知性はこの生に幻滅する・神道と天皇(43)

人はなぜ「神」をイメージするのか?
心はこの生の外に超出してゆくはたらきだから。そしてそこからこの生を見下ろしてこの生を支配しようとする欲望を持ってしまうから。
人は、この生の外の存在として「神」をイメージしてゆく
人を支配したがるのは、まず自分で自分を支配して生きているからだろう。心が、支配者の次元に超出していってしまう。それは、相手をこの生に閉じ込めてしまうことであり、それによって自分がこの生の外に立っていることを確認している。
「自分」がこの生の外に立っていることのよりどころとして神がイメージされている。神との関係を結び、他者を支配しこの生の中に閉じ込めておこうとする。
まあユダヤ教徒は、自分たちだけが神に選ばれ神との関係を結んでいる存在だと自覚しつつ、この地球上の人類を支配してしまおうとしているのかもしれない。何しろ彼らの神は人を支配する存在であり、彼らは神によって地球上の人類を支配するお墨付きを得ている。
誰にとってもこの生はいたたまれないものであり、人の心は、この生にとどまっていることはできない。「自分」にととどまっていることができない、と言い換えてもよい。そうして、「自分の外のもうひとつの自分」の立場から自分を支配したり他者を支配したりしてゆく。しかしそれは、どこまで行っても「自分の外」には出られないということでもある。つまり。「この生の外」に出られないということ、死の恐怖は、そこから生まれてくる。
宗教者は、死の恐怖から解放されているのではなく、死の恐怖を飼い慣らしているだけなのだ。死の恐怖がなければ、「天国(極楽浄土)」や「生まれ変わり」という概念は成り立たない。最初からないのなら、そんなことをイメージする必要がない。仏教伝来以前にそんなイメージはなかったし、そういう伝統風土だから、中世の浄土真宗は「死んだら極楽浄土に行けるなどということは思うな、そんなことはすべて阿弥陀如来におまかせせよ」という教えとともに民衆のあいだに定着していった。いかにも日本的な宗教だ。
何度でもいう、仏教伝来以前の日本列島に宗教(アニミズム)など存在しなかったのだ。
仏教伝来以前は、「死んだら何もない黄泉の国に行く」と思っていただけだ。それは「死後の世界などない」といっているのと同じであり、そのことはちゃんと古事記に記されてある。もともとそういう伝統風土だから、浄土真宗のような教えも生まれてくるのだ。それは、民衆がもともと持っている生命観を掬い上げた教えだったのであって、そういうかたちで民衆をむりやり洗脳していったのではない。つまり、教祖よりも民衆のほうが先にそう思っていたのであり、民衆はただ表立ってそれを自覚していなかっただけだ。そしてそれはまた、日本列島にはそうしたアクロバティックな思考の伝統風土になっている、ということでもある。極楽浄土は、あるけどない、ないけどある。
日本列島は、「神」や「仏」や「霊魂」や「極楽浄土」を一途に信じ込んでゆくことができるような精神風土にはなっていない。なっていないが、しかし他愛なく受け入れてしまうこともできる。拒否反応とともに受け入れてゆく。そうやって、いったん受け入れておいて、なんでもかんでもデフォルメしていってしまう。平仮名などはまさにそうしたアクロバティックな飛躍とともに外来の漢字を受け入れていった結果だし、仏教だっていまやそうとうデフォルメされてしまっている。

自分の中に神との関係を持っているものは、神に支配されつつ自分が神になりもする。
ユダヤ教徒の「選民意識」などはまさにそうだし、べつにユダヤ教徒でなくても、人が人を支配することは、自分が神になることだ。文明社会は、そういうかたちでこの生の外に立っているものたちを生み出したわけで、いまや誰の中にもそうした観念(支配欲)が巣食っているともいえる。
この社会には、自分の支配欲に無自覚なままひといちばい旺盛な支配欲を抱え込んでいる人がたくさんいる。もしかしたら、むやみに子供を支配したがる親がいくらでもいるということが、そうした社会構造が生まれてくる基礎になっているのかもしれない。
それは、現代社会特有の構造だろうか、それとも文明社会の普遍的な構造だろうか。
歴史とはいったいなんだろう?
現在のこの社会の構造にはうんざりさせられるが、古代の民衆だって政治や宗教によるそうした支配の構造がふくらんでくる状況に対しては、それなりに耐えがたい苦痛と拒否反応があったに違いない。それが避けがたい時代の流れだと思えば受け入れもするが、その状況に浸りきってしまうこともできない。彼らはすでに政治や宗教が存在しない社会の文化を、それなりに洗練発達させたかたちで持っていたし、それは政治や宗教にはそぐわない世界観や生命観でもあった。
まあ、だからこそ仏教を輸入したのだろう。民衆の観念に宗教を植え付けないことには、政治支配が思うように進まない状況があった。まあ民衆にこの生や集団の安定維持のための呪術にたよるような習性があったのなら、その呪術を管理しながら支配していけばいいわけだが、そうした習性そのものがなかった。だから、ひとまず呪術として仏教を輸入し、呪術にたよるように教育してゆく必要があった。権力者たちはもう本能的にそのことを感じていたし、ひとまずそれを受け入れた民衆はまた、本能的なところではその呪術的宗教的な生きざまを拒否し、神道を生み出していった。

人類は、「神」という概念を生み出してしまった。人の心は、「神」という概念を生み出してしまうようなはたらきを持っている。なにはともあれ「意識」は「身体=この生」の外で生成している。「身体=この生」の外に超出していった意識が、そこで「神」と出会った。意識とは宇宙そのものである、といっている人もいる。
われわれの意識はこの身体の外で生成し、それを社会が共有している。社会の構造がこの意識をつくっているともいえる。生きていれば、いろんなことを見聞きし、いろんな経験をしてゆく。そういうことの総体によってこの意識がつくられている。意識は、自分=身体の内側でつくられているのではない。というわけで、この身体の外の環境世界というなら、それはつまるところ宇宙の生成がこの意識をつくっているともいえる。そしてそれは、宇宙という無限の空間の広がりだけでなく、歴史という永遠の時間軸も作用している。そのようにして、何はともあれ知能とやらが進化した人類の意識は、「神」という概念を持ってしまった。
われわれのこの意識は、無限と永遠の宇宙の生成によってつくられている。
日本列島の古代人は仏教伝来のそのときまで「神」も「仏」も知らなかったが、「神」といわれれば「神」について考えてしまうほかないのが人間の本性であり、意識のはたらきの本質なのだ。
まあそのようにして、神について考え、神を信じていった。そして、神は知ることができないと知った。神は不在として存在する、と知った。古事記を読めば、古代人が「神」についていかにアクロバティックに思考し認識していったかということがよくわかる。無邪気にまるごと信じていたとは、ちょっといいがたい。
彼らは、信じているようでいて信じていなかった、信じていないようでいて信じていた。とにかく、この意識のはたらきが「自分」の中で完結しているのではなく自分の外(つきつめていえば宇宙の生成)によって起きているということを直感的本能的に知っていた。
そしてそれは、死に対する親密な感慨とともに生きていた、ということでもある。彼らは死ぬことを現代人のようには怖がらなかったし、他者の死に対しては、現代人よりもずっと深くかなしみ、そのかなしみをずっと確かに共有してゆくことができた。まわりの誰もが他愛なく泣き暮れた。それほどに心が自分の中だけで完結していなかったから、そのときめきやかなしみを深く豊かに共有してゆくことができた。
そのとき彼らは、死に対する親密な感慨とともに、ときめきやかなしみを共有してゆくという集団としての暮らしの作法を捨てるわけにはいかなかった。

権力者たちが仏教に魅入られていったわけのひとつは、権力闘争で殺し合いを繰り返しながらもどんどん死の恐怖が募っていったということもある。仏教の極楽浄土という教えにはそういうことにする救済が説かれていたし、しかしそれは、」民衆の知ったことではなく、仏教を押し付けられることによって自分たちの暮らしの作法や精神生活のかたちが壊されるという危機感があった。そういう危機感なしに神道が生まれてくるはずがない。
彼らはなぜ、「仏」ではなく仏の弟子である「神」を祀り上げていったのか?心のどこかしらに「仏」というか仏教の教義に対する拒否反応があったからだろう。つまり、「死んだら極楽浄土に行く」というかたちでの救済を望まなかった。
死に対する親密感を基礎にして深く豊かにときめいたりかなしんだりしてゆくことこそ、彼らの生きる流儀であり死んでゆく流儀だった。彼らにとって生きてあることはひとつの「けがれ」であり、その「嘆き」を共有しながら人と人の出会いにときめいたり別れをかなしんだりしていた。
仏教は、権力者が輸入したのであって、民衆ではない。民衆を救済するためではなく、支配するために輸入したのだ。また、権力者は仏教が説く世界観や生命観に魅せられていったが、民衆には拒否反応があった。
そのとき権力者には「死の恐怖」が差し迫っており、そのことの救済を必要としていた。一方民衆は、死に対する親密さで生きていた。前者はこの生を支配しようとし、後者はこの生を受け入れていた。前者はどのように生きるべきかという「悩み」があり、後者には、すでに生きてしまっているという「嘆き」があった。すでに生きてしまっているのだもの、どのように生きるべきかという「悩み」など持ちようがない。しかしそれは、何も考えなかったということではない。彼らは、そんなこと以前の「生きることは何か?」と問うていた。すでに生きてあることに驚きとまどい、それをどうすることもできないこととして、それは何かと問わずにいられなかった。すでに生きてしまっているのだから、生きようとすることなんかできない。生きようとすることなどしていないのに、それでも生きてしまっている。それでも生きてしまっているのなら、そのことはもう受け入れるしかない。
まあ人間性の自然としては、生きようとする欲望も死のうとする衝動もはたらいてない。すでに生きてしまっていることはもう、どうすることもできない。
生きてあることが素晴らしいと思えるのなら、「すでに生きてしまっている」という地平にとどまっているしかない。そうやって人の心は停滞し澱んでゆく。この生は素晴らしいという認識(=生命賛歌)によっては、この生は活性化しない。
生きてあることが「けがれ」だと思うからこそ、そういう「嘆き」があるからこそ、心は動いてゆくことができる。この生に対する「嘆き=幻滅」こそが、この生を活性化させる。
まあ、権力者にとっての生は素晴らしいのだろう。どういう動機があったにせよ、権力者でいれば、どんどんこの生に執着してゆくようになってゆく。それが、政治というものだから。政治とは、生き延びるための装置なのだ。
しかし、だからこそ民衆は、そんなことはどうでもいいと思ってしまう。そんな未来のことよりも、生きてある「今ここ」に心を奪われて生きている。つねに未来を先取りして生きていたら、心は未来に向いたまま「今ここ」に対する反応を失ってしまう。そうやって心は停滞し澱んでゆく。

古人類学者の多くは、「未来に対する計画性」こそが人類の知能を発達させたといっているのだが、そうやって未来を先取りしようとすることは文明社会から生まれてきたひとつの呪術的傾向であり、呪術に支配された社会は停滞していってしまうということは歴史の法則である。したがって原始社会が「未来に対する計画性」で動いていたということも、それによって人類の知能が発達してきたということもあるはずがない。
知能というのは、昔も今も、つまるところ「今ここ」においてどれだけ豊かに反応してゆくことができるかという問題であり、「未来に対する計画性」すなわち現代人の生き延びようとする欲望をそのまま人間性の普遍であるであるかのように決めつけて平気でいるなんて、まったく今どきの歴史家の考えることはどうしようもなく薄っぺらで倒錯している。
こういうのを近代合理主義というのだろうか。それに今どきは民主主義の世の中で、民衆でさえも誰もが権力者のようなものの考え方をしてしまう傾向がある。未来の社会はかくあらねばならないとか、未来の子供たちのためにとか、そんな、自分がこの世の中を背負っているかのようなことばかり合唱している。自分たちのその価値観が普遍のものであるかのように思い込んで、なんの反省も疑問もない。この世界は移ろい流れてゆくのだ。その安っぽい価値観や思考がそのまま未来でも通用するとでも思っている、その愚鈍なふてぶてしさはいったいなんなのか。
権力者とは文明社会の非人間性というか病理に冒された存在であり、古代の民衆はまだそのような病んだ世界観や生命観になっていなかった。彼らは、自分たちが生き延びねばならない存在だとは考えていなかった。つまり、「今ここ」のこの生やこの世界をもっと切実に本質的に考えていたのであり、生き延びることに役立つ政治や宗教を必要とはしていなかった。
しかし、それでも「神(かみ)」という概念には魅入られてしまう何かがあった。それは、意識のはたらきがこの身体の外で起き、この生のいとなみがこの生の外に超出してゆくことであるのを本能的に自覚していたからだ。
それは、この生やこの世界を支配している存在ではない。「神は隠れている」ということは神は存在しないといっていることと同義であり、そういうかたちで「神(かみ)」を信じていったのだ。
「存在しない=無」を信じてゆくことのよりどころとして、「神(かみ)」を信じていったのだ。
快楽とは自分が「消えてゆく」ことのカタルシスであり、そういう官能性のよりどころとして「神(かみ)」を信じていったわけで、べつに生き延びるためだったのではない。
この生の快楽は、この生に幻滅しているものによって汲み上げられている。