清浄と幽体離脱・「天皇の起源」62


氷河期の日本列島は大陸と繋がっていて、日本海は湖だった。そして広い平原があり、ゾウやシカやウマやウシなどの大型草食獣がたくさんいた。
そのころの日本列島は、石器の先進地域だった。それは、それほどたくさんの狩りの対象となる草食獣がいたということのほかに、北の大陸の文化と南の大陸の文化が出会う地域だったために石器がどんどん新しく改良されていった、ということを意味する。
人々は、平原で暮らしていた。
しかし氷河期が明けて気候が温暖化して海面が上昇すると、大陸と切り離されて平原のほとんどは水没し、わずかに残った平原も湿地帯なり、大型草食獣は次々に絶滅していった。というか、それらの動物はすべて大陸に移動していったということだろうか。
そして人間は、それらの動物を追いかけていかなかった。人間だけが取り残された。
古人類学では、人類拡散の原因をよく狩の獲物を追いかけていったこととして説明しているのだが、それが嘘だということは前記のことが証明している。
また人口の膨張が原因だともいうのだが、そのころ土地はいくらでもあり余っていたのだから、ただ居住域が拡大するだけの話である。
人間はそうかんたんには生まれ育った土地を離れないし、どんなに住みにくくても生まれ育った土地には愛着を持つ生き物なのだ。
それでも人類は地球の隅々まで拡散していった。それは、原始時代の集団はすぐばらけてしまうが、それでいてそのあと知らないものどうしでもかんたんに集団をつくってしまう傾向があったからだ。そうやってどんどん新しい場所に新しい集団が生まれていった。つまり「出会い」と「別れ」が豊かに交錯する生態を持っていた、ということだ。そして、人と人がときめき合っている集団なら、住みにくい土地でもいとわない。
ほとんどの動物は環境が変わると生きていけなくなるが、人間はどんな環境でもなんとか生きてゆくし、その生きにくさが生きることの醍醐味になったりする。
そうやって氷河期明けの縄文人は、平原を追われながら山の中の森に移住していった。
彼らにとってそこは、とても生きにくい場所だった。
何もかも未体験のことで、勝手が違った。
しかも、まわりの景色もまるで別世界(他界)だった。
とくに、平原で暮らす歴史を歩んできた彼らにとって山の中の森は神秘そのものだった。
もしかしたら神社と森がセットになっていったのは、そのときの感動体験が歴史の無意識として残っているのかもしれない。
そのとき彼らは、森を精霊が棲む場所だと思ったか?
思ったら、森の中に住めるはずがない。棲み分けをしようとするのが人間の本能なのだ。
後世の説話においても、基本的に精霊は人間が近づかない森に棲んでいる。
森の中に入ってきた縄文人は、ただもう見たこともない景観であることに大きく心を動かされた。そしてそこは、人間の痕跡がまったくない場所だった。
平原を自由に広範囲に動き回って暮らしていた人々にとって、勝手が違う山の中の行動範囲はごく限られていた。とくに女子供はもう、閉じ込められているのも一緒だった。
そんな身動きとれない暮らしをしていれば、とうぜんわが身の「穢れ」は強く意識されるようになってくる。
見はるかす、というような景色は、どこにもないのだ。なまじ平原で暮らしてきた人々だっただけに、その閉塞感はつらかった。おそらくここから日本列島の住民の「穢れ」の意識がはじまっている。



日本列島の文化の根底には、「穢れ」の自覚がある。
他者に「穢れ」を見て差別をするというような意識は、異民族との軋轢の歴史を歩んできた大陸の人々のものであり、日本列島では江戸時代のころからようやく芽生えてきた意識にすぎない。
したがって差別を天皇制のせいだというなんてまったくナンセンスだし、「穢れ」という言葉が他人を差別するための言葉として生まれてきたと考えている国文学者や言語学者がいるというのだからあきれる。
日本列島の住民の「穢れ」の意識は、身動きがまならない縄文時代の山の中の暮らしからはじまっている。「穢れ」という言葉は、みずからの心や体の停滞に対する感慨から生まれてきた。この世界とうまく調和できないみずからの心や体の停滞した状態……これが「けがれ」という言葉の語源だ。
「け」は「蹴る」の「け」、「分裂」の語義。
「か「は「かっとなる」の「か」、「関係が生起すること」。
「れ」は「あれ・これ・それ」の「れ」、「方向」の語義。
「けがれ」とは、意識が世界との関係を喪失して自分にばかり向いてしまうこと。「けが」をして痛くてたまらないときだって、そういう心地であるはずだ。
縄文人にとって自分の居住区は「穢れ」がたまっている場所であり、人の痕跡がない森の中こそ「清浄」な場所だった。そうした森に対する原初的な「畏れ」の感慨は、そこに精霊が棲むとか、そんなことではない。「人の痕跡がない清浄な場所」という感慨だった。人が棲んでいる場所に対する「穢れ」の意識が深かったからこそ、人の痕跡がない森の「清浄」も切実に感じていった。
日本列島の文化は、作為性を嫌ったり隠そうとしたりする。それは「穢れ」の意識からくる。
日本列島においては、この生であること人間であることそれ自体が穢れなのだ。
作為、すなわち霊魂それ自体が日本列島においては穢れなのだ。
精霊が棲んでいると思ったら、森の中には入ってゆかない。しかし縄文人は、森の中に入っていった人たちなのである。そして男たちは、森の中を歩き回っていた。そこに入れば、人里の穢れがそそがれるような心地になったからだ。そうして、あらためて人里が恋しくなる。人里に対する恋しさを取り戻すために森の中に入っていったともいえる。
縄文人は、森の木に精霊が宿っているなどという俗っぽい擬人化の視線など持っていなかった。
人の痕跡がないことこそ、森が清浄な場所であることのゆえんだった。
そこには、人の痕跡も神の痕跡も精霊の痕跡もない、まっさらな感じがあった。
この「まっさらな感じ」こそ、原始神道の「清浄」なのだ。縄文の男たちは、森の中で「まっさらな心」になって女たちの待つ集落を訪ねていった。
日本列島の住民にとっての神社の森は「まっさらな心」にしてくれるところであって、べつに神や精霊と対話をするところでもなんでもない。
日本列島の住民は、縄文時代のはじまり以来の歴史の無意識として、森に対して人の痕跡がない「清浄」を見ている。まあそれほどに人の痕跡の「穢れ」を深く感じている民族なのだ。
原始神道は、人の作為を止揚する呪術ではなく、人の作為を消す美意識である。



「清浄」とは、まっさらな心とまっさらな体とまっさらな場所のこと。
「まっさらな心」とは、生まれたばかりの子供のような心のことだろうか。裁くことを忘れて、すべてを赦している心。かなしみ。鬱陶しさにまとわりつかれている状態を洗い流した心、それは「かなしみ」に違いない。よろこび(高揚感)で打ち消して忘れることはできるが、それは洗い流している状態ではない。よろこびが消えれば、依然として鬱陶しさがまとわりついていたことに気づかされる。
神社の森の中に立てば、異世界に紛れ込んだような心地がする。これは、縄文の記憶だ。で、生まれ変わったような心地になる。平原を追われて森の中にはいってきたそ縄文人は、そのとき、いままでの自分が通用しない世界だと思った。そうやって自分が消えてゆくような心地がした。無心になる、ということ。まあその新しい森の暮らしは、何もノウハウを持っていないのだから、捨て身にならないとできない。しかし、捨て身になることの心地よさというものもある。人類が地球の隅々まで拡散していったのも、自分を捨ててとびこんでゆく醍醐味があったからかもしれない。
人間は無心になることが好きだし、無心になっている人を美しいとも思う。
森林浴、という言葉もある。氷河期が明けて鬱陶しい暑い夏を体験するようになってきた人々は、森の中のひんやりした空気に心が洗われる心地がしたのかもしれない。
森は、日本列島の住民の原初的な記憶の場所だ。そこから日本列島の歴史がはじまっている。
「まっさらな心」とは、「まっさらな体」のことでもある。たとえば、体の中をひんやりした清らかな水が流れていって、体が空っぽになったような心地のことだろうか。
この生は、体を空っぽの「空間の輪郭」として取り扱うことによって成り立っている。これはおそらく無意識のことだろうが、体がスムーズに動くとき、体は空っぽの「空間の輪郭」になっている。また、そのような心地でいるとき、死は怖くない。



幽体離脱」という体験するとき、人は抜け出したほうの自分について考える。しかしほんとうは、もぬけの殻になった自分こそが大事なのではないか。
だから、そういうとき、つねにもぬけの殻の自分を見ている。たぶん、もぬけの殻になった自分こそほんとうの自分だという思いで見つめている。
もぬけの殻の自分になりたくて幽体離脱するのかもしれない。
それは、身体の物性の鬱陶しさから解放されている自分である。抜け出した自分が霊魂となって天国に行くとか永遠を生きるとか、そういうことではないのだ。からっぽの体になりたいという無意識が、そういう体験をさせるのではないだろうか。
一般的には抜け出した自分こそが自分だという思考になっているが、無意識のところでは、じつはもぬけの殻になった自分をほんとうの自分だと思っているのかもしれない。抜け出した自分がほんとうの自分であるのなら、「天井から自分を見ている」などということをせずに、霊魂になっためでたさを携えてさっさと天国に行ってしまえばいいし、まれに自意識が強くて霊魂に執着している人は天国に行ってしまったりするそうである。しかしそんな人も、天国から必ず舞い戻ってくる。
まあ、もぬけの殻になった自分をじっと見ているのならまだ大丈夫だが、霊魂を携えてさっさとあの世に行ってしまうというかたちで自殺したりすることもあるのだろう。
もぬけの殻の自分になることこそ、生きてある人間の無意識の願いであり、究極の願いでもあるのかもしれない。「幽体離脱」の体験は、人間にとってその願いがどれほど切実なものかということを意味しているのではないだろうか。
人間なら誰しもどこかしらで体の中に肉や骨がつまっていることの鬱陶しさは感じているし、病気や疲れで身体の危機に瀕したときは、そのことをひしひしと感じるだろう。それで思いあまって幽体離脱してしまうこともあるにちがいない。
そのとき、抜け出した霊魂としての自分なんかほんとうはどうでもいいのかもしれない。
縄文人が山の斜面を歩いているときだって、かるい幽体離脱を起こしてしまうことあったかもしれない。そのときにもしも抜け出した自分をほんとうの自分だと思ってしまったら、斜面にへばりついて歩いている自分はどうでもよくなって、とても危険な状態になってしまう。
しかし実際はそうではなく、からっぽの自分の方が身体をコントロールしやすいという経験知にちがいない。からっぽの身体になりたくて幽体離脱するのだろう。そのとき意識は、身体を支配しようとする意識(=霊魂)を捨てて、からっぽの身体まま斜面や道に対する親密さで歩いている。そういう空間としての「身体の輪郭」のイメージが生き物の身体操作の基礎になっている。斜面や道との関係=空間と親密になってゆくことが、身体操作の基礎的な心の動きであって、身体を支配しようとする意識ではない。



幽体離脱は世界じゅうの人間が体験していることだが、日本列島ではそれで天国に行ったという話はあまり聞かない。抜け出した自分の行方に対する関心はあまりないらしい。だから、天国や極楽浄土のイメージがなく、あの世は何もない「黄泉の国」だという。
日本列島の住民には、あの世まで行ってしまえるだけの自意識も世界観もない。かぐや姫に会いに行ったという話など聞いたことがない。それは、無意識のところで、幽体離脱して抜け出した自分をほんとうの自分だとは思っていない、ということだ。もぬけの殻の自分こそ自分だという文化風土がある。
しかし日本列島の住民だって、追い詰められたらあの世まで行ってしまえる自意識や世界観を持ってしまう。それはきっと、とても危険なことにちがいない。
それに対して西洋では、たとえばUFOに乗せてもらったとか、月まで行って地球を見てきたとか、もちろん天国に行ってきたという俗っぽい話もけっこう多い。それは、自意識の強さと世界観の差だろうか。
まあ、幽体離脱の体験をすれば霊魂を信じたくもなるのだろうが、それでも二本の足で立ち上がって「穢れ」の自覚を負ってしまった人間という存在は、からっぽ(まっさら)の自分になりたいという根源的な願いを持っている。
抜け出した霊魂なんかどうでもいい。
日本列島の「清浄」の美意識は、「霊魂」という概念とそぐわない。
「霊魂」を洗い流したからっぽの身体こそ「清浄」なのだ。



もののあはれ」とは、からっぽの自分になることである。
日本列島の住民のその感慨は、氷河期明けとともに平原を追われて森の中に入っていったときからはじまっている。
そこではもう、かつてのような暮しはできない。そこは「他界」だった。
日本列島の住民は現世に「他界」を持っているから、天国だの極楽浄土だのという「あの世」をイメージしない。イメージしても、そんなものは蛇足なのだ。だから、あの世は「黄泉の国」であるという。
森の中に入っていった縄文人は、そのとき自分が消えてしまったような心地に浸された。それは、一種の幽体離脱の体験だったのだろうか。そのときいろんな意味で生命の危機に陥り、ひとまずもう何も考えられないという状態になったのだろう。そうして意識を持った自分はどこかに行ってしまって、からっぽの自分だけが残った。
まあ、いつも危険な斜面の山歩きばかりしていれば、自然に「からっぽ」の身体になる幽体離脱のタッチを持つようになってゆく。
そして、からっぽの自分になってしまえば、世界は美しく輝いている。
昨今の山歩きのブームにしても、いつにも増して世界が美しく輝いて見えるという感動があるにちがいない。
途方に暮れているのに、しかしこの親密な感慨はなんなのだ……氷河期が明けてはじめて森の中に入ってきた縄文人は、そのときそのような心地に浸されていった。山に囲まれて日々の暮らしは鬱陶しく困難なばかりなのに、それでもその無力であることの物憂い嘆きは、よけいな欲望を持たないさっぱりした状態でもあった。
彼らはそこで、からっぽの自分になって森という他界の「清浄」な気配にときめいていった。それは、ひとつのカタルシスだった。
縄文時代とは幽体離脱の時代だったのだろうか。彼らの山歩きの作法は、抜け殻になったからっぽの自分を自分として生きることだった。
人は、そのようにして世界や他者にときめいている。
外から見ている自分をほんとうの自分だと執着してゆくのは、現代人の制度的な観念から生まれてくる思考にすぎない。その霊魂信仰は、まさにアニミズムだ。
霊魂信仰で人間は救われるのか。
人間は、霊魂信仰ではない生のかたちも持っている。
縄文時代がなぜ1万年も続いたかということは、彼らの知能が劣っていたからというようなことではあるまい。彼らは、その歴史のはじめから世界で最先端の土器や石器製作の文化を持った人たちだった。
まあ、よけいな欲望がなかったのだろう。そういう「ものうい=アンニュイ」の文化の時代だった。それが「もののあはれ」であり人間の本性(自然)でもあるから1万年も続いてしまったのだろう。
源氏物語の芸術性というか、その普遍性もまた、そういう「ものうい=アンニュイ」と「清浄」の気配が全編に流れていることにあるのだろう。
伊勢神宮の森は神々しい気配を持っているといっても、べつに神と一体化したような熱い高揚感が湧いてくるのではない。それは、逆に「ひんやりとした気分」といった方が当たっている。その清浄な気配を前にして人は、何か身体が消えてゆくような心地に浸される。人間は身体の鬱陶しさという「ものうい=アンニュイ」の気分を持っているから、そういう体験をする。そしてそれはたぶん、日本列島の歴史で縄文時代の人々がいちばん深く豊かに知っていた。
つまり、現代人よりも縄文人の方がはるかにモダンな人々だったということだ。彼らは野蛮なアニミズムであくせくして暮らしていたのではない。いまどきのスピリチュアルこそ、まさに野蛮なアニミズムそのものではないか。



僕は幽体離脱なんか体験したこともないし、それが宗教的にたいそうな体験だとも思っていない。ただ、人間の無意識に迫るカギのひとつにはなるのだろうな、と思っているだけだ。
身体の危機に陥ったときの人間の普遍的な願いは、自分=身体を外から見ることではなく、自分=身体が空っぽになることだ。
生き物の身体が動くということは、根源的には身体の危機に対する反応である。「いまここ」にいられなくて、べつの「いまここ」に移動してゆく。そうやって身体が動くとき、意識は「空間」に向いている。身体が動く空間だけでなく、身体そのものもまた「空間」として意識されている。生き物は「空間意識」で体を動かしている。
熟練したピアニストだろうと舞踊家だろうとスポーツ選手だろうと、身体をからっぽの「空間」として取り扱っている。身体の物性が空間に溶けて消えてゆくような感覚である。
鈍くさい運動オンチばかりが、身体の物性の執着し、その物性を支配しにかかっている。
身体がからっぽの「空間」になってゆくような感触、これがこの生のいとなみの感触なのだ。身体が危機におちいったとき、本能的にそういう感触を再現しようとして「幽体離脱」が起きる。というか、生き物は幽体離脱的な意識のタッチで身体を動かしている。すなわち、身体がからっぽの「空間」になってゆくようなタッチ。これはもう、生命の発生以来の生き物の本能のようなものではないだろうか。
人間は、根源においてこの生や身体の「穢れ=鬱陶しさ」を自覚している存在である。われわれの身体は、危機を生きている。そうして、たえずからっぽの「空間」になろうとしている。
氷河期明けの縄文人が平原を追われて山の中の森に入ってきたとき、身体の危機とともに身体がからっぽの「空間」になるという根源的な体験をした。それは、「みそぎ」の体験である。原始神道の「穢れ」と「みそぎ」は、すでにここからはじまっている。
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