神が世界をつくったのか・神道と天皇(8)

それは科学の大問題でもあるのだが、「神がこの世界をつくった」ということにしなければ、宗教にはならない。まあじつは、科学の問題というより、「自意識」の問題なのだ。そうやって疑問に決着をつけてしまおうとする自意識がはたらいている。しかしこの世の本格的な科学者たちは、その疑問を宙吊りにして先延ばしにしたまま、ひたすら「わからない」と身もだえし続けている。
宗教とは、肥大化した自意識による「支配する」装置なのだ。神との関係に置かれた上位の「自分」が「自分=この生」を支配してゆく。彼らは「上位の自分」を神につくってもらうのだろうか。そうやって「自分=この生」を支配してゆけば生きやすくなるのかもしれないが、正味の自分というかあるがままの自分の自然な心のはたらきがどんどん停滞してゆく。「しなければならない」ことだけがあって、「せずにいられない」ことがない。
そうして、たとえば、誰もがちょっとしたはずみで抱いてしまう「殺してしまいたい」というささやかで後ろめたい欲望が、彼らの中ではもう「殺さねばならない」という使命感=激情に発展してゆく。神が彼らにそう命じるらしい。そうやって残虐な殺し合いの宗教戦争が起きる。
しかしわれわれ無宗教のものたちだって、「それほどの盲目的な激情はない」といって、無罪であるとはいえない。「殺してしまいたい」と思うこと自体が、すでに宗教的な心の動きなのだ。われわれだって、心のどこかしらで、神の命令の声を聞いてしまっている。
原始人の社会に宗教などなかったし、究極の未来にも宗教は存在しないのだろう。そのはざまでわれわれ文明人は、「宗教的」であるほかない生のかたちを余儀なくされている。「神」や「霊魂」や「天国」など存在しない、といっても、すでにそうした概念を生み出すような思考のかたちになってしまっている。正義によって人を裁くとか、生き延びたいという欲望を募らせて「生命賛歌」をするとか、そうした観念のかたちそれ自体がすでに頭の中を宗教に汚染されてしまっている証拠だし、それでもそんなことなど忘れて他愛なくときめき合ったり、「もう死んでもいい」という勢いで何かに熱中していったりしている。「正しく生きねばならない」という声がどこから聞こえてきたりするが、「そんなことはどうでもいい、すべての生は赦されている」と考えることができたりもする。
われわれの心は、文明社会(=国家共同体)の存在の根拠であるところの「宗教」から照射されていると同時に、人類史のはじめと究極であるところの「無宗教」という「人間性の自然」のかたちからも照射されている。
まあ『古事記』という物語は、宗教と無宗教のはざまに置かれた人々が神や世界の構造をどのように考えようとしていったのかということの、ひとつの証言になっている。
とにかく彼らは、「神がこの世界をつくった」と考えることはできなかった。「世界のはじまりにおいて神が現れ出てきた」と考えた。「神が火をつくった」とは考えなかった。「神が火の神を産んだ」と考えた。「火」それ自体が神であり、「火の中に神が宿っている」と考えた。
彼らは宗教に対してとても従順だったが、宗教を知らない人たちでもあった。
古事記』をよく読めばというか、素直に読めば、そのような表現になっているはずだ。それは、宗教ではないし、宗教でないのでもない。
本居宣長は「古代人はしんそこ神を信じていた」というが、そんな単純な話ではない。信じなかったわけでもないが、その奇想天外な神の物語には、神を信じることができない人たちが神を信じてゆくことのなやましさとくるおしさが豊かに表現されている。

古事記』は、「神が自然をつくった」とはいっていない。「自然には神が宿っている」といっているだけだ。
キリスト教ユダヤ教イスラム教のように「神がつくった(創造した)」といってしまうと、何か最初から神によってつくられた森や石や雲や太陽や人間や動物などがあったかのように思ってしまうが、日本列島の古代人は、そうは考えなかった。何もない混沌の状態からだんだんかたちのあるものになっていった、と考えた。これはまあ、現代の科学者だって「おおよそそのようなことだ」といってくれるかもしれない。
古代人には、すでに「進化論」のイメージがあった。宗教に汚染されかけていたけど、根は科学的だった。「神がつくった」とは考えていなかった。「神とともにつくられていった」と考えただけだ。世界は神とともに進化していった、と考えた。
そしてそのように発想するということは、その前段階としての「神がつくった」という世界観の時代を持っていなかったことを意味する。
まあ最初は「神がつくった」と考えるのが普通だし、いったんそう考えてしまったらそれをけっして変更しないのが宗教なのだ。アメリカのキリスト教原理主義の人たちはみな、今でも「神がアダムとイヴをつくったのが人間のはじまりだ」と信じている。おそらくその世界観は、5000年のあいだ変更されていない。彼らはもう、最初にそう考えてしまった。
原始人がいきなり『古事記』のように「混沌」の世界のはじまりを考えるのはほとんど無理にちがいないし、宗教においては、いったん「神がつくった」と考えてしまったら変更はきかない。
ゆえに、日本列島の縄文時代弥生時代に「神」という概念は存在しなかった。ヨーロッパや西アジアの人々が最初にそう考えてしまったのは、べつに知能が未発達だったからではなく、そういう「全能の神=創造主」を想像できるような社会としての「共同体(=国家)」があったからだ。すでに、人が自然や人を支配する社会の構造があった。
そして日本列島には仏教伝来のときまでそういう権力支配の構造は固まっていなかったし、民衆のあいだにはそういう「支配=被支配」という鬱陶しい関係を帳消しにして浮かれ騒いでゆく「祭り」の文化がすでに成熟していた。それは、ただ他愛なく浮かれ騒いでいるようでも、それはそれでこの生の「けがれ」をそぎ落とそうとする切実な」「みそぎ」の行為だった。

上代というのか、縄文・弥生時代の日本列島には宗教はなかったが、この生の「けがれ」を意識しつつそれをそそいでゆこうとする「みそぎ」の作法の生態文化は、ずっとはぐくまれてきていた。
たとえば、旅をすることは「祭り」と同様にこの生の「けがれ」をそそいでゆく「みそぎ」の行為であるという意識は、すでに縄文時代からあったわけで、そういうことをずっと意識しながら歴史を歩んできたのだ。
古代以前の旅なんて山の中を野宿しながら行くような行為で、つねに死と背中合わせだった。それでも日本人は、縄文時代以来ずっとそういう生態の文化を紡いで歴史を歩んできたのだ。
それは、宗教ではない。正しく生きたいとか幸せになりたいとか生き延びたいとか、そんなことではなく、「もう死んでもいい」と思い定めて生きることだった。「旅」であろうと「祭り」であろうと、そういう感慨の上に成り立った文化なのだ。
「生きなくてもいい」ということは、すなわち「宗教などなくてもいい」ということだ。生きるために宗教が生み出されていったのだろう。そうして「神がわれわれを生かしてくれる」という。また、「悪いことをすれば、神がわれわれを生きさせてくれない」ともいう。「神の恵み」と「神の裁き」、そうやって生き延びるために神に支配されてゆくことを「宗教」という。
まあ実際に神の御利益があるかどうかはともかく、宗教のコンセプトは「生き延びる」ことにある。殉教することだって、天国に向かって生き延びることだ。「霊魂」は永遠に生き続ける、という。
とすれば、「生きなくてもいい」といって旅立ってゆく文化は、宗教ではないことになる。
人類は、「生きなくてもいい」といって二本の足で立ち上がり、「生きなくてもいい」といって地球の隅々まで拡散してゆき、とうとう氷河期の極北の地で暮らすようにもなっていったのだ。
「生きなくてもいい」と思い定めたところから、心は華やぎときめいてゆく。
ものすごく卑近な例でいえば、あんまり物欲しげな顔ばかりしていると、女にモテない。「モテなくてもいい」というくらいの態度の人のほうが魅力的で輝いていることが多い。それと同じだ。生き延びようとばかりしていると、かえって心のはたらきも命のはたらきも停滞してしまう。そういう停滞に陥っている状態を「宗教的」という。まあ、最近の「アンチ・エイジング」の風潮も、ひとつの「宗教的」な現象であるのかもしれない。

人間性の自然は、非宗教的であることにある。
宗教者をうやまわねばならない義理なんかない。
日本列島は、縄文時代以来、非宗教的な文化を守り育ててきた。そこにこそ、神道のほんらい的な性格というか本質がある。
神道の基本的なコンセプトは「清浄」ということにある。この生の「けがれ」をそそいでさっぱりするということ。そういう「みそぎ」の文化は縄文時代からすでに生成していたし、それは「非宗教的」な文化なのだ。だからこそ、仏教伝来ととともにその祭りの習俗も「神道」というかたちでもうひとつの宗教のようなかたちになってゆくほかなく、やがては「国家神道」という紛れもない宗教そのもののかたちに変質してゆくという歴史の流れにもなってきた。
神道はもともと、「国家」という横(=水平)の広がりを志向するものとは対極にある「天地(あめつち)」という縦(=垂直)の世界観の上に成りっているものだった。
大陸の先史時代には、「この大地(=世界)は数頭の巨大な象の背中に支えられた円盤として成り立っている」という世界観があったらしい。それに象徴されるように、大地の水平の広がりには「果て=行き止まり」がある。古代ギリシャ人だって、まわりのローマ・メソポタミア・エジプトまでの世界地図しか描けなかった。そういう「果て=行き止まり」がある世界観なら、世界をつくり世界を包み込んで支配する存在としての「神」を思い描くこともできる。彼らにとっては、月や星や太陽のある空だって、地上とセットになっている空間だった。そうしてそこもまた「天国」という行き止まりの場所があると考えた。ユダヤ教キリスト教イスラム教は、そういう世界観から生まれてきた。

しかし、われわれがじっさいに見上げる星空や青い空は、もっと茫漠として無限の広がりがある。垂直にも水平にも、「果て=行き止まり」なんかないように感じられる。
『星と月は天の穴』というという小説のタイトルがあったが、天は、星と月の向こうに広がる無限の宇宙でもある。
まあ縄文人のほとんどは山間地で暮らしていたわけで、そんな限られた狭い場所から見上げる空は、なおさら茫漠とした広さを持っていることだろう。だから古代以前の日本人は、「ここは天地(あめつち)の中心である」と考えた。その全体のことは、無限すぎて考えようがない、と考えた。大地の水平の広がりのことを考えなかったわけではない。古事記成立のころはすでに朝鮮半島も中国大陸も知っていたが、それでも日本列島のことしか語らなかった。世界の茫漠とした無限の広がりを想うからこそ、「世界の中心」を思い描くことしかできなかった。
その「中心」という意識の伝統が、やがて戦前の「大東亜共栄圏」という発想にもなっていったわけだが、それはまあ歴史の不幸ななりゆきだった。
日本列島が世界の中心であるという観念は、中世のころの神道からすでに語られていた。
神道の神は、ひと柱ふた柱、と数える。神社の建物の中心は垂直の太い柱にあり、それが神の形代なのだ。民家の柱だって「大黒柱」などという。そこに「大黒」という神が宿っている。
無限の宇宙を想うからこそ、中心の「柱」を思い定めようとする。それが、この国の伝統としての「みそぎ」の作法だった。
ユダヤキリスト教では、6千年前のメソポタミア文明発祥の時代が、人類誕生の時代であり地球誕生の時代になっている。多くのキリスト教原理主義者やユダヤ教徒は、そう信じて疑わない。そうやって彼らは世界を限定してしまうことによって世界の全体を見ているし、それが「宗教」であるのなら、日本列島の非宗教的な態度においては、世界を限定できない無限の広がりだと思うからこそ、世界の中心を思い定めようとする。
宗教は「世界全体」の構造を語り、日本列島の神道では、「世界の中心」だけを語っている。それが、宗教を知らないものたちが「宗教的」になるための作法だった。
古事記においては、「神が世界をつくった」とはいっていない。「神が世界の中心にあらわれた」といっているだけなのだ。