天上の国でも花は咲いたか・神道と天皇(21)

本居宣長折口信夫を崇め奉っている人や、それを研究対象にして飯を食っている人たちは、僕がここでこんなことをいうのは極めて不愉快で聞く耳を持たないだろうし、そんなのはただの「トンデモ説」だと一蹴してもいるのだろうが、彼らの思考や想像力がそれほどたいしたものだとも思わない。
どう考えても、古事記という物語を生み出した人々がまるごと神を信じていたとは思えないし、信じていないところにこそその味わいの豊かさと深さがある。
折口信夫なんか問題外だし、本居宣長だって、古事記にあらわれている「古語のふり」にちゃんと推参することができているとは思えない。本文の書き出しにおける神の名の「産巣日(むすび)」という言葉を「生まれ出る」と訳してしまったところからすでにつまずいている。だから彼は、「神がこの世界を生み出した」という安直な問題設定(パラダイム)から逃れられなくなってしまった。
「むすび=むすぶ」とは、もともと「覆い被さる」というニュアンスの言葉であり、古事記の神はこの世界の森羅万象に覆い被さる「気配」として現れたのであり、森羅万象を生み出したのではないし、森羅万象それ自体でもない。
この国においては、森羅万象は「おのずからなる」のであり、そういう世界観とともに古事記という物語が生まれてきたのだ。
森羅万象は、神がつくったのではない。古代人は、そういう前提のもとに神を考えていった。それはつまり、もともと神という概念を持っていなかったことを意味する。最初に「神がつくった」という世界観があれば、「森羅万象はおのずからなる」という発想は生まれてくるはずもない。
「森羅万象はおのずからなる」という世界観を持ってしまったものたちが神について考えることのなやましさとくるおしさ、それが古事記という物語の魅力になっている。
本居宣長のように「古代人はまるごと神を信じ切っていた」などと、安直なことをいわれては困るのだ。
「無常」という世界観や生命観は、「森羅万象はおのずからなる」という思考の上に成り立っている。明日のことはわからないし、どうでもよい。そんなことは、神に聞いてもわからない。われわれは、明日のことを知っている存在であるはずの神を知らない。日本列島の神は、森羅万象が起きる「きっかけ」をつくることはできても、森羅万象それ自体をつくることはできない。森羅万象それ自体の中に神が宿っているのではなく、森羅万象の表面の「気配=姿」として宿っている。

もともと人は、この世界をたんなる「画像」として見ているだけで、中身なんか「何もない」のだ。健康であれば、身体の中身なんか、何も意識しない。体を動かすということは、体を中身なんか何もないたんなる「空間」として扱うことの上に成り立っている。疲れているときとか病気のときとか、体の中身を意識するぶんだけ体を動かすのがしんどくなるし、体の中身を意識するから鈍くさい運動オンチになってしまう。ペニスを意識しても、ペニスは勃起しない。そんなことは忘れて目の前の対象にときめいてゆくことによって勃起する。
ときめくことは、自分がからっぽになる(=消えてゆく)ことだ。
「けがれ」とは自分や自分の身体を意識することであり、それらをさっぱりと忘れてしまうことを「みそぎ」という。
日本列島では、この世界はたんなる「画像=姿」であって中身なんか何もないことにしてしまっているのだから、(中身の詰まった)この世界をつくった神など発想しようがない。日本列島の神は、この世界の中身に関知しない。この世界は「気配=姿」として存在するだけなのだ。
われわれは、大地の固さを信じて歩いているのか?そうではない。みずからの体をただのからっぽの「空間」として扱いながら歩いているのであり、大地の固さなど関知していないのだ。
われわれの「意識の主観性」において、大地はただの「画像」であって、中身の詰まった「存在」ではない。したがって、大地をつくった神など思い浮かべない。中身の詰まった物質存在だと思うから、「神がつくった」という発想にもなる。
今どきの物理学の素粒子理論などでは、鉄であろうと石であろうと中身はスカスカの「空間」にすぎない、というようなこともいわれている。だから素粒子は、鉄も石も潜り抜けて進んでゆくことができる。それはともかくとして、「意識の主観性」においては、「神が世界をつくった」という発想は持ちようがないのであり、それはつまり、原始人の社会においてはそんな発想の「宗教」など存在していなかった、ということだ。

人間性の自然においては、この世界を「物質存在」だとは見ていないのであり、したがって原始社会においては、「神が世界をつくった」という発想はしない。文明社会のすれっからしの心(=観念)になって、はじめて神という概念が見い出されていった。
「神がこの世界をつくった」という前提で生きている西洋人は、この世界の大地の存在すなわちその固さやボリュームや重量をおおいに意識するのだろうが、日本列島の神道においてそれはひとつの「けがれ」の状態であり、大地はつねに「浄(きよ)め」ねばならない対象として意識されてきた。「浄める」とは「からっぽの空間」にしてしまうことであり、「からっぽの空間」こそもっとも「清浄」であり「崇高」だった。
古いやまとことばでは、祝福することを「祝(ほ)ぐ」といった。「ほ」は「ホッとする」の「ほ」、心が軽くなること。物質が空間になってゆくことのめでたさを「ほ」という。だから「干(ほ)す」といい、土を「ほぐ」して空気を入れることによって土を浄める。「ほぐす」とは、質量を解体して空間にしてゆくこと。からっぽの空間になってゆくことは、めでたいことなのだ。
とすれば、「神がこの世界の大地をつくった」というような発想はできない。神のすることが「きっかけ」になって大地が生まれてくることはあっても、大地はあくまで「おのずからなる」のであり、それは神の仕事ではない。
前回検証した「ウヒヂニノカミ」と「イモスヒヂニノカミ」は大地それ自体として現れたのではなく、大地がつくられる「きっかけ」として現れたのだ。古事記においては、その物質がどんなものかは説明されていない。日本書紀においては説明されているらしく、本居宣長がそれを参考にして勝手に「うひぢ=泥」と「すひぢ=土・砂」だと決めつけているだけのこと。その解釈はおかしい。「うひぢ」は「新たな生成の発現」といっているだけであり、「すひぢ」は「その生成の進展」といっているだけだ。
神は、物質には関与しない。物質は「けがれ」なのだ。「物質=もの」、やまとことばでは、「けがれ」のことを「もの」ともいう。だから悪霊や妖怪のことも「もの」という。「もの」の語源は、「まとわりつく」というニュアンスにある。心が身体の物性にまとわりつかれている状態を「けがれ」という。

前回は「ウヒヂニスヒヂニ」の神のことしか書けなかったから、その続きの神の名も見てみよう。

次に成りし神の名は宇比地邇神ウヒヂニノカミ)。次に妹須比智邇神(イモスヒヂニノカミ)。次に角杙神ツノグヒノカミ)。次に妹活杙神(イモイキグヒノカミ)。次に意富斗能地神オホトノヂノカミ)。次に妹大斗乃弁神(イモオホトノベノカミ)。次に淤母陀琉(オモダルノカミ)。次に妹阿夜訶志古泥神(イモアヤカシコネノカミ)。次に伊邪那岐神イザナギノカミ)。次に妹伊邪那美神(イモイザナミノカミ)。
 上件(かみのくだり)国之常立神(クニノトコタチノカミ)より以下(しも)、伊邪那美神以前(まで)、あわせて神世七代(かみのよななよ)と称(まを)す。


ここで何度も使われている「妹」という冠詞は「女神」と訳されるらしいのだが、じっさいに男神と女神として現れたのは「イザナギイザナミ」であり、この場合の「妹」は「女」という限定された意味は持っていないのかもしれない。
「いも」のもともとの意味は、「後に続く」とか「加わる」というようなニュアンスにある。「妹人(いもびと)」が「いもうと」になった。「おと」にも同じなようなニュアンスがあり、「弟人(おとびと)」が「おとうと」になった。「弟橘姫(オトタチバナヒメ)」は、べつに男の神ではない。ヤマトタケルの遠征に「ついていった」姫神だからそういう名にしたのだろう。「ついてゆく」ことが宿命づけられた姫神、ということだろうか。
「女」の尊称は「姫(ひめ)」であり、「妹(いも)」は尊称ではない。遣隋使の「小野妹子」は、べつに女ではない。「女の神」ということがいいたいのなら「姫(ひめ)という言葉を使うのではないだろうか。
ここでいう「妹(いも)」は、最初は「独神(ひとりがみ)」が現れ出ただけだったが、ここから二柱の神が連携してひとつのはたらきをするようになってきた、といっているだけではないだろうか。
この場合の「妹」という漢字は、「いもなる」とか「いもの」と読んで、神の名に含まれていないのかもしれない。
「妹」は「せ」とも読む。「せ」という音声には、「不可能」とか「限界」とか「ありったけの」というようなニュアンスがある。会えないことのかなしみをにじませながら「ありったけ」の愛しさを込めて「せのきみ」と呼んだりする。「妹須比智邇神」は、「せのすいじにのかみ」と読めないこともない。「せの」……「せーの」は、「連携」のときの掛け声であるし、「いっせーのせ」といったりもする。
日本列島の伝統風土は、「連携」にこだわる。そういうのを「おたがいさま」という。
この場合の「妹」は、神の連携のことを意味しているのかもしれない。そうして究極の連携は男と女がセックスすることであり、そのはたらきを携えて「イザナギイザナミ」が現れてきた。

本居宣長によれば、「角杙神ツノグヒノカミ)」と「活杙神(イキグヒノカミ)」は、「神のかたちが生まれ出ること(=つのぐひ)」と、それが「動きはじめる(=いきぐひ)」をあらわしているというのだが、ここでも「古語のふり」に対する解釈の仕方がいまいちあいまいで、どうしても食い足りなさを覚えてしまうし、これでは神道の本質にかなっていない、とも思える。
神道の神は隠れていて姿をあらわさないのであり、姿など持っていないのだ。だから、森羅万象の姿が神の姿の「形代(かたしろ)」になっている。森に宿っている神の姿かたちは、森の姿かたちなのだ。それは、神は姿かたちを持っていない、ということでもある。持っているけど持っていない、というか。
神の姿は、人間に宿っているときは人間の姿をしているし、鳥に宿っているときは鳥の姿をしている。
神道における神の姿かたちはとても抽象的で、おそらく古代人は、神の姿かたちなど思い描かなかった。「じゃあ、どんな姿かたちなのか?」と問われて、本居宣長は答えられるのだろうか。
そして「いきぐひ」を「動きはじめる」と訳すのも、「古語のふり」の解釈としては踏み込みが甘い。
ともあれここでは、神の国が出来上がってゆく過程を語っているに違いないのだ。
「つの」は、「募る」の「つの」、生まれ出て成長してゆくこと。鬼の角も、まあそのようなものだろう。
杙=杭は、大地にひとつの目印として打ち込まれる。すなわち、大地と関係を結ぶこと。「くひ」は「食(く)ふ」の体言で、強く深く関係してゆくこと。だから「食い込む」などという。「悔(く)やむ」は、失敗したことに対して強く深い関係を結んでしまうことから生まれてくる感慨、すなわち「止(や)む=喪失」に対する深い感慨。「く」は、「組む(=関係を結ぶ)」の「く」でもあるが、「くふ=くひ」のほうがもっと強く深い関係性をあらわしている。
この場合の「くひ」は大地と深く強く関係してゆくことで、「つのぐひ」は、そこに草や木が生えたりしてゆくことをいっているのだろう。大地の景色が出来上がってゆくこと。
そして「妹=あとに続く」「活杙神(イキグヒノカミ)」の「いき」は、「いきいき」の「いき」で、そうした「関係(=大地の景色が出来上がってゆくこと)」の勢いを加速させる神として現れた、と解釈できる。そういう「連携」のはたらきとして、この二柱の神が現れたのだ。

次に「意富斗能地神オホトノヂノカミ)」と「大斗乃弁神オホトノベノカミ)」、この二柱の神の「連携」を考えてみよう。
本居宣長はここで、はじめて大地が凝り固まって出来上がってゆくはたらきをした神だといっている。しかしそんなことは最初の「ウヒヂニスヒヂニ」ノカミのところでなされていたはずだ。そしてこの「ぢ」と「ベ」は「男」と「女」をあらわすというのであれば、この二柱はそういう違いがあるだけで同じはたらきをしたにすぎない、ということになる。
だったら、「おほ」をあらわすのに、どうして違う字を使ったのか。それなりにニュアンスが違う「おほ」であるはずだ。
「おほ」は、「覆う」の「おほ」、「大旦那」「大奥様」などという。天皇のことも、古代以前は「おほきみ」といった。「おほ」には、「完結」とか「極めつけ」とか「すっかり」というようなニュアンスがある。
「との」の「と」は、「止まる」の「と」、「の」は「乗る」の「の」。「止めて乗っかる」、すなわち「接続」すること。「……とのことでした」というときの「との」は、聞いたことを別の相手に伝えているのだから、「接続」の機能になっている。「殿(との)」とは、世襲(=接続)によって存在している生まれながらに偉い人、というようなニュアンスだろうか。まあ一代目の成り上がりでも、その存在の確かさに敬意をこめて「殿(との)」と呼ぶ。生まれながら(=と)の高貴さや威厳をそなえている人。
「ぢ=ち」は、溢れ出ること。
「おほとのぢ」とは、「地上が完成して充実している気配がみなぎっている」というようなことだろうか。
そして「ベ=へ」は、「縁(へり)」「減る」の「へ」、すなわち「細部」のこと。細部に気づき感心して「へえー」と嘆息する。全体に対する感動なら「わあ」とか「ああ」とか「おお」という。
「ベ」はたしかに「女」をあらわすのだろうが、古事記の記述のこの段階では、まだ男とか女ということは言及されていない。「イザナギイザナミ」のことを語る段階になって、はじめて男と女の描写になってくる。したがってここでは、読者が勝手に先回りしてそう決めつけているだけかもしれない。少なくとも「古語のふり」においては、言葉はひとつの意味に限定されていない。
「ぢ=ち」は、「男」という意味よりも、「溢れ出る」という意味のほうが語源(=古語のふり)に近い。
「ベ=へ」もまた、「女」というよりは、「細部」をあらわすニュアンスのほうが語源に近い。
とすれば、「オホトノヂ」の神は神の住む大地に力という華やかさがみなぎる「きっかけ」として現れ、「オホトノベ」の神は、その大地の細部が整ってゆく「きっかけ」として現れてきた、ということになる。そしておなじ「おほ」でも、前者は広がってゆくニュアンスで、後者は細部が充実している気配をあらわしている。たとえ同じ発声の言葉でも、古代人はそういうなんとなくの「感触」の違いを誰もがちゃんと自覚していたから、同音異義になっても平気だったのだろう。同じ「おほ」でも、「大きい」「大げさ」「大まか」というときと、「大君」「大旦那」というときとではニュアンスが違うし、古事記の編者にはその違いをどう表すかという苦心もあったに違いない。
まあ本居宣長はここが神の国の大地のはじまりだというが、おそらくそうではなく、この時点ですでに神の住む宮殿なども現れてきたことになっているのだろう。古事記の書き出しにおけるこの単純な神の名の列挙は、しかしそれ自体ですでに「世界をひらく」という物語になっており、宣長はそのことに最初に本格的に取り組んだ研究者であるわけだが、まだまだあいまいな部分も多い。
それほどに古事記という物語は歴史の資料として奥が深い、ということだろうか。
まあ、蘆原の瑞穂の国は神の国である……などというおちゃらけたことをいっていてもはじまらないのであり、われわれは「神を知らない」民族なのだ。心の中に神との関係を持っているのは心を病んだ人ばかりで、しかしわれわれだって、誰もが多かれ少なかれ、どこかしら心を病んでいる。われわれはすでに「神」という言葉を知ってしまった。その言葉とどう付き合い生きるのかという問題が、古事記という物語の中で試されている。
というわけで、次の「オモダルアヤカシコネ」とともに最後の仕上げが完成し、「イザナギイザナミ」の男神女神の出現になるのだが、このことは次回に。