女の人生・神道と天皇(130)

古代以前の日本列島の女はすべて、生涯を独身で過ごした。「ツマドイ婚」だから、男は家を持たない衛星のような存在だった。その代わり、何人もの女の家に尋ねてゆくことができた。そんな習俗の延長として、後世には、天皇家の娘や巫女などの一部の選ばれた女を独身のまま一生を過ごさせるようになっていった。
仏教の最初の僧侶は選ばれた巫女だったというし、天皇家の娘が出家して尼寺の住職になるという習俗は江戸時代まで続いていた。
人々は処女を崇拝していたし、それは女自身が望む人生でもあった。まあ処女といっても、セックスをするとかしないということではなく、「浮世離れした女」をまわりのみんなで祀り上げ養ってゆく、という習俗だった。
浮世離れしている女こそ、もっとも「かみ」に近い存在だった。浮世は「憂き世」であるという感慨は、日本列島の伝統なのだ。
娼婦だって「浮世離れした女」であり、男たちが寄ってたかって養っている存在だといえる。
古代には巫女がやがて娼婦になってゆくことも多く、その伝統から中世には白拍子という権力社会だけの高級娼婦がいたし、江戸時代の花魁はまさに「かみ」のような存在として祀り上げられていた。
古代以前の神社の祭りの主役である巫女は、ともあれこの世のもっとも崇高な存在だったわけで、それが仏教伝来とともに「神」という概念が生まれてくれば、とうぜん巫女はもっとも神に近い存在として祀り上げられてゆくことになる。
そしてそのもっとも上位の巫女がやがて天皇として祀りげられてゆくことは、きわめて自然ななりゆきではないだろうか。

卑弥呼(ひみこ)」の正式な呼称は「ひめみこ」だったという説があるが、姫巫女、古代以前は天皇家の「姫巫女(ひめみこ)」が次の天皇になるという制度だったのかもしれない。
それほどに「巫女」は崇拝されていた。
「ひみこ」は「きみこ」だ、とも考えられる。尊い巫女、ということ。だから、天皇をはじめとする貴人のことを「きみ」というし、古代までの天皇は「おほきみ」と呼ばれていた。
「きみこ」の親だから「おほきみ」、大旦那とか大奥様というのと同じ。
起源としての神社のような祭りの場では、祭りの主役としての巫女集団が形成されていた。
「みこ」とは「選ばれた子」というようなニュアンスだろうか。心身とも充実することを「身が入る」といい、お金が入ることを「実入りがいい」という。敬語・丁寧語の「御(み)」は、特別扱いしていることだろう。「見る」という言葉には「選択する」という意味がある。まあ、宗教的な意味は何もない。
踊りが上手な娘たちが選ばれて巫女集団を形成していた。それは、聖なる集団だった。
聖か俗かということは、べつに宗教だけの問題ではない。古代以前の日本列島には宗教などなかったが、そういうことは誰もが意識していた。「みそぎ」と「けがれ」、これも「聖と俗」と言い換えることができるはずだが、このことはもう、縄文時代から意識していたかもしれない。土偶を壊して埋めるという習俗は、体の「けがれ」を葬る行為だったに違いない。また、家を建て替えるときは、必ず位置をずらして建てた。これも「古い=けがれ」「新しい=みそぎ」を確認しようとする意識にちがいない。

日本語の「きれい」とは、「みそぎが果たされている」ということで、「聖」の意識だろう。「ハレ」と「ケ」といっても、べつに宗教の意識とはかぎらない。人類普遍の実存感覚の問題だ。生きてあることのいたたまれなさがたまってくることを「ケ=けがれ」といい、身も心もさっぱり「きれい」になることを「ハレ=みそぎ」といった。
縄文・弥生人にとってのもっとも崇高なイメージは「みそぎ」だったのであり、巫女は、集団が「みそぎ」を果たすためのよりどころになっていた。
日本人にとっての「きれい!」は、西洋人が「オー・マイ・ゴッド!」とか「ジーザス!」というくらいの思い入れがある。
日本人は、「きれいに生きたい」とか「きれいな関係でいたい」というようなことは思っても、「正しく生きたい」とか「正しい関係でありたい」というような発想はあまりない。
「正しい」や「美しい」よりも、「きれい」のほうに思い入れが深い。
「処女=思春期の少女」の体がどうなっているのかよくわからないが、彼女らの姿は、たしかに輪郭が鮮やかで「きれい」だ。
宗教意識なんかなくても人は、崇高なものを祀り上げようとする心の動きはあるし、日本列島においては「きれい」こそ崇高だったのだ。
あくまでも「祭り」の場であった古代以前の神社では、巫女の舞がもっとも崇高なものとして祀り上げられていたのであり、山に神が宿っているなどとは思わなかった。そんなことは仏教伝来や古事記以降の話にすぎない。ただ「清浄=きれい」な「場」と「景観」に対する思い入れがあっただけだった。
仏教伝来の際には原始宗教の神道と仏教が疫病退散の呪術効果で争っただなんて、まったく民衆をバカにしている。僕は、後世の権力社会のそんな歴史記述なんか信じない。仏教伝来までの民衆が祀り上げていたのは「きれい=清浄」以外の何もなかった。神が何かしてくれるなんて、神道ほんらいのコンセプトではない。古代以前の民衆は、「神に祈願する」という習俗など持たなかった。
また、「巫女=後の天皇」をみんなして祀り上げることをしても、民衆どうしのあいだには身分なんかなかった。
「無主・無縁」の集団性は、氷河期以来の日本列島の伝統なのだ。

世間の左翼はよく「天皇の存在が差別の元凶になっている」というが、そうじゃない、古代および古代以前の民衆は、「無主・無縁」の集団性を守るために巫女や天皇を祀り上げていたのだ。そのころの民衆の祭りには、旅芸人も琵琶法師も乞食も娼婦も山の民も山姥も、みんな参加していたのであり、その祭りで巫女がの舞がもっとも崇高なものとして祀り上げられ、やがては選ばれた最上位の巫女が天皇になっていった。
現在の天皇が車で通るとき、沿道の民衆は満面の笑みで手を振っているのに、右翼の人たちは最敬礼したままその顔を上げようともしない。この温度差は、いったい何なのだろう。前者の感慨は古代以前以来の伝統に身を浸し、後者の観念は明治以来の国家神道に縛られている。
人の心は「祀り上げる」ということをする。その対象はは神や仏にかぎったことではない。現在の若者たちは初音ミクを祀り上げ、古代以前の民衆は巫女の舞の美しさを祀り上げていた。
祀り上げるとは、ときめき献身してゆくこと。右翼たちは天皇を拝んでいるだけで、ときめいているわけではない。被災地を訪れた天皇に対して、民衆は、喜々として話す。天皇にお願いすることなど何もないが、心配してくれている気持にこたえたいのだ。たがいに献身し合うこと。これこそ人と人の関係の理想であり、天皇と民衆はもともとはそういう関係だった。
天皇制がいいのか悪いのかはわからない。しかし天皇と民衆のあいだには、人と人の関係の理想と本質が潜んでいる。たがいに祀り上げ、献身し合うこと。

人と人は、たがいに弱く愚かなものにならないとうまく関係を結べない。
自分の存在の正当性に執着しているものほど嫌われるし、人を支配したがる。
日本列島の伝統においては、「自分を愛するように他人を愛せ」とか「他人を愛するように自分を愛せ」というような理屈は成り立たない。あえていえば、「自分のことなんか忘れて他人にときめいてゆけ」となる。自分を愛するのでも卑下するのでもなく、「忘れる」ことが日本列島の流儀らしい。忘れることの消失感覚のカタルシス、それを「みそぎ」という。
まあ今どきは誰もが自分を愛している世の中で、それが正しいことであるかのように語られることが多い。
しかし終戦直後の人々は、自分を愛する余裕なんかなかった。むしろ死んでいった人に対する申し訳なさのほうが先に立った。みんなが、国も自分も愛してなんかいなかった。「パンパン」という街娼が成り立ったのも、そんな時代の空気があったからだろう。彼女らに自分に執着する意識があったらそんな商売はやってられないし、しかしそれは江戸時代の夜鷹や宿場女郎からの伝統でもあった。
日本列島の民衆社会は、基本的には「無主・無縁」なのだ。
『自分』が「自分」にまとわりついていることの「けがれ」、「自分」を愛しても憎んでも同じことだ。『自分』が「自分」を忘れて世界の輝きにときめいてゆくことによって「自分」が消失してゆくカタルシスが生まれる。

天皇は「自分」を忘れて民衆にときめいている存在であり、民衆も天皇を前にすれば「自分」を忘れて天皇にときめいてゆく。古代および古代以前は、そのように天皇制が機能していたはずなのだが、権力者によって天皇が支配して君臨している存在であるかのように偽装されてきた。そのために男の天皇にする必要があったのかもしれないし、それが発展して国家神道にになっていった。
もともと天皇は、奈良盆地の民衆に養われている「処女=思春期の少女」にすぎなかった。そういう都市集落になりつつあるときの混沌をまとめるための「生贄」として祀り上げられていたのだが、そのときの「天皇=巫女」じしんも、「生贄」になることのひりひりするようなカタルシスがあったにちがいない。まあそれも、ひとつの「自分の消失」という「みそぎ」の体験であるわけで。
カミユは、『シジフォスの神話』で「奴隷になることの自由というのもある」といっていたが、同じように「生贄になることの『みそぎ=解放感』もある」のかもしれない。
「処女=思春期の少女」が自分を忘れたように外の景色に視線を向けているときの無心の表情は、ほんとにこの上なく崇高だ。彼女らほど「自分=身体」を忘れたがっている存在もなく、だからこそそんな表情ができる。からっぽの心ほど崇高な心もない。それこそがもっとも「清潔=きれい」な心だといえる。
この世のもっとも鮮やかな「みそぎ」の体験は、もっともみずからの「けがれ」を意識している「処女=思春期」の少女のもとにある。だから人類は、「処女の舞」を祀り上げる。
日本列島の天皇が、支配者として登場してきたというよりも、「巫女」が進化発展していったのだと考える方が、ずっと天皇が高貴な存在であることの証明になるのではないだろうか。また、そう考えないことには歴史のつじつまが合わないのではないだろうか。