神がいない・神道と天皇(17)

本居宣長は、「古事記を読むことは『古語のふり(姿)』に推参することだ」といった。
たしかに『古事記伝』からやまとことばについて学ぶことはたくさんあるが、「まだ不満だ」という感想も拭いきれない。あの手放しの「神道オタク」ぶりに対する抵抗もないわけではないが、それ以前に「やまとことば」に対する認識のレベルにおいて、いまいちのもどかしさがある。
古語の現代語訳をするということは、それぞれの言葉にひとつの意味を付与してゆくことになるわけだが、古代人は、言葉に対してひとつの意味に限定してしまうような扱い方はしていなかった。現代社会における言葉は何はともあれ「伝達の道具」になっているから、意味はできるだけ限定した方が便利に扱える。しかし古代人が言葉を交し合うことは「ことだまの咲きはふ」ことだったのであり、ひとつの言葉からさまざまな意味というかニュアンスを汲み上げてゆくことにあった。
「ことだま」というと、現在の歴史家は安直に「言葉の霊魂」と訳してしまうわけだが、そうじゃない。もともとは、言葉に宿る「もうひとつの意味」とか「裏の意味」というようなことをいっていたのだ。つまり「暗喩(メタファー)」ということ。古代人が語らうことは「暗喩(メタファー)が咲きはふ」ことだったのだ。古代の言葉は、現代よりももっと豊かに「暗喩(メタファー)」が機能していた。これはもう、言語学の常識のようなことだろう。
現代人が「彼は猿のようだ」というとすれば、古代人は「彼は猿だ」という。現代人が「猿のようにすばしっこい」というのに対して、古代においては「さる」という言葉そのものに「すばしっこい」という意味が宿っていた。
「去る」という動詞と「猿」という名詞のどちらが先にあったかといえば、おそらく前者が先で、「さる」という言葉に「すばしっこい」とか「ふざける」というようなニュアンスが含まれるようになってきたあとに「さる=猿」という名詞が生まれてきた。したがって、その名詞が生まれてきたとき、人々は、そこに「すばしっこい」とか「ふざける」とか「離れてゆく」という重層的な意味が宿っていることを認識していた。そういう認識がなければ、「猿=さる」という名詞は生まれてこない。
古代人は、ひとつの言葉をひとつの意味に限定して扱うのではなく、その言葉の「なんとなくの感じ」というあれこれのニュアンスを汲み上げていた。だからそれは「猿」でも「去る」でも「すばしっこい」でも「ふざける」でもよかった。
言葉の本質は「なんとなくの感じ」にあるのであって、「限定された意味」にあるのではない。時代を経るにしたがって「限定された意味」で使われるようになっていっただけなのだ。
その言葉=音声に宿っている「なんとなくの感じ=気配=姿」を問うことが、「古語のふり」に推参してゆくことだ。
ひとつの言葉にいろんな意味が重層的に宿っていったのが、言葉の起源の時代なのだ。言葉の意味作用は、現代よりも古代以前のほうがずっと複雑だったし、人々はそれを複雑なまま使いまわしていた。それを「ことだまの咲きはふ」という。
というわけで、本居宣長でさえ、言葉の意味を限定的に解釈してしまいがちなところがあって、『古事記伝』といえどもそういう限界を抱えてしまっている。
たとえば本居宣長のように「産巣日(むすび)」の神の「むすび=むすぶ」を「生まれ出る」という意味に限定して解釈してしまうと、古代人のその神に対する命名の意図を正確に説明しているとはいえない。「蒸す」とか「結ぶ」という言葉は、「生まれ出る」という意味では解釈しきれない。それらの言葉は「覆い被さる」という意味を共有しているわけで、「産巣日(むすび)」の神という命名の意図も、おそらくそこにこそある。それは、天地のはじめにひとつの「覆い被さる=気配」として現れ出た神だった。そこのところを考えないと、古代人の「天地のはじめ」に対するイメージそのものも見失ってしまう。
「むすび」=「生まれ出る」という解釈では、安直すぎるのだ。そのレベルでは、江戸時代の「神道オタク」の勝手な思い入れにすぎないのであり、「古語のふり」に推参できているとはいえない。

古事記の書き出しにおける「アメノミナカヌシノカミ」の登場から「国生み」をしたという「イザナギイザナミ」の登場までの描写は、ただ17の神の名を列挙しているだけで、普通の本の1ページ分くらいにすぎないのだが、本居宣長はこれを一冊の本にして注釈を加えている。ここが最重要で、「古事記神道」における世界観の本質はこれらの17の神の名称に凝縮されている、と彼は考えたらしい。きっとそうだろう。この思考態度の誠実さとしつこさは尊敬に値する。
というわけでこのブログも、それを見習って次に進みたい。そこに表現されている「古語のふり」を問うことによって、古代以前の日本列島に神=宗教なんか存在しなかったのだということを証明してゆきたい。
それは、神を知らない民族が神について思考・想像していった物語であり、安直にそれ以前の縄文時代弥生時代アニミズムが機能していたと決めつけてもらいたくないのだ。
前回引用した古事記の書き出しは、このように続いてゆく。

次に国稚(わか)く浮脂(うきあぶら)のごとくにして、くらげなすただよへる時に、葦牙(あしかび)のごとく萌え騰(あが)る物に因(よ)りて成りませる神の名は、宇麻志阿斯伽備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)。次に天之常立神(アマノトコタチノカミ)。この二柱の神もまた独神(ひとりがみ)に成りまして、身を隠したまひき。


「うきあぶらのごとくしてくらげなすただよへる」とは、水に浮かんだ油のようにたくさんの丸い泡粒が散らばって漂っているようすのこと。
この場合の「くらげ」は、海の生物のクラゲのことではない。
「く」は「組む」の「く」、「複雑」「困難」の語義。「ら」は、「われら」「彼ら」の「ら」、「集合」の語義。「暗い」とは、「何も見えなくてわけがわからない」こと。もともとは「よるべなく」とか「混沌として」というようなことを「くらげなす」といったのだろう。海の「クラゲ」という名詞はそのあとに生まれてきた。現代人は、「くらげ」といえばもう海のクラゲのことを思い浮かべるだけだが、古代人はその言葉から、海のクラゲだけでなく「よるべなき」とか「混沌として」というニュアンスも汲み上げていた。
「古語のふり」について考えるとき、このことは重要だ。古代人は、あらかじめ「この言葉はこういう意味だ」という前提を決めて言葉を扱っていたのではなく、そのつどの「なりゆき」で、ひとつの言葉にさまざまな「意味=ニュアンス」付け加えていった。なぜなら言葉の意味は、「神」によってすでに決定されているものではないからだ。言葉であろうと人生だろうと未来の時間だろうと、この世の森羅万象において「すでに決定されているものなど何もない」というのが、宗教を持たない民族の世界観だった。
いいかえれば「すでに決定されているもの」に頼って生きてゆこうとするのが宗教で、宗教者は、「未来のことは何もわからない」という「なりゆき」のままに生きてゆくことはできない。彼らは、「死んだら天国に行く」ということが約束されていないと生きられない。
まあ現代人の多くは、知識や処世術など、すでに決定されているものにすがって生きてゆこうとする傾向がある。それは、とても「宗教的」だ。
「葦牙(あしかび)のごとく萌え騰(あが)る物に因(よ)りて成りませる神」というとき、その神は「葦牙(あしかび)のごとく萌え騰(あが)る物」それ自体であって、それをつくったのではない。しかしだからこそ、それがやがて「天つ国」になってゆくことができる。神が「天つ国」をつくったのなら、最初から「天つ国」になっていなければならないのであり、だんだん「天つ国」になってゆく過程=なりゆきなど思いめぐらす必要はない。
だから(原理主義の)キリスト教徒は、「進化論」を受け入れることができない。
「葦牙(あしかび)」とはイネ科の植物の穂先のことをいうらしいのだが、そのあとに「萌え騰(あが)る物」といっているのだから、それはいわば、「さきがけ」の気配を持った神、ということになるのだろうか。ひとまず「天」の位置は定まったが、まだ出来上がってゆく過程にすら入っていない。過程に入ってゆく「気配」が現れてきた、といっているのだ。

で、「宇麻志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)」の「うまし」は一般的に「美称」ということになっているが、ただ「美しい」とか「みごとだ」といっているだけとも思えない。ここでの命名は「神の性格」を語っているのであって、べつに神を賛美しているのではない。神が「美しい」とうぬぼれているわけでもないし、人間のがわがそんなふうに吟味裁定してゆくのは失礼というものだろう。どうしてこんなよけいな飾り言葉を被せたのかと不思議に思えるのだが、じつはよけいではないのだ。
「う」は、「うっ」と息が詰まるような音声。「生む」「産む」「打つ」「浮く」の「う」、ときめくにせよ驚くにせよ窮するにせよ、その場に立ち止っているところから起きてくる現象や感慨をあらわしている。
「ま」は「まったり」の「ま」、「充足」「安定」「成熟」の語義。
「し」は、「シーンと静か」の「し」、「静寂」「孤独」「固有性」の語義。
この場合の「うまし」は、「そこに機が熟する気配が生まれている」というようなニュアンスをあらわしているのであって、おそらくただの「美称」ではない。
「うまし」とは「機が熟する」ということ。
「あしかび」は「さきがけ」。
そして「ひこぢ」の「ひこ」は「男」のことだと宣長も定石通り説明しているのだが、この段階では男も女もないのであり、もっと別の意味合いがあるはずで、「ひこ」ではなく、あくまで「ひこぢ」なのだ。「くらげなす」が「海のクラゲ」のことをいっているわけではないのと同じように、「ひこ=男」という安直な図式で解釈してしまうべきではない。
「ひ」は「ひっそり」の「ひ」、「秘密」「秘匿」の語義。「火」は、夜の闇に「秘匿」されてある。
「こ」は「越す」「濾す」「凝る」の「こ」、「現れ出る」こと。
「ひこ」とは、「内に秘めたものが現れ出る」こと。そういう「凛々しさ」に対する想いを込めて男の子の名前に「彦=ひこ」をつける。
「ぢ=ち」もまた、「現れ出る」というニュアンスがある。「ちっ!」と舌打ちして、腹立たしさが現れ出る。「血」は、体の表面に「にじみ出る」「ほとばしり出る」もの。この場合の「遅=ぢ」は、その字義が示すように、「ゆっくりひそやかに現れ出る」ことを表現している。
「宇麻志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)」とは、「機が熟したさきがけの気配とともに静かにゆっくりと現れ出た神」ということだろうか。
浮脂の表面に、何やら萌えあがる「きざし」が生まれてきた。「葦牙のごとく萌え騰(あが)る物に因(よ)りて成りませる」とは、「萌え騰る気配」が生まれてきたといっているのであって、「萌え騰っていった」とはいっていない。ここでの「物」は、「気配」を意味している。
日本列島では、一月二月のいちばん寒いときに「初春(はつはる)」という。いちばん寒い冬だからこそ、ほんの小さなことにも「春の気配」が見出される。ここまで寒くなればもう、これ以上寒くなることはない。草木や虫だって、それを感じてうごめきはじめる。「機が熟する」とはそういうことであり、何かに感動する(ときめく)という契機がなければ「はじまり」は生まれてこない。ワクワクして、いてもたってもいられなくなって、動きはじめる。その「気配」のことを「初(はつ)」という。「初(はつ)」は「果つ(はつ)」でもあり、もうこれで終わりということは、これから何かがはじまるということでもある。べつにはじまっているわけでもないが、「初(はつ)」という
とにかくまあ、ここまでは「天地未成」の混沌のさなかであり、しかしこの「さきがけ=きざし」の気配にうながされて「天之常立神(アメノトコタチノカミ)」が現れてきた。

天の存在をあらわす「天之常立神」が現れることによって、その「葦牙(あしかび)」のようなものは天に向かって浮かび上がってゆくことができる。その神の名は、「浮かび上がってゆく準備が整った」ということをあらわしている。
その神は、ここが天である、ということを定めた。
「とこたち」の「とこ」は「今ここ」、「今ここが世界のすべてである」という感慨から「とこ」というやまとことばが生まれてきた。「と」は「止まる」「泊まる」「留まる」の「と」、「停止」「完結」の語義。「こ」は「凝る」「濾す」の「こ」、「出現」すなわち「今」をあらわしている。「寝床」「苗床」というとき、「今ここが世界のすべてである」という感慨とともに「区切られ限定された世界」をあらわしている。
「立ち」は「立つ」、「決定する」ということ。
「天」のエリアを限定し決定しているから「あめのとこたち」という。
というわけで、まだそこは、「神の世界」として形成されはじめているのではない。だから、この二柱の神も「独神(ひとりがみ)」だという。「消えてゆく神」なのだ。
ここまでの五柱の神は、すべて「独神(ひとりがみ)」で、ほかの神と同時にあらわれていたことは一度もない。そういう意味の「ひとり」でもあり、前の神が消えたあとに現れ、自分もまたやがて消えていった。
神が消えてゆくことによって、次の神が現れてくる。これもまた、冬の次に春が現れてくるのと同じことだ。「初春」とは、冬のさかりに冬が消えてゆきそうな気配が現れ出ること。日本列島では、「消えてゆくことこそが生成のはたらきである」という世界観・生命観の伝統がある。
何かをすることの「はじめ」は、自分を捨てた出たとこ勝負で飛び込んでゆくことであり、自分が消えてゆくことのカタルシスというものがある。
桜の花は、さかりのときにこそもっともたくさん散ってゆく。散ってゆくことがさかりであることの証しであり、散ってゆくことのカタルシスがある。廓遊びのお大尽が、威勢よく小判をばらまいているのと同じだ。野球拳で服を脱いでゆくことだって、まあそういう華やぎがある。
消費すること、すなわち消えてゆくことのカタルシスがなければ、この世の貨幣は流通しないし、セックスのエクスタシーは消えてゆく心地にこそある。そうして、ぐったりと疲れ果てているときにこそ、体じゅうに生きた心地がみなぎっている。
「独神(ひとりがみ)」とは「消えてゆく神」であり、その「消えてゆく」ことが、「天地のはじめ」の生成の「きっかけ」になっていった。
日本列島の古代人は「消えてゆく」ことのカタルシスの文化を持っていたから、「死んだら何もない黄泉の国に行く」という死生観が生まれてきた。それはまた「みそぎ」の文化でもあり、消えてしまってさっぱりすることを「みそぎ」という。
「消えてゆく」ことこそ「生成」であり、生きるいとなみというか命のはたらきの根源のかたちなのだ。
神は、「きっかけ」だけを残して消えてゆく。そうして天地は、「おのずからなる」というかたちで出来上がっていった。ともあれここまでは天地の生成がはじまる準備段階を語っているだけで、古代人がなぜそのようなまわりくどいことをしなければならなかったのかといえば、彼らはどうしても「神がこの世界をつくった」という思考をすることができなかったからだ。「森羅万象はおのずからなる」という世界観から離れることができなかったし、それを前提にして神の物語を紡いでゆくことは、それなりにアクロバティックな思考を必要とした。

まあ、そういうアクロバティックな離れ業に挑むことの醍醐味というのもあるわけで、現在の「ジャパンクール」といわれているマンガやファッションの文化だって、外国人からしたらそうとう奇想天外でアクロバティックなセンスらしい。
古事記は、神を知らない民族が、神を知らない心のままに本気なって神の物語を紡いでいった話なのだ。そのとき日本列島の住民は、よろこんで宗教の洗礼を受けたが、宗教に洗脳されることはなかった。そうやって「仏教」に対する「神道」が生まれてきた。漢字から平仮名をつくり出したり、英語をたどたどしい発音のジャパニーズイングリッシュにしてしまったり、日本人はかんたんに洗礼されてしまうが、洗脳されることはない。
われわれは、どんなに宗教的になっても、基本的には「神なんか知らない」という世界観や生命観で歴史を歩んできたのだ。古事記という物語のあやしさの魅力は、そこにこそある。
日本人は神道や神社が大好きだが、神道オタク(神道原理主義者)ではない。神道の「原理(=神ながらの道)」などというものはないのだ。
神道の神は、人間の前に立ちはだかっているのではなく、人間の前から「隠れて=消えて」いる。「神なんか存在しない」ということが神道の神の存在証明になっている。したがって神道の神は、人間に対して、どんな権利も責任もない。
ともあれ「消えてゆく」ということは、この生なんかどうでもいいということだ。そういう感慨に立たなければ、「消えてゆく」ことはできない。「この生」も「自分」も、どうでもいい。それでは宗教にならないが、それが神道の神の存在理由であり、不在の理由でもある。
まあ、何もかもどうでもいいのなら、神の存在理由なんかない。
しかし、それでも世界は輝いている、ということ。
何もかもどうでもいいことにして消えてゆくとき、そこから世界は輝いて立ちあらわれる。
古事記においては、神が消えていったことを「きっかけ」にして世界は生成しはじめ、輝きはじめた、ということになっている。
宗教を知らない古代人の無意識は、知らず知らずのうちにそういう神の物語を紡いでいった。神のことをそのように語ることによって、神の存在がなんとなくしっくりと腑に落ちることができた。神の不在こそが神の存在証明であるということ、神が隠れているということは、神なんか知らないといっているのと同じであり、そういうかたちでしか神を認識することができない、ということだ。
われわれはそこに、神を知らない民族の世界観や生命観を見出すことができる。冬のさかりに、春のはじめの気配を感じる。すべての森羅万象は消えてゆく。消えてゆくときにこそ、存在することをたしかに実感する。存在するものでなければ、消えてゆくことはできない。
日本列島の住民は、消えてゆくことに対する深い愛着がある。それが、古事記の書き出しにあらわれている。