まっさらな世界・「天皇の起源」64


ここで書いていることはどちらかというと天皇を擁護するものかもしれないが、ふだんの僕は、べつにとくべつ天皇に親密な感情を持っているのではない。
ただ、天皇奈良盆地の支配者として登場してきたという通説はどうしても納得できない。天皇の起源を問うことは日本列島の美意識の根源的なかたちを問うことだ。
弥生時代奈良盆地天皇は、支配者として登場してきたのではない。人々の美意識によって祀り上げられていった存在なのだ。
人々は、自分たちの連携の形見として天皇を祀り上げていった。
歴史的に、人間の集団には必ず支配者がいたのではない。支配者などなしに民衆どうしの連携で集団の運営をやりくりしている段階があった。それはもう世界中どこでもあったのだが、大陸が5,6千年前にはすでに支配者のいる共同体(国家)のシステムに移行していったのに対して、日本列島では1500年前の古墳時代までその原始段階の集団運営を続けてきた。弥生時代奈良盆地はもう1万人を超える都市集落になっていたのに、それでもまだ民衆自身の連携で集団運営をやりくりしていた。
海に囲まれた日本列島は、そういう特殊な状況があった。そこから天皇が祀り上げられていったのだが、そういうわけで日本列島は民衆どうしの連携のメンタリティが発達している。
一部では、世界でもっとも共産主義的な民族だともいわれている。
天皇と民衆の親密な関係と、支配者や一部の右翼が天皇に執着し寄生している関係とは違う。ここにもややこしい構造の問題があると思えるのだが、ひとまずそれは忘れよう。
いまは、天皇が祀り上げられていった弥生時代後期の奈良盆地の状況と、日本列島の伝統的な美意識の基礎について考えたい。



弥生時代奈良盆地の民衆は、縄文以来の伝統として、山や森に対する親密な感慨を共有していた。
縄文時代は森が食糧生産の場でもあったが、弥生時代はすでに平地の農業に移っていた。それでも彼らが山や森に対する親密な感慨を残していたのは、彼らの美意識だった。「清浄な森」を祀り上げることは縄文以来の伝統であり、この美意識を共有しながら彼らは連携結束していった。
天皇を祀り上げていった基礎として、まずこの習俗があった。
森には神が棲んでいる、と思ったのではない。そんなことを思っていたら森には住まないはずだが、彼らは森を歩き回っていたし、森に住んでいる人々もいた。森は俗世間の「穢れ」をそそぐ清浄な場所であり、森を背にしたり森に囲まれた場所で祭りが催された。
弥生時代奈良盆地には、まだ神という概念が存在しなかった。
原始神道を語るのに森を神の棲む場所として崇めていたといってしまえば簡単だが、やっぱりそれはちょっと違う。
日本列島の神にまつわる伝説はすべて、おそらく仏教伝来以後の後世につくられたものにすぎないわけで、それを鵜呑みにはできない。
森は清浄な場所であるという世界観と、森には神が棲んでいるという世界観は両立しない。
神が棲んでいたら、そこにはさまざまな「神の規範」がはたらいていて、人間は容易に住めないはずである。そしてそれは、「清浄」ではない。
「清浄」とは何もない「まっさら」な世界であるということだ。神が棲んでいたら、「清浄ではない。後世の神道はこの矛盾をやりくりするために、「神が棲んでいる」のではなく「神がやってくる」ところだと説明していった。これが「依り代(よりしろ)」という概念である。
「依り代」は、原始神道の概念ではない。
原始神道は、もっと純粋でおおらかなものだった。
この「まっさら」な感じを知っているから日本列島の住民は新し物好きなのだ。
まあ、彼らが感じていた「まっさら」とは俗世間の穢れがないということなのだが、俗世間とは人間の作為が交錯している場所であり、その「作為」がないことを「まっさら」という。そして、「作為」の元締めが、この世界をつくった神ということになる。
俗世間の穢れとは、「規範」のことだ。日本列島の住民はこれを「憂き世のしがらみ」といった。
「憂き世のしがらみ=公共性」は、「神の規範=法」によって強化される。まあ西洋はそういう社会をつくっているのだが、古代の日本列島の住民は、そういう「しがらみ」が一切ない「まっさらの清浄な場所」として森を祀り上げていった。
したがって、古代以前の森には神は棲んでいなかった。人々はまだ「神」という概念を持っていなかった。



もともと日本列島に神という概念はなかった。神道におけるそのイメージは、仏教の中の、インドの土着の神(=菩薩)をアレンジして生まれてきた。平安時代の「本地垂迹説」はおそらくそういうことをいっているわけで、そのころの神道関係者も、日本列島に土着の神のイメージなどなかったことになんとなく気づいていたのだろう。
したがって日本列島の住民は、神がこの世界をつくった、という発想はしなかった。日本列島の神は、どこかからやってきてどこかに去ってゆくものだった。もともと神を知らない民族が神のイメージを持とうとするなら、そのようなかたちでしかイメージのしようがなかった。
そうして、神が下りてくる森や石などの「依り代」という概念が生まれてきた。もともと神がどんなものか知らないのだから、とりあえずそう思うしかなかった。まあ、めでたくありがたい存在であるのなら、神社の森にやってくるのだろうと思った。
彼らにあったのは、神社の森は「めでたくありがたい」ものだ、という感慨があっただけである。
というわけで、古事記における最初の神は、この世界の「なりゆき」で生まれてきた、と記されている。
日本列島の「なりゆき」の文化は、「この世界をつくった神」というイメージを持つことができない。
古事記には、そんな神を知らない人々が神や霊魂という概念と出会ってどのように折り合いをつけていったかという痕跡が示されている。そのとき人々は、それを語り合うことによって本気で神の存在を信じ込んでいった。しかしそれはもう、人が本気で神を信じ込んでしまうような社会の構造になっていたからだ。支配と被支配の関係が厳然と存在してしまっている社会であるのなら、そのもっとも上位の存在である神を信じた方がつじつまが合う。古事記は、神を知らない人が神を信じてゆくためにみんなしてつくり上げていった話だった。
それでも彼らは、神すらもこの世界の「なりゆき」の中に置かれた存在にしていった。
古事記では、最初に神が存在したとはいっていない。神すらも「なりゆき」で次々にあらわれてきただけである。
この世界に最初から存在するものなど何もない。すべては「まっさら」な存在として「なりゆき」で生まれてくる。最初は神すらも存在しない「まっさら」な世界があっただけだ、と彼らは思っていた。
彼らのおおらかさは、神を賛美していったことにあるのではない。神すらもあとからの「なりゆき」で生まれてくるような「まっさら」な世界のイメージを持っていたことにある。
「まっさらな世界」には「規範」が存在しない。
仏法とは、この世界を支配する「規範」のことである。しかしそのとき、「すべては赦されている」という「まっさらの清浄な世界」のイメージで生きてきた日本列島の住民は、そんなものはすぐにはわからなかった。だから仏(如来)に対応するものを自分たちの祭りの場に取り込むことはしなかった。
古事記では、なんだか奇想天外でとんちんかんな神ばかりつくり上げていった。奇想天外でとんちんかんであればあるほど、「すべてを赦している」存在になるからだ。
彼らは「仏法=規範」と対応するものを持った神などイメージしなかった。
神社の「清浄な森」に、「仏法=規範」など存在しない。そこでは、「すべては赦されている」のだ。
仏教と神道では、根源的に世界観が違う。
「すべては赦されている」……この「まっさらな世界」のイメージを持っていたことこそ、古代以前の日本列島の住民の「おおらかさ」だった。



古代以前の日本列島の住民がなぜ「まっさら」な世界をイメージしていたかといえば、集団の疎ましさだけでなく、生き物としてみずからの存在そのもの身体そのものに対する疎ましさを深く感じていたからだ。
人類は、二本の足で立ち上がったときから、すでに「わが身の穢れ」を感じる存在になっていた。
二本の足で立っていることは、不安定で身体にかかる負荷も大きく、そういう鬱陶しさを感じてしまう姿勢である。生きてあることそれ自体が疎ましくなってしまう姿勢なのだ。
しかしその疎ましさを抱えながら世界や他者と向き合うとき、より豊かなときめきが生まれてくる。
つまり、何か「まっさら」なものを感じてしまう。相手に対してだけでなく、出会っているという体験そのものにそれを感じてしまう。そして、みずからの身体も新しく生まれ変わった心地に浸される。
それは、たんなる日本的な感性だともいえない。二本の足で立っている猿である人類が普遍的に持っているときめきのかたちなのだ。
日本的なといわれている「わが身の穢れ」の意識、これは、普遍的な身体感覚の問題でもある。
二本の足で立っていれば、体の中にもやもやしたものがたまって、なんともさっぱりしない。身体の物性に対する疎ましさがどうしても募ってくる。それが「穢れ」の意識であり、人間は、猿よりももっと切実にさっぱりした体になりたいという願いを持っている。つまり、「まっさら」な体になりたい、という願い。
原初の人類は、二本の足で立ち上がることによって多くの身体能力を失った。猿よりも弱い猿になって、逃げ隠れしながらその歴史を歩みはじめた。



しかし猿よりも身体能力が劣っているはずの人間は、たとえば猿よりも上手に物を投げることができる。これは、なぜだろう?
猿が物を投げても、たいてい地面に向かって投げつけているだけである。猿が遠くに向かって物を投げるということは、けっしてかんたんなことではない。猿には人間のような空間感覚がないからだ。
空間を察知する能力なら猿にもあるし、視覚や嗅覚や聴覚は猿の方がすぐれているだろう。しかし猿には、人間のような空間に対する「あこがれ」がない。だから、遠くに物を投げることができない。
人間がなぜそれを持っているかといえば、「まっさら」な体になりたいという願いを持っているからだ。「まっさら」な体とは、身体の物性を忘れて身体がからっぽの「空間」になったような心地のことだ。
まあ伊勢神宮の、天まで届くような杉木立の深い緑の森の中に立てば、外国人でもそういう「まっさら」な心地に浸される。
そのような「身体の空間性」の感覚は、誰でも持っている。なぜならそれが生き物が体を動かすときの基本的な意識のかたちだからだ。二本の足で立っている人間は、そういう「空間性」に対する意識が猿よりもずっと切実なのだ。
身体を空間にしながらまわりの空間になじんでゆく……人間は、存在そのものにおいて「空間」に対するあこがれを持っている。この「あこがれ」で、遠くに物を投げる身体操作を身につけてゆく。
「踊る」ということだって、身体を「空間」のように扱う作法であり、身体のまわりの「空間」になじんでゆくようにして身体を動かしている。
それは、身体の物性を支配してゆくことではない。上達すればするほど、意識は身体の物性を忘れて、ひたすら「空間」となじんでゆく。
身体を支配する能力は猿の方がすぐれている。しかし、身体が勝手動いてしまうような身のこなしは、人間の方がはるかに上である。それだけ「空間」に対する親密な心の動きを持っているから。
身体が「まっさらな空っぽの空間」になるとき、身体の中には、身体を支配する「霊魂=規範」は存在していない。
古代以前の日本列島の住民は、「規範」が存在しない「まっさら」の身体や世界に深くあこがれていた。その形見として「清浄な森」が祀り上げられていた。
彼らは、規範としての「神」も「霊魂」も知らなかった。



身体を支配するのが霊魂であるなら、身体が勝手に動く感覚は、霊魂の存在を忘れている感覚である。
もともと人間は霊魂を忘れているタッチを持っている存在であり、霊魂の存在を感じない存在である。身体を支配する霊魂の存在を忘れているときの方が身体の動きが豊かに体験されているのであれば、霊魂の存在など感じようがない。
ふだん、身体を支配する霊魂を意識しながら体を動かしている人間などほとんどいない。言い換えれば、自意識過剰の鈍くさい運動オンチほど、心のどこかで霊魂を意識しながら体を動かしている。
霊魂に対する意識は文明人のものであって、原始人のものではない。その存在は、支配と被支配の関係が定着した社会の中に生き、自分で自分を支配しているものでなければ感じることができない。
人間ほど霊魂の存在を忘れた身体の「まっさら」な状態にあこがれている生き物もいない。
霊魂の存在を忘れているときにこそ、この生はより深く確かに体験されている。
原始人は、「規範」としての神も霊魂も発想しなかった。
「森には神が宿っている」とか「森の木には精霊が宿っている」などというイメージは、森や森の木を支配する「規範」が宿っている、というのと同じである。そんなものが子供や原始人の純粋な心の動きであるはずがない。それは、文明人の制度的な規範意識から生まれてくる。
神や霊魂という概念など、共同体の制度性に浸された観念のオーバーランから生み出されてきたにすぎない。しかし、いったんその概念を持ってしまったら、もうそこから逃れられない。因果なことだが、それが人類の「現在」であるらしい。
子供は、この社会の「規範」など知らない。神や霊魂の存在を感じるのが人間の本性であるのではない。
そして原始人は、「すべては赦されている」という「まっさら」な世界に対するあこがれを共有しながら集団をいとなんでいた。



大陸では5、6千年前からすでにそうした原始的な世界観を捨てて共同体の「制度性=規範」の中で生きることをはじめたが、日本列島では、2千年前の弥生時代になってもまだ原始的な「清浄な森」に対するあこがれを共有しながら集団をいとなんでいた。いや、いまだにそういう歴史的な風土がどこかに残っている。
日本列島の住民がみんなして酒を酌み交わしながらどんちゃん騒ぎをしてへべれけになってゆく……こういう習俗はもうおそらく縄文時代から続いてきているのだが、そうやって「すべては赦されている」という世界に浸ろうとしているのだ。
「規範」のない「すべては赦されている」世界に、「神」も「霊魂」も存在しない。そういう「まっさら」の「清浄な森」に対するあこがれこそ原始神道の世界観であり、それはもう、原初の人類が二本の足で立ち上がったときから引き継いできている普遍的な人間性でもある。
日本列島における「穢れ」をそそぐこと、すなわち「みそぎ」とは、原始的な「身体の空間性」を取り戻すことにある。
原始性とは、「身体の空間性」の問題なのだ。
縄文人弥生人の暮らしや世界観は、政治経済の問題だけでは迫れないし、神や霊魂という宗教の問題でもない。彼らがどのように集団をいとなみ祭りを催していたかということは、彼らの生きる作法としての身体感覚をもっと考えてみる必要があるのではないだろうか。
原始神道アニミズムだった、などとお手軽に考えているべきではないし、そんなところから天皇が祀り上げられてきたのでもない。
日本列島の精神風土の底流になっている原始的な身体感覚というものがある。おそらく起源としての天皇はそこから祀り上げられてきたし、そのプリミティブな感覚とともに現在まで続いてきたのだろう。
つまり、「すべては赦されている」ということ、原始神道のそういう「清浄」の美意識は神や霊魂という概念となじまない。
もともと日本列島には神や霊魂という概念は存在しなかった……こんなことをいっても誰もうなずいてくれないだろうが、人類700万年の歴史に照らし合わせて考えるなら、そういう原始的な身体感覚や世界観が日本列島に残っていることが見えてくる。それはもう人類史の奇跡かもしれないわけで、無視してしまうにはあまりにも惜しい。もしかしたらわれわれは、天皇の起源を考えることを通して人間性の普遍に迫れるかもしれないのだ。
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