荒ぶるピエロは嘆きかなしむ・神道と天皇(18)

森友学園の教育方針は、子供に「神ながらの道」を身につけさせることにあるのだとか。ただのこずるい世渡り上手が「神ながらの道」のなんたるかもよく知りもしないくせに正義ぶっちゃって、いい気なものだし、今ごろになってスサノヲのような「荒ぶるピエロ」を大騒ぎして演じてみせたりして、それはそれで古事記みたいな「神ながらの道」かもしれないが、まあかわいそうな人だ。
「かわいそう」という言葉には、ときに「幻滅」のニュアンスが含まれている。「ろくでもない」とか「くだらない」とか。
そういう意味でかわいそうな人間とは、ときめく心を失うのと引き換えに上手に生きている世間の大人たちのことであって、生きられなさを生きて途方に暮れている身体障害者を指していうのではないと思える。
まあ身体障害者だって、大人になればいろいろ知恵がついてきて上手に生きている人もいるのかもしれないが、重度の障害を持った子供はもう誰かの助けなしでは生きられないし、自分には生きる権利があるなどという小賢しい知恵もついていない。
障害があるということは、人として正しい存在ではない、ということを意味する。なんのかのといっても世間はそう見ているし、当人だって避けがたくそういう思いになってしまう。
しかし、この世に「人として正しい存在」などいるのだろうか、正しいとか正しくないとか、やめてくれよと思うし、自分のことを勝手にそう思い込んで生きているのがいちばん始末にわるい。
自分は正しい存在であるとか正しい存在であらねばならないという思い込みが強いものほど、いざネガティブな状態に陥ったときに、激しく自己嫌悪とか自己憐憫に責め苛まれることになって心を病んだり、歳を取って痴呆症になったりもする。自分の正しさを守ろうとして、あるいは正しくないかもしれないという不安から逃れようとして、はた迷惑な人間になってゆく。
正しい人を尊敬するということは、自分の正しさを認めない相手を恨んだり憎んだりするということでもある。そういう「尊敬する心」なんか、美しくもなんともない。自分の正しさに執着しているだけの、ただの暑苦しい自己愛にすぎない。
正しさを尊敬するなんて、下品で通俗的だ。そうやって人を正しいか正しくないかと裁くことばかりしている。
正しさなんかその人の魅力とは別のことだし、その魅力に気づいてときめいてゆけばいいだけのことさ。
しかし因果なことに、正しさに執着する人間ほど、人の魅力に気づいてゆく感受性を失っている。
この世のもっとも正しい存在は「神」である。自分の生の正当性に執着して生きていれば、いつかきっと「神」を信じるところにたどり着く。それはとても下品で通俗的で「かわいそう」な生き方で、すでにこの世界の輝きにときめいてゆく心映えを失っているし、どんなにその正しさや上手な生き方を自慢しても、自分が思うほど魅力的な人間であり得ているわけでもない。どんなに自分の正しさややさしさをつくろって生きていても、いざというときにその醜さや下品さの本性があらわれてしまうし、つくろいきれなくなって心を病んだり呆けてしまったりする。
自分が正しく生きているつもりでいるなんて、ほんとにうさんくさい。
神がこの世界をつくったというのなら、神ほど作為的な存在もない。彼らは、その「作為」を尊敬し崇拝している。自分の中に神との関係を築き、その「作為」を見習ってどんなに生き延びる能力を得たとしても、作為的にしか生きられないなんてしんどいだろうし、そのぶん鈍感になってしまっているのだし、「かわいそう」な人たちだ。
それに対してこの世の生きられなさを生きているものたちは、そんな能力を持つことからすでに見放されてしまっている。しかし人の心はそこから華やぎときめいてゆくのであり、生きられなさを生きることの尊厳というのはたしかにある。そうやって人類は「悲劇」を愛する歴史を歩んできたわけで、「泣く」ことは人類特有の生態だともいえる。
人は「泣ける話」が好きだし、泣くことが深く豊かにときめく体験にもなっている。
上手に生きていつも上機嫌でいるなんて、人としての深みや豊かさに欠けているということであり、それは、嘆きかなしむことに耐えられないという強迫観念のあらわれでもある。
深く豊かに嘆きかなしむことを知っているものこそが、深く豊かにときめくことができるのだ。
生きられないこの世のもっとも弱いものたちは、生きることなんてしょうもないことだと嘆きかなしみながら生きている。そのことをそのまま受け入れることができるのなら、心はそこから華やぎときめいてゆく。人は泣ける話が好きだという普遍的な事実は、人の心のそういう構造の上に成り立っている。
正しく上機嫌で生きるためには、きっと宗教が有効なのだろう。しかしそれはネガティブな感情を持つことに耐えられないという強迫観念を肥大化させることにもなり、そうやって生きている人ほどあんがい人に対する警戒心や憎しみを強く抱いていたりする。抱いているから宗教にすがる、ということだろうか。だから宗教者は戦争をしたがる。
世の中や人に対する警戒心や憎しみが強いと、知性や感性はどんどん停滞・衰弱してゆく。知能と知性や感性とはまた別のもので、現代人の知能は発達しているが、知性や感性は古代人のほうが豊かだった。そしてそれは現代の大人と若者との対比にもいえることで、大人は人や世界に対する反応や好奇心が鈍い。そうやって多くの大人たちがインポテンツになってゆく。それは、知性や感性の問題でもあるのだ。彼らには、生き延びるための知識や処世術としての知能だけがあって、世界や人に対する好奇心や反応としての知性や感性がない。大人たちは自分やこの生に執着し、若者たちは自分やこの生を忘れてときめいてゆく。
大人たちは、その警戒心ゆえに社会や人を吟味し裁いてゆく。それはとても宗教的な心で、意識しようとしまいと、無意識のところで自分の中に神との関係を持っており、それを物差しにして社会や人を吟味し裁いてゆく。
むやみに他人を裁きたがるのは、自分の中に神との関係を持ってしまっているからだ。そうやって、自分は正しく生きていると思い込む。他人を裁くことによって、自分の正しさを確認する。

聖書は神が人間を裁く物語だが、古事記の上巻は神だけの話になっている。そして、神武天皇が登場する中巻以降は、人間を神のように描いている。日本列島の古代人は、自分(=人間)と神との関係をうまくイメージできなかった。もともと神を知らない民族だったのだから、イメージしようがなかったのだろう。
一神教は、神と自分(=人間)との関係を語る。
多神教は、神と神の関係を語る。
一神教の神は、人間を裁く。それは、人が人を裁くための規範というかよりどころとして生まれてきた。それに対して多神教は、人が人を裁くという習俗が未発達な社会から生まれてきた。そこでの「裁く」という行為は、神の世界だけで起きていることとしてイメージされている。古事記だけでなく、ギリシャ神話だってそうだろう。で、どちらが先に生まれてきたかといえば、一神教なのだ。
人類の歴史は、人が人を裁くということを覚えたことによって、宗教が生まれてきた。際限なく集団がふくらんでいった古代メソポタミア都市国家ではもう、人が人を憎むとか、人が人を支配し干渉するとか、さまざまな混乱が起きて、人が人を裁くということをしなければ集団運営が成り立たなかった。そして人が人を裁くためには、世界(=宇宙)の構造原理を説明することができなければならない。そうやって「神」という概念が生まれてきた。
5〜6千年前のメソポタミア都市国家では、「神が世界をつくった」と考えた。つまり、神をヒエラルキーの頂点にした世界をイメージすることによって社会の秩序をつくろうとしていった。
それに対して多神教の社会では、「世界はおのずからなった」という考えが基礎になっており、そこから「神」という概念が生まれてくることは論理的にありえない。したがって、人類の歴史は多神教が先にあったということもまた、ありえない。多神教は、文明の地の「神」という概念を輸入することによって生まれてきた。そしてそこでは、「神が世界をつくった」という発想も「神は人を裁く」という発想もできなかったら、「神が神を裁く」というかたちになるしかなかった。つまり、人間社会のヒエラルキーがなく、人が人を裁く必要もなかったから、神の世界だけのこととしてイメージするしかなかった。古代のギリシャやローマだって最初はそういう未開社会だったのであり、その多神教は、たぶんメソポタミア一神教(たとえば原始的なユダヤ教)が伝播してきて生まれたものだった。
古代ギリシャ市民社会は、神を頂点にしたヒエラルキー持った世界観の一神教を必要としなかった。アポロンという最高神はもう、神の世界の中だけでしか成り立たなかったし、そこからアポロンだけが神だという一神教になってゆくことはありえない。ギリシャ人が一神教になるためにはキリスト教徒になるしかなかったのであり、多神教が発展して一神教になってゆくことなどありえないのだ。
人類史の宗教は、一神教として生まれてきた。一神教においては神はひとつだけなのだから、ほかの地域も同じ神でないと自分たちの信仰が成り立たなくなるわけで、必然的伝播してゆこうとする衝動というか運動性を持っている。世界宗教といったってそういう成り立ちの問題であって、べつに宗教として高度だとかすぐれているとかというわけではない。
一方多神教は伝播してゆく必要もないから、言葉と同じように地域ごとの風土に合わせて違うかたちになっている。多神教こそ、一神教を進化発展させたものだともいえる。
人類は、人が人を支配したり裁いたりすることに目覚めて宗教を生み出した。それは一神教として生まれてきたのであり、一神教でなければ、人が人を支配したり裁いたりすることに有効な機能にはなりえない。
人が人を支配したり裁いたりするためのよりどころとして「神」という存在をイメージしてゆくことは可能だが、自然の森羅万象に対する畏れから神をイメージしてゆくことはできない。なぜなら、自然を畏れるということは、自然よりも上位の存在はないと思っていることを意味するのであり、自然をつくった自然よりも上位の存在があると思うのなら、その畏れや親密さはその存在に向けられて、自然そのものに対する畏れや親密さはあまり深く湧いてこない。いいかえれば、人は神という存在を知ったことによって、自然を支配しようとし、純粋率直な畏れや親密さが希薄になっていった。
自然に対する畏れから神のイメージが生まれてきた、と解釈することは、自然そのものを神だといっているのと同じであり、そこから自然をつくった存在としての神をイメージしてゆくことはできない。つまり、自然そのものを神だとイメージしてゆくことはすでに「神」という概念を知っていなければできないことであり、それは古代の日本列島やギリシャのように神という概念を輸入した地域からしか生まれてこない。そこでは自然をつくった存在をイメージできないから、その代わりに自然そのものを神としてイメージしていった。
自然の中に神が宿っているということは、神が自然をつくったのではない、といっているのと同じなのだ。そこでどうしても「神が自然をつくった」ということにしようとして、自然の中の「霊魂」が神の形代(=代理)として自然をつくり支配している、というつじつま合わせをするようになってきた。
「霊魂」という概念を知っているものが霊魂をイメージすることなんかかんたんだが、それを知らない古代以前の人間が「自然に対する畏れ」だけでそれをイメージしてゆくことはほとんど不可能なのだ。自然そのものを神だと思うことはできても、自然の中に神の形代としての「霊魂」が宿っていると思うことはできない。自然そのものを神だと思ってしまったら、そこが思考の行き止まりなのだからもう、「自然をつくった神」など思いようがない。
ギリシャ神話の古代ギリシャ人も、古事記の物語をつくった日本列島の古代人も、「自然をつくった神」など思い浮かべなかった。
古事記の書き出しは、「神が自然=世界をつくった」という話にはなっていない。神は、自然=世界が生まれてくる「きっかけ」になっただけだ。はじめに「浮脂(うきあぶら)」のようなものが世界に漂っていて、それが天に向かって浮かび上がってゆく「きっかけ=気配」としてそれに覆い被さっていった、という。このあたりの語り口は、神を知らない民族がイメージする神の話として、きわめてアクロバティックだ。もともと神を知らないから、そういうアクロバティックな発想をしなければならない。
日本列島の住民の頭の中には、「神と自分との関係」というものがない。神はあくまで「隠れている」のだ。だから「人が人を裁く」ことが上手くできない。それをするための「神というお手本(¬=規範)」を持っていない。現代人は、そういうことをひとまず西洋から学んで身につけてはいるが、おおむねたいていのことが「うやむや」になってしまうのがこの国の歴史の流れだ。この国では、むやみに人を裁きたがる人間は嫌われるし、個人が責任を自覚するということもあまりしない。神と自分との関係がないから、どうしてもそうなってしまう。
われわれは、神は大好きだが、神との関係は持っていない。神は「遠い憧れ」の対象であり、まあそういうタッチで神社の「祝詞」が奏上されてきた。
「神ながらの(=神の御心のままに生きる)道」といっても、神の心なんかよくわからないし、古事記で語られている神はべつに、お手本になるような生き方をしていない。どの神もなりゆきまかせに生きていただけだ。いいも悪いもない。「神ながらの道」というなら、なりゆきまかせでテキトーに生きることかもしれない。そのあげくに途方に暮れながら嘆きかなしむ、それが「神ながらの道」かもしれない。
現代社会を生きることは、嘆きかなしむことができる清純さを持っていればそれでよいというわけにもゆかないが、そういう部分もないと、世界や人は輝いて立ちあらわれてこない。世界や人を警戒しながらどんなに生き延びる能力を獲得していったとしても、それだけでは人間的な知性も感性も停滞・衰弱してゆく。
現代社会においては、知識人のところからすでに停滞・衰弱が起きている。
この生は、嘆きかなしむ対象であって、賛美するべき対象であるのではない。それが、宗教=神を知らない民族のこの生の流儀というか「神ながらの道」なのだ。