「あはれ」の感慨・「天皇の起源」58


一部の右翼組織による在日韓国人に対するヘイトスピーチ(憎悪発言)やデモが問題になっているらしい。
「日本人として恥ずかしい」と多くの人がいう。
こんなことが起きてきた原因はたぶんいろいろあって、一概にはいえない。現在は右翼政権だということや、韓国や中国の反日感情が高まっているからとか、経済的に貧しい若者が増えていてそのフラストレーションがたまっているとか、いろいろあるのだろう。
この国の権力者たちがその現象に対して「憂慮する」とコメントするのは、この国の住民のほとんどがうんざりして眺めていることを知っているからであり、そのせいで自分たちの政権の支持率が下がることを心配しているからだろうか。
橋下大阪市長慰安婦容認発言にしろ、こんなことばかり繰り返していたら、右傾化が加速するどころか、逆に右翼に対する拒否反応がますます広がってくることだってあるのかもしれない。
べつに韓国や中国を嫌いだといわなくても、自分たちの国を賛美するということ自体が、嫌いだといっているのと同じかもしれない。
「粗末な国ですが」といって外交することはできないのだろうか。「粗末なものですが」といって贈り物を差し出し、「愚妻・愚息」といってへりくだることが伝統の作法であるこの国としては、それがいちばん板についた態度なのだろうが。
それは、ただ謙遜しているのではない。国など「憂き世」だし、10万円の贈り物をしたいのだが1万円のものしか持ってこれなくてすみません、という思いで「粗末なものですが」といって差し出している。謙遜ではなく、本心で嘆いているのがこの国の住民の生きてある気分なのだ。
世界中が自分の国を賛美することをやめれば、もう少しましな地球になっていることだろう。誰も自分を自慢しなくなれば、人と人の関係ももう少しスムーズになるだろう。そしてそんなことくらい誰でもわかっているのに、世界中が自分の国の自慢をし合っている。自分の国を賛美することが美徳のようにいわれている。それは変ではないのか。



誰だって自分が生まれ育った場所には愛着がある。しかしそれは、「国」とはまた別のものだ。自分たちの生まれ育った地域の風土や生活習慣や人に愛着を持つことと国を愛することは違う次元の心の動きである。国なんか愛さなくても、自分たちの生まれ育った風土に愛着を持つことは成り立つ。
親が韓国人でも中国人でも、日本列島で生まれ育てば日本列島の風土に対する愛着はあるだろう。そこに幼いころの思い出があるのだから。
国家とは、権力機構のことだ。税金を搾り取られることは受け入れても、なんの義理があって愛さないといけないのか。
みんなが国を「憂き世」だと嘆いている世の中はそんなによくないだろうか。住みよかろうと住みにくかろうと、日本列島の伝統においては、国を「憂き世」だと嘆いてしまう。
日本列島の住民は、心のどこかしらで国を「憂き世」だと嘆いている。だから、国歌や国旗は上から強制しないと根付かない。
日本列島の住民は自分が生まれ育った場所の風土や人に愛着は持っても、国なんか愛していない。
国に風土が宿っているのではない。風土に国が寄生しているだけなのだ。



自分の国を賛美してよその国をけなす……平和になっても、というか平和になったからこそ、国どうしの競争心や対抗心はますます膨らんできている。
ヨーロッパがユーロになったからといって経済のレベルが平準化するのかといえば逆で、ますます国家間の経済格差が大きくなってきている。それは、そんなかんたんに愛国心はなくならないということだろうか。
僕は、愛国心なんて戦争のときだけのものかと思っていたけど、この国でもいまだにそんなものを扇動する人間がたくさんいるのが不思議でならない。
今のところ、愛国心などという不潔なものを捨てる能力を持った民族は日本列島の住民くらいのものだろうと思えるのだが。
ともあれ中国人も韓国人も日本という国が大嫌いらしいが、日本の風土が嫌いのようには思えない。日本という国は大嫌いだが東京や京都や秋葉原には行ってみたいと思っている人がたくさんいるのだとか。
おたがい自分の国は素晴らしいなどと張り合わなければそこそこ仲良く棲み分けしてやっていけるのかもしれないが、そんなことは現実にはあり得ないことなのだろう。
国と風土はべつのものだ。
断っておくが、ここでいう「風土」とは、気候や景色などの地勢的条件だけでなく、そこからもだらされる生活習慣やメンタリティも含んでいる。
中国も韓国も日本列島も、「風土」及び「歴史」が違う。それはもうどうしようもないのだから、棲み分けしてゆくしかない。
国なんかどうでもいいが、人間が自分のまわりの風土に愛着を持ってしまうことは避けられない。
そして、風土が国になっているだけであって、国が風土をつくっているのではない。
国なんかなくなっても、風土=民族性はどうしても残ってしまう。
そしてこのページのテーマは、日本列島の歴史風土はどうなっているのだろうかということにある。
権力者たちの政治ががどのように動いてきたかということなどさしあたってどうでもいい。そんなこと以前の歴史風土がある。
日本列島の住民は、国を嘆き、生きてあることそれ自体を嘆いて歴史を歩んできた。
まあ、人類の歴史は、二本の足で立って猿よりも弱い猿になったことの「嘆き」からはじまっている。
嘆きこそ人間の心の棲家であり、嘆きをバネにして人間的な文化・文明が発達してきた。
国を賛美するよりも、国を嘆き鬱陶しがっているほうが人間的なのだ。ことに日本列島においては、民衆は国に守ってもらって歴史を歩んできたのではなく、民衆どうしの連携によって歴史を歩んできた。



現在のこの国の歴史家は、人間集団は支配者の統治の上に成り立っている、という前提で歴史を考えている。それが歴史の法則だと思っている。だから、奈良盆地の巨大前方後円墳は支配者が権力を誇示するためにつくったとか、弥生時代奈良盆地にも葛城王朝や三輪王朝があっただのと平気で語っている。
歴史には民衆どうしの連携で集団がいとなまれていた段階があったということを、どうして考えようとしないのだろう。そして日本列島は、そのような段階がとても長く続いたのだ。日本列島の国家の成立は、大陸よりも数千年遅れた。それは、海に囲まれた島国で、異民族との軋轢がなかったからだ。
異民族との軋轢がなければ、そうかんたんには支配者はあらわれてこないし、愛国心も生まれてこない。
日本列島が本格的に異民族との軋轢にさらされたのは幕末以降のことだろう。何はともあれそれまでは、国を「憂き世」と嘆きつつ民衆自身の連携で集団をいとなんでゆく文化をはぐくんできたのだ。彼らは、自分たちの「風土」に対する愛着はあっても、国家など愛していなかった。
この国には、愛国心の伝統などはない。その代わり、民衆自身の連携の歴史は長い。支配者に統治される世の中になってもまだ、村などの集団の運営を自分たちでやりくりしてきたのだ。だから、大震災で一時的に無政府状態になっても、自分たちで連携してゆくことができた。
まあ、世界中の人が、国のことなど忘れて民衆自身で連携してゆくメンタリティを歴史の無意識として心の奥に残しているのではないだろうか。なにしろ人類700万年歴史の699万年以上は誰もがそういう作法で生きてきたのだから。



国家とはほんらい、異民族の侵略から民衆を守る役目を負った機関である。その見返りとして税を徴収する。しかし日本列島においては、江戸時代まで異民族の侵略がなかった。だから民衆は、伝統的に国にたよるという意識が育ってこなかったし、江戸時代まで国歌も国旗もなかった。
現在は異民族との軋轢がある状況かもしれないが、日本列島の民衆は国にたよったり国を賛美する歴史風土を持っていない。そういう愛国心というメンタリティにおいては、中国や韓国から何千年も遅れている。いまさら付け焼刃でそんなメンタリティを持っても、明治から昭和初期にかけてのようにヒステリーを起して戦争をしかけてしまうだけかもしれない。
日本列島の住民に愛国心を持たせるとヒステリーを起してしまう。ヘイトスピーチだけではすまなくなる。今のところそうしたデモは100人前後の小さなものばかりらしいが、「韓国人を殺せ」というプラカードを掲げたりしているくらいだから、日本列島の住民全体が愛国心を持ったらどうなるかはわからない。
まあ中国も韓国も、もしそうなったらひとまず戦争は覚悟しておいた方がいい。というか彼らは、戦争をして今度こそやっつけたいと思っているのだろうか。だったらなおのこと、われわれは国を賛美することなどつつしんだほうがいいのかもしれない。
この国とのサッカーの試合など、彼らにとっては戦争の予行演習なのかと思いたくなる雰囲気だ。彼らは、国にたより国に守られてきた長い歴史風土がある。国に対する意識のレベルが違う。
日本が韓国とのサッカーの試合で負けたとき、コアなサッカーファンは「お前ら韓国よりも下手くそだったんだもの、負けるのは当り前さ」と突き放して見ている。そして一部の右翼ばかりがカッカしている。



日本列島の住民にとっての国は、歴史的に嘆き鬱陶しがる対象だった。
だから日本列島の住民の愛国心は、希薄であるかヒステリックに熱狂するかのどちらかになってしまう。皮膚感覚のような身体化した愛国心というようなものはない。そういう歴史を歩んできていないから。
しかしそれは、必ずしもハンディキャップとはいえない。愛国心を身体化できないことがアドバンテージになることもある。
愛国心を身体化していないからこそ、外来文化を幅広く受け入れることができるのであり、それによって明治の人は欧米文化をたちまち吸収していったし、戦後はアメリカから押し付けられた憲法第九条を律儀に守ってくることができた。
「嘆き」の文化……「憂き世」という嘆き。そしてわが身を嘆き、わが身を消して他者に寄り添ってゆく文化。
「嘆き」こそが日本列島の文化風土の基礎になっている。民衆のその「嘆き」から天皇が祀り上げられていった。
人類は、直立二足歩行の開始以来、ずっと「嘆き」とともに歴史を歩んできた。
人間は嘆く猿である。
日本列島の文化風土は、そういう原始性を携えてはぐくまれてきた。



氷河期の日本列島は大陸と陸続きになっていて、広い平原があり、人々は大型草食獣の狩りをして暮らしていたらしい。
現在の遠浅の海や大陸棚といわれるところは、すべて平原だった。
しかし氷河期が明けて気候が温暖化するとともに海面が上昇し、平原のほとんどは海の底になった。そしてわずかに残った平原も湿地帯になり、大型草食獣も次々に絶滅していった。
それが縄文時代の始まりであり、人々は、平原を追われて山の中に移住していった。そうなれば、暮らしは一変する。食うものも住む場所も変わって、戸惑い嘆きつつすべて新しく始めねばならなかった。そして氷河期は平原でゆったりとした大きな集団で暮らしていたのに、山の斜面にへばりつくような小さな集団で暮らすようになれば、人と人の関係もより息苦しいタイトなものに変わってゆくほかなかった。
そういう「嘆き」から日本列島の歴史がはじまったのだ。
その「嘆き」は、すぐには解消されない。彼らは「嘆き」を食べて生きていった。つまり、その「嘆き」からカタルシスを汲み上げてゆく文化を育てていった。そんな時代が一万年続き、日本列島の文化の基礎になっていった。
「あはれ」と嘆く文化。それは、平安時代の宮廷文化から生まれてきたのではなく、すでに縄文時代からはじまっていた。
「あはれ」とは、消えてゆくこと。これが語源であり、消えてゆくことは鬱陶しさが消えてゆくことでもある。
「あはれ」は「別れ」でもある。それは、たがいに相手の前から消えてゆくことだ。別れのかなしみからカタルシスを汲み上げてゆくことを「ものあはれを知る」という。
人と人の別れは「あはれ」にかなしいものであるが、同時に関係の鬱陶しさが消えてゆくことであり、たとえけんかをしていた相手でもいとおしくなってしまう。「別れ」は、相手に対するいとおしさが募る体験でもある。別れのかなしみは、ひとつのカタルシスでもある。そういう「もののあはれを知る」体験なのだ。
縄文時代は、男たちは山道を旅しながら女子供だけの小集落を訪ね歩いていた。それは、「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」を繰り返してゆく社会システムだった。
まあ、狭い限られた土地に男と女が暮らしてゆけば、子供が生まれてどんどん人口がふくらんでいって人間関係が混乱して鬱陶しくなるし、物理的にも誰かが出て行かないと集落が成り立たなくなる。
だから、男たちは旅に出て集落を訪ね歩くという暮らしになっていった。実際問題として、女子供には山道の旅に出る能力はなかった。もう、男が出てゆくしかなかった。
彼らは、山の中の小集落でひしめき合って暮らすことによって、集団の鬱陶しさを骨身にしみて知らされた。これが、その後の日本列島の伝統であるところの国=社会=俗世間を「憂き世」と嘆く文化の基礎になっていった。
俗世間のしがらみに対する鬱陶しさは、日本列島の住民なら誰にでも多かれ少なかれあるにちがいない。そのしがらみという「穢れ」をそそごうとする思いの上に、世界でもまれな清潔で治安のよい社会が成り立っている。
また日本列島の街の群衆は、そうかんたんに体と体がぶつかり合ったりしない。誰もが無意識のうちに他人の体とぶつかることをよけて歩いている。これは外国人にはかなり奇異な光景らしいが、これもまた、「憂き世」の穢れを嘆き、穢れをそそごうとする意識によるのだろう。



人類みな兄弟といって手をつなぎ合うことが世界平和だとは、僕は思わない。それはたぶん、別れて棲み分けをしてゆくことにある。それが人と人の根源的な関係のかたちであり、そのかたちの上に民族とか国家というものが生まれてきたのだろう。そういう人間の根源的な生のかたちを否定して世界平和もくそもないではないか。
「別れる」「棲み分ける」……人類の歴史はこの生態とともに流れてきたのであり、この生態を持っているから人と人はときめき合い、猿としての限度を超えた規模の集団をいとなむようにもなっていった。人間の集団は、そういうパラドックスの上に成り立っている。
つまり「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」は、コインの裏表というか、ひとつのセットになっている人間の属性なのだ。
人間性の根源には「嘆く」という感慨がそなわっている。
二本の足で立つ姿勢は、とても不安定不自由で、他者に干渉されたらひとたまりもない姿勢である。人間は、他者に干渉されることに対する怒りや嘆きを猿よりももっとラディカルに持っている。だから日本列島の住民は、人ごみの中でも他者の身体とぶつからないようにして歩いている。
それでも人と人は向き合い、大きな集団をつくっている。それは手をつなぎ合うためではなく、そうやってたがいの身体の孤立性を確かめ合っている。二本の足で立つ姿勢は、他者と向き合っていないと安定しない姿勢なのだ。そうやってたがいの身体の孤立性を確かめようとしながら大きな集団をつくってゆくのが人間の生態である。
群衆の中の孤独、という。大きな集団の中だからこそ、よりひりひりと身体の孤立性が確かめられる。人間にとって集団は気がついたらつくってしまっているものだが、その集団を「憂き世」と感じながらみずからの身体の孤立性を確かめてゆく。
集団=社会は「憂き世」であるのが人間の自然なのだ。



「憂き世」と嘆くからこそ、身体の孤立性の上に立って「出会いのときめき」と「別れのかなしみ」が豊かに交錯する社会になる。
みんなで愛国心を語りあってヒステリック盛り上がってゆけばいいというようなものではないだろう。
「出会いのときめき」という人と人の関係のカタルシスは、そんなヒステリックな盛り上がりではなく、嘆きの底から湧きあがってくるもっとひんやりした「あはれ=身体の孤立性」の感慨を含んでいる。
そして、そんな「別れのかなしみ」からカタルシスを汲み上げてゆく作法は、日本列島の死生観や葬送儀礼の基礎にもなっている。
日本列島においては、死んでゆくことは「別れ」だった。死んでゆくものと見送るものは、たがいに「別れのかなしみ」を抱いて向き合い、「いとおしさ」とともに見送り、そして死へと旅立っていった。そうやって「別れのかなしみ」から「もののあはれ」というカタルシスを汲み上げていった。
縄文人の死生観は、「別れ」の感慨の上に紡がれていた。彼らは、日本列島の歴史上、もっとも深く「別れのかなしみ」からカタルシスを汲み上げてゆくことができる人々だった。ここから時代を経るにしたがって葬送儀礼にもさまざまな世俗的要素が加わってきたが、まあ世界中どこでもその根源的なコンセプトは「死者との別れのかなしみ」にある。
葬送儀礼とは、死者との別れのかなしみからカタルシスを汲み上げてゆく作法である。それは、あきらめきれない思いをなだめる作法であり、死者をよりいとおしく思ってゆく作法である。そういう「あはれ」の感慨から人類の葬送儀礼が生まれてきた。おそらく現在においても本質的にはそういう行為であり、世界中そうなのだ。
人間は必ず死ぬということは、世界中の誰の心にも人と人の「別れ」に対する「あはれ」の感慨があるということだ。
天国や極楽浄土に行くといっても、霊魂は永遠だといっても、人が葬送儀礼をするのは「別れのかなしみ」が胸に満ちてくるからであり、そうやって涙しているときはもう、天国も極楽浄土も霊魂の永遠も忘れている。


10
世界中の誰の心の中にも「あはれ」の感慨がある。天国も極楽浄土も霊魂の永遠も愛国心も、どうでもいいのだ。そんなものは世界中で違うし、人それぞれだ。そんな概念は人間の権力意識=制度性が生み出したものにすぎない。
世界中が共有できるのは「あはれ」の感慨だけだ、と僕は思う。
文明人はよけいな概念をつくりだして、集団を肯定してゆくよけいな高揚感(=愛国心)で集団をまとめようとしているのだろうが、じつはそうやって国どうしの戦争や人と人の軋轢が生まれてくるのだ。
愛国心なんか、ろくなもんじゃない。集団=国を「憂き世」と嘆くのが人間の本性なのだ。
人間集団の連携や結束を生み出している根源は、生きてあることのいたたまれなさという「嘆き」、すなわちそういう「あはれ」の感慨を共有していることにある。それが人類の葬送儀礼という生態から学ぶことができることであって、僕は、天国も極楽浄土も霊魂の永遠も愛国心も学ばない。
まあ、国を守るためや個人の人生を守るための具体的な方法論はいろいろあるのだろうが、人類が共有している「あはれ」の感慨を発信できる能力においては、いまのところこの国がいちばん先行しているのだろう。それは、この国の文化がいちばん原始的だからだ。
そしてこの「あはれ」の感慨は、この国の権力者や知識人よりも民衆の方がずっとよく知っている。なぜなら「あはれ」とは、権力を喪失したところから生まれてくる感慨だからだ。そして他者との「別れ」は、他者に対する権力を喪失する体験にほかならない。
したがってそういう「別れ=あはれ」を止揚する文化=美意識は、権力を手にすることをアイデンティティにして生きている権力者にはわからない。
あの国はつまらないとかあの国よりもこの国の方がすぐれているなどということは、思っていても相手に対していうべきことではない。それは、権力を行使することだ。
自分の国を賛美するということ自体が権力意識だ。国など賛美してもしょうがない。日本列島の民衆にとってのそれは、伝統的に「憂き世」であり続けてきた。「憂き世」と思い定めて「別れ=あはれ」の感慨を共有しながら連携結束してきた。この感慨がなければ、人と人がときめき合うことも国と国が棲み分けをすることもできない。根源的に、人と人は棲み分けをしてひりひりとした身体の孤立性を持っているからときめき合うのだ。
縄文人は、男と女が棲み分けをしながらときめき合っていた。
「棲み分け」をすること、すなわち「別れる」こと、人間は、根源的にはそういう「あはれ」の感慨を共有して存在している。それはもう、二本の足で立ち上がったときから現在にいたるまでずっとそうなのだ。
かんたんに「人類みな兄弟」といってもらったら困る。他者とは「他界」の存在であり、人と人は、たがいの身体の孤立性を確保し合うように別れて棲み分けながらときめき合っている。それが、二本の足で立っている人間という存在の、根源的な関係の作法なのだ。
まあ、人類の未来とか理想などというものを提出する趣味は僕にはない。
ただ、「もののあはれ」とは「別れのかなしみ」の上に成り立った美意識であり、それはとても原始的な心の動きなのだということ、ひとまずそれがいいたかった。
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