猿はまだ空の広がりに気づいていない・神道と天皇(115)

人の心の自然には、「非存在」に対する親和性がはたらいている。「初音ミク」というバーチャル・アイドルは、そうした人間性におけるひとつの究極の表現にほかならない。またそれは、この国の伝統の精神風土である「あはれ・はかなし」の美意識・世界観・生命観のあらわれでもある。
人類はいつ「非存在」に対する親和性に目覚めたのか?それはおそらく、原初の人類が二本の足で立ったときに見上げた空の青さが目に染みたときはじまっている。
「空を見上げる」という体験は、二本の足で立ったときにはじめて生まれた。
そりゃあ猿だって、高いところの木の実を見上げることはあるだろう。しかし、その向こうの空は見ていない。
猿はまだ、空という空間の広がりに気づいていない。
原初の人類が二本の足で立つことは、「空間」を探すことだった。密集しすぎた群れの中でいつも他の個体と体をぶつけ合って行動していれば、どうしてもぶつけ合わずにすむ「空間=すきま」を探す気持ちが募ってゆく。
直立の姿勢になれば、それぞれの身体が占めるスペースが狭くなり、身体と身体のあいだに「空間=すきま」ができるし、身体を自由に動かすことができる。そうやって、気がついたらいつの間にか、二本の足で立ち上がっていた。
そして二本の足で立つことは物理的に「上」に向かう行為であり、視線は木の頂の向こうの空にまで伸びていった。そのとき人類の関心は「空間」にあったのであって、木の実にあったのではない。
木の頂の向こうには無限=永遠の空間があった。そうやって空の青さが目に染みることは、「無限=永遠の発見」という体験でもあった。
原初の人類は、二本の足で立ち上がったことによって「遠く」を見渡すようになったのではない。「永遠の高み」に気づいたのだ。
それは、サバンナではなく原初の森ではじまったのであり、森の中では、立ち上がっても見渡せる範囲は木にさえぎられてたいして違いはない。
やまとことばの「そら」とは、「何もない」という意味でもある。人の心は、その「非存在」の「空間」にときめく。青い空を見上げていれば、「永遠」に包まれている心地になる。

永遠とは「非存在」のことであり、永遠=無限の「存在」などというものはない。
すべての物質存在のまわりには「非存在の空間」がある。「非存在の空間」に囲まれていることによって、物質は物質たりえている。
宇宙が「存在」であるのなら、必ずそのまわりに「非存在の空間」がある。果てのない「存在」などというものはない。
まあ主観的にも、青い空は無限=永遠の広がりのように感じられる。
われわれがテーブルのコップを見ているときでも、コップと自分とのあいだの「空間=非存在」を見ている。人の心は、先験的に「非存在の空間」に対する親和性を持っている。
何もかもなくなってしまうのは不幸なことではあるが、何もかもなくなってさっぱりした、という場合もある。
掃除をしてきれいになる。日本人は、そういう「きれい」ということに対する愛着がことのほか深い。それは、「美しい=ビューティフル」というのとはちょっと違う。
何もなくてさっぱりしていることを「きれい」という。
この地球から人間が一人もいなくなれば、地球も「きれい」になるのかもしれない。「きれい」とはひとつの悲劇であり、人の心はときに悲劇=非存在を抱きすくめてしまう。まあそうやって原始人は「埋葬」という儀式・儀礼をはじめたわけで、日本人が演歌の泣き節が好きなのも、初音ミクというバーチャル・アイドルが登場したのも、そういう人類史の普遍というか人間性の自然とつながっている。
見上げる青い空が目に染みるということ、そうやって心は「非存在の空間」という「異次元の世界」に超出してゆく。人は、そうやってこの生の「今ここ」を刻印している。「今ここ」のこの瞬間は、「日常としての今ここ」にはない。日常は過去から未来へつながる線上にあり、「今ここ」は過去と未来のはざまの「非日常=非存在の空間=異次元の世界」にある。つまりそれが儀式・儀礼によってもたらされる体験の本質にほかならない。
身も世もなくよよと泣きくずれることは他愛なくときめくことと表裏の体験であり、そこにこそもっとも深く豊かな人間性の自然というか真実が刻印されている。まあそういう体験ができる人こそ、人としてもっとも魅力的であるわけで、人間性の尊厳というなら、そういうレベルで語られるべきだろう。そしてそういう体験ができる人はインテリの中にもいるし、無知な庶民でもできない人はできない。

人類史の埋葬の起源は、死=死者に対する親密な感慨から生まれてきた。それは「非日常=非存在」の「異次元の世界」に対する親密な感慨でもあり、そうした世界の住人である初音ミクは「死=死者」の表象であるともいえる。
まあ初音ミクの登場について考えることは、人が「死=死者」をどのように認識しているかという問題を問うことでもある。
現在は、「死=死者」に対する親密な感慨が露出してきた時代であるのかもしれない。
死が限りなく遠ざけられている時代だからこそ、死に対する遠い憧れがより切実になってきている。
死は、「今ここ」にある。人類最初の埋葬は、「今ここの死」をありったけの親密な感慨で抱きすくめてゆく体験であった。
それは、人々の「今ここ」を刻印する儀式・儀礼でもあった。
人の生のいとなみには、未来を忘れて「今ここ」を刻印せずにいられない衝動がつねにはたらいている。
人類史の起源においては明日も生きてあることが保証されていない与件を負って歴史を歩んできたのであり、だからこそめざましい進化発展が起きてきたのだし、そういう記憶は平和で医療技術が発達した現在を生きるわれわれの無意識の中にも残っている。
国家共同体というか文明制度が明日も生きてあることを保証する装置であるのなら、われわれが生きてあることの実存感覚においては、未来のことは忘れて「今ここ」を刻印せずにいられない原始的な衝動がつねにはたらいている。日が暮れても公園で遊び続ける子供のような……ということだろうか。それでも人は、われを忘れてときめき感動せずにいられない生きものであり、誰だってその体験をよすがとして生きているし、その体験を失って精神を病んでゆく。
人類史の儀礼・儀式は、未来のことを忘れて「今ここ」を刻印せずにいられない思いから生まれてきた。

起源としての神道は、どこからともなく一か所に人が集まってきて浮かれ騒ぐ「祭り」の習俗であったのだが、それもまあ「今ここ」を刻印せずにいられない人間性のムーブメントだったわけで、人々が目指したその場所には、たとえば美しい姿をした山とか清浄な森とか目を見張るような岩石等の、人々が共有するシンボル的な景観があった。で、その山や森や岩石を、祭りの「今ここ」の刻印として祀り上げていった。その表現として、みんなで柏手を打って拝礼をするようになってきたのだろうし、鳥居やしめ縄なども考え出されていったのだろう。それは、宗教ではなく、あくまで祭りの「今ここ」を刻印し盛り上げるためのたんなる「習俗」だったのだろう。
そうして、みんなで歌ったり踊ったりしていれば、その名手がシンボル的カリスマとして祀り上げられてゆくことになる。
その祭りは自然発生的に起きているものだから、支配者とかリーダーのような存在はいなかった。そういう場で人はどんな存在を祀り上げてゆくのかといえば、強いものでもリーダーシップを持ったものでもない。あくまで自分たちの「今ここ」を美しく華やかに飾り刻印してくれる存在だった。
この世でもっとも「今ここ」を美しく切実に生きている存在は「処女=思春期の少女」であり、それはもうその舞姿にあらわれていた。人の心は、人間性の自然として、そういうめでたさありがたさを感じないではいられないようにできている。人類の歴史とともに進化発展そして洗練してきた人間的な知性や感性が、避けがたくそう感じてしまうのだ。
彼らは、祭りの「今ここ」を刻印する儀式・儀礼として、「処女=思春期の少女」すなわち「巫女」を祀り上げていった。

人類の儀式・儀礼は、宗教として生まれてきたのではない。
宗教は、生きてあることの苦しみや死に対する怖れから逃れたいという願いから生まれてきた。すなわち、「生き延びたいという欲望」から生まれてきた・ということだ。
しかし古代以前の人々は、生きてあることの「受苦」は先験的なものとして受け入れていたのであって、「逃れたい=生き延びたい」という欲望など持っていなかった。明日のことを忘れて浮かれ騒いでいたら、「逃れたい」とか「生き延びたい」という欲望など生まれてくるはずがない。
人間性の自然としての「今ここ」を刻印しようとする衝動は、宗教心ではけっしてない。起源としての神道および日本列島の精神風土の伝統は、「自分」も「身体」も「この生」も忘れた「非存在」の次元に超出してゆくことにあり、その「今ここ」の「ときめき」を刻印する習俗として、神道の儀式・儀礼が生まれてきた。
「ときめき」すなわち「祝福」、神道の「祀り上げる」とはようするにそういうことであり、それが神道の基本的なコンセプトであって、もともと宗教的な救済を目指したものではなかったのだ。
本居宣長神道を「人の道」を説くものだというようなまぎらわしいことをいったために、明治以降の国家神道支配の強化に利用されてしまったわけだが、もともとの神道は「人」であることすらも忘れて「非存在」の次元に超出してゆく習俗だったのだから、「人の道」ということも論理的に成り立つはずがない。
明治政府は最初、神道を国家の宗教にしようとしたのだが、国民にうまく浸透しなかった。そこで苦肉の策のように、神道は宗教ではなく国民すなわち天皇の臣民としての「人の道=道徳」を説くものである、ということになり、そのコンセプトで「教育勅語」が生まれてきた。
ともあれ日本人の無意識は、神道を宗教だとは思っていない。
また、「人の道」を説くものだともほんとうは思っていないのだが、それでもそれに洗脳されてしまったのは、「宗教ではない」というところに説得力があったからかもしれない。「宗教ではない」というところにホッとしてしまったのかもしれない。江戸時代の檀家制度は仏教を宗教として受け入れることだったわけで、その息苦しさからの解放感があったのかもしれない。体ごと宗教に囲い込まれることに耐えられない民族であり、伝統的に神道は、仏教という宗教からの解放区として機能してきた。
もともと天皇を祀り上げることに抵抗がない精神風土だったし、そのとき天皇は、仏教という宗教からの解放をもたらしてくれる対象になった。
明治のころは、坊主という仏教徒がいかに低俗・愚劣な存在であるかというプロパガンダも盛んにおこなわれていた。仏教の教義がどうのというのではない、やつらは「人の道」に外れている、と扇動したのだ。そうやって民衆の心や生活が、どんどん国家神道に染められていった。
儀式・儀礼はもともと「今ここ」を刻印するいとなみなのだから、未来や広い世界(あるいは宇宙)を志向している政治や宗教とは根源的に逆立している。したがって政治や宗教から儀式・儀礼が生まれてくることはありえないのであり、政治や宗教よりも先にまず儀式・儀礼があった。
政治や宗教が儀式・儀礼を生み出したのではなく、政治や宗教が儀式・儀礼に寄生していったのであり、それによって民衆を洗脳し支配することに成功していった。これが人類史の法則だ。
明治政府も神道を徹底的に儀式・儀礼化していった。たとえば、皇居に巨大な神社を建てて天皇に新しくつくったさまざまな儀式・儀礼をさせていったし、民衆の家には天照皇大神の神棚や「御真影」などと称して天皇の写真を祀らせたりした。それらは、江戸時代以前の日本列島にはなかったのであり、儀式・儀礼天皇が好きだという民衆の習俗にあらためて寄生していっただけのことにすぎない。

政治や宗教が儀式・儀礼を生み出したのではない、すでに存在する儀式・儀礼を利用して民衆を洗脳・支配してきただけなのだ。儀式・儀礼は民衆を洗脳・支配するたものもっとも有効なアイテムであり、それは、民衆の「今ここ」を支配するというか、民衆の「今ここ」を政治や宗教が提示する「未来」に屈服させてしまうのだ。
神社にお参りして願い事をする……といえば、何か善男善女の他愛ない心模様のようだが、起源としての神道において願い事などなく、ただもう「今ここ」を祝福し祀り上げていただけなのだ。願い事をするなどということは、政治や宗教、すなわち文明社会の制度に冒されている部分の心から生まれてくるにすぎない。まあ文明社会の中に置かれていれば「未来」に向かう願い事をしたくなるのはしょうがないことではあるが、日本人は、たとえば賽銭箱にお金を投げ入れて願い事をしつつ、心の底ではただたんに「今ここ」の神社という空間のめでたさを祝福し祀り上げているだけだったりする。まあ、おみくじを木に結んだり、絵馬を奉納したりすることだって、お参りに来たことの形見として、すなわちたんなる「儀礼」としてそうしているだけだったりもする。
日本人にとっては、願い事をすること自体が「今ここ」を刻印することにもなっている。神社の「かみ」は何もしてくれないことを知りつつ、願い事をしている。願い事をしている「今ここ」を心に刻んでいるだけなのだ。
日本人の歴史の無意識の中に息づいている「神道」は、「人の道」という「道徳」でも「宗教」でもなく、他愛なくひたすら純粋に「今ここ」を祝福し祀り上げてゆくことにある。「人の道」すなわち「きよきあかき心」すなわち「魂の純潔」を得ようと願うのではない、それらを得ることなど叶わないと知りつつ、それでもそれらに対する「遠い憧れ」で「今ここ」を祝福し祀り上げてゆく。
したがって神道の儀式・儀礼は、宗教として生まれてきたのではない。柏手を打って拝むこと、祝詞を奏上すること、しめ縄や鳥居、新嘗祭祇園祭や村の鎮守の祭りや正月や七五三等々、すべてが「今ここ」を祝福し祀り上げる儀式・儀礼として成り立っているのであり、本質的には政治や宗教のような「未来に向かう目的」など持っていない。
この生もこの世界も「今ここ」において完結している……それが神道の思想であり、それによって人類の儀式・儀礼が生まれてきた。その思いの切実さこそ、人が人であることの基礎であり究極なのだ。