に対して無頓着だったというのではない。自然から隠れながらすべての自然を赦していった。人と人が赦し合うように、自然とも赦し合う関係であろうとした。
まあわれわれだって、見ず知らずの人はすべて赦している。そして、見ず知らず人と出会えばときめいてゆく。自然から隠れるとは、そういうようなことだ。
彼らには、「支配する」ということに対するイメージがなかった。自然を支配する神も、森の木や鳥を支配する精霊も知らなかった。この世界のすべては赦されていると思っていた。
まあ「赦す」といえば「裁きの結果」のようなニュアンスもあるが、そういうことではなく、すべては「なりゆき」で存在し「なりゆき」で動いていると思うことだ。神や精霊が存在すると思ったら、そんなことは思えない。
「赦す」ということは、「あなた」の善や美をほめたたえることでも、悪や醜を批判することでもない。「あなた」は「あなた」でいい、とときめいてゆくことだ。
何はさておいても、それが原始神道の第一義的なコンセプトだった。
原始神道は、自然に対するアニミズム信仰だったのではない。とても人間臭い集団運営のための美意識だった。
道徳や規範ではない。美意識だった。他愛なく人と人がときめき合っている集団から生まれてくる世界観や生命観だった。それは、祭りの場でみんなしてやいのやいのと語り合いながら生まれてきた。みんなして酒を酌み交わしながらワイワイガヤガヤやっていれば、すべてはどうでもよくなってすべてを赦す気持ちになってゆくだろう。そういう場から生まれた世界観や生命観をどうやって仏教とすり合わせてゆくかという工夫として、その後の神社神道がが生まれてきた。
最初の原始神道に、神社など存在しなかった。「他界」というか「晴れ=ハレの舞台」としてのお祭り広場があっただけだ。



仏教伝来のころ、人々はそのお祭りの場で何を語り合っていたのか。
とうぜん、権力者がさかんに扇動している仏教をどのように解釈するかということも、大きな話題になったことだろう。寺院や仏像は興味深い新奇なファッションでもあっただろうし。
仏教には、仏と神が出てくる。土着の神(菩薩)とその上に世界を統合する仏がいる、という世界観である。では、自分たちも土着の神を持たないといけない、と思った。
神とは何だろう……?
彼らは、神という概念を知らなかった。
「神社の森や石は神の依り代である」などというイメージは、神や霊魂など知らない人々が仏教的な神や霊魂という概念を原始神道風にアレンジしながら受け入れていった苦心の結果にすぎないのであって、そんなものは原始神道の世界観でもなんでもない。
神道には最初の教祖が提出した基礎的な世界観というようなものがあるわけではないから、そのつどそのつどの話し合いで時代とともにどんどん変質してゆく。平安時代本地垂迹説というようなものも、そのひとつだろうか。これは、「神道の神は仏の代理の使いである」というような説なのだが、それだけ仏教の浄土信仰がさかんな時代の中で、神道の方が実際的なのだといいたかったのだろうか。まあ、そのつどの「なりゆき」でてきとうなのだ。
仏教では、仏がインドの土着の神々を「菩薩」として教化しながら仏教を広めるための家来=使いにしていったというような話になっている。けっきょく「支配=権力」の話なのだ。そういう話が好きだということにおいて、国家も宗教も同じ穴のムジナである。
ともあれこのような話を平気で神道に取り入れることができるというのは、もともと神道にとっての神がいかにいいかげんなものだったかということを意味している。神道の神なんか、あるときただの間に合わせでつくりだされたものにすぎないのだ。
歴史家はぜったい納得しないだろうと思うが、もともと日本列島に「神」など存在しなかった。



やまとことばの「かみ」の語源は「かむ」という動詞だった、ということは、本居宣長小林秀雄もいっている。
語源としての「かむ」とは、どういうニュアンスだろうか。
もちろん、まず食い物を「噛む(かむ)」という体験がある。しかし古代以前の人々は、言葉をひとつの意味に限定しなかった。二つのものが上手く繋がることも「かむ」というし、離れるという意味の「離(か)る」という古語もある。
「書く」「勝つ」「貸す」「借りる」「買う」「囲む」等々、原初の人々はどのような感慨で「か」と発声したのだろう。
「か」は「かっとなる」の「か」、気持ちがひとつのことに集中してしまうこと、そしてそれはつまりほかのことを忘れてしまうことでもある。だから「離(か)る」という。「噛かむ」ことも、一点に力を込めて離れさせることである。
とにかく、関係がはっきりする感じのことを「か」という。「勝つ」も「貸す」も「借りる」も「買う」も「囲む」も、そこで新しく関係が生起する現象である。
人と人が別れるときも、かなしみが胸に込み上げてきて、そこで新しいより鮮やかな関係が生起している。
「出会いのときめき」や「別れのかなしみ」のときほど関係に対する心の動きが鮮やかに浮かび上がる体験もない。そして「めでたい」とか「ありがたい」とか「いとおしい」と祀り上げてゆくことも、関係の鮮やかさが際立って現前している体験だろう。そういうことを古代以前の人々はおそらく「かむ」といった。一体化して関係があいまいになっていることではない、あくまで別々の存在として鮮やかな関係が結ばれることを「かむ=かみ」といった。それは、別れるにしろ出会うにしろ、相手を祀り上げずにいられない心が胸に満ちてくる体験である。それを、彼らは「かむ=かみ」といった。
仏教でいう「神(ジン・シン)」とはありがたくめでたいもの、だったらそれは「かみ」のことだ、と彼らは思った。
彼らには、人にときめき贈り物をしたりして祀り上げてゆく心の動きはあった。そういう体験の延長として「神=菩薩」をイメージしていった。べつに全知全能の神(ゴッド)をイメージしたのではない。「神=菩薩」は、仏よりも一段下の存在である。それだったら自分たちにもわかるし、親しめる。
本地垂迹説は、おそらく間違っていない。
もともと他者に他愛なくときめき、他者を祀り上げる心を豊かにそなえている人々だった。だから日本列島ではかんたんに人が神として祀り上げられてしまうのだ。また、最初に人ではない「神」という存在のイメージがあったら、そんなことは決してしない。
西洋人は、キリストでさえ、神の子だといっても、神だとはいわない。しかし日本列島では、靖国神社に祀られている戦死者はみんな「神」なのである。それほどに日本列島の住民がイメージするる神はいいかげんなのだ。イワシの頭でさえ神になってしまう。
祀り上げる心を持てば、「神」なのだ。
日本列島の神なんて、間に合わせでイメージされていったものにすぎない。何が「神の国」なものか。もともと神のいない国だったのだ。天皇を神だとイメージしていたということは、それほど神のイメージがいいかげんな国だとういうことを意味しているにすぎない。
まあ、他者を「祀り上げる=ときめく」心を豊かにそなえている人々の国だった。その心の動きを「かむ」といい、その対象となるものや人のことを「かみ」といった。だから、女房のことを「山のかみ」などというし、女主人や権力者のことを人々は「おかみ」と呼ぶ。
日本列島の「神」なんて、そのていどのものだ。
仏教伝来以前に、「ゴッド」のような「神」という概念などなかったし、いまだにそのような神を知らない。
「祀り上げる(=ときめく)心」、すなわち「ありがたい」とか「めでたい」というような心の動きがあっただけだ。



原始神道は、自然に対するアニミズムの信仰だったのではない。
そのころの人々が生きる上で抱えていた主題は、「日常生活の穢れ」と「祭りのハレ(=清浄)」のあいだを往還することだった。「穢れとみそぎ」、それこそが原始神道の根源的なコンセプトだった。
彼らは、神も霊魂も知らなかった。
日本列島の住民は、縄文以来、生きてあることの穢れをどうするかという主題で歴史を歩んできた。ここからどんな世界観や生命観が生まれてくるかということこそ、原始神道とは何かという問題なのだ。
体にたまってくる穢れを洗い流してさっぱりしたいと思っている人たちが、「体の中には霊魂が宿っている」などと思うはずがないではないか。そんなものがいつまでも宿っていて離れないのなら、鬱陶しいばかりではないか。そういう鬱陶しさどう洗い流してさっぱりするかということこそ彼らの生きる主題だったのだ。
彼らは、霊魂という概念が生まれてきようがないような生き方をしていたし、そういう生命観や世界観を持っていた。
霊魂とは、心や体を支配するものである。それは、縄文以来の「なりゆき」の文化にはそぐわない。
体の中にたまっているもやもやをさっぱりと洗い流して、空っぽの体になりたい。
「腹にいちもつ」などという。日本列島においては、腹の中は何もないのがいいのだ。だから、外交交渉が上手くできない。どこかしらに、無心で「なりゆき」にしたがおうとする心がはたらいている。



日本列島の歴史的な無意識として、「霊魂」という作為的な意図を持つことよりも、何もない「清浄=無心」の方が大切だ、という思いがどこかにある。。
西洋の庭園は、人間の作為によって自然を支配している。作為性を見せる文化である。それに対して日本列島の庭園は、作為性の痕跡を隠して「なりゆき」を表現しようとしている。
竜安寺の石庭は、仏教的な「作為性」と日本的な「なりゆき」の思考との融合なのだろうか。西芳寺苔寺」には、渓谷の流れを表しているような石組の庭がある。無造作に石を並べているようでいて、みごとに渓谷の水の流れを感じさせる。こちらの方がよけいな思想をそぎ落としているぶん、より日本的であるのかもしれない。これはもう、禅の思想や精神がどうのというより、純粋な造形になっている。そして「なりゆき」の妙を知らなければこのような造形はできない。
江戸時代の娘が頭に櫛やかんざしをごてごてくっつけることだって、無造作なようでいて「なりゆき」の妙に対するセンスを持っていなければさまにならない。
心も体も空っぽにするという心と体がある。それが「なりゆき」の文化で、「姿」の文化である。「姿」には心も体も宿っていない。それでもそれは、心と体によって成り立っている。
ともあれ、大陸の文化は、作為の痕跡を残すことがアイデンティティになっていて、日本列島ではそれを見せないことが作法になっている。それは「霊魂の文化」と「霊魂を知らない文化」との違いなのだ。



かんたんに原始人はみなアニミズムだったといってもらっては困るのだ。
仏教伝来以前の日本列島にアニミズムなどなかった。縄文人弥生人アニミズムの信仰があって、神道アニミズムであったのなら、仏教の前ではもはや存在意義はない。
仏教伝来のときに神道と仏教が疫病を鎮める競争をしたというが、もともと神道には疫病を鎮めるというようなコンセプトはなかったのだ。そんなことのために神道があったのではない。そんなことのために神道があったのなら、その時点で神道の役目は終わっている。
それでも民衆が神道を手放さなかったのは、そのような呪術とはまったく性格が異なるものだったからだ。たぶんそのころの民衆は、仏教の呪術で疫病を鎮めようとする支配者の態度を半分白けて眺めていた。
実際問題として、疫病が鎮まったのは、民衆がけんめいに防疫活動をしたからだろう。
街をきれいにしようとするのは、神道の「清浄」の精神である。なんでもかんでも呪術でよくなるのなら、何もしないでもいいのか。日照りが続く夏は、呪術で雨を降らせばいいのか。そうはいかない。そのときのために溜池を用意しておこうとするのが、現場で農作業をしている民衆の発想である。現場にいない権力者ばかりが、呪術でなんとかなると思った。
奈良盆地はほかのどの地域よりも「なりゆき」を受け入れる精神が豊かにそなわっていたからこそ、ほかのどの地域よりも発展していったのだ。
アフリカやアマゾンの未開の民のように呪術を当てにしていつまでもぐずぐずしている人たちだったら、そのころ次々に巨大な前方後円墳を溜池や干拓用に造ってゆくというようなことはしなかった。
これはもう、明治の人々がダイナミックに西欧文明を吸収していったのと同じ態度であろう。彼らは、国が何かをしてくれるというようなことは当てにしなかった。
異民族の侵略の脅威にされされてきた中国の民衆も朝鮮の民衆も、国に守ってもらってきたという記憶を持っているが、日本列島の民衆にはそんな記憶はなかった。
そうして古墳時代の民衆がそれでも神道を手放さなかったということは、支配者の仏教呪術など当てにしていなかったを意味する。そのとき彼らには、支配者に守られてきた歴史も、呪術に守られてきた歴史もなかった。
神道の「清浄」の美意識は、未来を操作しようとする呪術の作為性とは正反対の精神である。「清浄」とは、作為性を持たない「無心」の精神であり、その心で人と人が他愛なくときめき合う社会をつくっていこうとするかたちで原始神道が機能していた。
俗世間の人と人の関係は、どうしても作為的なってしまう。そのことは彼らだって知っていた。知っていてそれを「穢れ」と自覚していたからこそ、彼らは、俗世間の外に「清浄」な場所をつくった。
神社における作為性をそぎ落とした「清浄」というコンセプトは、おそらく起源のときから自覚されていた。まあそれこそが神道の起源であり究極のコンセプトなのだ。


10
室町時代に日本列島にやってきたヨーロッパの宣教師が、民衆に向かって「キリスト教を信じなければ地獄に堕ちる」といった。すると民衆は、「では、キリスト教を知らなかったわれわれの御先祖様はみな地獄に堕ちているのか?」と問い返した。それはまあ一事が万事で、未来意識が希薄なこの国の民衆の心の動きを宣教師たちはずいぶん不思議がったそうである。
民衆のこの発想は、かんたんなようでかんたんではない。未来を思わないで「いまここ」を見るということ。仏教では「看脚下(足元を見る)」といって悟りの境地のひとつのようにいわれている。そして、自分を消して他者のことを思うこと、これは「自未得度先度他(じみとくどせんどた)」というらしい。
というわけでそのとき宣教師は、何か高度な宗教性を持った民族ではないかとも思ったのだとか。しかしそれは宗教性が希薄だからそういう発想をするのだということに彼らは気づかなかった。それは、未来を操作するという作為性すなわち呪術の伝統を持たない民族の発想だった。
宗教とは、アニミズムだろうとモダンなキリスト教だろうと、未来を操作しようとする呪術なのだ。
しかし神道においては、「なりゆき」の「いまここ」がすべてだった。
神社という清浄な場所は、村(人里)の外にある。
村(人里)は清浄な場所になりえない。原始神道においては村を清浄な場所にするという呪術など持っていなかったということだ。
古代人にとって清浄な場所とは「すでに清浄な場所」のことであり、清浄にする、というような作為的な発想はしなかった。
「なりゆき」にまかせながら「いまここ」にそのつどそのつど精一杯反応してゆく……これが日本列島の伝統的な美意識であり、原始神道の精神だった。「いまここ」しかないのなら、未来を操作しようとする呪術など発想しようがないし、「すでに清浄な場所」しか清浄な場所にはなりえなかった。
日本列島の美意識は、作為性をとても嫌う。それは、呪術の伝統を持っていないからであり、原始神道が呪術=アニミズムではなかったことを意味する。


11
神社は、俗世間の人間臭さが希薄な場所である。それは「神がいる」ということではなく、人間の「作為性=穢れ」とは無縁の場所だということ、そういう美意識こそが原始神道の「清浄」のコンセプトだった。
古墳時代に人間の作為性を表現する呪術の場所として仏教寺院があらわれ、それに対して既成の神社は作為性を洗い流した清浄な場所としてのお祭り広場だった。両者はもともと正反対のコンセプトの上に成り立った場所だった。作為性を止揚する文化がなかったから仏教が支配者によって大々的に輸入されたのであり、だからこそ民衆は神道を手放さなかった。
原始神道が神だの霊魂だのといっている宗教だったのなら、仏教が国を上げて輸入されることはなかったか、もしくはとっくに仏教によって駆逐されている。
神や霊魂を知っているということは、すでに支配と被支配の関係を知っている、ということだ。だったらわざわざ仏教を輸入する必要もない。
支配と被支配の関係を知らない民衆を支配するのは、とても難しいことなのである。アメリカ大陸のインディアンやインディオは、人間社会のその関係を知らなかったために、白人たちに大虐殺されてしまった。
仏教伝来のそのときに仏教と神道が呪術の競争をしたのではなく、そのときまで日本列島には呪術というものがなかったのだ。
そのとき支配者の権力意識は呪術に目覚め、民衆の美意識は、呪術とは無縁の「清浄」な世界を守ろうとした。
原始神道アニミズムではなかったから生き残ってきたのだ。なにしろ相手は世界に冠たる仏教なのである。世界中どこでも、アニミズムはそうした世界宗教とやらに駆逐されてきた。
なぜ日本列島の神道だけが生き残ってきたのかといえば、アニミズムではなかったからだ。それはたんなる美意識であり、仏教の呪術性を脅かすものではなかった。それに、民衆はその美意識によって天皇を祀り上げていたから、それを否定するわけにもいかなかった。
なんのかのといっても原始神道は日本列島の伝統的な美意識の基礎になっているのであり、神や霊魂がどうのというような信仰ではなかった。
日本列島の美意識は、神や霊魂の秩序などには目もくれず、ひたすら「なりゆき」の「あや」を止揚してゆく。


12
まあ、俗世間を生きるよすがというかいろどりとして仏教はひとまず民衆にも歓迎されたのだろう。それでも彼らの美意識は、そのほかにどうしても「清浄な他界」を必要としたし、「清浄な他界」の存在として天皇を祀り上げることもやめなかった。
そのとき権力者としては、仏を祀り上げさせれば天皇は不要になる、という目論見もあったのかもしれない。
しかし、そうはならなかった。
人々は、宗教的な規範や戒律だけで生きることはできなかった。「すべては赦されている」という「なりゆき」の世界観。それを残しておかないと息苦しくてならなかった。そういう「すべては赦されている」という「清浄な他界」との往還が彼らの生きる作法であり、「清浄な他界」のイメージは彼らの美意識だった。
日本列島の住民は、ふだんの会話で、あまり「美しい」という言葉は使わない。感動して思わず漏らす言葉としては「きれい!」という。「きれい」とは「清浄」ということだろう。そういうニュアンスの方がしっくりくる。言い換えれば、この国において「美しい」ことは「きれい」なのだ。
日本列島には「きれい=清浄」という歴史の無意識がはたらいている。それは、「すべては赦されている」という「なりゆき」の世界観であり美意識である。そしてこの美意識は、おそらく縄文時代から醸成されてきた。だから、そうかんたんには仏教だけ、というわけにはいかなかったのだ。
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