儀式・儀礼の起源・神道と天皇(113)

キリスト教イスラム教の「神」が唯一無二の「存在」だとしたら、神道の「かみ」は「非存在」のたんなる「お話=物語」であり「言葉=概念」にすぎない。
もともとそれは世界中の誰にとってもたんなる「言葉=概念」にすぎないのだけれど、「存在」であると思い込ませるような文明社会の構造がある。しかし日本人の感性は原始的だから、ただもう率直に「言葉=概念」として納得してしまっている。
森や石に「かみ」が宿っているということは、森や石は「かみ」ではないということであり、「かみ」は「非存在」の対象である、ということを意味している。
「非存在」であることの「めでたさ=尊厳」というものがある。
神道の「神(かみ)」は「非存在」の対象であるから、「神の恵み」も「神の怒り」もない。
まあ国家神道でいうところ「神風」など吹かないのであり、それはほんらいの神道の「かみ」ではない。
つまり神道の「かみ」は人を洗脳しないのであり、したがって神道は「宗教」ではない。
神道はたんなる「習俗」であり、しかしそれでもそこには神道ならではの世界観や生命観がある。

仏教伝来のときの日本列島の民衆は、仏教を受け入れつつ、それまでの歴史とともにはぐくんできた世界観や生命観を守るというかたちで、みずからの習俗を「神道」という宗教のような儀礼に仕立て上げていった。というか、そのときその習俗はすでに宗教のような儀式・儀礼を持っていたのであり、もはや宗教にまるごと洗脳されてしまわないレベルで洗練・確立されていた。
文献による一般的な歴史解釈では、そのとき仏教と神道が呪術的効果を争った、ということになっているが、もしそうなら片方が排除され消滅してしまうはずであり、おそらくそうではない。そのとき起きてきたのは「神仏習合」だった。
もともと神道は宗教ではないのだから、たがいに排除する理由がない。
そのとき仏教は国の宗教になったが、民衆のあいだにはすでに天皇を祀り上げるという確立された習俗があったし、日本列島ならではの洗練発展した世界観や生命観があった。
というわけで大和朝廷という国家権力は神道という民衆と天皇の関係に寄生していったのであり、神道を排除できるはずもなかった。

儀式・儀礼の本質を政治的宗教的なものだと決めつけるべきではない。
たとえば新嘗祭は、もともと民衆の習俗だったのであり、それを天皇家が引き継いで現在まで続いている。
起源としての古代以前の新嘗祭は、収穫した米を「神に捧げる」というような宗教でもなんでもなく、ただ単純にみんなで収穫を祝うという祭りであり儀礼・儀式だった。古代以前に宗教としての「神」という概念などなかったのであり、仏教伝来のころにようやく大陸から輸入した「神」という概念が広まり、「神に捧げる」という意味合いが濃くなるにしたがって民衆のもとから離れてゆき、最終的には皇室だけの儀式・儀礼になっていった。
もともと新嘗祭は「みんなで祝う」ということが主たるコンセプトだったわけで、それが「神に捧げる」というかたちで「神との関係」に置かれてしまえば、盛り上がりも薄くなってしまう。神は「畏れ」の対象であるとかといわれているが、そうやってブレーキがかけられたら盛り上がるはずがない。新嘗祭が民衆の習俗ではなくなっていったことについては、おおいに考えるに値する。
日本人は、神との関係に置かれるというか神に支配されることに対する耐久力がない。なぜならそれは日本列島土着の概念ではなく、大陸から輸入されたものだからだ。
現在においても、大陸の人々が神との関係を生きているのに対して、日本人は、神との関係にはまり込んでゆくことによって精神を病んでいる。アスペルガーとか統合失調症とか鬱病とか、彼らの多くは、そうやって自分の中のルールに縛られて心が身動きできなくなってしまっている。
だから、神道の「神(かみ)」は「隠れている」のであり、「非存在」の対象なのだ。それは、宗教の神のように「恵み」をもたらすことも「罰」を下すこともない。日本人は、そういう対象でなければ拝むことはできないし、そういう「非存在」であるというそのことこそもっともめでたくありがたいことだと心得ている。

現在の神社の祭りはひとまず「神に捧げる」というたてまえを取っているが、本音のコンセプトはあくまで「みんなで盛り上がる」ということにあり、それがなければ民衆の祭りは盛り上がらない。いまや神仏習合が進みしかも文明制度に浸されている社会なのだからそういうたてまえを持つしかないのだが、この国においては、それを第一義にして盛り上がるような精神風土にはなっていない。
どこからともなく集まってきた人々が連携するとか連帯するとかみんなで盛り上がるということの自然=本質は、みんなして「もう死んでもいい」という勢いで「今ここ」にのめり込んでゆくことにある。それが祭りの自然=本質であり、「生き延びたい」と願うなら、そこに「闘争」や「競争」が生まれてくる。文明制度に浸された社会においてはあるていどそれも仕方ないことだが、それでも「もう死んでもいい」ということが第一義的にはたらいていなければ、その祭りというか連帯・連携は盛り上がらない。
祭りの儀式・儀礼は、本質的には「もう死んでもいい」という勢いすなわち「非存在」に対する親和性とともに「いままここ」を祝福し祀り上げてゆくことにあるのであって、「神に捧げる」ということは後付けの二次的なコンセプトにすぎない。文明制度の発展とともに「神に捧げる」というコンセプトが寄生してきただけなのだ。
起源としての神道における「かみ」は、あくまで祝福し祀り上げる対象であって、「恩恵」とか「罰」をもたらしてくる対象ではない。古代人は、そうやって大陸から伝来した「神」という概念をアレンジし受け入れていった。
新嘗祭はおそらく弥生時代から古墳時代にかけての奈良盆地の民衆から生まれてきた習俗なのだろうが(そうでなければ大和朝廷天皇家に引き継がれるはずがない)、そのころには「神に捧げる」というコンセプトなどなかった。みんなで新しく収穫された米を食べて盛り上がりたかっただけなのだ。「新嘗=にひなめ(む)」というやまとことばにそれ以上の意味はない。「なめ(む)」は「親しむ」、すなわち「新しい米に親しむ」ということ。神に捧げるのなら「神嘗祭」というはずだが、それはもう、皇室行事になってからの話だ。
新しく即位した天皇=神が新妻と契りを交わす行事、それを「神嘗祭」という。
人類の祭りはもともと宗教ではなく、どこからともなく集まってきた人々が他愛なくときめき合い盛り上がる場として生まれてきただけであり、まあそれほどに人は「今ここ」のこの瞬間を祀り上げ刻印しようとする衝動を切実に持っているということで、人類の儀式・儀礼はそこから生まれてきたのであって、政治や宗教が生み出したのではない。
政治や宗教が儀式・儀礼に寄生しながら民衆を洗脳・支配していっただけのこと。
素敵な人と出会えばときめくし、別れるとなれば悲しくてたまらない。そういう人としての心映えの自然が、「今ここ」を刻印する儀式・儀礼を生み出した。まあ、それだけのこと。なんのためにというようなことではなく、人は人間性の自然としてそうせずにいられない心映えを抱えているということだ。世界(景色)との出会いでもいいし人との出会いでもいい、そのときめきの表現が洗練されていって、神社の森に向かって拝礼するとか、人と人が出会ってあいさつするとか、「おめでとう」といって祝福しプレゼント(捧げもの)をするとかという儀式・儀礼になっていった。