権力の赦さない態度・「天皇の起源」50


天皇は、この世界のすべてを赦している存在である。
天皇は、本質的に「権力」ではない。したがって天皇崇拝を叫ぶ権力者は、本質的に天皇とは異質な人種である。
べつにそうした権力者でなくても、人が権力を志向することは天皇を否定しているのと同義なのだ。
権力を志向するとは他者に対する影響力を持とうとすることであり、「赦さない」という態度を行使しようとすることである。
たとえばネット右翼は「赦さない」という発言をすることが生きがいであり、ときには新大久保や公園などで、在日外国人やホームレスを駆逐しようと暴れてその主張を実践しようとしたりする。この世界のすべてを赦している天皇という存在に寄生してゆけば、みずからのどんな下品な思考も行動も赦される。彼らは、自分を正当化するために赦さない対象を必要としているし、そんな自分を赦してくれる対象を必要としている。彼らは、「世界を赦す」という視線を持っていない。どうしてそんな人間がたくさんあらわれてきたのか、残念なことだが、いまどきはそういう社会の構造になっているのだろう。
しかしそれは、天皇の責任ではない。はじめにそういう人間があらわれてくるような社会の構造があり、そういう人間が天皇に寄生してゆくということを覚えた。
天皇がそういう人間を生み出したのではないし、天皇が存在するからそういう人間があらわれてくるのでもない。彼らは、誰よりも深く天皇に寄生しているところの天皇にもっとも近い存在であると同時に、「世界を赦す」存在である天皇からはもっとも遠い存在でもある。まあ、このへんのところがややこしい。
「赦さない」という態度は、ひとつの権力志向である。
人間は、存在そのものにおいてすでに「穢れ」を負っている。そこから世界を赦さないというかたちでみずからの「穢れ」を忘れてみずからを正当化してゆくか、それともひたすらみずからの「穢れ」と向き合い世界を赦しながら「穢れ」をそそいでゆこうとするのか、そういう二つの方向があるのだろう。天皇は、ほんらい、後者のかたちを生きるための形見として存在している。それに対して前者のように、「赦さない権力」を得てみずからを正当化してゆこうとするのは、どんなに天皇崇拝を叫んでも、天皇を否定していることと同義なのだ。天皇を崇拝しているというそのことが、天皇を否定している態度なのだ。



親や教師が子供に対して「いい子」でないと赦さないのも、ひとつの権力志向だろう。
人格者は、自分に対しても他人に対しても正しい人間でないと赦さない。戦時中の支配者は、すべての国民が「正しい国民」でないと赦さなかった。
現在の支配者だって、国民が税金を払わなかったり犯罪を犯したりすることを赦さない。
現代社会では、誰もが他者に対する「権力」を持ちたがっている。説得するという権力。そして、離れられない仲良しになろうとするのも、一種の寄生という名の権力志向だろう。世間ではそれを「愛情」といい、そういう寄生し合う関係をつくろうとするのが人間性の普遍であり美徳だと思っている。
しかし、たとえ親子であってもいつでも離れられる緩やかな関係にしておくのが、縄文以来の日本列島の伝統だったのだ。それが、この国の「無常観」の伝統である。
日本人は遠慮深くて恥ずかしがりであるというのは、そういうタイトな権力=寄生関係をつくりたがらない民族であるということだ。
そういうタイトな「権力=寄生」の関係をつくらないための装置として天皇という存在が生まれ機能してきた。
弥生時代奈良盆地においては、人と人がくっ付いてしまうのではなく、たえず「出会いのときめき」を持った関係でいようとしていたから、天皇が生まれてきたのだ。縄文時代の1万年は人と人がそういう関係の社会だったのであり、その延長として弥生時代が推移していったのであれば、とうぜんそうした関係を守るための工夫はいろいろなされていただろう。そういう工夫として、天皇が生まれてきたのだ。
起源としての天皇は権力支配者として発生してきた、などとかんたんにいってもらっては困る。この国に天皇が存在するということは、そういう権力支配の問題ではないのである。それは、日本人はなぜむやみに恥ずかしがるのかという問題だ、という方がはるかに本質的な議論になっている。
そのようなつまらない「歴史の常識」はいいかげんチャラにしていただきたいものだ、と思う。
たがいに離れられない寄生し合う共生関係とは、権力を行使し合う関係であり、人間は先験的にそうした関係になろうとする衝動を持っているのではない。たがいの関係の中で、たがいの孤立した個体としての「身体の輪郭」を確かめ合おうとしているのだ。
だから、日本人は恥ずかしがる。まあ、いまどきの日本人よりは西洋人の方がもっと恥ずかしがるのかもしれないが。
権力を志向するものは、寄生しようとする本能を持っている。
起源としての天皇は、権力者が寄生してゆく対象として生まれてきたのではない、すでに存在する天皇に寄生してゆくかたちで権力者が発生してきたのだ。
それまでの奈良盆地に、権力者など存在しなかった。したがって、いまどきの権力者や右翼の天皇崇拝など、日本人が天皇を祀り上げることのなんのお手本にもならない。彼らはむしろ、天皇崇拝というかたちで天皇のほんとうの姿を否定しているのだ。天皇は、その寄生したがりの権力欲を満足させるために生まれてきたのではないし、現在の多くの民衆だって、そのようにして天皇を祀り上げているのではない。
日本列島の住民が天皇を祀り上げてきた歴史的な無為意識は、天皇に寄生したがる権力者が体現しているのではない。
現代人は、なぜ「愛」という美名のもとに他者に寄生してゆこうとするのか。もっとも寄生したがる人種が社会の上層部を構成している構造になっているからだろうか。そんなことがお手本の世の中だから、民衆のあいだでもネット右翼がぞろぞろうごめきだすのだし、まあ誰もが、多かれ少なかれ寄生され寄生したがる関係の中に置かれてしまっている。



この国の権力者は、その歴史のはじめから天皇に寄生してきた。
天皇はすべてを赦している無防備な存在だから、かんたんに寄生されてしまう。
この国では、天皇に寄生するというかたちで権力が発生してきた。それが古墳時代大和朝廷の成立で、彼らは、天皇に寄生しながら、天皇に対する民衆の「捧げもの」を私有化していった。そのとき民衆は、すでに天皇を生きてあることの形見として祀り上げていたからだ。そのすでに出来上がっている関係の中に権力者が入り込んできた。
天皇を神とする権力者の勝手な天皇崇拝が、日本列島の住民が天皇を祀り上げることのお手本であるのではない。
日本列島の原初的根源的な天皇との関係は民衆とのあいだにあるのであって、権力者との関係として天皇が生まれてきたのではない。
弥生時代天皇は神ではなく、舞のカリスマの娘だった。その天皇を神にしてしまったのは権力者であり、そのようにして天皇に寄生し天皇を食い物にしてきた。
彼らの、天皇に対するこの馴れ馴れしさは何なのだろう。神にしてしまうくらい馴れ馴れしいのであり、それによって民衆支配がより強化されていった。
権力者がまず、天皇を神として崇めていった。しかしそれは、天皇天皇とも思っていない態度なのだ。そうやって彼らは、天皇のほんらいの姿を歪めてしまった。
彼らにとって天皇など民衆を支配するための道具であって、純粋に天皇を祀り上げようとする心など持っていない。
彼らの天皇に寄生しようとする習性は、大和朝廷成立以来、現在まで続いているこの国の伝統である。



弥生時代奈良盆地に支配者などいなかった。そのとき「天皇=きみ」は舞のカリスマとして民衆に祀り上げられているだけで、民衆を支配する存在ではなかった。集団の運営は、民衆自身のそのつどの語り合いによってなされていた。だから、弥生時代には文字がなかった。それは、そこに王朝は存在しなかったことを意味する。文字を持たない王朝など、世界中のどこにも存在しない。
支配者が存在しなかったからこそ、「天皇=きみ」という舞のカリスマを集団運営の形見として祀り上げていた。
民衆が支配者にたよることなく民衆自身の連携で集団社会を運営してゆくということは、日本列島の伝統である。日本列島の1万3千年の歴史の1万1千年は、支配者のいない社会で推移してきたのだ。
支配者のいない民衆自身による「なりゆき」の連携は、日本列島が世界でいちばん発達している。だから、あの大震災の直後にも無政府状態の混乱を起こさなかったのだ。言い換えれば、日本列島の住民は、無政府状態でも連携してゆくことができる伝統を持っている。
古代の道路や港をつくる土木工事は、すべて民衆自身の連携でやっていた。この国には、権力者は何もしてくれない伝統と、民衆が権力者を当てにしない伝統がある。権力者は民衆から搾り取ることしか頭にないし、民衆は「憂き世」と思い定めて「しょうがない」とあきらめ受け入れてしまう伝統がある。
それに、もともと熱心に「捧げもの」をしながら天皇を祀り上げていたわけで、その習俗を権力者に「税」というかたちにすり替えていかれても、それはもう「しょうがない」と思うしかなかった。なんといっても最初の権力者は、民衆が天皇を祀り上げ捧げものをしてゆくことをマネージメントする存在だったのだから。
まあ異民族との軋轢がなかった日本列島では、そういうかたちでしか支配者が生まれてくる契機はなかったし、そういうわけで民衆は支配者に「守ってくれ」と要求するべき動機を持っていない。
日本列島での国家(大和朝廷)の成立は、メソポタミアから5千年も遅れている。この島国には、支配者が生まれにくい風土と、支配者に従順になってしまいやすい風土があった。
古墳時代のはじめ、そのとき天皇のそばにいた一部のものは、天皇に寄生しながら民衆を支配する、ということを覚えていった。そのようにして権力に目覚めたものたちが大和朝廷をつくっていった。



弥生時代天皇(=きみ)は巫女としてのたんなる舞のカリスマであり、初潮前後の若い娘だった。したがって、民衆を支配する政治の能力などあろうはずがない。
大和朝廷ができて政治支配の頂点に君臨する存在を置こうとしたとき、そうした若い娘ではかたちにならなかった。
だから、「天皇=きみ」の母親を立てた。そのとき母親は「きみ」を育て支配している存在であり、もとは自身も「きみ」として祀り上げられていた存在だったのだから、そのようになることに民衆の違和感はなかった。
そうして「大王=おほきみ」と呼ばれた。
「おほきみ」の「おほ」は、たぶん、「大旦那」とか「大奥様」とか「大御所」というときの「大=おほ」と同じニュアンスなのだろう。
そのようにして奈良盆地で祀り上げられる対象が、「きみ」から「おほきみ」に移っていった。
その後の日本列島の大家族制度において祖父母が一家の中心のような存在になっていたのも、「きみ」の親が「おほきみ」として天皇の座に就く社会になったからだろう。
大旦那も大奥様も、実際には何もしないが天皇のように君臨している。
おそらく大和朝廷が生まれる直前のの「おほきみ」は、舞のカリスマである「きみ」の活動をマネージメントするステージママのような存在だったのだのだが、権力者によって「きみ」よりも一段上の神として君臨させられていった。
つまり権力者は、その歴史のはじめから「きみ」を天皇として祀り上げる気持ちなんかなかった、ということだ。「きみ」を見捨てて、自分たちが操る「おほきみ」を天皇にしていった。
権力者の天皇崇拝は、その歴史のはじめから倒錯的なものだったのだ。
「きみ」と呼ばれた起源としての天皇弥生時代奈良盆地の人々の美意識によって祀り上げられる存在だったが、その後の「おほきみ」と呼ばれた天皇は、大和朝廷をつくった権力者の権力意識によって仕立て上げられた存在だった。
天皇を「神」として見る視線は、権力者の権力意識から生まれてきたものだった。
日本列島の住民の権力意識は、伝統的に天皇を神に仕立てようとする本能を持っている。そしてそれは弥生時代のほんらいの天皇を否定する意識でもあったわけで、このへんがややこしいところだ。
日本列島の伝統においては、天皇を神とする視線も、天皇を否定する視線も、どちらも権力意識なのだ。天皇がいなくなっても、一部の人間の権力意識や差別意識がなくなるわけではない。天皇がいなくなればよけいにつけあがるだけだ。
大和朝廷において、権力者は、「天皇=きみ」を否定して、「天皇=おほきみ」を神に仕立てていった。「おほきみ」は「きみ」の母親だから「きみ」よりも一段格上の存在なのだ、ということだろうか。そうやって「きみ=天皇」を否定していった。そうして、天皇が女だと姻戚関係を結びにくいから、自分の娘を差し出すことができる男にしていった。
原初の初潮前後の娘だった「きみ=天皇」は、権力者の寄生によってどんどん変質していった。
そうやって天皇を変質させていったのは、権力者の「赦さない」態度だった。彼らは天皇を否定しつつ天皇を崇拝してきた。



権力者は、その歴史のはじめから天皇に寄生して天皇を食い物にする人種だった。まあ最初はそうでなかったとしても、どんどんそういう人種になっていった。
そして世の中もまた、どんどん人と人が寄生し合う構造になっていった。
しかしそれでも天皇天皇だったわけで、人々は、寄生し合う関係の「穢れ」をそいでゆくことの形見として天皇を祀り上げてきた。寄生し合う世の中になっていったからこそ、天皇を祀り上げずにいられなかった。もう天皇が「きみ」の母親になっても男になっても、どうでもよかった。天皇天皇であればそれでよかった。天皇がこの世にいるということだけでよかった。それでも民衆にとっての天皇は、現世の中の「他界」に住む人として、寄生することのできない対象であり続けてきた。
民衆にとっての天皇は、死後の世界の「神」という「規範」ではなかった。そのように思っているのは権力者ばかりで、民衆にとっての天皇はあくまで「現世の中の他界」に住む現世のすべてを赦している人だった。
天皇という存在の「他界性」は、天国や極楽浄土とは関係ない。あくまで現世の世界を赦している存在だった。
天皇は、日本列島の住民が「赦さない権力」を持とうとすることの歯止めになってきたと同時に、「赦さない権力」を持つことを赦している存在でもあった。
天皇という存在の二重構造、というのだろうか。なんともややこしい。
しかしあなたたちは、どうしてそんなにも馴れ馴れしく天皇に甘えてゆくことができるのか。
甘えたがりと恥ずかしがりの二重構造、というのだろうか。天皇に寄生して恥じないものたちは、権力を持つことのはにかみがない。少なくとも民衆の中には伝統的にそういうはにかみがあって、それが日本列島の文化の基底になっていた。
だからやまとことばは、「伝達=説得」機能が希薄な言葉になっている。
いずれにせよ、天皇が日本列島の住民をどうこうしてきたというような歴史はない。日本列島の住民が天皇とどのように向き合ってきたかという歴史があるだけだ。
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