セックスアピール(その九)・ネアンデルタール人論149

日本列島の「神」は、祭りの祭神として生まれてきた。すなわちいたたまれないこの生から「非日常」の世界に誘うセックスアピールの象徴としてイメージされていったのであって、西洋の「ゴッド」や仏教の「仏」のように、この生を支配しこの生を成り立たせている存在だったのではない。
「もう死んでもいい」という勢いで人や世界の輝きにときめいてゆくのが「祭りの賑わい」であり、人生やこの生の日常を支配し裁いている「神=ゴッド」など、少なくとも神道の祭神にふさわしい存在ではない。
「かむ=かみ」とは、「噛む=味わう」ことであり、「かみ合う」こと、すなわち男性器と女性器を結合することでもある。まあそのような「祭り」の猥雑な賑わいのニュアンスを隠しつつ、人と人がときめき合ったり世界の輝きにときめいていったりする体験の象徴としてイメージされていったにすぎない。「かむ=かみ」とは、そういう「ときめき」のこと。
神道の「神」は、隠れていて姿を現さない。古事記の神々は、すぐ隠れてしまったり死んでしまったりする。「ゴッド」や「仏」の物差しでは測れない。神道は宗教ではない、といっている人も多い。神道は「民俗」であって「宗教」ではない。
神道の「神」は「非日常」の世界に「隠れている」存在なのだから、死んでしまうこともありで、それこそが神の神たるゆえんになったりしている。
セックスアピールとは、この生の向こうに隠されてある「非日常」の気配のこと。人の心は、その気配に対する「遠い憧れ」とともに、そこに向かって探求したり直感したりときめいたりしてゆく。
隠されてあることの華やぎというものがある。世阿弥はそれを「秘すれば花なり」といった。
永遠に続く華やぎなどというものはない。いつもそれがあたりまえのようにしてあるなら、華やぎでもなんでもない。あらわれてたちまち消えてゆくから、「華やぎ」として印象される。隠されてあるから「ときめき」を揺り動かされる。古事記の神々は、そういう存在として造形されている。日本列島においては、神だって死ぬ(=隠れる)のだ。それは、「非日常」の気配としてのひとつの「華やぎ=セックスアピール」であって、この生を支配する「正義」ではない。それは、祭りに際して「もう死んでもいい」という勢いで心が華やぎときめいてゆくことのよりどころとして造形されていった。
もともと神道の「神=かみ」は、呪術をつかさどる存在だったのではない。祭りの賑わい、すなわち「世界(=森羅万象)の輝き」の象徴としてイメージされていったにすぎない。「世界(=森羅万象)の輝き」は生まれてすぐに消えてゆく。あるいは、やがて生まれてくるものとして隠されてある。
「隠されてあるもの」に対する「遠い憧れ」は、それが「出現」する「今ここ」の一瞬を生きようとする。
起源としての宗教は、「今ここ」の一瞬に反応して生きるための「祭り」だったのであって、「未来」を計画したり画策したりするための「呪術」だったのではない。


古代およびそれ以前の日本列島の民衆を生かしていたのは、「もう死んでもいい」という勢いでときめいてゆく「祭りの賑わい」だったのであって、生き延びるためにこの世界やこの生を支配している存在をイメージしてゆく「精霊信仰」や「呪術」があったのではない。
まあ仏教の「仏」と神道の「神」とのあいだにはそういう根源的な隔たりがあるわけで、だからこの国では両者が併存する歴史を歩んできた。
古代の文書には、「仏教の輸入に際して、神道の呪術と仏教の呪術が競い合って仏教が勝利した」というようなことが書かれてあるらしいが、それは権力者による仏教の国家宗教としての地位を確立するためのたんなるつくり話で、もしそれが史実であったのなら、神道が残ってくる理由など何もない。権力者がなんといおうと、民衆は仏教とは別の世界観や生命観を守り育ててきたのであり、神道はもともと「呪術」ではなく、民衆のたんなる「祭り」の行事だった。
古代以前の巫女は、祭りの主役となる踊りの名手だったのであって、呪術師だったのではない。その後の時代も、巫女はいつだって踊りの名手だったわけで、あの歌舞伎の創始者である出雲阿国だって、出雲大社の天才的な踊りの名手としての巫女だったといわれている。神道は、仏教に呪術で負けたためにそれを捨てて祭りの行事になっていったというのではない。仏教だけでは飽き足りなかった民衆が仏教に代わるものとしてその祭りの行事を宗教のようなかたちにしていっただけであり、神道が祭りの行事とともにあるのは起源以来の伝統なのだ。
日本列島の呪術は、最初は道教などと結びついた仏教の異端として生まれてきて、のちに神道と融合しながら神道の一分野のようになっていっただけなのだ。
日本列島の住民は、仏教伝来のときまで呪術というものを知らなかった。
そのとき呪術に熱中していったのは権力者たちばかりで、民衆のものではなかった。権力争いには呪術が必要で、権力争いをしていると、恨みや憎しみやそれに伴う不安や恐怖が肥大化してくる。彼らは、人を支配しようとする作為的な欲望で生きているわけで、そこからこの世界やこの生をつくり支配している「神」や「霊魂」という概念がイメージされ、その概念を駆使した「呪術」に執着・耽溺してゆく。
それにたいしてそんな権力争いとは無縁の古代及び古代以前の民衆が必要とし熱中していったのは、他愛なくときめき合う「祭りの賑わい」だった。彼らにとってこの生はしんどくていたたまれないものだったが、この世界の出現や他者との出会いに驚きときめいてゆく心模様も豊かに持っていた。彼らは、この世界やこの生を受け入れていた。したがってこの世界やこの生をつくり支配している存在などイメージしようがなかった。


現代社会はすでに「神」や「霊魂」という概念が深く浸透していて、それらの概念を頭の中から拭い去ることはほとんど不可能だが、人が当然のようにそれらをイメージしてゆくようになると決めつけられては困る。人類の歴史において、それをイメージするとしないのあいだには千里の隔たりがあるのだ。
たとえば、山道を歩いていてどこからか聞いたこともないような不思議な音が聞こえてきたとする。すると現代人はこう解釈する。そこで原始的な恐怖が呼び覚まされて、「神」や「霊魂」の存在を思い浮かべる、と。しかしそこで「神」や「霊魂」を思い浮かべるのはそれらの概念を知っているからであって、原始人はただそれらの音が「出現した=隠れていた」と思うだけだろう。それらの音の正体は何だろう?と思うことはあっても、それが「神」や「霊魂(精霊)」だとは思いようがない。「神」も「霊魂」も知らないのだから、思いようがない。現代の科学者だって「何だろう?」と思うだけだろう。「何だろう?」と思うことが、人間的な知性の基礎であり究極なのだ。そこにこの世界をつくり支配している存在を思い浮かべることは、「支配」ということを知っているものでなければできないのだ。支配することの充足や支配されることの鬱陶しさを思い知っているものが、それを思い浮かべる。文明人は、そういう体験に身を浸しながら自分の頭の中に自分を支配している存在を思い浮かべてゆく。そういう「支配」というものを知った観念のかたちになって、はじめて「神」や「霊魂」の存在が発想されてくるのだ。
まあ現代は、文明社会だろうと未開社会だろうと、子供のうちから「この世界やこの生を支配する存在がある」という観念を植え付けられてしまう構造になっている。
現在は、未開人だって「いつかどこかから救世主がやってくる」という伝承説話を持っている世界だが、原始人はあの山の向こうには「何もない」と思っていたのであり「何だろう?」と思っていただけなのだ。だからこそあの山の向こうまで行くことができたわけで、文明人のようにあの山の向こうには邪悪な異民族が住んでいると思っていたらどこにも行けなくなってしまう。
現在の「ひきこもり」だって、家の外は邪悪な人間ばかりだという不安と恐怖に浸されてしまっていることが少なくない。そうやって自分と自分を支配する神や霊魂との関係の秩序に閉じこもってゆく。彼らは、自分の思う通りにならないことに我慢がならないというか、必要以上に恐れおののく。それは、自分の中の神や霊魂との関係の秩序を壊されることだからだろう。
神や霊魂という概念は、文明社会が生み出したのであって、原始時代の宗教(アニミズム)だったのではない。
原始人の生のいとなみを成り立たせていたのは、人に対する恨みや憎しみや不安や恐怖をもたらす「呪術」や「精霊信仰」だったのではなく、人と人が他愛なくときめき合う「祭りの賑わい」だったのだ。人類の文化はそこから生まれ育っていったのであって、「呪術」や「精霊信仰」が基礎になっているのではない。
ネアンデルタール人クロマニヨン人の「埋葬」や「壁画」の文化を「呪術」や「精霊信仰」という問題設定で語ろうなんて、ほんとにどうしようもなくナンセンスだ。


大陸ではあちこちで国家文明が生まれ育っていった氷河期明け以降の1万年を日本列島ではずっと縄文時代のままだったということを「異様な長さの文化の停滞」であるかのように解釈されることも多いが、国家文明を持たなかった縄文人はそのあいだずっと原始的な文化を洗練発達させていたのであり、原始時代の1万年など変化しなければならないほどの長い年月ではない。
縄文社会には、「呪術」も「精霊信仰」もなかった。「祭りの賑わい」の文化があっただけだ。それがどんなものであったかをここで詳しく語る余裕はないが、弥生時代だって縄文時代の延長としてどこからともなく人が集まってくる「祭りの賑わい」とともに都市集落が生まれていったのであり、神社の初詣をはじめとするこの国らしい「祭りの賑わい」の文化は現在までずっと続いている。そのとき人々は、「祭りの賑わい」に引き寄せられて集まってくる。「お祈り」なんてついでにしているだけのこと。
日本人ほど「神」の存在に疎い民族もあまりないし、日本人ほど「祭りの賑わい」を豊かに体験している民族もまた少ない。なにしろ「祭りの賑わい」に関しては1万年以上の伝統があるのだ。われわれは、他愛なくときめき合っている烏合の衆だ。それでけっこう。近ごろでは、そう自覚している若者たちも多い。
弥生時代から古代にかけての民衆の「祭り」の行事は、みんなで踊ったり、集団お見合いのようなかたちで歌を交し合う「歌垣」とか、そんな「賑わい」が中心だった。そうした祭りの広場である「神社」に「祭神」が生まれてきたのは大和朝廷という国家文明が発祥して以降のことであり、最初はカリスマ的な存在の踊りの名手の巫女がいただけだった。そしてそのカリスマとしての巫女が、やがて「天皇=きみ」として祀り上げられていったのだ。
人類にとって、基本的起源的な「神」は「世界の輝き」のことであって、この世界やこの生をつくり支配している「創造主」のことではない。国家文明の発祥以前に、そんな「神」も「霊魂」も存在しなかった・
やまとことばの「みこ」とは、「世界の輝き」が出現すること。その体の動きから「世界の輝き」が出現する。
そして「きみ」は。「世界の輝き」が出現している状態のこと。
「かみ」は、「世界の輝き」に気づくこと。
「み」は、「世界の輝き」。「こ」は「出現」。「き」は「状態」。「か」は「認識」。
人を生かしているのは、自己充足なんかではない。自己充足に執着・耽溺することによってこそ、心は停滞し病んでゆく。
「あなたの命や存在はかけがえのないものだ」といって自殺願望を食い止めることができるか?そうやって自分のかけがえのなさを守るためにこそ自殺を選択するものだっている。べつに自殺が悪いことだとも思わないし、その理由なんかさまざまだろうが、そうした「自分のかけがえのなさ」というナルシスティックな認識に浸ってゆけば自殺しないかといえば、そんなことはないだろうし、そのナルシズム(自尊感情)で心を病んでいるものやこの世のはた迷惑な存在になっているものはたくさんいる。
自分という存在や命のかけがえのなさなど、ぜんぶあなたたちに差し上げる。
この生に意味や価値など何もないし、自分なんか人間のクズだ……少なくとも僕はそう思うところからしか生きられない。
この生や自分なんか忘れて「世界の輝き」にときめいてゆくことができるのなら、なんとか生きていられる。
まったく、われながらいやになるくらいどんどんダメなクズになってゆく。しかし、それでもというか、だからこそというべきか、自分の前の世界は今なお輝いて立ちあらわれている。