死の床の作法・「天皇の起源」57


霊魂=たましい=スピリチュアル。
この「霊魂」という言葉のいかがわしさは、ずっと気になっている。
しかし、近ごろの終末医療ターミナルケア)では、霊魂を信じることが患者に安らぎをもたらすといわれているらしく、積極的にその概念を止揚してゆこうとする傾向が世界的にあるのだとか。
患者にそれを信じ込ませるためには、ケアする側も本気でそれを信じていなければ相手の心に届かないだろう。
何だか恐ろしいことになっているなあ、と思う。
いまのところ霊魂の存在は、科学的には証明されていないはずだ。証明されてから信じるのならともかく、その前からすでに科学者である医者も含めてみんなして信じてしまっているなんて、何か変ではないか。
まあ、すでに証明されている、といっている人はたくさんいるのだが、誰にでも通用する論理ではない。
信じていない人はたくさんいるし、じつは誰の中にも信じていない心が潜んでいる。
古代以来、いつまでたっても信じられない思いが人の心に残り続けているから、いつまでたっても説得し続けていかなければならない。
霊魂を信じると安らぎが得られるということは、霊魂を信じないと安らぎは得られないということである。そしてほんとうは、誰もがどこかしらで信じていないのだ。
誰もがどこかしらで信じていないのに、信じないと安らぎが得られないからなにがなんでも存在することにしてしまおうとしている。
安らぎが得られるのならけっこうなことだが、その境地にたどりつくまでは誰もが悪あがきしないといけないのか。
霊魂などという言葉は、何千年も前の古代エジプトの時代からあった。それでもなぜ誰もが当たり前のようにそれを信じることができる世の中にならないのか。
それは、説得されてはじめて信じることができるようになるものなのだ。人類はもう、そういうことを何千年も繰り返してきたのであり、いつまでたっても説得されないと信じることができないものであり続けている。
だから、いつまでたっても宗教がけっこううまみのある商売であり続けている。
霊魂という言葉は当たり前のように流通していて、人々は観念的にはひとまず霊魂があることを前提にものを思ったり考えたりしているのに、心の底のどかでそれを信じていない。
神がこの世界をつくった……らしい。
霊魂が体や心のはたらきをつくっている……らしい。
この世界やこの生をつくり支配しているものがある……らしい。
この世界は、この世界をつくったものがあるから存在しているのか。
つくる=支配する=権力、人類は歴史のある段階で権力に目覚めた。
つまり「霊魂」という概念は、人類の権力意識から生み出されてきた。
それは、存在するのではない。存在する、と説得されるたんなる概念である。
それは、存在すると考えることは可能だが、存在すると証明することが不可能な、たんなる「概念」である。
かんたんに「不可能」などというべきではないという意見もあるが、まだ科学的に証明されていないということは、いまのところ「不可能」というしかないだろう。可能だと考えることは可能だが、「不可能」という現実の中に置かれている概念なのだ。
あたりまえに考えて、素直に考えれば、生まれたばかりの子供のような心になってみれば、それが存在するという実感など持ちようがないのだ。
ただ、存在すると考えることは可能だというだけのこと、存在すると証明することも実感することも不可能なのだ。
だから、説得されないと「存在する」と信じきることはできないし、宗教がうまい商売になる。
「霊魂」という概念は人類の権力意識から生み出されてきたし、説得するという権力がなければ成り立たない。
つまり、終末患者は霊魂という概念を信じることによって安らぎ得る、などということばかりいっていると、人と人のあいだが権力関係ばかりの世の中になってしまう、ということだ。
あなたたちはそれでいいのか?
僕は、そんな世の中を想像すると、寒気がする。
宗教とは、神に説得され神に支配されることだ。
人が人を支配し説得することばかりしている世の中が、そんなにいいのか。
誰かが誰かを支配し説得し、誰かが誰かに支配され説得される……そんな関係ばかりの世の中が、そんなにいいのか。そんな世の中から「霊魂」という概念が生まれてきた。
原始人の自然でのびやかな心から生まれてきたのではない。
霊魂を信じることは、人間性の自然ではない。文明人がつくりだした方便にすぎない。
いまどきはそういう欺瞞が通用する世の中だからそれでもいいのかもしれないが、それが人間性の自然だといわれたら困る。
宗教者はそれが人間性の自然だといい、多くの人がその言い草に説得されている。残念なことだが、そういう社会の構造になっている。
霊魂の存在を感じる……なんて、薄汚い権力欲なのだ。清らかな心や子供の純粋な心がそんなものを感じるのではない。
霊魂という概念を信じた方がこの社会で生きてゆくのにも死んでゆくのにも都合がいいのかもしれないが、それでもそれは人間性の自然ではないのだ。



あなたは、霊魂の永遠を信じて微笑みながら死んでゆきたいか。
死を前にすれば、みんなと別れるのはかなしいしさびしい、という思いは持つだろう。そしてその思いは、生き残る側にだってあるにちがいない。
人が死んでゆくことは、何はともあれそういう「別れ」ではないのか。
まあ仏教では煩悩が消えて真理を悟りながら死んでゆくことを「寂滅」とか「涅槃」といったりして、個人の人格を完成させることが死んでゆく作法らしいが、日本列島ではあくまで人と人の関係としての「お別れ」をすることが伝統的な死んでゆく作法になっている。
つまり仏教では霊魂にまとわりついている俗世間の垢を洗い流し霊魂を携えて死んでゆくわけだが、日本列島では心を支配する霊魂ではなく裸の心そのものを携えて死んでゆく。
霊魂は個人の人格としてあるが、心のはたらきは人と人の関係から生まれてくる。
霊魂という概念はまあ自我=心を支配する超自我の産物で、霊魂を信じて死んでゆくとはつまり、自分のことを思って死んでゆくことだ。それに対して日本列島では、人のことを思って死んでゆく。
いまどきは自我を支配する「超自我=霊魂」に満足(安らぎ)を与えて死んでゆくのが流行らしいが、日本列島の伝統においては、そうした「自分」を消して人を思いながら死んでいった。
これは「もののあはれ」である。「別れ」は、「もののあはれ」である。「もののあはれ」とは、「別れ」の感慨を止揚する美意識である。
日本列島の伝統においては、死んでゆくことは、霊魂を完成させることではなく、人と人の「別れ」なのだ。
西洋人は、良くも悪くも自我=心を支配する「超自我」しっかり持っているから「霊魂を信じる」という死んでゆき方が有効なのだろうが、日本列島の住民がそれをまねすると中途半端になってしまうおそれはないのだろうか。
無常観とは、未来を思わない心である。「霊魂を信じる」とは死んだあとの自分を思いながらその「霊魂の永遠」に安らぎを見い出してゆくことなのだろうが、日本列島のの無常観においては、死んだあとの自分のことなどわからないのだから、ひとまず自分を消して死んだあとの自分のことは思わない。
自分を消すことは、何も思わないことではない、人のことを思うことだ。それを「もののあはれ」という。「別れ」を思うことを「もののあはれ」という。「別れ」の悲しみやさびしさから「自分を消す(忘れる)」というカタルシスを汲み上げてゆくことを「もののあはれを知る」という。
人は、「別れ」の場においてもっとも切なく豊かに人のことを思う。だから、縄文以来「別れ」を止揚する文化をはぐくんできた。
死んでゆくことはこの世の親しい人と別れることであり、かなしくさびしくせつないことだ。そう思ったらいけないのか。いっぱいそう思って死んでいったらいけないのか。
お前らみたいな俗物の坊主や権力者にはわかるまい。
まあ、日本列島住民なら、誰だってそういう思いで胸がはちきれそうになりながら死んでゆくのだ。
旅の別れだろうと死の床の別れだろうと、かなしむのがこの国の伝統的な作法なのだ。「グッド・ラック」とか「シー・ユー・アゲイン」などとはいわない。「さようなら(=さようであるなら)」とか「それでは」とか「じゃあね」とか「さらば」とか、胸がつまって最後まで言葉が出てこない思いで別れる。
しかし最近の死の床では、「霊魂の永遠」の世の中になって、「天国でまた会いましょう」というのが最良の別れの挨拶なのだとか。最後の最後はそれでもまあけっこうだが、死の床に着いたものと見舞うものとの関係というのはあるだろう。その最後の関係を生きる作法というのはあるだろう。延命医療が高度になった時代であればこそ、そういう問題がより切実になってきている。
自分を忘れるということは、実際の身体の痛みに耐える方法でもある。自分の霊魂などに執着などしていられない。日本列島の住民は、そうやって自分で自分をねじ伏せてしまうような思考の腕力はない。死の床においてはもう、切なく人のことを思っている存在であるしかないではないか。たぶん、そういう人の顔がいちばん穏やかなのだろう。
特攻隊の兵士は天皇や母親や恋人などの「他者」との「別れ」を思いながら死んでいった。そうやって自分を消して死んでいったのであって、「自分の霊魂の完成」など思わなかった。彼らは霊魂の存在を信じきれない民族だった。
僕は終末医療の現場のことなど何も知らないが、この国において「霊魂の永遠を信じる」という方法論がどれほどの成果を上げているのだろうか。
そしてこの国の伝統や古代以前の歴史を語るのに「霊魂」という概念を持ち出してきた時点ですでに的外れなのだ。
日本列島の住民は「霊魂」を信じきれない民族なのだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一日一回のクリック、どうかよろしくお願いします。
人気ブログランキングへ