今どきの右翼は「やまとごころ」を知らなすぎる・神道と天皇(165

世の歴史家はどうして「原始社会は原始宗教(アニミズム)の上に成り立っていた」と決めつけるのだろう。つまり、原始人は迷信深かった、と。
迷信を信じるためには、この世界は何者かの作為や陰謀がはたらいている、ということが信じられていなければならない。そういうややこしい強迫観念は、支配と被支配の構造の文明社会になってはじめて生まれてきたのであって、原始人の率直な心性だとはとても思えない。
原始人の心は、この世界のこともこの生のこともよくわからないまま心細くさまよっていたのであって、文明人のように「この生やこの世界は神の定めた秩序の上に成り立っている」などと決めつけていたのではない。まあ人の心は、そうやって神の定めた秩序に執着しながらというか縛られながら停滞してゆくのであり、心細くさまよっているところから華やぎときめいてゆくのだし、それが宗教心の薄い日本列島の伝統なのだ。
猿の社会は、ボスの支配があって、個体どうしにも順位性があり、かなりしっかりとした支配と被支配の関係の上に成り立っている。だが、原初の人類もその延長発展として二本の足で立ち上がったのかといえば、猿はいまだに立ち上がる気配がないのだから、そうとはいえない。
原初の人類が二本の足で立ち上がることは、猿よりも弱い猿になって猿であることをやめることだった。そしてそれは、ボス支配や順位制という支配と被支配の関係をいったん清算してしまうことだった。
誰もが強い猿になろうとして競争するから、ボスの支配や順位制が生まれてくる。それに対して原初の人類は、誰もが弱い猿になってしまうのを受け入れながら、みんなして二本の足で立ち上がっていった。彼らにとってそれは、とても不安定で、しかも胸や腹や性器などの急所を外にさらしてしまうというとても無防備な姿勢でもあり、誰と戦ってもひとたまりもなくやられてしまう姿勢だった。
それでも彼らがその姿勢を選んだのは、それによって群れの密集状態の鬱陶しさをひとまず回避できたからだ。二本の足で立ち上がっていれば、それぞれの身体が占めるスペースが最小限になり、群れで行動するときに体をぶつけ合わないですむ。猿は、そうなる前に余分な個体を追い出すのだが、そのときの人類は、サバンナの中の孤立した小さな森に閉じ込められ、追い出すことができない状況に置かれていた。もう、みんなで仲良くやってゆくしかなかった。そこで立ち上がり、体をぶつけ合う鬱陶しさから解放され、その結果として誰もが他愛なくときめき合う関係がうまれてきた。そうして一年中発情している生態になり、爆発的な繁殖力を獲得していった。
二本の足で立ち上がった原初の人類が生き残ってきたのは、猿よりも強くなったからではなく、猿よりももっと弱くなってどんどん死んでゆく状況になったのに、それでもそれを上回る繁殖力を獲得していったからだ。

原初の人類の群れは、猿の時代の支配と被支配の秩序を捨て、「無主・無縁」で誰もが他愛なくときめき合っている混沌とした社会をつくっていった。
まあ原始時代はそういう社会関係を発展させてきたわけだから、原始人がこの世界を創造し支配している「神(ゴッド)」を発想してゆくことは考えられない。彼らは支配と被支配の関係を知らなかったのであり、そういう関係は文明社会の発祥とともに生まれてきた。
人は、支配と被支配の関係の社会に置かれているから、この世界を創造し支配している「神(ゴッド)」を発想するのであり、原始人には思いも及ばないことだった。
そして海に囲まれた島国の日本人は、大陸よりも数千年遅れてようやく1500年前にその関係を知ったわけで、その間に原始社会の「無主・無縁」の関係性をさらに高度に洗練させていった。
仏教伝来以後の古代の民衆は、権力社会から下りてくる支配と被支配の関係の秩序をめざそうとするプロパガンダに対抗して、「神道」というかたちの「無主・無縁」の原始的で非宗教的な集団性の文化を守っていった。彼らは、ひとまず支配を受け入れつつも、その宗教思想にはけっして洗脳されなかった。
とすれば、明治から太平洋戦争の敗戦までの国家神道の上に成り立った帝国主義思想に、この国の民衆はすっかり洗脳されていたのだろうか。おそらくされていた部分も、されなかった部分もあるのだろう。
日本列島の民衆はかんたんに支配されてしまうから、一見洗脳されているように見えるが、まるごと洗脳されてしまうことはない。漢字から平仮名をつくり出していったように、かんたんに外来文化を受け入れても、つねにアレンジを加えながら、何もかも「日本風」にしてしまう。
鎌倉仏教は、禅宗にしても浄土宗にしても、まったく「日本風」だった。
もしも国家神道帝国主義に洗脳されていたのなら、敗戦と同時に民衆の大暴動が起きていたことだろう。そのうっぷんが上の権力社会に向かうか、さらに下層の被差別民に向かうかはともかくとして、それなりの内乱的騒動になってゆく。しかしほとんどの民衆は、あっさりと頭の中を切り替え、アメリカにすり寄っていった。
アメリカナイズされてなげかわしい、と右翼はいうのだろうが、その他愛なさこそが日本列島の伝統なのだ。
憂国」などといって国を憂えることが右翼のプライドらしいが、日本列島の民衆は国よりもみずからの生を憂えているのだし、人の心はそこから華やぎときめいてゆく。
国を憂えているみずから生の正当性に執着しながら、内乱やクーデターが起きてくる。そういう騒々しい自意識は、少なくとも日本列島の民衆の伝統ではない。
原初の人類は、猿よりも弱い猿になってしまったみずからの生を嘆きながら、そこから自分のことなど忘れて世界や他者に他愛なく豊かにときめいていった。日本列島の民衆の伝統すなわち「やまとごころ」は、そこを水源としている。
とすれば「憂国」などといいいながら他人や社会を裁いては自己撞着してゆく今どきの右翼の意識は、本居宣長いうところの「からごころ」なのだ。彼らの思想や心映えは、日本列島の民衆の伝統から大きく乖離してしまっている。
政治なんか知らない、といいながら他愛なくときめき合っている無党派層のものたちのほうが、ずっと「やまとごころ」の伝統を生きている。

まあ人類は、文明国家の登場とともにみずからの生に執着する自意識に目覚めたわけで、それに対して原始人は生きられない我が身を嘆きながら「いつ死んでもかまわない」という勢いで歴史を歩んできた。
おそらくこの国の憲法第九条だってそういう覚悟なしには成り立たないのであり、しかしそれこそが人類史の普遍的な感慨でもある。
国家とは民衆を支配するための装置である。われわれにとってそれはすでに存在するものであり、それを受け入れてもいるが、その存続を願うべき義理などない。
日本列島の民衆は、大和朝廷の発生以来、国家権力から守ってもらうべき理由など何もないまま、ずいぶん長いあいだただもう一方的に支配されてきてあげたのだ。
もともと日本列島の民衆は支配と被支配の関係など知らなかったし、それは世界を支配する神や仏のような存在を思い描くこともなかったことを意味する。すなわち、仏教伝来以前のこの国に宗教など存在しなかったということ。それは、大和朝廷によって持ち込まれたのであり、権力者は支配することが本能であるのだから、この世界を支配する神や仏を本能的に信仰しているし、支配しようとする本能を持たない民衆には権力者ほどの信仰心は湧いてこない。

社会制度としての支配と被支配の関係が現れてくる前の人類の世界に、宗教とか呪術というようなものは存在しなかった。そういう関係の社会制度なしに、人が宗教や呪術を発想できるはずがないのだ。
神がこの世界を創造したとかこ世界を支配しているとか神の罰が下るとか、文明社会で暮らしていればそんな途方もないことだってかんたんに発想できるが、原始人には思いも及ばないことだ。
そうそう安直に原始宗教などといってもらっては困る。原始時代には、この世界を支配する神など存在しなかった。そりゃあもう現代人の誰もが「神」という概念にとらわれてしまっているわけだが、この世界を創造し支配する神を発想することがどんなにか不純で通俗的でいやらしい心の動きであるかということを、われわれはもっと自覚してもよいのではないだろうか。
宗教なんて、支配したがっているものが執着するのであり、支配されたがっているものが執着するのだろう。
原始社会から宗教が生まれてくる必然性など何もないのだが、世の歴史家はもう、そういう前提を信じ切って少しも疑おうとしない。彼らにとって宗教は原始的なものらしいのだが、そうではない、宗教は、支配と被支配の関係を本質的な構造とする国家文明とともに生まれてきたのだ。
宗教や迷信は、自意識が肥大化した文明社会の病なのだ。自意識すなわち、生き延びるために自分の身を守らねばならない、というような心の動きは、文明社会になってから生まれてきたのであって、原始人のそれではない。猿よりも弱い猿であった原始人には「いつ死んでもかまわない」という覚悟があったし、そういう覚悟を共有しながらときめき合い助け合う社会をつくっていた。現在のこの国の民衆の集団性の伝統の中には、その面影を垣間見ることができなくもない。

古代人は千年前の「上代=神代=かみよ」をつねに意識していて、そこから「古事記」が生まれてきた。それはつまり、日本人は「おおもと=起源論」を大切にして歴史を歩んできた、ということだ。
そしてここでの「おおもと=起源論」とは、原始時代という宗教が存在しない社会を問うことで、そういう遠い昔に対する遠い憧れとともに「神道」が生まれてきた。
日本列島の民衆は、生活の作法としてひとまず宗教を受け入れつつ、しかし心の底ではつねに原始的な「神なき世界」に対する遠い憧れを紡いできた。もちろん「古事記」は神の物語であるわけだが、神道における「かみ」は「隠れている」のであり、存在しないのだ。存在しないことが「かみ」であることの証しなのだ。
「かみ」は遠い昔に現れて消えていったのであり、「今ここ」には存在しない。「今ここ」に存在しないがゆえに、われわれは「遠い憧れ」を抱く。
日本列島の「かみ」は、この世界の創造主ではなく、この世界(=森羅万象)の本質であり、それは「現れて消えてゆく」ことにある。
日本列島の民衆は、異次元の世界の「存在しない」ものに思いを馳せる。それはつまり、二本の足で立ち上がった原初の人類が「青い空」を見上げたとき以来の伝統の感慨であり、群れの密集状態に追いつめられていた彼らは、垂直方向の「非存在」の世界に向かって立ち上がった。そうして彼らは、すべてを許した。猿社会では邪魔者を裁いて追い出すのに、そのとき人類はすべての他者を許した。
宗教の「神(ゴッド)」や「仏」は、人や世界を裁く。それに対して日本列島の神道の「かみ」はすべてを許している。その「魂の純潔」、まあここでいう「宗教よりももっと清らかな<魂の純潔>に対する遠い憧れ」とはそういうことで、そのイメージを持っているからこそ日本人は宗教心が薄いのだし、宗教心が薄い心細さから生きはじめながら心が華やいでゆくかたちの文化を育ててきた。
それは、この生の賛歌ではなく、この生から異次元の世界へと超出してゆくことの華やぎであった。まあ、そのようにしては異次元世界の歌姫である初音ミクをはじめとする現在の「かわいい」の文化の潮流が起きてきている。
宗教心の薄い日本列島の民衆は、生命賛歌に居直るということをしてこなかったし、生命賛歌は権力社会による民衆支配のための方便にすぎないのであり、また権力者は、生命賛歌にのめり込みながら精神を病んでゆく。
だから古代の民衆は仏教にまるごと洗脳されてしまうことを拒んだ、ともいえる。

浄土信仰……平安時代の権力者である藤原氏は、宇治の平等院を建てた藤原頼通をはじめとして異常なくらい極楽浄土に執着した。彼らはそういうかたちで生き延びようとしたわけだが、アジアのほかの仏教がわりと「生まれ変わり」をおもな信仰にしていたのに対して、権力者たちはそれを採用しなかった。なぜなら現世において栄耀栄華を誇る権力にとって生まれ変わることは、庶民になったり動物になったり悪霊となって甦ってくることなのだから、採用するはずがない。また、仏教の悟りとか涅槃というのは生まれ変わらないで永遠に極楽浄土に住み着くことなのだから、それでつじつまは合っている。
日本列島はほかの国以上に「他界=異次元の世界」に対する憧れがあるから、「生まれ変わり」を理想とする生命観はあまり一般化しなかったし、それはむしろ悪霊などのネガティブなイメージとして定着していった。
日本列島では、生と死の境目があまり定かではない。「いつ死んでもかまわない」と思って生きているから、生そのものが夢まぼろしであり、心はいつも「他界=異次元の世界」にある。そうやって「幽霊」を見てしまう。
この国の伝統における「他界=異次元の世界」は、
今どきはスピリチュアルのブームで「生まれ変わり」を信じる人も多いらしいが、それはまあ現代的な自意識過剰の現象で、日本列島の伝統にはそぐわない。死んで生まれ変わってしまうのなら、幽霊になれない。死んでも、この世であってこの世でないような、いわばこの世とあの世の裂け目にさまよっているから幽霊になる。
日本列島の住民は、生きながら心はすでにこの世とあの世の裂け目をさまよっている。そこから、「もう死んでもいい」という勢いで心が華やいでゆく。
宗教とはこの世界(宇宙)の構造を決定する装置であり、宗教心の薄い日本列島の住民は、そのことを心のどこかしらで拒んでいる。そしてその心細さにこそ、この国の伝統としての「進取の気性」や「かわいい」とときめいてゆく「好奇心」が息づいている。