セックスアピール(その十)・ネアンデルタール人論150

東京ではもう、桜が散ってしまった。
今ごろどこらあたりで咲きそろっているのだろう。
福島とか仙台あたりだろうか。
満開の桜の花は、東日本大震災の被災地の人々の心を癒しているのだろうか。
まあ桜に対する感じ方も人それぞれで、「何だかそわそわさせられる」という人もいる。
しかし「そわそわさせられる」というのも、それはそれで心の華やぎだともいえる。
西行は、桜の花を見れば「もう死んでもいい」という心地になれる、と詠った。

願わくば花の下にて春死なん そのきさらぎの望月のころ

彼はこの歌を死の10年くらい前に詠み、じっさいその通りの時節に死んでいった。
西行法師というくらいでいちおう出家した僧侶であったし、釈迦もそのころに入滅したという話になっているから、仏教的な悟りの歌のように解釈されていることも多いが、西行自身は「和歌はうるはしく詠むべきなり」と語っているように本質的には詩人だったのだから、なぜそんなにも桜の花にこだわったかといえば、やはりその咲きそろった花群れのあでやかさやなやましさ(=セックスアピール)に惹かれていたのだろう。
桜の花を眺めているとわが身のことを忘れてしまう、とも詠っている。
まあ仏教的な歌も少なくないが、彼の歌の中心的なモチーフは、生きてあることのくるおしさやなやましさを表現することにあったし、人の心はそこから「わが身」を忘れて華やぎときめいてゆく。
彼の歌には、独特のセックスアピールがあった。そしてそれを、当時の歌壇は「深み」と評価した。

心なき身にもあはれは知られけれ 鴫(しぎ)たつ沢の秋の夕暮れ

新古今集の有名な歌だが、この場合の「心なき身」は、この生に満足する心も悟りの境地も持たない身ではあるが、というようなニュアンスだろうか。心を捨て去ることが悟りだともいえる。西行にとってそれは「あはれ=数寄(すき)」に「世界の輝き」を見ることにあったらしい。「鴫たつ沢の秋の夕暮」だなんて、なんとまあみごとに「世界の輝き」を表現していることか。と同時に、立ちつくしてそれを眺めている旅人の寂廖とした姿や心模様も浮かんでくる。「自分」という心が、その景色に持って行かれている。そういう意味の「心なき身」でもある。
世間ではよく「自分という存在の中身を充実させなければならない」などというが、人はそうやって「自分=この生」に執着・耽溺してゆくことによって心を病んでゆく。
「心なき身」になったほうがよい。心は、そこから華やぎときめいてゆく。
西行は、たえずこの生や「自分=この生」という心のはたらきに身もだえして生きていたから、その心が消えて鮮やかに「世界の輝き」に感じ入ってゆく体験も、誰よりも深く豊かに味わっていた。


まあ、桜の花群れほど「世界の輝き」を鮮やかに出現させている景色もなく、小さな花が集まってきらきら輝いているし、しかもそれは、あっという間に散り去ってゆく。
桜の花の出現にときめくことは、散り去ってゆくことの喪失感(=死)を想うことでもある。
人の心は、死に際してもっと深く豊かに華やぎときめいてゆく。たぶん、いつ死んでもかまわないと思い定めて生きていた縄文人ネアンデルタール人はそのことをよく知っていた。現代人だってそのときには無数の光の輝きや一面のお花畑などのヴィジョンを見るといわれているが、それでも共同体の制度性による通俗的な「生命賛歌」に心がからめとられているから、多くの人がうろたえ悪あがきしなければならない。
死は「無」であるとか、「天国」や「極楽浄土」や「生まれ変わり」などの「死後の世界」があるとか、そんなことはどうでもいい。われわれには生きてある「今ここ」しかないのであり、その「今ここ」は、たえず過ぎ去り喪失続けている一瞬一瞬だ。過去の集積や未来への計画に執着・耽溺しながら生きれば時間は一本の線としてつながってゆくが、その線はあるときぽきっと折れて消えてしまう。そんな生き方をして喪失感と和解するトレーニングをしてこなかったのだから、そのとき大いにうろたえ悪あがきしなければならないし、それ以前に、生きてある「今ここ」の「世界の輝き」にときめいてゆく体験をしていない。
「喪失感と和解する」とは、「世界の輝きにときめく」という体験のことなのだ。西行はそれを「あはれは知られけり」と詠った。心は「もう死んでもいい」という喪失感を契機にして華やぎときめいてゆく。その体験をしてこなければ、老後に残っているのは、恨みや憎しみばかりで、そうやってはた迷惑なボケ老人になってゆく例は多い。
「自分=この生」に執着・耽溺することは、「いまここの世界の輝きにときめく」心模様が停滞・衰弱してゆくことでもある。現在のこの国では、そういう過程を生きている大人たちがとても多い。平和で豊かな社会は、そういう大人たちを大量生産する。
「最近ときめかなくなった」と嘆いている大人たちの、なんと多いことか。そうしてこの社会に対する不平不満を共有する市民運動等のネットワークに参加したり、あるいは趣味や衣食住の「生活=日常」における自己充足に執着・耽溺していったりということをしている。
しかし、そんなことを続けながら、心にときめきを失った「けがれ」が堆積してゆく。
「ときめき」は、自己充足ではない。「この生=自分」を忘れて「非日常」の世界に超出してゆく体験なのだ。そうやってわれわれは、まいねん一回、「非日常の輝き」を出現させる桜の花群れにときめくという体験をしている。
桜の花群れは、華やかな輝きであると同時に、たちまち出現してたちまち散り去ってゆく「あはれ」の景色でもある。「あはれ」という「喪失感」と和解してゆく年に一度の機会なのだ。
「桜は<生まれ変わり>のめでたさを象徴している」などといっている人もいるが、多くの大人たちが「この桜をあと何回見ることができるだろうか」という感慨を抱くということは、心の底では「生まれ変わり」など信じていないということを意味する。去年の桜と今年の桜は同じではない。まいねんまいねん「一回きりの輝き」なのだ。
らいねんも桜の花を見ることができるという保証などない。「一回きり」という感慨がなければ、「ときめき」もまたない。
桜が散っていったあとは、何か取り返しがつかないような喪失感に浸される。
西行は、その「一回きりの輝き」に身をあずけて「花の下にて春死なん」と詠ったのだ。

吉野山こずゑの花を見し日より心は身にもそはずなりにき

  (吉野の桜を見た日から、心はもうこの体を離れてどこかに行ってしまった)

花見ればそのいはれとはなけれども心のうちぞ苦しかりける

  (桜の花を見ると、これといった理由ないのだが、心の中が苦しくてたまらない)

いかで我この世のほかの思い出に風をいとはで花をながめむ

  (この世の思い出に、せめて一度くらいは風の心配をすることなく心ゆくまで桜の花を眺めていたい)

もろともに我をも具して散りね花うき世をいとふ心ある身ぞ

  (花よ私もろとも散ってしまえ、世の中がいやになっている身なのだから)

思えただ花の散りなむ木(こ)のもとをなにを蔭にて我が身すぐさむ

  (思ってみよ、花が散ったあとの木の下に心をとどめて、わが身は何を頼みに生きてゆけばよいのか)

風さそふ花のゆくへは知らねども惜しむ心は身にとまりけり

  (風に誘われて散ってゆく花の行方は知らないけれど、惜しむ心はいつまでも我が身にとどまっている)

「惜しむ心」とは、「喪失感」のこと。
ときめく心は、「今ここ」を「一回きり」のものとして生きる心に宿っている。そしてそれゆえにこそ、その喪失感も深い。その喪失感を契機に心は華やぎときめいてゆく。
桜の花は、喪失感の象徴でもある。
人びとは、「生まれ変わり」のめでたさを祝って花見の宴をしているのだろうか。おそらくそうではあるまい。それがたちまち散り去ってゆくものであることを誰もが知っている。それでも花群れには、その喪失感と和解できるほどの華やぎと輝きがある。「もう死んでもいい」という気にさせてくれる。心はそこから華やぎときめいてゆくのであり、それこそが人類の「祭り」の原点なのだ。
「生まれ変わり」のめでたさに充足しているのなら、そこでバーンアウトしてしまうだけであり、花見の宴であんなにもせきたてられるように浮かれ騒いだりはしない。
人の心は、欲望がかなうことによって華やいで(活性化して)ゆくのではない。「喪失感=生きられなさ」にせきたてられて華やいで(活性化)してゆくのだ。


「さくら」の「さく」は、「咲く」であると同時に、「割く=裂く」の「さく」でもある。素早く鮮やかに分断されること。もともとは素早く鮮やかな心の動きのことをいった。
「さく」とは、素早く鮮やかなさま。だから近ごろの若者は「サクッと……する」といったりするし、桜の花のたちまち咲きそろってたちまち散ってゆくさまをあらわしてもいる。
そして「ささ、どうぞ」というときの「さ」には、せかせる心が込められている。
古事記には「コノハナノサクヤヒメ」という女神が登場するが、この女神も、鮮やかな美しさと命の短さの象徴として描かれている。だから「コノハナ」の「ハナ」は「桜」のことだろうといわれているのだが、まあ咲く花の命はおしなべて短い。「はな」という言葉そのものが「はかなく愛らしい」というニュアンスを持っている。
そして「さくら」の「ら」は、「われら」「彼ら」というように「集合」のニュアンスだが、同時に「ラララ」とはしゃいだり「ランランラン」とスキップしたりするように「楽しさ=賑わい」のニュアンスもある。
縄文時代は「村(むら)」というレベルの集落しかなかったわけだが、語源としては「人が集まる賑わい」というようなニュアンスで、都市や町と区別するための「小規模の集落」という意味だったのではあるまい。「むら」の「ら」は「賑わい」のこと。「集合」というニュアンスは「む」にあった。「群れ」の「む」。
「さくら」というやまとことばは、文字通り「たくさんの花が群がって咲いている」という表の意味のほかに、「あでやかで心をせかせるもの」というニュアンスも隠し持っている。
それはもう、誰いうとなく「さくら」と呼ぶようになっていったわけで、そう呼ぶほかないような人々の感慨が歴史の無意識として込められている。
人がこの世に生まれ出てきてしまったことは、取り返しのつかないあやまちであり、それはもう、なんと理屈をつけようとそうなのだ。人間なら、誰の心の中にもそういう無意識の喪失感が疼いている。この世のエリートとして生きようと、名もない庶民としてみじめに生きて死んでゆこうと、誰にとっても生きてあることはさしあたって取り返しのつかない「あやまち」なのだ。
「あやまち」だけど、生まれ出てきてしまえば世界は輝いており、心はすでにときめいてしまっている。ときめかなければ生きられないし、ときめいているというそのことがいたたまれないことでもある。この「ときめき」が、喪失感をより深くしている。
われわれは、ときめきつつ喪失感を生きている。喪失感を生きつつときめいている。