宗教は死を怖がらせる装置である・神道と天皇(45)

このレポートを、「仏教伝来以前の日本列島に宗教は存在しなかった」という仮説から書きはじめることは、それなりに実験的で危ない試みかもしれないが、僕は大まじめでそう確信している。
縄文時代弥生時代の社会が原始宗教(アニミズム)の上に成り立っていただなんて、とてもじゃないが信じられない。今どきの多くの歴史家のように、なんの疑いもなく安直にそう信じているほうがよほどどうかしている。
宗教が機能している社会からあんなにも非宗教的な神道が生まれてくることなど、当たり前に考えてあるはずがないではないか。
古代の神道は、仏教に駆逐されたのでも、仏教と対立したのでもなかった。もともと宗教とは無縁のたんなる祭りの広場にすぎなかった神社が、仏教の影響を受けつつ、祭りのシンボルとしての「祭神」を祀り上げていったのが神道のはじまりだった。
神道の歴史が仏教伝来以後の1500年だとすれば、神社の歴史はおそらく2000年以上ある。「縄文神道」などという言い方をする歴史家もいるが、伊勢神宮の正殿のような建物は、すでに縄文時代からあった。ただそれは、祭りの広場のシンボル的な建物だっただけで、神に対する信仰のためのものであったとはいえない。
神社は、村の中心の場所ではなく、村はずれにある。神社の祭りは村人だけでなされるのではなく、近在の人々が集まってきてなされる。古代以前におけるその建物は、旅人の休息や宿泊のためや、人々の集会のための施設であると同時に、祭りのときの芸能をみんなに披露するための舞台でもあった。
古代から中世にかけての田楽や猿楽は、神社の祭殿=舞台において守り育てられていた。その芸能が神に捧げられるものというのは、神道の成立とともに生まれてきたあくまでたてまえのことで、本質的には純粋な芸能であり、だから、そこから能や歌舞伎へと進化していった。神に捧げる儀式であることが第一義のものであるのなら、そうそうかんたんには変化してゆかない。もともとそんな制約などない純粋な芸能だったから、どんどん進化変化してきたのだ。

神社は、神道が生まれる前から、純粋な祭りの広場として存在していた。神道は仏教伝来のあとに生まれてきた。それ以前から「かみ」に対する信仰があったのなら、「仏」を「かみ」と読むことはあっても、仏の弟子にすぎない仏教の「神(シン)」を「かみ」と読むはずがない。
そのとき「かみ」という言葉は、どんな意味というかニュアンスを持っていたのだろう。
これは、一筋縄ではいかない難題だ。
仏の弟子の神をそのまま借用したのではない。多少のキャラクターの模倣はあるにせよ、古事記における天地創成といっても日本列島だけの話だし、登場する神の名も、すべてやまとことばで表記されている。
「かみ」というやまとことばの語源は、「気づく」ということにある。「認識する」と言い換えてもよい。つまり「意識」のはたらきの本質をあらわしている。古代人は、それをどのようにとらえていたのだろうか。森羅万象に気づくこと、もしくは森羅万象そのものを「かみ」という。体ごと森羅万象に気づいてゆくこと、すなわち自我が消えて、意識が森羅万象に憑依してゆくこと。自分=この生に貼りついた意識を引き剥がして、この宇宙の森羅万象に溶けてゆく体験を「かみ=かむ」という。「宇宙との一体感」というと、なんだかわざとらしくとってつけたような表現になってしまうが、とにかく「かみ=かむ」とは、「かみ合う」ということだ。宇宙と自己がかみ合っている状態、ということだろうか。まあ、そのようにして「自分」が「溶けて消えてゆく」体験をする。
仏教であれキリスト教であれユダヤ教であれイスラム教であれ、世界(=宇宙)は、神を頂点としたヒエラルキーの秩序によって説明されている。しかし世界(=宇宙)がそのような秩序として存在しているのなら、自分が溶けて消えてゆくことなんかさせてくれない。自分がそのヒエラルキーのどこにいるのかという「自分の居場所」を教えてくれるだけだ。
世界(=宇宙)が混沌とした空間だからこそ、自分が溶けて消えてゆくことができる。古事記は、まさにそのように世界(=宇宙)を描いている。その世界観は、避けがたく宗教=仏教に対する違和感を抱いてしまうはずだ。
古代の民衆には、自分の居場所を探すような自意識はなかった。自分が溶けて消えてゆくことのカタルシスこそ、彼らの生きるよりどころだった。
まあ、そのとき「自分の居場所=ヒエラルキーの秩序」を欲しがっていたのは権力者ばかりだったし、そのようにして仏教が輸入された。

快楽の本質、あるいは快楽の純粋体験というのだろうか。とにかく古代の民衆が「祭り」によって体験する快楽(カタルシス)がどれほどのもので、どのようなものであったかということは、娯楽がいくらでもある現代社会で暮らすわれわれの物差しでは測れない。
彼らはひとまず「森羅万象」のことを「かみ」といったわけだが、その言葉に込められた感慨や世界観や生命観があるわけで、そこのところを問うてゆかなければその言葉ほんとうの姿は見えてこない。
「森羅万象」は「かみ」だが、もともとの「かみ」という言葉は「森羅万象」のことをあらわしているのではない。「獲物」のことを「鴨(かも)」というが、「鴨(かも)」という言葉はもともと「獲物」という意味ではなかった。それと同じようなこと。
「神」は「かみ」であるが、「かみ」は「神」ではない。
森羅万象に「気づく」体験を「かみ」といった。「かみ」とは「かみ合う」こと、すなわちみずからの存在がこの宇宙の森羅万象に溶けて消えてゆく体験のこと。古代および古代以前において、祭りの盛り上がりが最高潮に達すれば、誰もがそういう体験をした。まあ現代においても、サッカー場で味方のゴールが決まればそういう興奮(カタルシス)が体験されているのかもしれないが、古代人ほうが生死の問題としてそのことにもっと自覚的だった。現代人の観念はそのことを「生命賛歌」であるかのように認識したがるが、古代の民衆社会においては、そのことが人間性の自然・根源における「死に対する親密さ」の上に成り立っていることが自覚されていた。

古代および古代以前の民衆社会に「生命賛歌」という観念は機能していなかった。そこが問題だ。直立二足歩行の開始以来の人類の歴史は、「生命賛歌」で歩んできたのではない。「いつ死んでもかまわない」という勢い(=覚悟)の、「死に対する親密さ」こそが人類史に進化をもたらした。
「生命賛歌」をして自意識過剰になれば、死が怖くなる。これは、言わずもがなのことだろう。それは、「べつに死ぬことが怖いわけではないが、生きていられる間だけは生きていたい」と思うこととはちょっと違う。いや、おおいに違う。自分が生きてあることなんかどうでもいいが、目の前の他者が生きてあることにはどうしてもときめいてしまうし、生きていてほしいと願ってしまう。
自分を忘れてときめいてしまうことが、自分を生かしている。自分を忘れてしまうような「死に対する親密さ」を持っているからときめいてしまう。自分に執着して自分の生が大事なら、ときめくことなんかできない。つまり心は活性化しない。
現代だろうと古代以前だろうと、ときめく心が豊かな人は「死に対する親密さ」を持っている。「死に対する親密さ」を持っているから人は冒険をするし、深く考えもする。
仏教伝来のそのとき古代の民衆は、どうしてわざわざ「生命賛歌」をして死ぬことを怖がらねばならないのか、と思った。

宗教は、死ぬことを怖がっている人を救うし、死ぬことを怖がらせる装置でもある。だから「生命賛歌」をするし、悪いことをして死んだら地獄に堕ちるともいって脅迫してくる。怖がらせないことには、宗教の存在理由はない。そうやって宗教は、麻薬のように人の心に浸透してゆく。怖がってしまったら、もう宗教は手放せない。
古代の民衆がなぜひとまず仏教に対する違和感を抱いたのかといえば、「死に対する親密さ」とともに、それに対抗できるだけの「祭り」の文化をすでに洗練発達させていたからだ。
人類史において文明制度や宗教が生まれてくることは避けがたい必然だったのかもしれないが、それ以前の99パーセントの歴史を「死に対する親密さ」とともに歩み、それとともに知能や文化を進化発展させてきたのであれば、「死に対する親密さ」こそ人間性の自然だといえる。
「死に対する親密さ」は現代人だって持っているし、それによって人の心は活性化し、魅力的な人にもなれる。
宗教は、人の心から「死に対する親密さ」を奪う。宗教が「殉死」を奨励しているといっても、死を生の延長としつつ、それを価値としているからであり、それはむしろ死を否定している生命観にほかならない。彼らは。死を否定するというかたちで死をわかったつもりになり、死を否定するかたちで死にたがっている。そりゃあ、死が生の延長であるのなら、よろこんで死んでゆくこともできるに違いない。
死が「無」であるということは、死のことなどわからないということであり、そのときこの生はこの生において決着をつけてしまうしかない。すなわち、自分という存在が世界=宇宙に溶けて消えてゆくということ。人の心は、「死=無=わからない」というかたちで「死に対する親密さ」を抱いている。「わからない」ということはひとつの「ときめき」であり、それは官能=快楽の問題なのだ。日本列島の古代および古代以前の民衆は、そのようなかたちで「祭り」の文化を洗練発達させてきた。
まあ、宗教などなくても、宗教以上に深く生死の問題を考えることはできるのだ。
キリストも釈迦もどうでもいい。生と死の問題は、「生きられないこの世のもっとも弱いもの」によってもっとも深く切実に考えられている。
人類の歴史は、「死に対する親密さ」とともに流れてきた。宗教に対して違和感を抱くことは、日本列島の歴史風土であると同時に、人類の起源以来の人間性の自然でもある。