生きにくさを生きるということ、問うということ・神道と天皇(42)

生きものは、生きにくさを生きながら、この生とは何かと問い続けている。生きるいとなみは、問い続けることだ。もちろんこのことに自覚的であるのは人間だけかもしれないが、生きものが「そこに食いものがある」とか「そこに敵がいる」とかと気づくことだってひとつの「問い」にほかならない。まず「いったいなんだろう?」と問い、「ああそうか」と気づいてゆく。「なんだろう?」と問うことが「ああそうか」と気づくことでもある。「ああそうか」と気づくことが、「なんだろう?」と問うことでもある。
ものを食べることは「食べたい」という欲望が解決されている状態なのだから、「食べたい」という欲望で食べることは原理的に不可能なのだ。食べることは「いったいこれはなんだろう」問うてゆくことであり「ああそうか」とその味や物性に気づいたりしてゆくことでもある。問い続け気づき続けているのが、食べている状態なのだ。もっと知りたくて、二度三度とかむ。もっと知りたくて呑み込む。
「問い」とともに生きるいとなみが生まれてくる。「わからない」という飢餓感がなければ生きるいとなみは生まれてこない。「わからない」すなわち「生きられない」ということ、そこから生きるいとなみが生まれてくる。

リチャード・ドーキンスは、ダーウィンの進化論は人類史の偉大な発見である、といっている。それはまあ、キリスト教という宗教に縛られて歴史を歩んできたヨーロッパ人の思考を解き放ったという意味においてまさしく革命的であったのかもしれないが、古代以前の日本列島の住民をはじめとして先史時代というか文明発祥以前の人類はみな、宗教的な観念とは無縁に思考していたのだ。彼らの思考をなめてもらっては困る。その時代にアニミズムなんかなかったのであり、彼らは、宗教などなしに純粋に深く思考していたのだ。
アニミズムなんか、文明社会の宗教が伝播していって生まれてきたにすぎない。ギリシャ神話だって、メソポタミア文明の宗教の影響を受けながら生まれてきたのだ。
そしてヨーロッパ社会は文明発祥以後の長い歴史をひとまずキリスト教に覆われて歩んできたが、日本列島は、文明制度の定着以後も仏教だけでなく仏教に対するカウンターカルチャー(=非宗教)としての「神道」を守り育てながら歴史を歩んできた。だからわれわれは、非宗教としての進化論をわりとすんなり受け入れることができる。日本人のほとんどは、人類の歴史がアダムとイヴからはじまったと信じているなんて頭おかしいんじゃないかとさえ思う。しかしじっさい、いまだに多くの欧米人がそれを本気で信じているらしい。それほどに欧米人の思考は、避けがたくどこかしらを宗教に汚染されている。
ドーキンスだって、無傷ではあるまい。
彼はこういう。進化は、いきなり垂直の壁をよじ登るようにして起きてくるのではなく、緩やかな斜面を探しながら登るようにゆっくりと起きている、と。
それはきっとそうだろう。しかし彼は同時に、ダーウィンの論理をそのまま踏襲して、「進化=自然淘汰は、より進化した個体がより多くの子孫を残してゆくことによって起きている」という。
たとえば、クジャクは羽模様が派手な個体ほど繁殖に有利で、キリンは首の長い個体が選択的に残ってきた、というのだが、だったら貧弱な形質の個体はどんどん淘汰されていって、進化はあんがい早く達成されることだろう。それは、最短のルートである「垂直の壁」をよじ登る論理ではないのか。
進化とは、そんな合理的なものなのか。なんだか、善人は天国に行って悪人は地獄に堕ちる、といっているのと同じに聞こえる。
またドーキンスは、飛べるようになるという進化の段階において、10パーセントだけ飛べることはまったく飛べないことより有利なのだ、ともいっている。そんなことあるものか。10パーセントだけ飛べるということは、とべないのと同じなのだ。100パーセント飛べるようになって、はじめて飛ぶことが許される。ちょっとだけ飛べたら、どうしても飛びたくなって仲間よりも先に死んでしまう。10パーセント飛べる個体から先に淘汰されるのだし、50パーセント飛べたって同じこと。
現在の最先端の数学シュミレーションによる進化論研究においては、キリンの首は首の短い個体のほうがより多く生き残りながら長くなっていった、という結果になっている。もともと草を食べる習性の種だったのだから、最初のうちは木の葉の毒性を解毒することができる消化器官になっていなかった。だから、首が長くて木の葉をたくさん食べる個体から先に淘汰されていった。それでも、木の葉を食べたがる習性や首が長くなる遺伝子もひとまず種の中に残されてゆくのであれば、全体が少しずつ木の葉の毒性を解毒できるようになってゆくし、少しずつ首も長くなってゆく。その進化は、より首の長い個体を淘汰しながら実現していったのだ。
クジャクだって、その進化のはじめには、羽模様がより派手な個体から順番に天敵に襲われたにちがいなく、みんなで「ゆっくり」と派手になっていったのだろう。
進化は、生きられなさを生きることによって起きてくる。そうやって「ゆっくり」と起きる。より首の長い個体ばかりが生き残るのなら、あっという間に長くなってゆくさ。科学者のくせにそれくらいの算数もわからないのか、といいたくなってしまう。彼らがそのように考えてしまうのは、勧善懲悪の宗教的な観念がいくらか残っているからだろう。もちろん日本列島の住民だって今とはなっては宗教的であるほかないのだが、彼らほどではない。
神道は、本質において宗教に対する拒否反応の上に成り立っている。そしてそれは、生命賛歌ではない、ということでもある。生命賛歌をするから、首の長い個体ほど生き残ってゆく、という論理になる。生き延びることに有利で生きの伸びたがる個体から先に淘汰されてゆくのだ。
生き延びることに有利で生き延びたがる権力者ほど、死ぬことを怖がるし、命のはたらきも停滞し澱んでいる。

この生に目的や意味などなくてもかまわない。生きていてもしょうがない、と思っているのだもの、そんな目的や意味など持ちようがない。
それでも生きているのは、世界が輝いているからだ。誰もが、誰かに生きていてくれと願っている。そう願ってしまえば、自分だけが勝手に死んでゆく理由もまた成り立たない。
この生なんかどうしようもなく愚劣で、生まれてきてしまったことは取り返しのつかない過失だと思うのだけれど、それでも世界は輝いていて、人には生きてくれと願ってしまう。
誰にだって生きていてくれと願わずにいられない相手はいるし、それが「意識がある」ということだ。ときめいていれば意識は活発にはたらくし、憎んだり恨んだりしていれば意識は停滞し澱んでゆく。
まあ、どれほど確かに生きる意味や目的を持っていても、世界の輝きにときめく体験がなければ、心は停滞し澱んでゆく。
誰にとっても日々の暮らしなんかまぎらわしくあいまいなことの積み重ねで、絵に描いたように美しい体験などめったにあるものではないが、みずからの存在の正当性に執着してばかりいたら、そのぶんだけ自分を忘れて世界の輝きに他愛なくときめいてゆくという体験はない。そうやって人の心は、病んでゆく。
世界が輝いていれば、人は生きられる。
うんざりさせられる人間ばかりの世の中だと思うと、生きているのがいやになってしまう。だから、生まれたばかりの子供のように他愛なく世界や人にときめいてゆくことができれば、という願いは誰の中にもある。宗教や政治によってこむずかしい世界の構造や世の中の仕組みを教えられ、それを信じ込んでゆくことよりも、ただもう他愛なく世界や人にときめいてゆく心を残していたい……そういう願いとともに弥生時代奈良盆地において起源としての天皇(おほきみ)が祀り上げられていたのであり、その習俗をもとにして仏教に対するカウンターカルチャーとしての神道が生まれてきた。
早い話が、今ここの人や世界に他愛なく感動してときめいたりかなしんだりする体験を守ろうとしたのであり、宗教(=仏教)や政治どころではなかったのだ。権力者が宗教や政治に夢中になるのをどうこういうつもりもないし、それを押し付けてくるのなら受け入れもするが、それでも民衆は民衆なりに他愛なくときめき合う人と人の関係や心の領域は残しておきたかった。というか、そういうかたちで生きて集団をいとなんでゆく文化=習俗が、すでに出来上がってしまっていた。
だから権力者のがわにしても、民衆を支配するためには、民衆と天皇の関係に寄生してゆくしかなかった。その関係を壊して仏教だけの世界にしてしまうことはできなかった。彼らにとって天皇を抹殺してしまうことは、支配することの自己否定でもあった。
まあそのとき民衆は、ただの祭りの広場にすぎなかった神社に「祭神」を設定して宗教儀式の場のようなかたちにしていったし、権力者もまた、主だった「祭りの広場=神社」に対してはそこを宗教の場と認めて権威を与えたり管理していったりした。
そうやって大きな神社は歴史とともにどんどん権力の手垢がついていったし、そこから取り残された名もない小さな神社には今なお古代以前の「祭り」のコンセプトが残っていることになった。
日本列島における現在の神社の数は、江戸時代と比べると、半分以下に減っている。明治になると、国家神道の拠点にならない小さな神社はどんどん淘汰されていった。国家神道は、神道の敵なのだ。そのころ南方熊楠は、鎮守の森を守れという運動をしていたらしい。そして戦後の一時期は神道そのものが冷遇され、小さな神社はさらなる財政難に陥った。
しかしそれでも、鎮守の森がなくなったわけではないし、都会のビルの隅や屋上に小さな社が残されていたりもする。それは、もちろん「祟りが怖い」ということもあるが、神社は人が集まってくる場所として歴史的に機能してきたということもあるのだろう。それこそが神社の本質的な機能であり、つまり、商売繁盛のよりどころでもあるのだ。
高度経済成長のころには廃れてしまった盆踊りだって復活してきている。
神社はもともと、祭りや市(いち)のために人々が集まってくる場所だった。盆踊りの夜店だって、「市(いち)」のようなものだろう。
祭りの賑わいの場を確保するために神道が生まれてきたともいえる。そこは精神的にも物質的にも「浪費=消費」の場だったのであり、権力者にとっては支配を強化しようとすることの妨げだった。したがってそのとき仏教を輸入することは、神社という祭りの場を廃止してしまうというかひとまず管理下に置くための措置だったともいえる。そういう圧力を受けながら神道が生まれてきたわけで、宗教の場のようなかたちにしなければもはや存続できないような状況になっていたのだ。

本居宣長は、古代人はまるごと深く神を信じ切っていたというが、だったら仏教が広まることなんかなかったし、神社にお参りするわれわれ現代人だってもっと強く神社の祭神を意識しているはずだが、ほとんどの人は祭神の名など知らないまま拝んでいたりする。
古事記が生まれたころだけまるごと信じ切っていて、そのあとだんだん忘れていったなどいうことがあるものか。そんなにも深く信じ切っていたのなら、その意識はちゃんと生活の中に定着してしっかり引き継がれていったに違いない。
じっさいは、そうではなかった。
古事記それ自体が、神なんか知らない人たちが神とは何かと問いながら神を創造していった物語にすぎないのだ。
神社が残って祭神に対する信仰は消えていった、などということがあるものか。
もともと祭神のことなんか、二次的な問題にすぎなかった。
そこはあくまで、「祭り」と「市(いち)」のための場所だった。そうして「神を祀り上げる」という作法だけが残っていったわけで、神の名はさしあたってどうでもよかった。彼らは、「神」を信じていたのではなく、「みそぎの作法」として「神を祀り上げる作法」を信じていたのだ。
神社は、古代以前から現在まで、つねに「みそぎ」の場であった。そしてそれは、けっして「呪術」というようなものではなかった。「言挙げしない」ということ、それはむしろ、呪術に対する拒否反応の上に成り立っている作法だった。
かんたんに「アニミズム」という言葉で歴史を語ってもらっては困る。
宗教は、この生や死とは何かということに対するひとつの解答である。それに対して古代人が「言挙げしない」とか「死んだら何もない黄泉の国に行く」とかと言い習わしていたことは、ひたすら「問い」続けることが生きる作法であり死んでゆく作法だと思い定めていたことを意味する。それは、アニミズムとは対極にある世界観・生命観にほかならない。彼らは、「神」を信じていたのではなく、「神」を生み出したのだ。
彼らは、神を当てになどしていなかった。だから神道においては、神は隠れていて見えないということになっている。呪術の歴史を歩んできたのなら、そんな神を思い浮かべることなどありえない。
神は、この生の外の存在であり、この生にかかわりを持たなかった。この生のいたるところに存在しつつ、この生の中には存在しなかった。
彼らには。この生をどうこうしようというような望みはなかった。この生はいたたまれないものであり、この世は憂き世だ。彼らは、この生の外の「非日常」の世界に超出してゆくことを願った。それは、この世界が一変して輝いて見える体験であり、そのときめきとともに「みそぎ」が果たされていった。
今どきの歴史家は、古代人や神道を甘く見過ぎている。アニミズムの延長で神道が生まれてきたのではない。彼らの思考は、われわれが考えるよりもずっと実存的哲学的に深くしたたかだったのだ。あれほどアクロバティックな思考は、われわれには到底できないし、彼らの子孫であるわれわれにだってできる可能性はある。
彼らは、この生や死の問題をアニミズム(=宗教)で解決してしまうようなことはしなかった。解決してしまったら、おしまいなのだ。心は停滞し澱んでゆくばかりになってしまう。
「進化」は、つねに「問い続ける」もののもとにある。10パーセント飛べたらぜんぜん飛べないことよりも優れて有利なのだ、というようなことをいって、進化の何が解き明かせるというのか。進化は、優れて有利なもののもとで起きているのではない。それは、生きられないことの「嘆き」とともに起きている。
生きものの生きるいとなみは「生きられなさを生きる」というアクロバティックないとなみにほかならないのであり、それによって進化が起きてきたわけで、神道の起源にだってそういう契機がある。神道の「神」は、もっとも原初的で、もっともアクロバティックに高度な思考から生まれてきた。生まれたばかりの子供のような他愛ないときめきと、今まさに死んでゆこうとしている人のような深いかなしみとともに生まれてきた。
古代以前の人々の世界観や生命観をアニミズムで語ろうなんて、考えることが安直すぎる。
素朴なアニミズム、てか?笑わせるんじゃない。アニミズム世界宗教も、宗教などというものは、「生命賛歌」という妄言というか妄想の上に捏造された、ただのすれっからしの処世術にすぎない。
人が「今ここ」のこの生やこの世界を深く実感し思考するといういとなみは、原始時代からすでにはじまっている。そしてそのことのはじまりも行き着く先も、宗教にあるのではない。それは、宗教のようにこの生やこの世界のことに対する「解答」を持ったということではなく、「問い」を発したということであり、永遠に問い続けるということだ。
子供だろうと若者だろうと原始人だろうと、彼らの「問い」は、少なくとも今どきの大人たちが捏ね上げるそうした屁理屈=解答よりは、ずっと深く豊かなところでものを感じ考えている。
そのとき日本列島の古代人は、「神」を信仰していたのではなく、「神とは何か?」と問うたのだ。