「神の国」という嘘・「天皇の起源」56


天皇制の二重構造というのがある。それが問題をややこしくしている。
一般的に「二重構造」というと、たとえば武家天皇側近の公家が権力所有の綱引きしてきたとか、そのように権力の二重構造として語られているのだが、ここではそういうことを問題にしたいのではない。
まあ、公家も武家も一緒になって天皇に寄生しながら権力の綱引きをしてきたわけで、そんなことはたんなる権力闘争としてひとくくりに考えていいと思う。
この国は、権力者が天皇の権威を民衆に押し付けて民衆を支配してきたという面と、民衆自身がこの国の歴史に権力者が登場するよりも前にみずから天皇を祀り上げていた、という面がある。そういう二重構造があるのだ。
民衆は、ただもう一方的に天皇の権威を押し付けられてきたのではない。自分たちの方から天皇を祀り上げてきたという歴史があるのだ。そしてこの祀り上げ方は、天皇に寄生し天皇を利用してきた権力者とはまったく違う位相の祀り上げ方だった。権力者と民衆とのあいだの、天皇との関係の違いの二重構造があった。
権力者は天皇に寄生し天皇を利用しながら天皇を神として崇め、その態度を民衆にも強要してきた。
しかし民衆にとっての天皇は、けっして神ではなかった。
天皇に寄生し天皇をいじくりまわしている権力者が天皇を神として崇め、天皇を触れることのできない他界の存在として見ていた民衆は、天皇をこの世のどこかに存在する「あなた=他者」として祀り上げてきた。そういう二重構造がある。
西尾幹二という右翼の学者は、「天皇は国民を代表して神に祈る存在である」というようなかたちで戦後の人間宣言をした天皇を正当化していった。
天皇は神ではないがもっとも神に近い存在だといいたいらしい。
ともあれ神に祈ることがそんなに偉いのか。神に祈ることは日本列島の伝統的な作法か。そうじゃないのだ。
彼らが民族を語ろうとすると、何かというとすぐに「一神教多神教」という安直な分け方をしてくる。
神との関係は人類史の普遍か?原始社会に神という概念は存在したか?
原始社会に神など存在しなかった。そして神を知らない原始的な心性は現代人の中にも潜んでいるし、そういう神を知らない原始的な心性をそのまま洗練させてきたところに日本列島の文化風土の特殊性がある。
神を知らないことこそ日本列島の文化のアドバンテージなのだ。
ここでいう「神に祈る」とは、天皇家のさまざまな行事のことを指しているのだろう。しかしそんなことは天皇と権力者とのあいだで交わされた約束ごとであって、民衆のあずかり知らぬことである。日本列島の民衆は、もともと神そのものを知らないのだ。弥生時代奈良盆地の民衆は、天皇を「神に祈る人」として祀り上げていたのではない。そのころの天皇はただもう美しく舞い踊る巫女だったのであり、この世の中の他界の清浄な存在だった。そういう美意識で天皇を祀り上げていたのであって、べつに宗教的な対象であったのではない。
天皇が神であっても、神に祈る人でも、神を持ち出してくるところが天皇に寄生しているものたちの常套手段であり、天皇制に反対する左翼もまた、そのようにして天皇が存在していることを前提に語っている。
しかし民衆にとっては神のことなどどうでもいいのだ。原初の天皇は、そういう呪術的な存在だったのではない。天皇を呪術的な存在にしたのも権力者たちである。祭政分離だろうと祭政一致だろうと、この場合の「祭り」が「呪術」であるというのなら、民衆が天皇を祀り上げる理由とは何の関係もない。



民衆にとっての天皇は、権力者にとってのそれとは感慨の位相が違う。権力者にとっての天皇が権力を実現するためにあるとすれば、民衆にとっての天皇は、日常生活の無意識の部分とかかわっている。
まあ「神の国」というくらいで権力者や右翼の天皇崇拝はひとつの宗教なのだろうが、民衆にとっての天皇は伝統的に非宗教的な対象だった。
民衆は、いつも天皇を意識しているわけではないし、拝んでいているのでもない。この世界のどかにいてくれればいい、と思っているだけである。何も拝まないし、何にもすがらない、何も支配しない。この世界やこの生のそういう「なりゆき」のかたちの形見として天皇が存在している。それは、非宗教的だ。
この世界は神がつくったのでも動かしているのでもない、ただもう「なりゆき」があるだけだ……そういう世界観の形見として天皇が存在している。したがって民衆にとっての天皇は「神に祈る人」ではない。天皇は、何にも祈っていないし、何にもすがっていないし、何も支配していない。ただもうこの世界のすべてを「なりゆき」として赦している。
だから天皇を拝んで赦してもらおうというのではない、天皇のように赦す存在でありたいとどこかしらで願っている。願っても俗世間を生きる人間にできることではないが、できる人がひとりくらいはこの世のどこかにいてほしい。まあ、そういう思いを天皇に託している。そういう「無意識」の形見として天皇が存在している。
誰にだって「生きていてくれるだけでいい」と思う対象の一人や二人はいるし、できることなら誰もがそういう思いで向き合える社会であればいいと願う。そういう思いの形見として天皇が存在している。



べつに政治的な権力者にならなくても、権力意識が旺盛なこの国の人間は、伝統的に天皇に寄生してゆく思考をしたがる傾向がある。まあ、三島由紀夫がそのいいお手本かもしれない。
それは、天皇が「赦している存在」だからだ。因果なことに、どうしても天皇のその態度にしがみついてゆく人間があらわれてくる。
西尾幹二先生にしても、どうして安直に「神の国」というような思考をしたがるのだろう。
神の国」といえば人は救われるのか。
天皇は神に祈っているのでも、神でもない。ただもうこの世の他界の存在として、この世のすべてを赦しているだけだ。
神とは世界をつくった存在であり、ひとつの権力である。無限大の超権力である。権力の中に潜り込む安息や満足を知っている人間は、この国を「神の国」であるとすることによって救われるのだろう。
しかしそういう安息や満足を知らない人間や、社会や他者の権力から圧迫を受けている人間は、それは救いにはならない。そしてそういう権力に対してナイーブなこの国の民衆の存在が、権力者の権力意識や選民意識をますます肥大化させる。まあ、そうやって昭和初期の戦争の時代の狂気がつくられていったのだ。
神という権力ほど人間を安心させるものはないと同時に、これほど人間をおそれさせる権力もない。人間は、神という概念を持ってしまったことによって、その両義性を生きるほかない存在になった。
かんたんに「神の国」であれば素晴らしいというものではないのだ。
この国は、権力者にとっては「神の国」で、民衆にとっては「神のない国」である。そういう二重構造になっている。



古事記は、神の物語である。だからそれが日本列島の伝統の基本になっているかといえば、そうではない。そこには、外来の神という概念を持たされた民族がどのようにしてそれと和解してゆくかという必死のやりくりのあとがうかがわれる話なのだ。
古代人らしい素直な神の賛歌だとか、そんなお気楽な話ではない。
神などというものを知らないまま「なりゆき」の作法で歴史を歩んできた彼らは、世界をつくり人間の行動を縛っている神の存在など思いたくなかった。というか、神がそんな存在であるとは思いたくなかった。
だからその物語に登場してくる神々はどれも荒唐無稽で、人々の日常生活を縛る権力的な整合性を持っていない。
だいいち最初の神は、この世界をつくったのではなく、この世界の「なりゆき」であらわれてきただけである。神すらも歴史の「なりゆき」の中に投げ入れてしまおうとする物語なのだ。
そのとき人々は、神という概念を受け入れつつ、神という権力を換骨奪胎していった。そうして「やおよろずの神」というイメージになっていった。それは意図的にそうしたというより、この国の文化的風土しての無意識が知らず知らずそうした物語にしていったのだろう。
この国では、権力者や右翼がいうほどには人々の意識の中に「神」という概念は定着していない。この国ほど「神」という意識が薄い国もない、とさえいえるほどである。
しかし、だから天皇は有名無実かといえば、そんなことはない。神の権力に無頓着な国民性の形見として天皇が存在している、という面がある。少なくとも民衆は、そのようにして天皇を祀り上げてきた。この二重構造がややこしいところである。
ともあれ権力者や右翼のいう「神の国」というイメージなど、天皇制の実質的な伝統でもなんでもない。権力者がその実質的な伝統を捻じ曲げてそういうことにしていっただけのこと。
権力に無頓着なことこそ、この国の伝統的な国民性である。それは、神を知らない民族であり、権力機関としての国家に対する愛着も希薄な民族である、ということだ。



「霊魂」という概念もまた、大陸から伝わったひとつの人間を縛る権力である。
その概念が大陸から伝わったのはおそらく古墳時代大和朝廷の成立以後ののことであるが、大陸ではすでに権力によって社会や人間関係が成り立っている意識になっていた。
人間は、どのようにして霊魂という概念を発見したのか。
ある人はこういう。霊魂という言葉や概念を知らない原始人だって、自然の鳥や雲や木に漠然と「何か」が宿っていることを思うだろう、そこから原始人や未開人の「精霊」というイメージが生まれてきた、と。
なんだかもっともらしいが、こんなことはまやかしだ。現代人がそう思うからといって、原始人もそうだとはかぎらない。
「何かが宿っている」と思うのは、「何かが宿っている」という思考をすでに持っているからである。
「何かが宿っている」、すなわち人間の体には霊魂が宿っているということ。死んでも霊魂だけは残るとか、そういうイメージを持ってしまったから、自然の鳥や雲や木に「何かが宿っている」ように思えてくるようになったのだ。そうでなければ、そう思いようがない。
まず、自分の体に何かが宿っている、と思ったのだ。それはもう、すでに霊魂を発見している。そうしてこの霊魂は自分の心を支配しているわけで、自分の心を支配している何かがある、と思った。
森の木には精霊が宿っているだなんて、ただ森の木を擬人化しているだけのことじゃないか。原始人がそんな思い方をしたはずがない。原始人にとっての森の木は、森の木以上でも以下でもなかった。
いまどきの男は、女を前にして、美人かどうかとか、恋愛やセックスの経験は豊富かどうかとか、この女は口説けそうかどうかとか、さまざまに吟味してゆく。これが、「宿っているもの」を見る視線である。
人類は、あるときからそういう過剰な自意識を持ってしまった。
しかし、子供や赤ん坊は、お母さんに対してお母さんであること以上のことは問わない。お母さんはお母さんであればそれでいい。お母さんに「宿っているもの」など問うていない。
森の木に精霊が宿っていると思うことは、森の木を支配している精霊が宿っている、と思うことだ。
現代人は、人と人が支配し合う世の中を生き、自分で自分を支配して生きているから、そういう心の動きになってくる。そうして鳥の中にも鳥の動きを支配している何か(=霊魂)が宿っているのだろう、と思うようになってゆく。
7千年前ころに共同体(国家)が生まれ、支配という関係を持ったことによって人類は、心や体を支配している霊魂という概念を持つようになっていった。そしてその観念性は、たちまちアフリカやアマゾンの奥地まで伝播していった。人間の世界では、そういう「伝播性」と「棲み分け」という両極端の生態がダイナミックに起きる。そうやって原初の人類は地球の隅々まで拡散していった。
現在の未開人も霊魂という概念を持っているのであって、それは原始人の心の動きだとはいえない。
また、人と人が殺し合うようになったということもあるかもしれない。あるときから人類は、そうやって人の命を支配してしまうことを覚えた。その延長で、自分の命を支配している霊魂の存在を感じるようになってきたのだろうか。
なんにせよ、この世界をつくった神、というイメージを持てば、自然にこの命を支配する霊魂というイメージになってゆく。
「何かが宿っている」という意識が人間に先験的にそなわっているはずがない。それはべつに純粋で清らかな心でも、原始的な心でもない。支配制度の観念にまみれた文明人のいわば権力意識から発想されている。
原始人は、この世界を支配する神もこの心や身体を支配する霊魂も知らなかった。
空を飛んでいる鳥を生まれたばかりの子供のような心で眺めれば、「何かが宿っている」などと思うはずがない。
鳥は鳥であって、自分ではない。鳥はまるごと鳥である。現代人は、この視線を喪失している。
「あなた」は「あなた」である、それ以上でも以下でもないという視線、それ喪失てして、「あなた」にまつわるさまざまなものを忖度してしまう。子供も原始人も、そんな「宿っているもの」など思わない。「あなた」を「あなた」と見、鳥をまるごと鳥と見ている。



原始人は、「霊魂という権力」など意識しなかった。現代人はそういう「清浄」な視線を喪失しているし、原始神道の「清浄」という概念は、「神」も「霊魂」も存在しないところから生まれてきた。
たとえば、「精霊」に当たるやまとことばはあるだろうか。それがないということは、縄文人弥生人は「精霊」など知らなかったということを意味する。知っていたら、言葉にする。べつに言葉の発達が大陸よりも遅れていたわけではない。
今でも「悪霊」とか「死霊」とか「幽霊」とか「霊」のつく言葉はたくさん残っていて、それらに相当する日本語(やまとことば)がない。原始的な心性を洗練させてきた日本列島には、もともと「霊」などという概念はなかったし、「霊」という概念のやまとことばをつくろうともしなかった。
古代人は「たま」という言葉にとりあえず「霊」という文字を当てたが、そのときの「たま」とは「恩恵」あるいは「邂逅」というような「ありがたさ」とか「めでたさ」の感慨を込めた言葉であって、「霊魂」のことではなかった。彼らは、「たま」に「霊」の字を当てても、霊のことを「たま」とは言わなかった。霊のことは霊といった。
古代人のいう「みたま」とは天皇や神のような存在の「ありがたさ」のことであって、「霊魂」という意味ではなかった。
つまり日本列島では、「心を支配する霊魂」に対する意識はなく、「心(感慨)」そのものを直接意識していたのであり、これが原始人の作法である。だからやまとことばは、意味以上に感慨の表出の機能に重きが置かれていた。
人間の意識に霊魂という概念が生まれてくることは、現代人が考えるほどかんたんなことではない。霊魂を見つけ出すのは制度的な権力意識であって、原始的な心性ではない。
人類は、「神」や「霊魂」という概念を持ってしまったことによって、生そのものが権力の圧力を負ってしまっている存在になった。現代人のストレスの大部分は、そこにこそある。
まあ、「神の国」なんか素晴らしくもなんともないし、「神の国」でないことこそこの国の伝統なのだ。
ほんとうに「神」や「霊魂」という概念で人が救われるのか。それは、人間の権力意識が生み出した概念である。文明人の生は、そういう概念が持っている権力性におかされている。文明人は、無意識のところですでに「神」や「霊魂」という概念とコンタクトしてしまっている。
権力者は権力を持つことの高揚感や権力の庇護のもとに潜り込んでゆくことの安堵を本能的に知っている。しかしそれは、心が権力におかされていることでもある。
民衆は、心にそうした権力性がまとわりつかない生のかたちを止揚してゆく文化をはぐくみながら天皇を祀り上げてきた。それが、原始神道における「清浄」という概念であり、それは、権力者や右翼が説く天皇制とはまったく別のものなのだ。
天皇は権力者の権力意識から生まれてきたのではない。弥生時代奈良盆地の、権力意識を持つまいとする民衆の願いの形見として生まれてきた。
天皇ほど権力から遠い存在もない。天皇は、この世界のすべてを赦している存在である。つまり、民衆のこの世界のすべてを赦している存在でありたいという願いの形見として天皇が祀り上げられていったのだ。
たとえば、日本列島の住民はどんな外来文化もひとまず赦し受け入れてしまう。アメリカの進駐軍憲法第九条も、あっさりと赦し受け入れていった。
権力とは赦さないことであり、赦すとは権力を放棄することである。
太平洋戦争のとき、権力者は、天皇の名のもとに民衆が戦争に参加しないことを赦さなかった。
そして民衆は、天皇の名のもとに権力者のその態度を赦し受け入れていった。
それほどにこの国の民衆と権力者の天皇に対する意識は乖離している。



「清浄」は、神道のもっとも大切な概念のひとつに違いない。伊勢神宮の境内に入ると、いやでもそれを感じさせられる。俗世間のことなどすべて忘れて、生まれたばかりの子供になったような心地に浸される。ここは、俗世間に対する「他界」である。
人間なら誰だって生きてあることや俗世間の「鬱陶しさ=穢れ」をどこかしらで意識している。だからこそ、「清浄」を体験する。これは、神の祟りを怖れるとか神に何かをしてもらいたいというような欲望が芽生える以前の原始的な心性である。
「神に対する畏れ」などというが、人は、生まれたばかりの子供ような心地に浸されれば、生きてあることそれ自体に対してひりひりした「畏れ」を感じてしまう。伊勢神宮は、そういう原初的な「畏れ」を体験させられる場所であり、それは神という概念とは何の関係もない。
最初の伊勢神宮が神の棲む場所としてつくられたと考えるべきではない。おそらく、川向うの「他界」として祭りが催される場所だったのだ。山の民と里の民がそこで出会って酒を酌み交わし、歌い踊ったり物を交換したりした。そうやってみんなして生きてあることの「穢れ」をそそぐ場所だった。
その、清らかな川の流れに囲まれ天にも届くほどの杉木立に覆われた景観は、ほかにはないほどの特別な気配を持っていたのだろう。そうして、地元だけでなく、遠くからも人が集まってくるようになっていった。
縄文時代の多くの人は山の中で暮らしていたが、弥生時代になると平地に下りてきて集団で農業をして暮らすようになった。そうなるとどうしても暮らしの「穢れ」がたまってくるわけで、人々にはそういう「ハレ」の場所が必要だった。
やがてそこには山を背にして舞の舞台が設置されていったのだが、古墳時代以降に外来の「神」という概念が広がってきて、それとともに舞の舞台が神殿という性格を持つようになっていった。
べつに、豊作を約束する神をイメージして神社の神殿が生まれてきたのではない。ただのお祭りのための舞台だったのだ。
伊勢神宮が皇室の神社になったのは天武天皇以降のことだが、その祭神がアマテラスだというのは、その神の名を生み出した古事記という文学が定着してきた平安時代以降のことであって、最初から神の棲む場所だったのではない。
日本列島の文化の基礎は、どうしようもなく生きてあることの「穢れ」を意識してしまうことにある。そこから「清浄」に心惹かれる民族になっていった。べつに「神の国」だったのではない。神のない国だったからこそ、「清浄」のイメージが洗練していったのだ。



「清浄=神」という思考は日本列島くらいのもので、神を見たというとき、よく「光のシャワーが下りてきた」などといわれるが、世界中の神はおおむね絢爛豪華で豊穣なものとしてイメージされている。なぜならそれは、この世界をつくったものだからだ。
しかし日本列島の住民は「この世界」を「憂き世」と思い定めて生きてきた。それは、ほんとうは神のことなどよくわからない民族である、ということだ。日本列島の住民にとってのこの世界をつくった神は、有難迷惑な存在だった。
そこで、もともと神でもなんでない「清浄」を「神」と結び付けてイメージしていったのは、まあ神のない国ならではのトリッキーな裏ワザだったのかもしれない。
「清浄」と「神」は、矛盾する概念なのだ。この世界が存在しないことほどの「清浄」もないだろう。日本列島の住民は、この世界を「憂き世」と思い定めて、清浄な世界は「他界」にあるとイメージしていった。伊勢神宮は、この世界の俗性をまとっていない「他界」だった。
人類が「神の世界」をイメージするようになったのは、おそらく異民族との軋轢を体験したからだろう。
見える範囲の外は「ない」ものと思っていた原始人は、人間の世界と神の世界、というようなイメージを持っていなかったはずである。
しかし共同体の成立以降の人類は、異民族の穢れた世界と清浄で豊かな神の世界を対比してイメージしていった。
しかし海に囲まれた日本列島には、人間の世界しかなかった。異民族の穢れた世界も神の世界もなかった。ただもう、この人間の世界の中に「穢れた俗世間」と「清浄な他界」をイメージしていった。そして「清浄な他界」とは「ない」世界であり、それは平和で豊かな世界とか理想郷というのではなく、俗世間の穢れが「ない」世界だった。
原始神道の「他界」とは、「神」の世界ではなく、ただもう純粋に「清浄」な世界だったのだ。
まあ縄文人であれ弥生人であれ、生きてあることのテーマは、何が欲しいとかということではなく、生きてあることの「穢れ」をそそぐことにあった。
生きてあることの「穢れ」の意識の深さこそ、日本列島の文化の伝統であり原始性である。
人類は、原初の二本の足で立ち上がったときから、この「生きてあることや俗世間の鬱陶しさ=穢れ」を意識していた。それを意識したから二本の足で立ち上がったともいえる。そういう原始的な心性が「清浄」と出会う体験をするのであって、神なんか関係ない。神の世界を持たないのが原始神道の世界観だった。
原始的な心性を引きずった神のいない国だからこそ、この世界の中の「清浄な他界」の体験を大切にする文化をはぐくんできたのだ。



権力者が権力意識を基礎にした思考をするのはしょうがないことだ。
それに対して日本列島の民衆は、世界のどこよりも権力に無頓着な民族である。やまとことばは、世界でもっとも「伝達・説得」という権力行使の機能が希薄な言葉である。だから、ひとつの言葉がひとつの意味に限定されていない。これは「伝達・説得」のためにはとても不便である。しかしそれによって会話がどんどん展開していっておしゃべりの花が咲くという利点がある。それを古代人は「やまとの国はことだまの咲きはふ国」といった。
そういうやまとことばが「咲きはふ」古代の日本列島では人と人のあいだの権力関係が希薄だったから、人間関係のストレスもも少なかった。
ただそういう伝統の民族だから、現代社会の権力関係にうまく対応できないでさまざまな病理を生み出してもいる。
最近のこの国に蔓延しつつある覚せい剤は、自分自身に対しても他者との関係においても、ひとつの権力ををもたらす作用がある。
その代わりこの国では、幻覚作用をもたらすアヘン系の麻薬にはあまり関心がない風土がある。それは権力関係から逃れてトリップしてゆく作用があるのだが、もともと権力に対して無頓着というかナイーブな民族だから、そういうことに関心が向く契機がない。
その権力にナイーブな属性は、覚せい剤によって補完される。権力を行使することが下手だから、自分に対する卑小感に悩まされたりする。それを、覚せい剤が補ってくれる。
日本列島の民衆は伝統的に権力意識が希薄であり、とうぜん権力者とは天皇に対する意識の位相が逆立しているともいえるほどに大きく違っている。そういう意味の二重構造がある。
この国の権力者や右翼の天皇に寄生したがる態度には、多くの民衆がうんざりしている。
民衆にとっての天皇は、触れることのできない「他界」の存在である。しかしそれは、天皇が神だということではない。
埴谷雄高は、「理想の女性は?」と聞かれて「どこかの町の酒場のマダム」と答えた。民衆にとっての天皇も、まあ、そのような対象である。
日本列島の住民は、そのようにして神などイメージしなくても、現世の中に「他界」をイメージしてゆくセンスがある。神の世界など知らないからこそ、そういう芸当の思考ができる。
埴谷雄高のこのセンス(美意識)は、ちょっとややこしい。人間性の根源についてのとても重要な問題を含んでいると思えるのだが、正直にいえば、いま僕は考えあぐねている。
とりあえず、この国は「神の国」ではないし、天皇は日本人を代表して「神に祈っている」のでもない、とだけいっておこう。
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