からっぽの身体・「天皇の起源」65


古代以前の日本列島の住民は、生命賛歌をしなかった。
生きてあることは「穢れ」がたまることだと思い定め、「穢れ」をそそぐことを生きる作法にしていた。
意識しようとするまいと、けっきょく人間の行為のすべてに、「穢れ」をそそぐという側面がある。
身体を動かすことは、「いまここ」に存在する身体の居心地の悪さ(=穢れ)を消去してゆく行為である。
ベッドに寝転んでごろごろしている。目が覚めているのなら、いつまでも同じ姿勢でじっとしていることはできない。じっとしていると、「穢れ」がたまってくるのをどうしても感じてしまう。言い換えれば、じっとしているときこそ、より確かに「穢れ」を感じてしまう。
山の中に閉じ込められて暮らしていた縄文人は、「身体=生きてあること」の「穢れ」を深く自覚していた。
現代人は、便利な交通手段を持ち、いろいろ娯楽や仕事があって、空間的にも時間的にも昔の人々よりははるかに動き回って暮らしている。だからそのぶん「穢れ」の自覚が薄く、生命賛歌になりやすい。
それでも、いまなおベッドでごろごろしている人はたくさんいるし、誰だって多かれ少なかれそんな状態を体験している。
「穢れ」の自覚、すなわち生きてあることの物憂い気分は、人間であることの属性であろうと思える。
そうして、深く世界や他者にときめいてゆくことによって、「穢れ」がそそがれてゆくカタルシスが汲み上げられている。
生きてあることの物憂い気分は、われわれ現代人よりも、昔の人たちの方が、とくに縄文人の方がはるかに深く知っていたはずである。だから彼らは、人と人が他愛なくときめき合っていたし、「清浄な森」に対するあこがれもひとしおだったはずである。
日本列島の住民は、「深山幽谷」が好きである。それはきっと、人の作為の痕跡がない「清浄な森」へのあこがれでもあるにちがいない。



縄文人が死者の骨を洗っていたとしても、それはべつに呪術ではあるまい。「穢れをそそいでやる」というだけのことだろう。
彼らは、土の穢れを意識して、新しく家を建て替えるときは必ず少し移動していた。そのころはまだ、土の穢れをそそぐ呪術を知らなかった。そして後年のそうした行為にしても、土を掘り返してあらためて慣らしてゆくということは必ずしていた。それはもう、体を洗うような行為であったはずだ。呪文だけで土が新しくなるとは、誰も思っていなかった。
日本列島の住民の「穢れをそそぐ」という行為は、「呪術」ではない。たんなる「清浄」へのあこがれであり、手や体を洗うのと同じ行為なのだ。
生きていれば「穢れ」がたまるから、死者の骨を洗う。土が穢れるのは、人間の生のいとなみの「穢れ」がまとわりつくからだ。土を清めることは、人間の生のいとなみの「穢れ」をそそぐことである。
手が汚れたら、気持ち悪くて落ち着かない。気持ちを落ち着かせるために「清める」という行為をする。それは娯楽によって癒されるのと同じ体験であり、呪術などというたいそうなことでもなんでもない。
人の作為の痕跡がしみついた土を「穢れ」だと思う。その作為の痕跡を消すことを「清める」という。それは、作為そのものである「呪術」とは反対の行為である。
「清める¬=祀り上げる」ことは、呪術ではない。
人間は、生きにくい生をなだめながら生きている。「いまここ」を「なだめる」ということはせずにいられない。それを「穢れをそそぐ=清める」ともいう。
ベッドの上で体をごろんと動かすことだって、「穢れをそそぐ」という行為なのだ。
それは、「呪術」ではない。
人類史において、人間性の自然から「呪術」が生まれてくることはない。共同体をつくったりして、人間という生き物が作為的になってきたことによって「呪術」が生まれてきたのだ。



人間は、生きにくい生をなだめながら生きている。「いまここ」を「なだめる」ということはせずにいられない。
呪術とは、「いまここ」にないものと交信することだ。
「いまここ」にない霊魂をあるかのように妄想することだ。それは、文明人の心の動きであって、原始人のそれではない。
原始人は「いまここ」を受け入れ「いまここ」に体ごと反応していった。そして「いまここ」にないものは「ない」と思い定めて生きていた。
日本列島の原始社会に呪術など存在しなかったし、人々は、呪術を必要とするほどよりよい暮らしをしようとあくせくしていたのではない。
日本列島の伝統としての無常感は、未来を思わないで「いまここ」を受け入れ「いまここ」に豊かに反応してゆくことにある。そしてその基礎は、共同体(国家)が存在しなかった縄文・弥生時代につくられた。つまり、呪術など存在しない社会で、あくせくしないで生きていたからそういう文化になっていった。
まあ、あくせくはしていなかったが「物憂い」という「穢れ」の意識は深く抱いていたから無常感になっていったのだ。
もしもよりよい未来を欲しがる「呪術」が縄文・弥生時代から機能していたら、無常感や「わび・さび」などという伝統は生まれてきていない。
日本列島の呪術は、大陸文化の影響を受けながら奈良・平安時代になって本格化してきた。それでもそのあとの中世には未来を思わない無常感が広がっていったのは縄文・弥生時代の呪術が存在しない文化の伝統を持っていたからであり、それは、その伝統に回帰しようとするムーブメントだった。
無常感は、日本列島の歴史の通奏低音になっている。それは、呪術という未来意識を持たない社会の世界観・生命観の上に成り立っている。
どうして歴史家はみな、縄文・弥生時代は呪術がさかんに行われていたと決めつけるのだろう。
「呪術」と「穢れをそそぐ=祀り上げる」ことは、ぜんぜん別の心の動きである。
縄文・弥生時代の人々は、呪ったり占ったりするのではなく、ひたすら「いまここ」を祀り上げようとしていた。
人類が死者を埋葬するようになったのは、死者が天国に行くためでも生まれ変わるためでもない。死者を死者として祀り上げる行為だった。死者がよりいとしくてたまらなくなり、かなしくてたまらなくなったから埋葬をはじめただけのこと。原始人のそういうイノセントな死に対する親密さから「霊魂」という概念が生まれてくるはずがない。埋葬の起源は、作為的な呪術だったのではない。
縄文・弥生時代の埋葬を、ほんとうにそのような「呪術」のレベルで語れるだろうか。
縄文・弥生人は、死後の世界など知らなかった。だから古代になっても、神道においては「死んだら何もない黄泉の国に行く」と語られるようになっていった。それは、死後の世界などない、といっているのと同じではないか。「ない」というか、そんなことはわからない、と彼らは思い定めていた。
歴史の段階ととして、最初は「わからない」と思うのが当り前だろう。



人間は、二本の足で立って歩く猿である。
そして「歩く」ということは、日本列島の伝統的な文化の基礎である。縄文人は山道を歩きまわっていたし、もともと歩くことが好きで上手な民族だったはずである。
なのにいまどきは、うまく歩けない年寄りがあふれている。子供だって上手に歩けなくなってきて、この国全体が歩くことが下手になってきているらしい。歩くことの身体感覚を阻害する社会状況があるのかもしれない。
ウォーキングのブームは、そういう状況の反動なのだろうか。
人間にとって「歩く」とはどういう行為か?
基本的には、二本の足で立っていることの「穢れ」をそそぐ行為である。そのようにして原初の人類は直立二足歩行を覚えていった。
二本の足で立ったままじっとしているのはとてもしんどい。つまり、「穢れ」がたまってくる。しかしそこから歩いてゆけば、身体(足)のことなど忘れて、景色を愛でたり考えごとにふけったりすることができる。
人間にとって二本の足で立って歩くことは、身体の物性を支配することではなく、身体の物性を忘れている状態である。忘れて歩ける方法として、「直立する」ということを覚えた。
猿が二本の足で歩いているときは、心持ち上体を曲げて、身体の物性を支配しているのであって、忘れてはいない。そうやってまわりを警戒している。
しかし人間が直立して歩くことは、警戒することも身体の物性のことも一切忘れている。直立したまま体の重心を少し前に倒しながら、ほとんど自動的に歩いている。直立しないと自動的には歩けない。そして、警戒心を持っていると直立できない。それは、とても不安定で、かんたんに倒れてしまう姿勢である。それでも直立していられるのは、警戒することを忘れているからだ。
人間の集団ではなぜそのように警戒心を忘れている状態になれるかといえば、誰もが「赦し合っている」からだ。
猿の群れでは、赦し合っていない。誰もが、仲間を倒して、より上の順位に立とうと狙っている。警戒し合っている。だから、人間のようには「直立」できないし、自動的にいつまでも歩いてゆくということができない。
人間にとって「歩く」ことは、身体の物性を忘れてさっぱりした体になることである。つまり、身体が肉や骨のつまっていない「からっぽの空間の輪郭」になってしまっているような心地である。そしてそれが、「穢れ」をそそいでいる状態なのだ。
「穢れをそそぐ」とは、身体が「からっぽの空間の輪郭」になっている心地を汲み上げることである。原初以来人間は、そうやって二本の足で立って歩くということをしてきた。
根源的には、身体が動くこと、すなわち身体が空間を移動するということ自体が、すでに「穢れをそそぐ」行為なのだ。



現代人は、「身体の移動」ということをかんたんに広範囲に繰り返すことができる社会の中で暮らしているから、穢れの自覚がたまるということがない。
穢れの自覚が希薄だということは、からっぽの身体になるカタルシスも希薄だということである。
からっぽの身体になる、というタッチを持っていないから歩くことが下手になってゆく。
また、原始社会のような、誰もが他者に対する警戒心を捨てて赦し合っている、というかたちの社会になっていない。誰もが、猿社会のように競争して順位争いをしている。そういう関係の社会になっていることも、うまく歩けなくなってきたことの原因のひとつに違いない。
古代以前の日本列島は、世界中のどこよりも他愛なく人と人がときめき合う社会だった。そのように警戒心のない社会だったから、「歩く」文化が発達した。
「歩く」文化とは、身体が空っぽの空間の輪郭になってゆくタッチを持っている文化であり、他者に対する警戒心を捨てて他愛なくときめき合っている状況から生まれてくる。原初の人類は、そのようにして直立二足歩行の歴史をはじめた。そして日本列島の文化風土には、そういう原初の痕跡が残っている。
魏志倭人伝の「倭の国では内乱ばかり起きている」という記述など、魏の役人の嘘八百の可能性の方が大きい。弥生時代後期のそんな考古学の発掘証拠などほとんどない。
とくに奈良盆地では、どこよりも他愛なく人と人がときめき合う文化を持っていたわけで、だからどこよりも大きな都市集落になっていった。
現代社会は、たぶんそういう伝統を失いかけている。
ほんとうかどうか知らないが、出羽の山伏は、十日で吉野の山里に到着することができたといわれている。歩くことは、縄文以来の日本列島の伝統だった。そういう文化の社会では、人と人が他愛なくときめき合っている。そして誰もが物憂い生きてあることの「穢れ」の意識を持っている。
穢れなんか他人の中にあるものだと思うような社会になってしまったから、歩くのが下手になったのだ。



現代人が上手く歩けなくなってきていることの原因は、ただの身体操作のテクニックだけの問題ではない。
身体がからっぽの「空間の輪郭」になってしまうタッチを持っていないということは、他者に対する警戒心が捨てられない競争社会になっているということでもある。だから、何はさておいてもまず、うまく直立できない。
しかし基本的にはみな人間だから、ひとまず猿よりは直立している。であれば、それで問題ないかのようにして社会は動いてゆく。
現代人が上手く歩けなくなっていることがこの社会の差し迫った問題であるのかどうかは、僕にはわからない。ただ、現代社会は、人間であることの根源・自然のかたちに対する認識が少しおかしいのかもしれない、とは思う。そうして僕は、霊魂を感じることが人間の自然であり原始的な心性であるのか、という問題をどうしても考えてしまう。
「からっぽの身体」には「霊魂」は宿っていない。何もないから「からっぽ」なのだ。
それは、霊魂が存在するか否かという問題ではない。霊魂なんか感じない、ということだ。しかしいまや、ますます霊魂を感じてしまう社会になってきている。スピリチュアルのブームは花盛りだし、そんな言葉を意識しない人たちでも、何らかのかたちで霊魂を強く意識してしまう世の中だ。
霊魂を感じて体がこわばってしまうし、霊魂を感じながら能力を超えて体を使役してしまう。一般人のワーカーズホリックだろうと宗教者の過酷な修行だろうと、まあ、霊魂意識のたまものなのだろう。
宗教者は、体を「からっぽの空間」にする方法ををよく心得ている。それは、霊魂を体から引き剥がす方法を心得ている、ということだ。けっきょく身体は、霊魂など宿っていない「からっぽの空間」になっているときにダイナミックに動く。そのとき、霊魂が身体を動かしているのではない。霊魂のことなど忘れて勝手に動いている。
まあ文明人は、霊魂という概念を持ってしまったから、霊魂を引きはがすということをしなければならなくなった。宗教の修行者はそれを、霊魂が自立して活躍しているかのようにいうのだが、そうではあるまい。霊魂を引きはがしているのだ。
死んだら霊魂が体から離れて霊魂だけの存在になるそうである。しかし、身体を持たない意識など、もはや意識ですらないのだ。そんなものがどこに行こうと、われわれの知ったことではない。
身体に霊魂など宿っていない。「穢れ」をそそいだ身体は、「からっぽ」の「空間の輪郭」になる。
霊魂など宿っていない「からっぽの身体」が、ダイナミックに動く。二本の足で立って歩いている人間は、本能的に身体を「からっぽの空間」にしようとする。それが、人間の基礎的な身体作法なのだ。
霊魂という概念にまとわりつかれている文明人は、けんめいに身体から霊魂を引きはがそうとする。霊魂という概念を止揚するにせよしないにせよ、誰だって本能的に霊魂を引きはがそうとしている。そういうかたちでしか人間の身体が上手く動くすべはないのだもの。
まあ、原始人の「穢れをそそぐ」という身体作法が、文明社会になって「霊魂を引きはがす」というかたちに変わってきたのだろうか。
現代人は「霊魂を引きはがす」ということが下手になっている。死んだら霊魂を引きはがすことができる。自殺だって、霊魂を引きはがそうとする衝動かもしれない。
文明人の無意識には、霊魂を引きはがそうとする衝動がはたらいている。
人間は、霊魂が宿っていない「からっぽの身体」になろうとする衝動を持っている。
霊魂で体を動かそうとすると、体はこわばってしまう。現代人は、霊魂で体を動かそうとする意識になってしまっている。



歩くということは、身体を「からっぽの空間」にする作法である。二本の足で立っている人間は避けがたく「穢れ」を自覚するほかない存在の仕方をしている。そうやって「穢れをそそぐ」ということが二本の足で立って歩くということであり、人間の生きる作法の基礎になっている。
人間は「穢れ」を自覚する存在だからこそ、猿よりも深く世界や他者にときめいてゆく心の動きを持っている。
弥生時代奈良盆地の人々がどんな思いで「清浄な森」をイメージしていたかということは、原始神道アニミズムだったといっている歴史家にはおそらくわかるまい。
古代以前の人々は、歩くということに身体の穢れをそそいでゆくタッチを持っていた。彼らはそれほどに「穢れ」の意識が切実だったし、それほど上手に歩いていた。
歩くことは日本列島の舞の文化の基礎であり、より洗練した穢れをそそぐ作法として発展してきた。
日本列島の住民の「清浄な森」に対するあこがれは、「穢れ」をそそごうとするひとつの身体感覚である。
「清浄」とは「まっさら」であること。「まっさら」の身体でありたいという願いが、「清浄な森」のイメージになっている。
精霊が棲んでいる森など「清浄」でもなんでもない。
あなたは、伊勢神宮の森の中に立って、神や精霊を感じるのか?
古代以前の人々は、何も感じなかった。ひたすら「まっさら」の「清浄」を感じていた。
原始神道アニミズムだったというのなら、その「清浄な森」は、雨を降らしてくれるところだったのか?病気を治してくれるところだったのか?
そうではない、そこでは「清浄」であるというそのことが祀り上げられていたのであり、人々はただもう俗世間を生きてあるこの身体の「穢れ」をそそぎたかったのだ。
仏教伝来以前は神道がそうした呪術の役割を担っていたといわれるが、だったらより高度な呪術である仏教を輸入した時点で神道の存在意義はすでになくなっている。
神道に呪術的な性格は希薄である。それは、もともと呪術ではなかった。豊年万作祈願、などといっても、そんなものは祭りのたんなるお飾りであって、実質的には呪術でもなんでもない。
古代の雨乞いとかの呪術は僧侶や陰陽師のすることだった。あるいは神仏習合の儀式としてなされていた。
基本的に神道は、呪術とは別のものとして歴史を歩んできた。原始神道は、古代以前の人々の「清浄」へのあこがれだった。



神道の基本的な儀式は、何かを願うということではなく、祀り上げることであり、寿(ことほ)ぐことだ。その対象が最初は「清浄な森」で、のちに「神」というということになっていった。
神社の祝詞は、神を祝福しているだけであって、神に何かをお願いしているのではない。日本列島の住民は、結婚式をはじめとして、めでたいことの祝いは神社でする。
神道の世界観も仏教のそれも混淆してしまっている現在のかたちがどうであれ、原始神道においては、そこは祝福する空間だったのであって、呪術の場所だったのではない。
「祀り上げる」とは、「穢れをそそぐ」という行為である。穢れをそそいで祀り上げ寿いでゆく。わが身を「からっぽ」にしてときめき祀り上げているとき、穢れがそそがれている。
日本列島の住民は、仏教だけでは生きていけなかった。だから、神仏習合ということが起きた。この生の御利益をお願いするということだけではなく、わが身を「からっぽ」にして「祀り上げる」ということをしないでは生きられなかった。
異民族との軋轢のないこの島国では、この生に対する物憂い「穢れ」の意識はつねについてまわっていた。
御利益を願うだけでは生きられないし、死後の世界のこともどうでもいい。なにしろ死後は何もない「黄泉の国」があるだけだと思い定めている民族だった。ただもう、生きてある「いまここ」の「穢れ」をそそぎたい。わが身を「からっぽ」にして何かを祀り上げずにはいられない。この島国には、つねにそうした原始的な心性が通奏低音として流れていた。
原始神道は、べつにアニミズムのような宗教でもなんでもなく、たんなる祭りの習俗にすぎなかった。それがなぜ宗教のようになっていったかといえば、民衆は、支配者が押し付けてくる仏教だけでは生きられなかったからだ。
仏教だけでは生きられなかったから、仏教に対応して神道が宗教のようなかたちになってきただけのこと。
古代以前の人々は、神も霊魂も知らなかった。神も霊魂も存在しない「からっぽ=まっさら」の「清浄」な世界や身体をイメージしていた。そして仏教伝来以後も、そのイメージなしには生きられなかった。どんなに国を挙げて仏教が奨励されていっても、民衆は「清浄な森」と「天皇」を祀り上げることはやめなかった。だから神道が宗教のようになっていっただけで、最初から宗教や呪術のようなものであったのではない。
神道は、「二本の足で立って歩く」という人間性の根源とかかわったひとつの身体感覚だった。「穢れをそそぐ」とは、そういうことだ。
原始神道を問うことは人間の根源的な身体感覚とは何かと問うことであり、神や霊魂がどうのということなどどうでもいい話なのだ。



断っておくが、僕は霊魂が存在しないことを感じているのでも確信しているのでもない。現代人のひとりとして、もしかしたらどこかでその存在を感じているのかもしれない。
しかし人間は、身体から霊魂を引きはがして「まっさらの身体」になろうとする存在である。たぶん、そうした人間であることのごくありふれた自然な生態として、霊魂などない、という立場を選択し決断した。
死んだあとに霊魂がどこに行こうと僕の知ったことではない。身体を持たない霊魂など、「意識」でもないし、「私」ですらない。
いやこれは、僕の感覚というより、古代人のそれである。
僕は「黄泉の国」とは何だろうといつも考えているし、古代人はそのイメージを当たり前のように持っていた。
「私」という意識は、「身体」によって担保されている。身体を離れればもはや「私」ではないし、身体を借りて意識になっているのだから「意識」であることすらできない。そんなもやもやっとしたものが身体を離れてどこに行こうと、知ったことではない。おそらく古代人は、そのようにして「黄泉の国」というイメージを描いていた。「私」も「意識」も「身体」もない世界として。
彼らがなぜそのような世界を思い描くことができたかといえば、現代人よりはるかにクリアに「からっぽの身体」の感覚を持っていたからだろう。彼らの「穢れ」の意識はそれほどに切実だったし、ちゃんと「からっぽの身体」になれる歩き方をしていた。
原始神道は、そういう身体感覚の問題なのだ。
「からっぽの身体」に、「私」も「意識」もない。だったらそこには、「私」や「意識」を支配する「霊魂」も存在しない。
何かと作為的な社会に住む現代人は、古代人の「からっぽ=まっさら=清浄」のイメージがわかりにくくなっている。そうして、歩くのが下手くそになってきている。
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