なるようになるさ、ということ・神道と天皇(20)

日本列島の住民は、ものごとのはじまりにおいて機が熟すまでの「過程=気配」を検証してゆく知性や感性に恵まれていて、欧米の科学者が日本人を研究チームの一員に加えたがる理由は、ひとつにそんなところにもあるのかもしれない。欧米人が見逃してしまいがちなところを、見逃さない。そのかわり、欧米人のような、目的に向かって邁進してゆくエネルギーというか探求心は、あんがい希薄なところがある。
それは、神を知らない民族と知っている民族との差かもしれない。西洋人は、「神はいない」といっても、すでに神のことを知っている。日本人は、あるもないも、それ以前にそれを知らないのだ。
日本人は、たいていのことは「なるようになるさ」と構えていて、徹底的に探究するという態度が希薄なところがある。しかしだらこそ、かんたんにはあきらめない、ということでもある。神を知らない民族は、決定してしまう、ということをしない。そうやってかんたんにはあきらめない。だから、あの太平洋戦争でも、かんたんにはギブアップしなかった。このまま続ければ国が滅びるということがわかっていても、ギブアップしなかった。「神の決定=裁き」とともに生きている西洋人にとってそれはとても不思議な心模様であると同時に、尊重に値するものでもあるらしい。
神が答えを用意してくれていると信じられるなら、どこまでも分け入ってゆくことができる。まあ執念深いともいえるのだが、それに対して神との関係を持てないのなら、いつの間にか忘れてしまったりはぐれてしまったりする。が、そのかわり、何度でも「はじめ」に戻ることができる。つまり、「水に流す」ということ。そうやって「はじめ」に戻る。そうやって「あきらめない」のだ。
日本人は「はじめ」に対する愛着がある。たとえば、どんな臓器の細胞にもなれる原初的な細胞である「ips細胞」の発見は、まさに「はじめ」の発見だったのだ。「はじめ」が生まれてくる「過程=気配」をきちんと検証することができたからだろう。日本人は、そこに「神の導き」を期待しない。それは「おのずからなる」、という前提で考えはじめる。
「偶然の幸運(=神の導き)」を信じて徹底的に粘る、というのもひとつの方法だろうが、それは日本人のメンタリティではない。STAP細胞の小保方晴子氏はその方法論だったらしく、彼女は自分の頭の中に「神との関係」を持っている。そういう人は嘘をつくことだって後ろめたくないし、嘘だって本当のように思い込むこともできる。何しろすべては「神のお導き」なのだ。彼女はその細胞を、王子様のキスで目覚めた白雪姫のように感じたのだとか。
彼女ほどではないにせよ、現代人は誰もが自分の中のどこかしらに「神との関係」を持ってしまっている。それは、「スペクトラム」といわれたりする、いわば程度の差があるだけで、人類はすでに「宗教」を持ってしまったのであり、誰の心も多かれ少なかれ「宗教」に冒されてしまっている。そうやって都市伝説が生まれ、心を病んだりしている。自分の中に「神との関係」を持ってしまうと、心が自己完結してしまって、まわりの世界や他者に対する「反応」が停滞衰弱してくる。それは、神との関係を持ってしまっているからだ。「夢はかなう」などという言説が大手を振ってまかり通っていることにせよ、右翼であれ左翼であれ上から下まで世の中の政治や経済のことに首を突っ込みたがり、未来の社会はかくあらねばならないとかなんとか、そうやって彼らは無意識のうちに「神の声」を代弁しているつもりになっている。

人の世は「かくあらねばならない」と決めた通りに動いてゆくわけではなく、つねに変化してゆく「気配=きっかけ」が生成し続けているだけで、その「気配=きっかけ」に耳を澄ませ目を凝らしてゆくのが日本列島の伝統的な生きる作法なのだ。冬のさなかに春の「気配=きっかけ」を感じる……われわれは、そうやって歴史を歩んできた。
「世界をつくる」のではなく、「世界が存在し、世界が変化している気配に耳を澄ませ目を凝らす」ということ。「夢をかなえる」ということは、神による「世界をつくる」という態度の焼き直しであり、そうやって現代人の心は「宗教」に冒されている。
「世界をつくる」のではなく「世界を問う」ということ、「世界(他者)を裁く」のではなく、「世界(他者)に反応する」ということ。われわれの体や心は、もともとそのようにしてはたらいているのではないだろうか。意識や身体のはたらきは、世界に対する「反応」として発生する。「神」を知らない日本列島の伝統文化は、そういう「神の作為」とは無縁のところで育てられてきた。
仏教伝来のときの日本列島の住民は、その宗教を受け入れつつ、それでもまるごと宗教的になってしまうことができなかった。
宗教は、生命を賛美する。賛美できる生にするために戒律があり、この世界をつくった神は、そうやってこの生をつくってゆけと教える。そうやって宗教は、神(仏)を頂点にした世界のヒエラルキーを構築する。
しかし、そのとき日本列島の住民は、この生の「嘆き」を手放さなかった。なぜなら、心はそこから華やぎときめいてゆくからだ。そのときすでに、心が華やぎときめいてゆく文化を成熟させていた。それが「祭り」の文化であり、ヒエラルキーも戒律もない混沌とした世界に身を置いて他愛なくときめき合ってゆく文化だった。つまり、この生の「けがれ」を自覚し嘆くところからさっぱりと「みそぎ」を果たしてゆく文化が、すでに宗教にまるごと身をあずけてしまうだけではすまないレベルまで洗練発達していた。そうやって神道が生まれ、古事記が生まれてきた。彼らは、この世界やこの生を「つくる」ということに関心が持てなかった。この世界もこの生も「おのずからなる」という世界観や生命観を、すでに確かで切実なかたちで持ってしまっていた。
本居宣長のように、「古代人はまるごと深く神を信じていた」などと安直にいってもらっては困るのだ。
古代の神道について考えようとするとき、古代の神道を賛美して語っている説こそ目障りになる。
もちろん中世以降の「国家神道」の思想だって、おおいにはた迷惑ではあるのだが。
折口信夫は、戦後において、「神道は今こそほんらいの宗教としての姿を取り戻さねばならない」といったらしい。しかし、「ほんらいの宗教」とはいったいなんなのだ。「ほんらいの宗教」がそんなに素晴らしいのか。冗談じゃない。神道は、「宗教ともいえないようないいかげんな宗教」として生まれてきたのだし、そこにこそ日本列島の伝統風土が深く宿っているのであり、まったく、こういう俗物の言説こそ神道理解の見晴らしを遮っているのだ。そのころ、戦前の国家神道を維持しようとする「神社本庁」と折口信夫の意見が対立していたそうだが、どっちもどっちさ、どちらの神道理解にも日本列島の伝統風土の正味の姿はない。どちらも、どうしようもなく愚劣で、ほんとにいやになる。

古事記の書き出しの部分の続きをもう少し検証してみることにしよう。

次に成りし神の名は宇比地邇神ウヒヂニノカミ)。次に妹須比智邇神(イモスヒヂニノカミ)。次に角杙神(ツノクヒノカミ)。次に妹活杙神(イモイキグヒノカミ)。次に意富斗能地神オホトノヂノカミ)。次に妹大斗乃弁神(イモオホトノベノカミ)。次に淤母陀琉(オモダルノカミ)。次に妹阿夜訶志古泥神(イモアヤカシコネノカミ)。次に伊邪那岐神イザナギノカミ)。次に妹伊邪那美神(イモイザナミノカミ)。
 上件(かみのくだり)国之常立神(クニノトコタチノカミ)より以下(しも)、伊邪那美神以前(まで)、あわせて神世七代(かみのよななよ)と称(まを)す。


まさに神の名を列挙しているだけだが、これによって神の世界がつくられてゆく過程をあらわしている。
おそらく古事記はもともと口誦で伝えられてきたのであり、このようにして神の名だけで表現しておいた方が後世のまぎれが少ないからだろう。名前だけなら、正確に伝わりやすい。変にこうしたああしたという描写をすると、どうしても語り伝えられる度に変形していってしまう。
わざわざ「神世七代(ここでは、これらの対になっている二柱の神はそれぞれ一世代として数えられているらしい)」と断っているのは、ここではじめて神の世が出来上がっていったといいたいのだろう。それは、七世代をかけてつくられていったのであり、一夜にしてできたのではない。まず国之常立神によって神の国の場所が定められ、次に豊雲野神によってエネルギーがあふれ出てくる気配が生まれ、それからようやく神の国である「高天原」が実現していったのだ。
ウヒヂニノカミ」の「うひ」は、「初々しい」の「うひ」。「ぢ」は「男」をあらわすといわれているが、もとの語義は「エネルギーが溢れ出る」とか「能動的」というようなニュアンスであり、次の「イモスヒヂニノカミ」にも「ぢ」がついているのだから、それだけで「男」と決めつけてしまうことはできない。そして「に」は「似る」「煮る」の「に」で、「接近」の語義、「だんだんそうなってゆく」ということ。
「うひぢに」とは、「はじめてエネルギーが溢れ出てきた」ということ。
本居宣長はこの二柱の神を「泥」と「土(砂)」との対比だといっていて、そういう意味もあるのだろうが、それだけに限定してしまうわけにはいかない。まあそうやって神の国の大地が出来上がっていったのだろうが、この神々が大地をつくったのではない。大地が生まれてくる「きっかけ」になっただけだ。
「いもすひじに」の「いも」を「妹」と表記しているが、「いも」というやまとことばのもとの語義は、「後に続くもの」とか「加わるもの」というようなニュアンスであり、だから「妹(いもうと」というのだし、女はもともとセックスの衝動を持っている存在ではなく、やりたくてたまらない男の気持ちにほだされて「やらせてあげる」だけであり、そういう意味で「いも」が「後に続く」というニュアンスになっている。
「いも」の「い」はあとの音声を強調する役目、「も」は「盛る」「持つ」の「も」、「盛る=加える」ということ、この場合は「後に続く」から「いも」といっているだけで、得に「女」ということは意識されていない。だんだん男と女のような関係になっていって、最後の「イザナギイザナミ」のところでようやく男と女になるのだ。
「すひぢに」の「す」は「擦る」「漉く」「澄む」の「す」、「後に続く」とか「変化する」というようなニュアンスがある。「ひ」は「ひっそり」の「ひ」。「すひ」とは、「ひっそりと後に続く」こと。台所仕事のことを「炊事(すいじ)」というが、「家の中でひっそりと継続されている仕事」だからだろう。べつに水仕事だからというわけではないはずだ。「すひかづら」の花は、白からだんだん黄色に変化してゆく。オノマトベの「すいすいと……」といえば、スムーズに続いてゆくさまをあらわしている。
「ぢに」は、溢れ出てくること。
「いもすひじに」とは、「天上の大地がひそかに継続してつくられていった」あるいは「天上の世界がしだいに変化していった」といっているのではないだろうか。
本居宣長は、「うひぢ」は「泥」のことで「すひぢ」は「土や沙」のことだといっているが、そうかんたんに意味を限定してしまったら、「古語のふり」の味わいはなくなってしまう。「うひ」は「はじめ」で、「すひ」は「続き(変化)」、という対になった表現でもあるのだ。
天上の大地がどのようなものでできているのかということなどわからない、ともいえる。ここでは、そんな具体的なことを語っているのではない。あくまでも、天上の世界が出来上がってゆく「気配=姿」を語っているのだ。

神は、それをつくったのではない。その「きっかけ」になったのだ。
森羅万象を神というのではない。森羅万象のはたらきを神という。神とは、「はたらき」なのだ。古事記は、その「はたらき」を神の名にしている。
日本列島の神は、けっして姿をあらわさない。鳥の姿が神であり、鳥は神ではない。神は「はたらき」であって、存在ではない。
われわれ現代人はすでに神という言葉を知っているし、それについてのさまざまな解釈もできるが、それを知らなかった古代人がどのように思い描いたのかということは、おそらくわれわれの想像を超えている。そこには、とてもアクロバティックなイメージの飛躍がある。まさに「ジャパンクール」のタッチなのだ。そのセンスは、古くて新しい。
神に気づくのではない、神のはたらきに気づくこと、それは、世界の輝きに気づくことだ。ここで検証した二柱の神の名称だって、ただ「泥をつくった」とか「土や砂をつくった」というようなことをあらわしているのではない。その名称には、古代人がいかに深く豊かにこの世界の森羅万象の移り変わるさまに驚いたりときめいたりしていたかということの痕跡が記されてあるのだ。そういうことを神の名にしていったのであり、彼らは、森羅万象は「おのずからなる」という世界観をけっして手放さなかった。おそらくそのとき、無意識のうちに「神が世界をつくった」という世界観を用心深く回避しつつ神の物語を紡いでいた。
だから、本居宣長のように「うひぢに=泥」というような解釈をしてしまったらだめなのだ。それでは「古語のふり」を見失ってしまう。宣長はそれを『日本書紀』の記述と照らし合わせてそういうことだといっているわけだが、『日本書紀』はあくまで、「天皇はこの世界をつくった神の末裔である」というコンセプトのもとに『古事記』を書き換えていった物語であり、おそらく彼も「神がこの世界をつくった」と信じていたのだろう。神道オタクというのは、これだからいやになる。
「神がこの世界をつくり支配している」というのが原始的な世界観であるのではない。それは、文明社会における共同体の支配者の世界観なのだ。支配者としては、ひとまずそういうことにして、「自分は神の信託を受けている」と宣言してみずからの支配を正当化しようとする。
人類は、文明社会の発祥とともに「支配する」ということに目覚めてしまった。それが『日本書紀』のコンセプトだとすれば、『古事記』は、社会の形態がそのようになってゆく端境期の物語だといえる。そのとき支配階級と民衆のあいだにはまだまだ世界観の温度差があり、民衆はどうしても、「神がこの世界をつくり支配している」という世界観を受け入れることができなかった。できないまま「神」という概念を受け入れていった。
もともと仏教における「神」は「仏」の下位に位置する存在なのだから、「神」が世界をつくることなどできるはずがないではないか。
そのとき民衆は、自然の森羅万象は「おのずからなる」という世界観を手放さないまま神の物語を紡いでいった。日本列島においては、それほどにその世界観がすでに洗練発達していた。
生きものはもともと自然の森羅万象に支配されて存在しているのだから、「支配を受け入れる」という素地はすでにそなえている。しかし、その上位に「神」という存在を置くことはどうしてもできない。であればもう、「神」は森羅万象それ自体であらねばならないと同時に森羅万象それ自体は「神」ではない、というところで「神」を発想してゆくしかなかった。そういう発想のなやましさとくるおしさが、「古事記」という「神」の物語にあらわれている。
「神がこの世界をつくった」とか「神をまるごと信じ切っていた」といってしまえばかんたんなことさ。しかし、古事記という物語を生み出した人々の世界観や死生観はそういうわけにはいかなかったのであり、だから仏教に対するカウンターカルチャーとして「神道」が生まれてきた。それは、宗教のようなかたちをとりながら、その内実は宗教ではなかった。そこには、「宗祖」も「教義」もなかった。なぜならそれは、縄文以来の伝統風土としてすでにそれなりに高度に洗練発達しつつ生成している「祭りの文化」を基礎にして、いつの間にか自然に生まれてきたものだったからだ。
その「祭りの文化」は、この生の「けがれ」を自覚しつつ何もかも帳消しにしてさっぱりと「みそぎ」を果たしてゆく、という生き方や思考の作法にあった。そうやってこの生も森羅万象もたえず移り変わってゆくということ、その世界観や生命観とともに、宇比地邇神ウヒヂニノカミ)と妹須比智邇神(イモスヒヂニノカミ)が現れた、といっているのだ。