美しい庭園・神道と天皇(167)

一神教多神教かという比較がよくなされる。ただひとつの神か、それともたくさんの神を信じるか。
一神教の神はこの世界(宇宙)のすべてをつくった存在で、多神教の場合は太陽をつくった神とか山をつくった神と海をつくった神とかいろいろ分かれているというが、どちらも神とは何かをつくり支配している存在であると認識されている。
違うようで違わない。多神教のこの国だって神の存在を信じている、ということになる。そしたら、この国の民衆は宗教意識が薄いということの説明がつかない。
われわれも一神教の国の人たちと同じように神の存在を信じているのか?
神は存在するか否か、という問題は、とてもややこしい。かんたんなようで、かんたんではない。
人間だって数十億年前は一個の極小の生命遺伝子だった……これが科学の進化論で、これを認めない宗教者も多いわけだが、とにかく「無」から「有」が生じることはありえないというのも科学で、だったら「有」を生じさせた「神」の存在を想定するしかない、という科学者もいる。
で、その中間として「すべてのものは現れて消えてゆく」という考えも生まれてくる。といってもけっきょくそれもただの「考え」で、この世に万人を説得できる真理などない。
われわれはもう、神が存在するかどうかなんてわからない、というしかなくなってしまう。
みんな、いろいろと勝手なことを考えているが、今のところ「わからない」ということ以上に確かなこともないのだ。
どうすれば生きてゆけるかということなら、いい知恵を持っている人はいくらでもいるだろうが、神は存在するかどうかの答えを持っている人はいない。
神を見た人や神の存在を感じた人はいくらでもいるだろうが、すべてはその人の心(意識)あるいは脳のはたらきの範疇のことでしかない。
とりあえずわれわれは、人はどのように思い考えるのか、と問うことができるだけだ。
一神教多神教かという比較だけですめばかんたんだが、それ以前に人は「神」という概念をどのように認識しているかという問題があるし、その概念は人類史のどの段階で生まれてきたかという問題もあるし、人は必ず自然に「神」を発想するのかという問題もある。
「神」という言葉は誰でも知っているが、神とはどんな存在かということは、とくにわれわれ日本人にとってはひどくあやふやだったりする。

ここでは、仏教伝来以前の日本列島に「神」という概念はなかった、そもそも宗教そのものがなかった、と考えている。
この世界の森羅万象をつくったものがいるなんて、僕には信じられない。人の心に神という概念や宗教が自然発生してくるとは考えられない。
人類の知能が発達すれば自然にそのようなものをイメージするようになってくる、とはいえない。知能が発達した無神論者はいくらでもいるし、宗教を信じているものは知能が高いともいえない。また、信じている知能が高いものもいる。
つまり、知能の発達なんか関係ない、ということだ。
それは、文明制度とともに生まれてきた。文明制度が人に神をイメージさせている。それはひとつの社会的な観念であり、社会環境によってつくられる。
仏教以前の日本列島に、少数の支配者と多数の被支配者で構成された文明国家は存在しなかった。そのころの奈良盆地は日本列島でもっとも大きな都市集落だったが、支配者のいない「無主・無縁」の民衆自治によってその大集落がいとなまれていた。これはまあ、世界中にそういう歴史段階があるのだが、異民族との軋轢がなかった日本列島はその段階がとくに長く、大和朝廷という支配権力機構が生まれてきた後もずっと伝統として残ってきた。
たとえば奈良盆地周辺の巨大前方後円墳は、一般的には「権力社会が権力の威光を示すために民衆を使役して造った」と、言われているが、そんな証拠は何もなく、「民衆が勝手につくって天皇に捧げただけだ」といっている歴史家も少なくないし、むしろその証拠のほうが多い。だからそれは「捧げる」という意味の「陵(みささぎ)」というのだし、そのころの奈良盆地周辺のほとんどは湿地帯であり、その干拓と灌漑用のため池として造られた。その古墳の表面にはぎっしりと石が敷き詰められていたのだが、それらの石は一か所から運ばれてきたものではなく、周辺のあちこちから無作為に持ち寄ってきたものであるのだとか。つまり、周辺の住民がそれぞれ一つ二つと持ち寄ってきたものであるらしい。そうして奈良盆地周辺の干拓事業が一段落した大化の改新のころの大和朝廷は、これからはもう大きな古墳をつくってはならないという「薄葬令」を民衆に向かって発している。権力社会がむりやり造らせていたのならそんな命令を下す必要なんか何もないし、それはまた、そのころになっても民衆自治の村落運営が機能していたということを意味する。
で、奈良盆地でそうしたムーブメントが終息したあとも、地方やさらには朝鮮半島では盛んにつくられていたのだが、それらはその土地土地の支配者がつくらせていたのだろう。
日本列島の文化はつねに下から上に上がってゆく歴史だったのであり、それだけ民衆自治の習俗が確立洗練されていたからだ。日本列島においては、権力者やインテリよりも民衆の知性や感性のほうが高度で洗練されているのだ。

日本列島の支配権力は民衆社会の自治運営に寄生するようにして生まれてきたのであり、強く支配しつつもつねに民衆から影響されている。たとえばあの太平洋戦争だって、まず民衆がその気になって権力社会がそれに追随してゆくというかたちだった。
日本列島の社会のこの構造はややこしい。民衆自治は誰もが「支配されるもの」になることの平等性によって成り立っている。だからその上に権力社会が寄生してくるのも、その権力が絶対になってゆくのも、必然のなりゆきだった。
受動性……日本列島の民衆は根っからの「支配されるもの」であり、支配者がいなくても支配されている。神に支配されているのではない。神がいなくても「人間性の自然」として「支配されるもの」であり続けているのだ。
日本列島においては自然の森羅万象そのものが神である、などとよくいわれるが、自然に支配されてなんかいない、自然をいじくりまわしている。たとえば傾斜地の「棚田」の風景なんか、よくもまああそこまで執拗細密に自然をいじくりまわすことができるものだ、と誰もが感心する。
盆栽は今や世界に誇る日本列島の伝統文化になっているが、これもやはり執拗細密に自然をいじくりまわしている。そうしてそれが、まるで神であるかのように認識されて途方もない値段がついたりしている。
日本列島においては、自然を執拗細密にいじくりまわしたものが「神」になる。自然が神であるのではない。自然の「本質」が神であり、その「本質」を深く熟知しなければ執拗細密にいじくりまわすことはできない。
日本列島における神とは自然の森羅万象の「本質」であり、「本質を熟知する」ことだ。古代の日本列島の住民は神とはそのようなものだと解釈し、外来の「神(ジン)」という言葉とは別にやまとことばで「かみ」と命名した。そのようにして「古事記」という伝承説話が語り継がれ、「神道」が生まれてきた。
八百万(やおよろず)の神といっても、「神」という概念そのものが一神教とは違うのであり、この世界を創造したものを神だとは思っていない、この世界の「本質」に気づく体験を「かみ」という言葉で表しただけなのだ。
「か」は「カッとなる」の「か」で「気づく」こと、「み」は果実の「実(み)」や魚の肉の「身(み)」のことでその意味は「本質」、ゆえに「かみ」とは「本質に気づく」こと、かんたんにいえばそういうことになる。

仏教伝来のそのとき、宗教などというものを知らない日本列島の民衆は、仏教の経典に記された「神(ジン)」とはどのようなものだろうかと考え、みんなで語り合った。それが「古事記」になり「神道」になった。
そしてそのとき彼らは、仏教に説得・洗脳されることなく、自分たち流に「神とは何か」と探求していった。彼らの世界観からすると、世界を創造したものなどあるはずがなく、「かみ」は世界から出現したといい、イザナミイザナギによって日本列島が生み出されたという。「かみ」は世界を「創り出す」のではなく、世界を「生み出す」、そう考えることによって、その「神(ジン)」という概念と折り合いをつけていった。
またイザナミは、火の神を生んだことによって性器を焼かれて死んでしまった。「命の終わり」が「命のはじまり」で、「世界の終わり」が「世界のはじまり」である、という考えが日本列島の伝統としてある。
「生(う)む」の「う」は「うっ」と息が詰まるニュアンスの音韻で、「命の終わり=世界の終わり」をあらわしている。この世界の森羅万象は、「存在」ではなく、現れては消え、消えては現れる「現象」である……と古代人は考えた。「有」か「無」かというなら、「有」なんて最初からないのだ、という思いが日本人にはある。
宗教とはこの世界の「存在=有」を説明するものであるとするなら、非宗教としての神道は、「森羅万象」とは出現と消滅を繰り返す「はたらき」であり、その「はたらき=本質」を「かみ」としている。
「はたらき」は「有」でも「無」でもない。それはたしかに「ある」が、かたちはない。その「はたらき=本質」を徹底的に追求して「棚田」や「盆栽」が生まれてくる。自然そのものは「かみ」ではない。だからそれをどんなにいじくりまわしても、不道徳にはならない。日本列島の民衆は、森羅万象の「存在=有」に価値など見ていない。すべてのものは滅びる。そうしてまた出現する。そういう自然の「はたらき=本質」に「かみ」が宿る。自然をいじくりまわすことは、「かみ=はたらき」に自分を捧げることである。自然をいじくりまわすが、壊しはしない。自然をもっと自然らしくするためにいじくりまわす。
日本列島の民衆は自然を大切にしているのではない、「自然のはたらき」に対する一途な想いがあるだけだ。すべての自然=森羅万象にそれ自体の「はたらき」がある。だから、「八百万の神」ということになる。

仏教伝来の際に、民衆の神道はどうして「仏(ブツ)」ではなく「神(ジン)」という概念を採用したのだろう。まあどちらも「ほとけ」と「かみ」というようにやまとことばに直してしまったのは、それを受け入れるにしてもそのままでは受け入れない、という思いがあったからだろう。いずれにせよそのとき土着の宗教があったのなら、「神(ジン)」に「かみ」というやまとことばを当てることはなかったにちがいなく、それはきわめて「非宗教的」な意味合いの言葉だった。それが宗教的な信仰の言葉として大事にされていたのなら、「髪」とか「紙」とか「おかみさん」とかものを「噛む」とか上下の「上(かみ)」とかというようにカジュアルな言葉として使いまわせるはずがない。
「かみ=かむ」、もともとそれは宗教の言葉でもなんでもなかったし、今でもカジュアルに使いまわしている言葉にすぎない。
英語圏の人々にとっての「ゴッド」という言葉には唯一無二の意味があり、とても重い響きを持っている。日本人だって「神」という言葉を知っているが、彼らほどの神に対する畏れはないし、憧れもない。近ごろでは西洋的な感覚にもなってきてもいるが、それでもわれわれの歴史の無意識においては彼らとは違う神概念を持っており、彼らよりも思考も行動も無原則・無節操で、自然はいじくりまわすし、「神頼み」という言葉はどちらかというとネガティブな意味でつかわれている。
この国には、手つかずの自然としての「荒野」というようなものはほとんどない。ある外国人旅行家がこういっていた。「日本列島は、国土それ自体が手入れのよく行き届いた美しい庭園のようである」と。
この国の伝統としての「かみ」は、「存在」ではなく「本質」を意味しているだけなのだ。
古代以前のこの国に宗教が存在しなかったことは、文明制度が未発達だったと同時に、それなりの科学的思考を持っていたということを意味する。