美しい姿の「きみ」・「天皇の起源」67


起源としての天皇は、政治的な支配者だったのでも呪術的な存在として君臨していたのでもない。
おそらく起源としての天皇弥生時代の後期に生まれてきたのだろうが、そのころに王朝政治も呪術も存在しなかったはずである。
天皇が世界のどこにでもいる王=支配者と同じように登場してきたのなら、世界のどこにでもあるのと同じように、べつの王にとって代わられただけだろう。
天皇はあるとき王=支配者として民衆の前にあらわれたのではない。民衆が天皇として勝手に祀り上げていったのだ。だから民衆はいつまでも天皇を手放さなかったし、その時々の支配者も民衆のひとりとして天皇を手放すことができなかった。
世界史は、「王殺し」の歴史だともいえる。
しかしこの国では、どの支配者も天皇を殺すことができなかった。天皇は王=支配者という存在ではなかったからだ。まあ彼らにとって天皇は、神のような存在(=神の依り代)だった。
神を殺すことは、みずからの存在の基盤を失うことだ。
では、民衆にとっても天皇は神だったのかというと、そうではない。この国の民衆は、権力者のようにこの世界のヒエラルキーのようなものはイメージしていないし、ヒエラルキーのない世界の形見として天皇を祀り上げていた。権力者と民衆では伝統的に天皇に対する意識の位相が違う。そういう二重構造になっている。ここがややこしいところだ。
民衆は、みずからの存在の基盤など欲しがっていない。みずからの身体を「からっぽの空間の輪郭」にしてというか、誰もが自分を捨てて他愛なくときめき合うことができる社会の形見として天皇を祀り上げてきた。
支配者(権力者)層はみずからの存在の基盤として天皇を必要とし、民衆は存在の基盤(=身体の物性)などというものを忘れてしまうために天皇を祀り上げてきた。そういう二重構造で現在まで天皇制が存続してきた。
伝統的に天皇に寄生してきた支配者と、他愛なく天皇を祀り上げてきた民衆の思いは、みずからの存在の基盤に対する意識の位相が逆転している。実存感覚というか、身体感覚というか、ここのところがややこしい。
支配者にすれば、民衆から天皇を取り上げたら民衆を支配することが困難になるし、支配者自身も、天皇がいなくなることになんとなくみずからの生の基盤を失うような不安が無意識としてあったのだろう。
支配者は支配者だから、この世界のヒエラルキーというようなことを考える。そのとき、自分が頂点に立つことはなんとなく落ち着かなかった。誰だって親から生まれてくるのであれば、この世界をつくり自分をつくった存在がいなければ落ち着かない。
自分が存在するということは、自分をつくった存在がいるということだ……この世界をヒエラルキーとしてイメージしているものは、そう考える。自分をつくったこの世界の頂点に立っている存在がいなければ、自分が存在することの基盤を失う。
人間は、この世界のヒエラルキーの頂点に立つことはできない。それは、自分が存在することの基盤を失うことだ。
この世界をつくった存在がイメージできなければ、この世界が存在することの信憑が揺らいでしまうし、自分が存在することの基盤も失う。彼らには、そういうそういうヒエラルキーの頂点の存在がどうしても必要だった。
西洋には、この世界をつくった「神」が存在する。だから支配者は、安心して社会のヒエラルキーの頂点に立てる。
しかし、この国にはそのような「神」が存在しないから、自分が社会の頂点に立ってしまうと、とたんに自分が存在することの基盤を失っている心地になる。
この国の支配者には、神の「依り代」としての天皇の存在が必要だった。天皇がいなければ神をイメージできなかったし、神がイメージできなければ、この世界の存在に対する信憑も自分の存在の基盤も危うくなった。
この国で「この世界のヒエラルキーの頂点=神」をイメージしようとすると、どうしても神の「依り代」としての天皇が必要だった。
支配者にとっては、天皇が、というより神が必要だった。この世界をつくった存在が必要だった。
では、この世界をつくった存在は必要か?
そして、みずからの存在は確かでなければならないのか?
確かでなければならない、と思う人たちがいるらしい。
ほんとうに確かかどうかなどわからない。われわれは確かだと思いながら生きている、というだけだ。確かだと思っているだけで、ほんとうに確かかどうかなどわからない。
この世界も自分のこの身体も、ほんとうに存在するのかどうかわからない。そして人は、存在するという意識と、そんなことを忘れている「非存在」の意識とのあいだを往還しながら生きている。
怪我や病気をしたり腹が減ったりしたら、身体の物性ばかり気になる。
しかし、健康で身体がスムーズに動いているときは、身体の物性のことは忘れて、身体は「空間の輪郭」のように扱われている。何かに夢中になったり他者にときめいたりしているときは、自分(の存在)のことなど忘れている。
自分(の存在)のことなど忘れているときほどこの世界は確かに感じられている。
まあ、感じているだけだが。
ともあれ、みずからの身体がからっぽの「空間の輪郭」になっているような心地の上にこの生のいとなみが成り立っている。そういう心地になることを、この国では「みそぎ」という。
したがってこの国の民衆は、この世界のヒエラルキーなどイメージしなかった。みずからの存在の基盤を確かにすることより、存在の基盤を忘れたかった。「からっぽ」の身体になりたかった。みずからの存在は「けがれ」だった。みずからの存在の基盤を思うよりも、そんなことを忘れて世界や他者にときめいていたかった。そういう思いの形見として、天皇を祀り上げていった。
それに対して支配者は、この世界のヒエラルキーの頂点に神を置きつつ、みずからはこの社会のヒエラルキーの頂点に立っている。彼らは、みずからの存在の確かさ担保する対象として、この世界をつくった神を必要としてきた。
ヒエラルキーの意識が、支配者の生のよりどころになっている。
われわれの身体がからっぽの「空間の輪郭」になっているとき、その「非存在」の身体は、この世界のヒエラルキーには属していない。自分など忘れてしまっている。そうして、ひたすら世界や他者にときめいている。



みずからの身体が「非存在」の「空間の輪郭」になっているとき、この世界の神もこの身体の霊魂も存在しない。まあ、神や霊魂が存在するかどうかということなどどうでもいい。僕は、神や霊魂が存在しないといっているのではない。原始人は神や霊魂など発想しなかったし、そういう心はわれわれ現代人の中にも残っている、といいたいだけだ。
べつに神や霊魂が存在すると発想すれば偉いわけでも心が清らかだというわけでもあるまい。
人は、神や霊魂が存在すると思う心とそんなものを忘れている心の両方を持っているし、存在することに執着する人たちと存在することを忘れたがっている人たちがいる。
この世界に支配者と被支配者がいてこの世界のヒエラルキーをどうしても意識してしまう社会に誰もが投げ込まれているのであれば、神や霊魂が存在するという意識から逃れることは困難だろう。
人生における支配と被支配の関係は、生まれたときからすでにはじまっている。他者を裁くということは、ヒエラルキーの意識だ。そのとき人は神を意識し、神の代理になっている。
しかしそれでも人は、神も霊魂も思わない「非存在」の心の位相を持っている。それが、世界や他者に「ときめく」という体験である。そして古代以前の人々がそういう心の動きを豊かに持っていたと想像することは、それほど難しいことではないだろう。
古代以前の社会の形態や起源としての天皇を問うに際して、そのころの人々がどんな世界観や生命観や身体観で生きていたかと想像しても無駄ではあるまい。
現代人の物差しで政治や経済を語ればそれですむのか?「天皇は古代社会の王=支配者として登場してきた」だの、「初期の大和朝廷は地方の豪族の連立政権だった」だの、あるいは「呪術的存在だった」だの、まったくそんな低俗な空想はやめてくれよ、と思う。
古代以前の天皇は「大王=おほきみ」と呼ばれていたからといって、その「おほ」は語源において「大」という意味だったかどうかはわからないのである。それは「大旦那」とか「大奥様」とか「大御所」というのと同じで、「きみ」の親とか庇護者とか、その地位を引退した人だとか、そういうニュアンスで「おほ」といっていただけかもしれないのである。そういう言葉の使い方ををする伝統があるのだ。
「おお」といってのけぞる。そういうニュアンスの言葉である。「大潮(おおしお)」とは、潮が大きく「後退」して遠くまで陸地が見える状態のこと。「大山(おおやま)」とは、大きい山のことではなく、遠くに見える山のこと。「おおきに(ありがとうございます)」というときは、相手に敬意を表して一歩引きさがっている気持ちを表している。
古代人がどのような感慨で「おほ」といったのか、かんたんに「おほ=大」と決めつけてもらっては困る。
そして「きみ」が「王」という意味だったかどうかということもわからない。後世の支配層がそういう当て字をしてそういう意味につくり変えてしまっただけなのだ。「きみ」の語源は「めでたくありがたい姿」として民衆の祀り上げてゆく心から生まれてきた言葉である。べつに「支配者」という意味だったのではない。
支配者だから「めでたくありがたい姿」だと思ったのでもない。ようするに美しかったからだ。「めでたくありがたい」とは「美しい」ということ。「き」という音韻には、「美しい」とか「完全」というニュアンスがあった。だから「貴」という字を当てたりする。
「み」は「姿」。やまとことばの「み」は、必しも身体(ボディ)だけを意味しているのではない。なぜなら、身体は「非存在の空間の輪郭」である、という意識があるからで、その「非存在の空間の輪郭」こそ「姿(すがた)」なのだ。
「大王(おほきみ)」と呼んでいたから支配者だったとはいえないのだ。
最初は「きみ」が天皇だったが、やがて「おほきみ」が天皇になっていった。そのあたりの歴史的ないきさつはこのページでも以前に考えたのだが、それはもういい、とにかく「美しい姿」を持っている存在が起源としての天皇だったのだ。
そういう「美しい姿」を持っている存在を人々はなぜ祀り上げずにいられなかったのか?
それは、政治や経済や呪術(アニミズム)の問題ではない。祀り上げずにいられないほどにわが身の「けがれ」を自覚していたからであり、純粋な身体感覚の問題として「美しい姿」を祀りげずにいられない美意識を持っていたからだ。
その「美しい姿」とは、「けがれ」をそそいで「みそぎ」を果たしている姿のことだ。
弥生時代奈良盆地の人々は、祭りの場の踊りに、「みそぎ」のかたちを表現しようとしていった。そしてその「みそぎ」がもっとも鮮やかに表現されている姿を持った存在を「きみ」と呼ぶようになっていった。
これが、おそらく「天皇の起源」だ。
起源としての天皇は、弥生時代奈良盆地の民衆による祭りの場から生まれてきた。
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