少女たちの舞姿・「天皇の起源」69


日本列島は「姿」の文化である。
中身のない、ただの画像としての「姿」を止揚する、それが伝統的な美意識である。
肉体も心も霊魂も邪魔なものだという美意識。
たとえば言葉、その言葉に込められた意味も心も二次的なもので、まずはその音声の響きというかニュアンスを感じ取ってゆく、そういう美意識である。
なぜ礼儀作法などというものがあるのかといえば、人の内側の心などよくわからない、外にあらわれた「姿」がいちばん大事、という思いがあるからだろう。
まず「姿」を感じ取ってゆく。日本列島では、そういう美意識を洗練させてきた。それは、異民族との軋轢がない海に囲まれた島国で、相手のいうことの意図や意味を詮索する必要がない風土だったからだろう。つまり、相手が敵か味方かを問う必要がなかった。人の体の中の体や心を支配する「霊魂」などというものを発想しない土地柄だった。
人は、霊魂のつまった身体よりも、からっぽの身体で生きようとする。なんのかのといっても生き物はそのようにして体を動かしながらこの生をいとなんでいる。その基礎の上に「姿」の文化が生まれてきた。
日本列島の歴史の底に流れる「みそぎ」を果たしてさっぱりとした体になりたいという願いは、霊魂を知らない風土から生まれてきた。霊魂などというものがあろうとなかろうと、「姿」の文化は、霊魂を知らない風土の上に成り立っている。
「ことだま」の「たま」は、「霊魂」のことではない。「ことだまが宿っている」などという言い方は現代人のもので、古代人は「ことだまの咲きはふ」といった。それは、言葉の中に宿っているものではなく、「言葉の姿」そのものを表す言葉であり、「言葉の美しい姿」を「ことだま」という。
やまとことばは、ひとつの意味だけを宿している言葉ではない。それは、霊魂が宿っていないということだ。ひとつの言葉にはさまざまな意味(ニュアンス)があり、たしかなことはその言葉の音声の響きなどの「姿」があるということだけだ。
やまとことばに「霊魂」など宿っていない、「姿」があるだけだ。
どうして歴史家は、「ことだまとは言葉に宿っている霊魂のことである」などと愚劣なことをいうのだろう。



人間にとっての「衣装」は、ひとつの「姿」であり、霊魂を持たないからっぽの「身体の輪郭」である。
身体がからっぽの「空間の輪郭」であればという人間の願いとともに衣装が生まれてきた。
二本の足で立って歩く人間はもともと身体をからっぽの「空間の輪郭」にしながら歴史を歩んできたのだが、身体の進化や文化・生態の発展とともに、それが困難になってきて「踊り」や「衣装」をまとうということを覚えていった。
意識にとって衣装はもうひとつの「身体の輪郭」であり、もうひとつの皮膚である。
車を運転するときわれわれは、車の輪郭を自分の身体の輪郭のように感じている。その感覚があるから、狭い道をすり抜けたり駐車場の狭いスペースに車をはめ込んだりすることができる。
同じように、衣装を着ているとき、無意識のうちに衣装を身体の輪郭として扱っている。
人類がなぜ衣装を着るようになったかといえば、防傷防寒の道具としてではなく、「もうひとつの身体の輪郭」を必要としたからだ。それほどにこの身体の物性が鬱陶しかったからであり、それほどにこの身体の物性を忘れてしまうことができなくなったからだ。
それはつまり、二本の足で立っていることの居心地の悪さから発している。その姿勢は、とても不安定で生き物としてとても危険であり、しかも生き物としての身体能力を大幅に失うことでもあるのだが、それでもその姿勢でいようとするのが人間である。
人間は、根源的に身体の物性を忘れることができない存在の仕方をしている。それでも、忘れないと生きていられない。四六時中身体の物性を意識していたら、気が狂ってしまうし、忘れないと体はうまく動かない。
体がうまく動くとは体が勝手に動くことであり、体が勝手に動くとは体のことを忘れているということだ。
生き物の生は、身体の物性を忘れることの上に成り立っている。
身体の物性を忘れるために衣装が生まれてきた。衣装の輪郭を身体の輪郭のように感じていれば、身体の物性を忘れていられる。
まあ人間は、それほどに身体の物性にわずらわされている存在なのだ。だから衣装が生まれ、踊りが生まれてきた。
そして身体の物性を支配するのが霊魂であるのなら、霊魂など発想しようがないではないか。
人間は、根源においてこの身体を「空間の輪郭」として扱い、世界をたんなる「画像」として見ながら生きている。このとき身体を支配する霊魂も森の木に宿る精霊も発想されていない。
誰だって太陽や月を見れば、平べったい丸い板のように見えるだろう。原始人の誰がそこに宿っている神や霊魂をイメージするものか。
まあ、「姿」の文化である日本列島住民は、基本的には「言葉の霊魂」などというものは知らないのだ。



身体が勝手に動いているとき、意識は身体(の物性)を忘れている。それは、意識が身体(の物性)以外のものに向いているということだ。
桜の花の下を歩いていれば、桜の花に見とれて、歩いている足の物性のことなど忘れている。
身体の外の世界にときめいているときに、身体が勝手に動いてしまうということが起きる。
ピアニストの指は音楽にときめきながら勝手に動いているのであって、指を動かそうとしているのではない。
人間は猿よりも身体能力の劣った猿であったが、猿よりも「身体が勝手に動いてしまう」というタッチを持っていた。それは、二本の足で立って歩くことによってはぐくまれてきたものである。二本の足で立っているから身体の物性を強く感じ、強く感じるからそこから逃れようとしてより深く豊かに世界に対してときめいてゆくようになり、ときめきながら身体が勝手に動くように歩いていった。
人間にとって歩くことは、身体が勝手に動いてしまうことだ。それは、重心を少し前に倒すだけで、つられて足も勝手に前に出てゆく。
もともと四足歩行の生き物である猿にとって二本の足で立つことはとても不安定な姿勢である。だから体が揺れて、勝手に「重心の移動」ということが起きてしまう。そうやって、気がついたら直立姿勢で上手に歩いている猿になっていた。べつに、霊魂という身体を支配する存在のおかげであるわけではないし、上手に歩こうとする上昇志向で練習していったわけではない。
気がついたらいつの間にか立ち上がり、いつの間にか上手に歩いていたのだ。
人間は、存在そのものにおいて勝手に身体が動いてしまう契機を持っている。それは身体が不安定なかたちで存在しているからであり、さらには、その不安定のためにたえず身体の「物性」を意識し、そこからの解放としてその「物性」を忘れようとする意識が強くはたらいているからだ。
人間は、身体が勝手に動いてしまう体験に耽溺する心の動きを持っており、そのようにして「踊り」が生まれてきた。



身体が動くとは、身体が空間を移動することであり、身体が空間になったような心地を体験することである。人間は、ふだんから身体の物性にわずらわされて存在しているからそういう心地になってしまいやすいし、そういう心地に耽溺してゆく傾向がある。
生き物の身体は、死んでゆく存在である。死んでゆくときは苦しくてもがく。それが、動くということだろう。苦痛から逃れようとしてもがく=動く。
人間は身体の物性に対する鬱陶しさを深く負っている存在だから、身体が勝手に動いてしまうことが起き、身体が勝手に動いてしまうことに耽溺する。
猿はいつだって意図的に体を動かしているばかりで、体が勝手に動いてしまう踊りに耽溺する趣味はない。なぜなら猿には、人間ほどの身体の物性に対する鬱陶しさを持っていないからだ。
人間がなぜこんなにも高度なピアノ演奏をできるようになったかといえば、体(=指)が勝手に動いてしまうことに耽溺する趣味があり、際限なくそのことを追求してしまう生き物だからだろう。
ピアニストの演奏(=指の動き)を見ていると、人間はそこまでしないと気がすまないのかとあきれてしまう。作曲家は、あんなにも超人的な動きを当然のこととして要求する。
そのように人間は、身体の物性の鬱陶しさからせかされて存在している。
何か先験的な欲望のようなものを持っているのではない。苦痛からせかされているだけなのだ。
音楽などの芸事にしてもスポーツにしても、子供のときからはじめないと大成しないといわれている。上手くなりたいという欲望は、大人のほうが持っている。それでも大人はたいして上手くならない。それは、大人は身体の物性と和解してしまっていて、身体の物性の鬱陶しさからせかされるものが希薄だからだ。
子供のほうが欲望を持っているのではない。子供のほうが、身体の無力性と物性の鬱陶しさという「せかされるもの」を深く豊かに抱えているからだ。
身体が動くことは、苦痛から逃れようとする現象である。体の細胞が安定を失ってざわざわする。まあ、そのようなことだろう。そのざわざわすることが、身体の物性の鬱陶しさであり、「けがれ」という。
人間は、体が自然に動いてしまうような、そして体が自然に動いてしまうことに耽溺するような、「けがれ」を負って存在している。



日本列島の伝統的な舞のコンセプトは、「けがれ」をそそぐことにある。それほどに身体の「物性=けがれ」を深く意識してしまう民族なのだ。そしてその「せかされるもの」という契機は子供のほうが深く豊かに抱えているのであり、だから弥生時代奈良盆地においては、思春期の少女が巫女という舞のエキスパートになっていった。
またそれは、直立二足歩行の開始以来の普遍的な人間の生きるいとなみの根源のかたちでもあり、もともと舞とはそのようなものなのだ。
舞の美しさは、身体の「物性=けがれ」をそそいでいる「姿」にある。そしてその身体の「空間性」は、「身体の移動」によって表現される。身体は、空間を移動することによって、「物性=けがれ」がそそがれる。人類は、そのような空間移動のカタルシスの体験として二本の足で立って歩くということを洗練させてきたのであり、その洗練の過程で「踊り」が生まれてきた。
歩くことは空間を移動することであり、身体が「物性=けがれ」をそそいで「空間」になることだ。
縄文時代は、山の中の小集落の中心の小さな広場で踊っていた。おそらくそこには、あまり動きまわることのできるスペースはなかった。
もしかしたら男女が向き合って座り、上半身だけで踊っていたのかもしれない。北アフリカのある部族には、そういう踊りのスタイルが現在まで残っている。縄文人も同じように踊っていたかどうかはわからないが、スペースの制約があったから、あまり動きまわるということはなかったはずである。
「空間を移動する」という舞は、弥生時代に広い平地に下りてきて本格化したのだろう。
また、広い平地に定住しながら大きな集団で農業をするようになれば、「けがれ」の意識も深く切実になってくる。
おそらくそこでの巫女という思春期の少女たちは、「空間を移動する」という新しい舞の様式を生み出したことによって人々に祀り上げられていったのだ。
思春期の少女は、人間社会でもっとも身体の「物性=けがれ」を深く意識している存在である。その意識からせかされるように彼女らは「空間を移動する」という新しい舞の様式を生み出していった。また彼女らは、もっとも踊ることが好きな世代でもあった。



原初の人類が二本の足で立って歩くことは「空間を移動する」ことであり、身体が空間に溶けてからっぽの「空間の輪郭」になってゆく体験だった。そうしてやがて歩くだけではすまなくなり、「踊り」が生まれてきた。
弥生時代奈良盆地の人々が夜の薄明の中で踊るという祭りをしていたのも、そうした原初の人類の歴史をそのまま踏襲している行為だった。
身体が空間を移動することは、身体が空間に溶けてゆくことである。そのカタルシスとして人類は踊るということをはじめ、洗練させてきた。
身体が空間に溶けてゆくように空間を移動してゆく。この作法が日本列島の舞の伝統であり、それはおそらく弥生時代奈良盆地の少女たちの舞から本格化してきた。
そのような少女の舞は、中世になっても「やや子踊り」という特別な美の様式として引き継がれており、神社に奉納されたりしていた。
人間は、身体が空間に溶けてゆく心地にカタルシスを覚える存在である。
コーラスやオーケストラにおいて、自分の声や演奏は聴衆には届かない。それでもなぜその行為によろこびがあるかといえば、自分の身体存在が周囲の空間に溶けているというカタルシスがあるからだろう。そのとき身体は、からっぽの「空間の輪郭」になっている。
人間が集団つくるということ自体、すでにそのような心地に身を浸すことのカタルシスの上に成り立っている現象であるのかもしれない。
身体がからっぽの「空間の輪郭」になってゆく心地を汲み上げてゆくことこそ、生き物のの生のいとなみの根源的なかたちではないだろうか。
そのようにして生き物の身体は動いている。「空間の輪郭」になる、というかたちで細胞が発生したのだ。それはもう、細胞そのものの根源的なはたらきである。
「身体が移動する」ということは、身体の物性の鬱陶しさがたまってきた身体が、そこから逃れるようにして空間を移動しながら、空間に溶けてゆく心地とともに身体の物性をそぎ落としてゆき、別の場所に新しい「空間の輪郭」をつくる、ということだ。
原始的な生物の細胞分裂だって、身体の物性の鬱陶しさがたまって身体の物性をそぎ落とす現象に違いない。
何はともあれ、はじめに身体の物性の鬱陶しさという「けがれ」の自覚がある。そこから生き物の生のいとなみがはじまる。
身体が「移動する」とは、身体の物性を置き去りにするということだ。
目の前の人が移動するということは、そこに新しい「空間の輪郭」が生まれているということである。意識はまず、そのようにして見る。身体の物性なんか、見ただけではわからない。
人は、身体が「空間の輪郭」になったような心地で空間を移動しているし、移動している他者に対しても「空間の輪郭」が移動しているように見ている。「空間の輪郭」とは、すなわち「姿」のこと。



弥生時代奈良盆地で夜の薄明の中を踊っていていた人たちは、少女たちの舞に、空間を移動する姿の美しさを見い出していった。
それはもう、日本列島の伝統というより、人類普遍の美意識なのだ。
人間なら、どうしてもそのような気配を感じてしまう。また、「けがれをそそぐ」というテーマで生きていた縄文・弥生人は、ことさらそういう気配に敏感でもあった。
その祭りでの少女らの身のこなしには、身体を支配しているという気配が希薄だった。身体を支配する霊魂の存在の気配が希薄だった、と言い換えてもよい。
彼女らの身体の移動の仕方は、滑るようにというか、空間を浮遊しているような気配があった。
これは、昼間の明るいところではなく夜の薄明の中だから、いっそう鮮やかに感じられた。
少女らの身体に対する物憂い思いが、そういう動きを生みだした。彼女ら自身も、無意識のうちにそういう動きを工夫していったのかもしれない。
空中に浮いているようだ、と感じれば、誰だって驚きときめくだろう。
空中に浮いて体が勝手に動いてしまっているような動き。何度も踊っているうちに、気がついたらそういう動きになっていた。
大人たちは男女で踊っていたのに対して彼女らは、自分たちだけで踊っていた。したがってそれは、男の気を引くための動きではなく、自然に体が動いてしまう気配だった。そのようにして、いつの間にか大人たちの踊りとは明らかに違う気配を持つようになっていた。
世界中の民族が、いつの間にか少女たちの舞に特別な気配を感じてしまう。
彼女らは、男の気を引こうとする媚も、身体を支配しようとする意図も持っていなかった。身体を動かすことの疎ましさとはにかみを抱えながら踊っていた。それは、けっして巧緻な動きではなかったが、ある独特の気配を持っていた。
そんな彼女らが夜の薄明の中で踊っていると、空中に舞っているように見えた。そのようにして「舞う」という言葉が生まれてきた。
「舞う」とは、空間を移動することであり、空間そのものになることである。そしてそれが、人間の根源的な身体作法なのだ。
原始神道の巫女の本業は、祭りの場で舞うことにあった。そしてそうなってゆく人類史の必然性は確かにあるのだ。
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