言挙げしない・神道と天皇(47)

仏教における神は、仏に帰依していった存在であり、この世界を支配する存在ではない。つまりそのとき人々は、支配する存在(=仏)に願い事をするのではなく、「帰依する」という心映えに対する親密感を共有しながら「神」を祀り上げていった、ということになる。
やまとことばの「かみ=かむ」は、「気づく」ということを意味する。仏の徳に気づいて帰依してゆく……「帰依する」というそのことが「かみ=かむ」という心の動きにほかならない。
神道とは何かと問うことは、「かみ=かむ」という言葉の基底を問うことだ。
古代の日本列島の住民は、仏教伝来のそのときまで「神」という概念など知りもしなかったが、それを知ってしまったからには、それについて考えるほかなかった。知ってしまったからには避けがたく考えるほかないのが人間性の自然・本質であり、だから宗教があっという間に地球上に広がってしまったのだろう。
「意識」は、脳の外ではたらいている。その「外」とはどこか問うなら、脳=身体の外の環境世界ともいえない。何か、この生の「異次元」の空間ではたらいているような心地がする。
われわれのこの意識はどこに存在するのか?これはもう、人類永遠の謎かもしれない。「神」という概念は、そういう「人類永遠の謎」に引っかかってくる。それは、たんなる概念であり言葉にすぎないのだけれど、われわれのこの生が「意識」のはたらきの上に成り立っているかぎり、「意識の所在」については、原始人だろうと現代人だろうと、意識的にも無意識的にも、どうしても気になってしまう。「神」という概念=言葉は、「意識の所在の謎」に、避けがたく引っかかってくる。
べつに、生きるためにはどうすればいいかとか、この世界をつくったのは何かとか、そんな問題はどうでもいい。現に神道には、そんなことの答えなど何も示されていない。それでも「神=かみ」という概念=言葉の上に成り立っている。
神道における「神=かみ」は、この生やこの世界に存在しているのではなく、「意識のはたらきが起きている場所」に存在しているのであり、原始人であれ現代人であれ、人はどうしてもそのような「異次元の空間」について考えてしまう。
そりゃあ、猿や犬にだって「意識」はあるだろうが、人間のような「意識とは何か?」と問う意識はない。「意識とは何か?」と問うことは、「この生=自分とは何か?」と問うことでもある。そしてそのような問いにおいて、原始人よりも現代人のほうが深く切実であるといえるような根拠など、どこにもない。現代人が「この生=自分」に執着して生きているということは、その問題をすでに解決しているつもりになっているということであり、そのぶんだけ「問い」の切実さと深さがいいかげんになってしまっているということを意味するのかもしれない。
ともあれ、それまで「神」のことなど知らなかったのだからいきなり信じてゆくことなどできなかったが、どうしようもなくそれが気になった。そしてそれを「かみ=かむ」というやまとことばとして読み替えたということは、それを「存在」としてではなく「非存在」の「言葉」すなわち「意識」の問題としてとらえたということを意味する。
もともと日本列島の住民は、「非存在=無」に対する意識が高く、それによって文化を洗練発達させてきた。「無常」とか「あはれ」とか「はかなし」とか「わび」とか「さび」とか「幽玄」とか、それらの美意識はすべて「非存在=無」に対する関心の深さの上に成り立っている。またそれらは、縄文以来の「みそぎ」の意識を源流としている・「みそぎ」とは、みずからの存在が溶けて消えてゆく心地の体験にほかならない。
聖書でも「はじめに言葉ありき」などといわれているが、古代人はその直感で「神とは言葉である」と解釈した。

古代の民衆は、仏教とともに政治権力の支配が降りてくる新しい時代に際して、みずからの「みそぎ=祭り」の文化を守るようにして神道を生み出していった。仏教や権力社会の世界観や生命観は、彼らのそれとは明らかに矛盾しており、それでもそれを受け入れてゆくことの「嘆き」とともに、それに対するカウンターカルチャーとしての神道を生み出していった。
神道には、政治や仏教の世界観や生命観を受け入れることの「嘆き=拒否反応」がこめられている。
古代人は「蘆原の瑞穂の国は神(かむ)ながら言挙げせぬ国」といった。神に「願い事」なんかしない、ということ。このことだけでも、そうした「嘆き=拒否反応」がこめられていることがわかるし、古代以前に「呪術=アニミズム」の歴史なんかなかったことの証明にもなっている。
仏教の読経はまさしく「言挙げ」することであり、後世の神道祝詞もだんだんそのようなかたちになっていったとしても、「祝詞」という文字が示すように、古代においてはあくまで一方的に「かみ」を祝福してゆくだけの言葉だったのだ。
もっともお経を唱えることだって、「色即是空・空即是色」などといって、みずからの存在がその声とともに森羅万象に溶けて消えてゆく体験としてなされていたのかもしれない。
すべては「はじめに言葉ありき」ということかもしれない。それがやがて、文明制度の発展とともに、森羅万象を支配する存在として神や仏がイメージされてゆき、「言挙げ=呪術」になり「宗教」になっていった。
であれば、一遍の念仏踊りや浄土宗の専修念仏などは、「言挙げ」を排除して宗教以前のかたちに戻ろうとする時代のムーブメントだったのかもしれない。それは、みずからの存在が宇宙の森羅万象に溶けて消えてゆくことのカタルシスを汲み上げてゆく体験だった。それが、縄文以来の日本列島の歴史風土だったのだから。
古代人にとっての「神(かみ)」は、願い事をする対象ではなく、「帰依する」ことのめでたさをそなえた対象だったのだ。
心(=自分)が森羅万象に溶けてゆく体験を「かみ=かむ」といった。そういうカタルシスは、宗教など知らなくても汲み上げることはできる。縄文人は神も霊魂も知らなかったが、その体験こそが彼らを生かしていた。まあ現代のサッカー場やコンサートでの盛り上がりだってひとまずそういう体験だし、一般的にいって女は、そのカタルシスを、日常的にというか存在そのものにおいてすでに汲み上げて生きているのではないかとも思える。なぜなら女は、生きてあることの「嘆き」を深く抱えている存在だからだ。
生きていれば、誰だってつらい体験はする。つらい体験それ自体を自慢してもしょうがない、そこから何を汲み上げてゆくことができるかとわれわれは試されている。縄文人はそこから豊かなカタルシスを汲み上げながら、けっして宗教なんかには転ばなかった。
「帰依する」とはつまり、人が人に「ときめく」ということ。そのカタルシスのめでたさを祝福し合いながら古代の「祭り」が盛り上がっていったわけで、その「宇宙の森羅万象に溶けて消えてゆく」という体験のよりどころというか形代として、神社の「神(かみ)=祭神」が祀り上げられていった。
自然の災厄に対する「嘆き」を共有しながら、「スサノヲ」という「荒ぶる神」が祀り上げられていった。荒ぶる自然を鎮めるためではない。荒ぶる自然に対する「嘆き」こそが、彼らのカタルシスの水源だったからだ。そのとき彼らは、自然を支配しようとするのではなく、自然に溶けてゆこうとした。
神社に祀ったからといって荒ぶる自然が鎮まるはずもないことくらい、古代人だって知っていたさ。骨身にしみて知っていたさ。今どきの歴史家は「荒ぶる自然を鎮めるためにそれを祀った」などといって何の疑いもないようだが、そんな人をなめたようなことをよく平気な顔をしていえるものだ。

「ときめき」とは、心が森羅万象に溶けてゆく体験なのだ。「宇宙に溶けてゆく」ということ、そういうカタルシスを汲み上げたらもう、死ぬことも怖くない。女はそういう心意気(覚悟)で子供を産むわけで、それこそが人間性の本質・自然にほかならない。
自分=この生が宇宙の森羅万象に溶けてゆく体験を「かみ=かむ」という。
キリスト教イスラム教の「神」は、この世界の森羅万象をつくり支配してゆく存在として認識されている。
一方神道の「かみ」は、森羅万象に溶けてしまっている。だから、隠れているし、見えないし、「存在する」ともいえない。
古代神道は、この世界を支配する存在としての「仏」に対する違和感とともに生まれてきた。それは「支配する」というそのことに対する拒否反応でもあり、彼らは、従順に支配されつつ、支配することに対する拒否反応を抱いていた。従順に支配される存在だからこそ、「支配する」ということに対する拒否反応を抱く。親に駄々をこねる子供のほうが、おとなしく従順な子供よりもずっと親にもたれかかっている。それと同じこと。支配することに対する拒否反応を持っていなければ、従順に支配されることはできない。「帰依する」とは、そういうことだ。古代の民衆はもう、直感的無意識的に、仏よりも、仏に帰依する神に対して親密な感慨を抱いていった。
彼らは、この生に対してもこの世界の森羅万象に対してもそのとき起こってきた政治支配に対しても、拒否反応を抱きつつ従順に受け入れてもいた。彼らにとって生きてあることも、自然の災厄も、政治権力による支配制度も、ひとつの受難ではあったが、受難それ自体を生きることによって、そこから生きてあることの豊かなカタルシスを汲み上げていった。
それは、緩やかな仏教の忌避であると同時に、緩やかな仏教の受容でもあった。そうやって古代の「祭りの広場」において、少しずつ少しずつ仏教を受容しながら、少しずつ少しずつ仏教に対するカウンターカルチャーとしての神道が形成されていった。
まあその後の歴史において、権力社会と結託した呪術志向満載の吉田神道のような思想があらわれてきたとしても、神道の本質はあくまで「呪術の忌避」にあり、神道の発祥以前に呪術(=アニミズム)などというものはなかった。それが、古代人のいう「言挙げしない」ということの本意なのだ。