あなたがあなたであればそれでいい・「天皇の起源」70


弥生時代奈良盆地を大きな都市集落にしていったのは、政治制度が発達していたからでも生産性が高かったからでもなく、おそらく民衆自身の祭りと交易のダイナミズムにあったからだ。
つまり、どこよりも人の動きが活発な場所だった。
その祭りの中心に、巫女という舞の集団がいた。
「巫女」という漢字は仏教伝来以後に当てられたもので、彼女らがその字が示すような呪術的存在だったという証拠はない。
ただ「みこ」と呼ばれていただろうことは推測できる。
「みこ」の「み」は、「中身」の「み」とか「実」の「み」のようなニュアンスだったのではないだろうか。すなわち祭りの「中心的存在」だったから「みこ」といったのだろう。そうして「大切な」とか「めでたくありがたい」というような思いも込められていたのかもしれない。
「み」というやまとことばに「呪術」というニュアンスはない。
神道は、仏教伝来以後に、仏教に対応しながら宗教のようなものになっていった。その流れで平安時代には、「神道の神は、仏に仕える菩薩である」という本地垂迹説があらわれてきた。
つまり「巫女」という字を使うようになったころにはもう、弥生時代の「みこ」がどんな存在だったか誰も知らなかった。そして、神道が仏教に対応する宗教であるためには、「昔は呪術をする存在だった」とか「神と契る存在だった」とか、そういう宗教的な存在だったということにしておいた方が具合がよかったのだろう。
しかし、そのころの「巫女」が実際に神道の中心的な祭司であったわけではなく、男の神主がいて祝詞を上げたりお祓いをしたりしていた。
つまり、そのころだって「巫女」は、舞を本業とする存在だったのだ。そして、神社の「清浄」を象徴する存在でもあった。
そのころからすでに、神道の体面上、「昔は神と契って呪術をする存在だった」といわれていただけなのだ。巫女はもう、昔からずっとそういわれ続けてきた。天才的な巫女の呪術師が一世を風靡した、ということなどおそらく一度もない。卑弥呼の話なんか、中国の役人の勝手な作り話だろう。とにかくいつだって、「昔はそんな巫女がいた」といわれ続けてきただけなのだ。



弥生時代奈良盆地でなぜ巫女を森の中に住まわせていたかといえば、彼らにとって森は清浄な場所だったからだ。彼女らの舞の美しさは、彼女らが清浄な存在であるということによって担保されていた。
そしてその美しさは思春期だけのものだから、どんどん世代交代してゆく。
では、役目を終えた巫女は山を下りてきたかといえば、そうではなかった。森の中の巫女の里は、娼婦の里のようになっていった。
男たちにとっては、巫女と契ることはひとつの「みそぎ」であり、貴重な体験だった。それがやがて「巫女は神と契る存在である」という言い習わしになっていったのだろう。
誰も本気で「神とセックスしている」などと思うはずがない。ただ、巫女の女としてのステイタスを上げるためにそういうことにしていっただけだ。
森に行って「みそぎ」をしてくる、といえば里の女たちも容認してくれたのだろう。そういう共通理解がなければ、その習俗が定着するはずがない。山の中の娼婦の里という習俗はもう、中世まで続いていったらしい。
弥生時代の森の巫女がみな神と契る存在として一生男を寄せ付けなかったとか、そういうことがあるはずがない。巫女を引退したら、いったい何をすればいいのか。今さら俗世間に下りて労働の毎日などしたくないし、セックスだってしたくなるだろう。
十三,四の娘に呪術の能力などあるものか、そんなことは、それなりの修業した人間がするものだと相場が決まっている。
巫女を卒業したら娼婦になっていった、という歴史の事実がある。そしてそれが中世の白拍子という高級娼婦に進化していったのであり、白拍子の資格は舞の美しさにあった。
出雲阿国出雲大社の巫女の出身で、舞の天才少女として都に出てきてデビューした。中世においても「やや子踊り」といって少女の舞は特別だという習俗があったわけで、それこそが弥生時代以来の巫女の舞の伝統だった。
中世までの巫女の本業は舞うことにあった。そしていつの時代も、もともとは神と契る呪術的な存在だったといわれ続けてきたのだが、実際にそんな存在だったことは一度もなかった。つねに昔がたりとしてそういわれ続けてきただけなのだ。そうして、江戸時代以降になってから、何やら呪術的なことを生業としながら旅をする巫女があらわれてきた。



原始神道の巫女は、「処女の舞」として発生してきた。
そしてこの巫女集団の中からカリスマのスターとして祀り上げられていったのが「きみ」であり、起源としての天皇だった。
「きみ」とは「完全な姿」というような意味で、「みそぎを体現している姿」として祀り上げられていった。
「きみ」が舞台に立って踊り、人々もその下で踊る。そうやって祭りが盛り上がっていった。
弥生時代はまだ、純粋に芸能としてそれを鑑賞するというような習俗はなかったのかもしれない。「きみ」は、祭りのシンボル的な存在だったのだろう。なんといっても、みんなして踊るということが大事だった。
ただ鑑賞するだけでカタルシスになるためには、そこに物語の要素なども入ってこないといけないのだろう。そして物語の鑑賞が主になって、表現者は二次的になってしまう。
しかしそのとき人々は、「きみ」の踊りを鑑賞していたのではない。「きみ」とともに踊っていることがカタルシスだった。「きみ」がそこにいるというそのことがめでたくありがたいことだった。
これは、「霊魂」という概念を知らない人たちの心模様である。彼らは「きみ」の舞に「物語という霊魂」を見ていなかった。物語とは、その表現に宿っている霊魂である。その舞の美しさに何を思ったかではない。美しさを祀り上げていったのではない。美しく舞うその人を祀り上げていった。
その人はその人であればそれでいいと思えるほどに、その人は美しい舞姿を持っていた。
美しい舞姿を祀り上げていったのではない。美しい舞姿を持っている人を祀り上げていった。その人の舞姿を鑑賞していたのではない、その人と一緒に舞うことが「みそぎ」だった。
舞うということが好きだった人々が、かんたんに鑑賞するだけの立場に移れるはずがない。
舞が鑑賞する芸能として確立してゆくためには、そういう過渡期があったはずであり、その過渡期に起源としての天皇が生まれてきた。
その人と一緒に踊っていれば祭りはいっそう盛り上がり、それによって集団の連携結束がより確かになっていった。そうしてやがて、生きてゆく日々におけるその人とともにこの世界に存在するというそのことが、すでに連携結束のよりどころになっていった。
そうなったらもう、その人=「きみ」は、すでに天皇であるといえる。
舞がまだ鑑賞のための芸能として確立する前の段階だったから、そういう関係が生まれてきた。そしてそれはつまり、人々がまだ「霊魂」という概念を知らない時代だったからでもある。
霊魂がその人をその人たらしめているということは、美しさがその人たらしめているということでもある。それは、その人の美しさが、その人がその人であることに優先している、ということだ。霊魂という概念を知ってしまった人間は、身体よりも霊魂を優先するようになり、その人がその人であることよりもその人の美しさ優先する思考になってきた。それが「霊魂という物語」であり、「物語という霊魂」なのだ。
もしもそのとき弥生時代奈良盆地の人々が霊魂という概念を知っていたら、「きみ」その人よりも「きみの美しさ」を祀り上げ、すでに鑑賞するだけの芸能が確立されている。
日本列島の民衆の基本的な天皇に対する思いは、天皇天皇であることそれ自体を祀り上げているのであって、天皇が何かをしてくれるとかどんな人間であるかとか、そんなことは問うていない。もともと天皇はそのような存在として生まれてきたのであり、いまでも基本的はそのような存在なのだ。
天皇の存在の仕方は発生のときにすでに決定していたし、そういう存在だったから権力者に寄生されおもちゃにされてきたのだ。
「あなた」が「あなた」であればそれでいい。人と人の関係は、そこからはじまってそこにたどりつく。なんのかのといっても、現代人だって誰もがそうやって人と人の関係を生きているのだろう。



古墳時代になって大和朝廷という政治組織が生まれ、やがて天皇の座は、「きみ」から「きみ」の保護者である「おほきみ」に移っていった。
そのころ奈良盆地はすでに広範囲の大きな都市集落になっており、すでに一か所の祭りだけではまかないきれなくなっていた。祭りはあちこちで催され、「きみ」が率いる巫女集団は、それぞれの地域の祭りに巡幸していった。初期の大和朝廷は、おそらくその巫女集団の活動をマネージメントする組織だったわけで、その組織の頂点に「おほきみ」がいた。
「きみ」の世代交代は早い。たぶん18歳くらいになればもう、独特の気配が失われてくるし、新しいカリスマは次々にあらわれてくる。そして、そんな舞の名手は、どこの地域にもいた。
これは、ひと昔前の女子の体操競技の世界に似ている。13、4歳で全日本のトップになり、18歳を過ぎたころにははもう次の世代が主役になっている。13、4歳のころが、いちばん「体が勝手に動いてしまう」というタッチを持っている。体操はそういうタッチを持っていないと上手くなれないし、じつは人間の体の動きそのものが、そういうタッチのいくぶんかを宿している。
であれば、そのころの奈良盆地でも、やがて地域ごとに「きみ」が生まれ、地域ごとに巫女集団が結成されてゆくことになり、ひとりの「きみ」が奈良盆地中を巡幸するという習俗がなくなってくる。
そうなるともう「きみ」は奈良盆地全体のシンボルではなく、全体の祭りのスケジュールなどを按配する組織の頂点にいる「おほきみ」がその存在になってゆく。
祭りや交易はその地域だけのものだけでなく、外からもたくさん人が集まってくることによって盛り上がる。だから、スケジュールの調整などはどうしても必要だし、それらの祭りには「おほきみ」が巡幸してゆくようになったのかもしれない。
また、「おほきみ」はそうかんたんには交代せず死ぬまで続けることができるから、その方が民衆にとっても都合がよかった。
というわけで、地域ごとの「きみ」の上にひとりの「おほきみ」が君臨する制度になっていった。
人々はこの組織にというか「おほきみ」に捧げものをしていった。そうして、祭りのためのさまざまな用具などが「おほきみ」から下賜されていったし、地域内や地域どうしの連携やトラブルは、この組織が「おほきみ」の名のもとに調整してゆくことになっていった。
こうして、少しずつ支配と被支配の関係のヒエラルキーがつくられていった。
そしてこの組織の中から、支配政治に目覚めるものがあらわれてきた。
人々は争って捧げものをし、捧げものが多い地域が優遇されるとか、そういうこともあったのだろうし、朝廷内にも地域ごとの分担ができていった。そしてその担当は地域の出身者が当たったのだろうし、そういうものたちが地域の豪族になっていったのだろう。
で、後世の豪族たちは、自分は昔からこの地域に君臨していたという話をつくってゆく。三輪王朝があっただの、葛城王朝があっただのと。
歴史の文献なんか、いつだって後付けでつくられたものばかりだ。小林秀雄は「文献に執着するものは文献につまずく」といったが、あとからつじつま合わせのために書かれたものをそのまま鵜呑みにすることはできない。
天皇が最初から男だったという歴史文書だって、おそらく全部あとからのつじつま合わせだ。
「きみ」と呼ばれた起源としての天皇は、少女たちの舞の中から生まれてきた。こんなことをいっても突拍子もないことと思われそうだが、人間という生き物の生態の根源に照らし合わせてそういうことは起こりうるのだ。
支配者が存在しなかった縄文時代が1万年も続いた直後の時代に、すぐに支配者があらわれてくるはずがないじゃないか。そしてそんな縄文時代が1万年も続いたということは、支配者が生まれにくい土地柄だったということなのだ。
人間の支配と被支配の関係はどのように生まれてくるかということは、現代社会を生きるわれわれの問題でもある。家族だろうと学校だろうと職場だろうと国家だろうと、そういう軋轢の中で得をしたり損をしたり精神を病んだり出会いや別れが起きたりしているではないか。



天皇は最初「きみ」という思春期の少女で、やがて「きみ」の庇護者の「おほきみ」が天皇になり、そのあとに権力争いの都合で男を天皇にするようになっていった。
蘇我氏物部氏など、天皇に寄生する古代の権力者たちは、天皇の崇拝競争をしていて、それに勝ったものがより大きな権力を手にした。そのためのもっとも有効な方法は、自分の親族を天皇のセックスの相手に差し出すということだった。天皇が気に入ったセックス相手を差し出したものが権力争いの勝利者になる。
そのとき女が天皇であれば、権力者の息子とかの男を差し出すことになる。しかし男であれば、その男が権力者の上に立ってしまい、その時点で権力者は引退しなければならなくなる。
だったら、天皇を男にしてしまったほうがいい。天皇は権力者が操る存在であるという習俗はすでに確立しているのだから、天皇は男でも権力者の権力を脅かすことはない。
天皇を男にし、その天皇に女を差し出して夫婦にすれば、権力者はその夫婦の上に立っていられる。男=息子と違って女=娘は、権力者のライバルにはならない。
なんだか知らないが、そういう権力闘争の末に男を天皇にするようになっていった。儒教道徳の「男尊女卑」とか「女は穢れた存在である」というような思想もだんだん広がっていったのだろうし。
日本書紀には、「昔は女を虫けらのように扱う天皇がいた」というような記述があるそうだが、それだって天皇が男であるということを既成事実にしてしまう役割を果たしていたのだろう。
そしてそのとき民衆はもう、天皇が男でも女でもどちらでもよかった。天皇がこの世に存在するということ自体が民衆の連携結束の形見になっていた。いいかえれば、だから権力者は平気で天皇を男にしてしまった。



問題は、「天皇は清浄な存在である」という合意がいつの間にか民衆のあいだでつくられていったということだ。
「神」という合意ではない。
いや、最初から天皇は、「清浄な存在」として祀り上げられていたのだ。その舞が美しいということは、「清浄な存在」であるということだ。そして「清浄な存在」とは、身体がからっぽの「空間の輪郭」になっている、ということだ。
「姿」とは、心も肉体もつまっていないからっぽ(=空間の輪郭)のまっさらな身体のこと。もちろんそこには「霊魂」すらも宿っていない。天皇は、最初からそういう「からっぽ」の存在だった。したがって天皇が権力を持つことは、それ自体みずからの存在の根拠を否定することでもある。
権力者が天皇を操ることは、それ自体が天皇天皇たらしめていることでもある。
天皇の歴史は、権力者としてはじまってだんだん象徴的な存在になりながら生き延びてきた、というのではない。ときどき権力者であろうとする天皇があらわれても、そのつど時の権力者から「あなたはそういう存在ではない、じっとしていてくれ」と退けられなだめられてきたのだ。
そして権力者だって天皇がそういうつもりになるのなら天皇なんか抹殺してまえばいいのに、権力者にとっても、天皇の存在がみずからの存在のよりどころになっていた。彼らの本能は、天皇を崇拝し天皇に寄生してゆくことにある。
なんにせよ、「からっぽの身体」になろうとすることは、生き物の生きるいとなみの根源のかたちなのだ。そういう契機のもとに天皇が生まれ、現在まで天皇制が引き継がれてきた。
「からっぽの身体」には、肉や骨や心どころか、霊魂すらも宿っていない。人間には、そういう「まっさらの身体」を祀り上げようとする衝動がある。
生き物は、そのようにして身体を「非存在の空間の輪郭」として扱いながらこの生をいとなんでいる。それを、この国の人々は「姿(すがた)」といってきた。
日本列島の住民は、天皇をそういう「姿」の持ち主として祀り上げてきた。



「すがた」の文化。
語源研究では、「す+かた」と解釈されているらしい。「形」の「かた」。「かた」という言葉に「す」をつけたのだとか。ではなぜ「す」をつけたのかというと、これはよくわからないらしい。たんなる接頭語だという。
こんないい加減な説明でいいのだろうか。
「す」は、「擦る」「済む」「透く」の「す」、すなわち「からっぽになる」ということ。あくまで輪郭だけで中身はからっぽのかたちを「すがた」といった。ただの「かた」ではなく、あくまで「す」の状態になっている「かた」のイメージがあった。
ただ「かた」というだけはすまない感慨があったのだ。
そういう「清浄」な「かた」のことを「姿(すがた)」といった。
われわれ現代人だって、「姿(すがた)」というとき、何か「かた」というだけではすまない清浄なものをイメージしている。そういう歴史の無意識がはたらいている。
あるいは「すが+た」である可能性もなくもない。
「すが」は、「すがすがしい」の「すが」、まさに「清浄」ということ。「た」は「足る」「立つ」の「た」、すなわち「存在」。
こちらの解釈でもやはり、「姿(すがた)」は「清浄な存在」ということになる。いずれにせよ、「清浄だなあ」という感慨が胸に満ちてきて、「すがた」というこ言葉が生まれてきたのかもしれない。
「姿(すがた)」には、霊魂など宿っていない。そういうあくまで「からっぽ」の「姿(すがた)」を思う文化が、この国の伝統的な風土としてある。



「霊魂」の存在を感じることは人間の本性か?
おそらく現代人なら、そういう心の動きは誰の中にもある。われわれはすでにそういうものを感じてしまうような社会の中に置かれてしまっている。
まあ、他人も自分自身も支配して生きてゆきたい人は、霊魂の存在を誰よりも強く感じることだろうし、自分が何者かに支配されていると感じるときも霊魂の存在と出会ってしまう。
誰もがそういう「支配と被支配の関係」に投げ込まれている世の中だし、夢はかなうなどといって「作為性」が幅をきかせている世の中だ。
避けがたく人は霊魂を感じてしまう。
それでも人間は、その一方で、生き物として、霊魂などつまっていないからっぽのまっさらな身体のイメージをどこかに宿しながらこの生をいとなんでいる。
スピリチュアルだかなんだか知らないが、現代人は、霊魂の存在を感じて喜んだりうろたえたりしている。それは、この社会の制度性に浸食された支配欲(作為性)や被害妄想のなせる現象だろう。そういう心を持っていることが悪いというのではない。誰だって持たされてしまう世の中だ。ただ、そうやって霊魂の存在を信じれば偉いわけでもなんでもないし、それが人間の本性でもない、と僕はいいたいのだ。
そうやって自分の中の支配欲や作為性で自分の胸を突き刺して精神を病んでしまう人がたくさんいる。
世の中には、霊魂という概念を上手にもてあそんで成功してゆく人もいれば、そんなものにとらわれて自分で自分を追い詰めてしまう人もいる。
現代人には、みずからの支配欲や作為性を満足させる霊魂という概念が必要なのか。霊魂の存在を肯定することは、支配欲や作為性を肯定することだ。その支配欲や作為性で成功する人もいれば、それによって追い詰められ苦しんでいる人もいる。
彼らは、世の中の悪人や悪魔が自分を追い詰めている、という。彼らは、霊魂に追い詰められている。
人と人の関係は、追い詰め追い詰められる関係として成り立っているのか。それは、人間の支配欲や作為性を肯定することであり、霊魂の存在を肯定していることだ。
確かに文明社会にはそういう構造があるのだが、それでも人はそういう関係を忘れて無防備に他愛なく人にときめいてゆく一面も持っている。どこかしらに、誰も支配しようとしないし、誰からも支配されていない心を持っている。
一概にはいえないのだろうが、精神を病む人ほど霊魂の存在を確かに感じているという傾向がありはしないだろうか。彼らは、人間の支配欲や作為性に呑み込まれている。他人の支配欲や作為性が怖いということは、自分の中の支配欲や作為性を確かに感じているということであり、みずからの身体を支配し操っている霊魂の存在を確かに感じているということだ。
あなたを苦しめているのは、あなた自身なのだ。あなたの霊魂があなたを追い詰めているのだ。あなたが他者を裁いているから、あなたもまた他者から裁かれねばならない。勝手に他者から裁かれていると思ってしまう。
他人を裁くその視線によって、自分が裁かれている。他人は自分に悪意を持っているとか、自分を監視しているとか、他人は自分のものを盗もうとしているとか、そうやって他人を裁くことばかりしているから、めぐりめぐって自分が苦しまないといけなくなる。
みずからの支配欲や作為性で生き、霊魂の存在を信じている人は、「敵か味方か」をきちんと見分けられるようにならないといけない、という。
社会的に成功している人はそれで上手く生きてゆけるのだろうが、上手く生きることに失敗した人は、人を敵と見るみずからのその心に押しつぶされ、ときには世の中のすべての人が敵のように感じてしまったりする。
「人間は自尊感情を大切にしなければならない」と誰かがいっていた。しかしその自尊感情が、他人を悪人や悪魔に見てしまうのだ。成功した人は自尊感情で生きられるが、できなかった人は、その自尊感情で自分を追い詰めてしまう。
成功した人は、「敵か味方か」を見分ける能力が人間を見る能力のようにいう。
そうじゃない、人間には、「敵か味方か」を見分けようとすることそれ自体を忘れている心の動きがある。そういう生まれたばかりの子供のような無防備な心を失ったところで人は心を病んでゆく。
いつも「敵か味方か」と選別し続ける緊張感の連続に、人はどこまで耐えられるだろう。人間の心は、猿と違って、そういう緊張の連続には耐えられないようにできている。
原初の人類が二本の足で立ち上がったことは、そういう緊張を捨てる体験だったのだ。
人間は、みずからの身体を、肉も骨も心も霊魂もつまっていないからっぽの「空間の輪郭」としてとらえる心の位相を持っている。そうしてこの世界も他者も、ただの「画像=姿」として見てゆく。その「画像=姿」こそ美しいと感じる。
「敵か味方か」と選別することを忘れている状態、これが「みそぎ」の体験である。



根源において人は、他者の肉も骨も心も霊魂も問うていない。「あなた」は「あなた」であればそれでいい……それが他者をからっぽの身体の「画像=姿」として見る態度であり、そういう「みそぎ」の体験の形見として、この国では2千年のあいだ天皇が祀り上げられてきた。
天皇天皇であればそれでいい、と。
まあそれが、原始人の人と向き合う作法だった。
誰にだって「あなた」は「あなた」であればそれでいいという視線はあるし、それがこの国の文化の基底になっている。
この国には、霊魂の存在を感じる伝統はないし、それがそのまま原始人の心だった。
霊魂の存在を感じている心が、「敵か味方か」を選別する。現代人なら誰だってそんな心の動きはある。しかしそれと同時に、誰だってそんなことを忘れて無防備にときめいてゆく原初的な心も持っているのだ。
古代以前の人々は霊魂を信じる生命観を持っていただなんて、世の歴史家のそんな陳腐な解説はやめてくれよと思う。
この国には霊魂を発想する伝統などない。古代以前の人々は、霊魂など知らなかった。
この社会に支配欲や作為性が充満してきて、霊魂という概念が生まれてきたのだ。
感じたい人は勝手に感じていればいい。それで成功する人もいれば、苦しむ人もいる。人間が霊魂を感じてしまう世の中だ。
それでも人は、からっぽのまっさらな身体のイメージを持っているし、それが美意識の基礎になっている。
すべての身体の動きに、「身体が勝手に動いてしまう」という動きがともなっている。この身体は、人間の支配欲や作為性だけで動いているのではない。そうでなければ、「直立二足歩行」も「踊り」も生まれてこなかった。それが「あなたはあなたであればそれでいい」「天皇天皇であればそれでいい」という視線なのだ。
それは、霊魂など知らないまっさらな身体の視線である。自分の中にもそういう視線がはたらいていることを感じることができなければ、あなたの精神はますます病んでゆかねばならない。
他人を「敵か味方か」と選別ばかりしていないと生きられない世の中かもしれないが、それでも人は、そんなことをすっかっり忘れている視線を持っている。
「あなたがあなたであればそれでいい」、「天皇天皇であればそれでいい」、と。
そういう霊魂などつまっていない「からっぽの身体」を人は持っている。
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