古語のふり・神道と天皇(16)

本居宣長は、和歌の美しさ=本領は「姿」にある、といった。
それはよくわかる。
日本列島の伝統は、「姿」の文化なのだ。
どんなに立派なことをいっても、顔つきが卑しければ、その人は尊敬されない。その人の品性は、顔つきにあらわれる。その品性のことを「徳」といったりするが、それは顔の造作の問題ではない。心の美しさも卑しさも、いやでも顔つきににじみ出る。
四方を荒海で囲まれた日本列島では、顔の造作の違う異民族との関係を持たないまま歴史を歩んできたから、同じような造作をしたものどうしの「顔つき=姿」の違いにどうしても敏感になってしまうし、そればかりはどんなに自分を繕って見せても隠しようがないものでもある。
日本列島においては、言葉の美しさは、「意味」ではなく「姿」にある。そんな名人の和歌をまねようとしても、「意味」をまねることはできても、「姿」をまねることはとてもむずかしい。
やまとことばの第一義的な機能は、「意味」の表現伝達にあるのではなく、「姿」のそれにこそある。だから、たとえば「はし」というやまとことばが、「橋」「箸」「端」「嘴」とどんなに意味が重複してしまってもたいした問題ではない。いいかえれば、古いやまとことば(日本語)は、意味が重層的だったったのであり、古代人は、意識して重層的に意味を汲み上げながら言葉を扱っていた、ということだ。そうやって和歌の「掛詞」や「暗喩(メタファー)」等の技法が定着していた。そうやってひとつの言葉に豊かなニュアンスを持たせていたし、誰もが感じ取っていた。
「ことだま」とは「言葉に宿る霊魂」のことだ、と当然のようにいうが、それは言葉の「姿」として表現されているのであって、「意味」としてではない。まあ「霊魂」は、体の中心に宿って体や心を支配しているものということになっているわけだが、日本列島の古代人にとってのそれは、体の表面を覆う「姿=気配)にあった。そりゃあ古代人だって「霊魂」という言葉は盛んに使っていただろうが、「体の中心に宿って体や心を支配しているもの」だという自覚などなかった。それは、仏教伝来とともに教えられた概念であったのだが、そういう意味での「霊魂」など信じていなかった。言葉の表面を覆う「姿=気配」のことを「ことだま」といっただけだ。古代人がなぜそれを「たま」と言い換えたのか、その思いの丈を考えてももみよ、といいたい。まあそれは、奈良時代後期から平安時代にかけての仏教の隆盛とともに言葉や体の「中心」に宿る「霊魂(という物質)」であるかのような意味に変質していったわけだが、もともとは言葉の表面を覆う「姿=気配」のことを「ことだま」といっただけだし、そういう言葉に対する感覚は日本列島の歴史風土としてわれわれ現代人の中にも残っている。
「たましい」という言葉は今でも使うし、ほとんどの人はその言葉のほうがずっと好きではないか。「霊魂」という言葉はおおむねネガティブなニュアンスとして定着しているだけであり、ポジティブな思いを込めようとすると、誰だって「たましい」という。
「姿の文化」こそ、日本列島の伝統なのだ。「神」とか「霊魂」という概念など、日本列島の伝統でもなんでもない。それを「かみ」や「たま」というやまとことばに置き変えていったことこそ、この国の歴史風土としての伝統なのだ。

断わっておくが、僕は右翼でも左翼でもないし、神道オタクでもない。基本的に政治のことも宗教のことも興味がないのであり、ただもう日本列島の「歴史」の問題として、このシリーズのテーマについて考えてみたいだけだ。
本居宣長は、『古事記伝』において、編者の太安万侶は「古語のふり」をそこに書き残しておこうとした、といっている。もともと文字を知らなかった民族が漢字という借り物の文字だけを使ってそれをしようとすることの、その試行錯誤の血もにじむような努力のことを「思ってもみよぞかし」といっている。
「ふり」とは、ようするに「姿」ということ。
そのとき古事記のような物語は、すでに漢文で書かれて皇室に残されていたが、語り口がどうしても漢文調になってしまって、「やまとことば」のニュアンスがひどく損なわれている。だから、「やまとことば」そのもので語る神々の物語をそこに定着させようとしたのだとか。つまり皇室には、文献のほかに、代々口移しに語り伝えてきた物語があり、それを書き写したという。
「古語のふり」、これがキーワードだ。本居宣長は、そこを問うて、古代人の心というか、その死生観や世界観に推参してゆこうとした。
まず、天地創成の書き出しのところを、『古事記伝』の読み方に沿って引用してみる。

天地(あめつち)の初発(はじめ)の時、高天原(たかあまのはら)に成りませる神の名は、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)。次に高御産巣日神タカミムスビノカミ)。次に神産巣日神カミムスビノカミ)。この三柱(みはしら)の神は、みな独神(ひとりがみ)と成りまして、身を隠したまひき。


ここに並んだ神の名に、古代人が天地のはじめをどのようにイメージしていったかということがこめられているはずで、少し詳しく検討してみよう。
「初発」という原本の表記は、現在では「はじめ」ではなく「初めて発(ひら)くる」と読むのが一般的らしい。まあどちらでもいいと思えるが、「はじめ」というやまとことばは気になる。「天地がはじめて出来上がっていったとき」と解釈するか、それとも「はじめに天地があったとき」と解釈するのか。このあとの文脈から考えておそらく前者だろうと思えるし、宣長も「虚空中に天地が出来上がっていった」と解釈している。
「はじめ」の「は」は、「はかない」の「は」、「何もない」ということ。「じ=し」は、「シーンと静か」の「し」「静寂・孤独」の語義。
「はし」という言葉は、置き去りにされて不安になっている心持から生まれてきた。「橋」も「箸」も「端」も「嘴」も、すべて「危なっかしい」とか「不安」というニュアンスがこめられている。大昔の丸太の一本橋を渡るのはとても危なっかしいし、後世のちゃんとした橋でも川が氾濫すればかんたんに流されてしまう。「箸」も「嘴」もそういうニュアンスだし、「端」はまさしく置き去りにされてひとりぼっちになっている場所のことだ。「恥(はじ)」とは、そういう場所に立たされて肩身が狭くなっている状態のこと。「はしっこい」は、「素早くて危なっかしい」ということ。
ものごとのはじめは、不安で危なっかしい。舞台に上がる前の役者のように緊張して震えている状態から「はじめ」という言葉が生まれてきた。
日本列島の古代人は、ものごとの「はじめ」を、「何もない」状態からスタートすることで、あらかじめ全体の計画が決まっていてそれを実行してゆくことだとは考えなかった。
言葉の起源は、あらかじめ頭の中で言葉がイメージされてそれを発声していったのではなく、無意識のうちに発声してしまい、あとからそれが言葉であることに気づいていっただけだ。ものごとの「はじめ(=起源)」はまあそのようなことだと日本列島の古代人は考えていたわけだが、はじめに神による天地創造があったと決めているキリスト教が頭にある西洋人は、どうしても「はじめに計画があった」という発想になってしまう。ものごとをはじめることは計画を実行に移すことだ、と。しかし日本人は、とりあえずはじめてみて、そのつどのなりゆきに合わせてすることを決めてゆく。西洋人はなりゆきをつくり、日本人はなりゆきに合わせてゆく。能動性と受動性、ということだろうか。
太平洋戦争だって、とりあえずはじめてみただけで、べつに勝算があったわけではない。
西洋人は、人が何かをはじめるときには「目的」が必要だ、と考える。
それに対して日本人は、「人が何かをはじめるときには「契機=きっかけ」が必要だ、と考える。
上記の引用文に登場した神々は、高天原をつくろうと構想・計画したのではない。高天原が生まれてくる「きっかけ」になった神々なのだ。この場合、「高天原に現れ出た」といっているわけだが、それは「高天原の場所に」という意味であって、そのときすでに高天原があったわけではないし、ほかの神々が存在したわけでもない。そのときはまだ「混沌とした虚空」だった、と本居宣長もいっている。でなければ、このあとの天地が現れ出てくる記述にはつながらない。そのときはまだ、天地の区別すらなかった。
で、「天之御中主神」が現れて、「ここが世界の中心である」ということが定まった。

古事記を生み出した古代人は、神が世界を生み出したのではなく、世界の中から神があらわれた、と考えた。そしてその世界は、「何もない虚空」だった。
ここでいう「高天原に」は、すでに高天原が存在していたのではなく、宣長が説明しているように「のちに高天原になる場所に」というニュアンスだろう。
最初から天地があり高天原があったのなら、今さら「天之御中主神」が現れ出てくる必要なんかなんかない。これは、古事記の解釈の重要な問題だ。その神は、天地の真ん中、すなわち上下左右の「中心」に現れ出たのであり、ひとまずそこを「中心」と定めた。そういう「きっかけ」がなければ天地は生まれてこない、と古代人は考えた。そしてこれは、とても科学的な思考に違いない。「中心」がなければ、上下も左右も決められない。
最初から高天原があったのなら、それは誰がつくったのか、ということになる。宗教は「神がこの世界をつくった」という「前提」を持っているかそういう思考も可能だが、そういう宗教を持っていなかった古代人は、上下左右もない「虚空」のところから考えはじめるしかなかった。「天之御中主神」の出現という「きっかけ」がなければ何もはじまらなかったし、その神は天地をつくったわけでもなく、天地が生まれてくる「きっかけ」になっただけだった。
そして天地はひとまず「もの=存在」なのだから、それが生まれてくる「きっかけ」もなければならない。そういうわけで、「高御産巣日神タカミムスビノカミ)」と「神産巣日神カミムスビノカミ)」という神が現れ出てきた。この二柱の神たちだって、神を産むことはできても、「もの=存在」をつくったのではない。それが生まれてくる「きっかけ」になっただけだ。
「もの=存在」は、「おのずからなる」……これが宗教を持たないものたちの思考の流儀であり、「はじめ」はなんの成算もないのが日本的思考の伝統風土なのだ。つまり、「未来」という時間など存在しないということ、「無常」ということ。
古事記の物語は、「神がつくった」という前提をできるだけ排除しつつ神についてのイメージを膨らませてゆく、という思考の上に成り立っている。

日本人が人の顔を描くとき、まず目や鼻や口から描きはじめる。しかし西洋人は、まず全体の輪郭を描いておいてから、その中に目や鼻や口を置いてゆく。これだって、「神が世界をつくった」という前提を持っているかいないかの違いだろうか。日本人はなりゆきまかせで描いてゆくし、西洋人はあらかじめ全体の秩序を設定しておく。
日本人が木を眺めるとき、まず葉っぱの一枚一枚に目がゆき、そのあとに全体のかたちを把握してゆく。しかし西洋人は、最初に全体のかたちを把握しておいてから、一枚一枚に目を移してゆく。だから、日本画の木や桜は、どうしても葉っぱや花びらの一枚一枚を描き込まずにいられないし、西洋画は全体のボリュームをとらえることに主眼が置かれている。
だからまあ西洋人は桜の花びらの一枚一枚のきらめきを日本人ほどには感じていないらしく、それよりもバラなどの大きな花の複雑なかたちやその花束の華やかなボリューム感に愛着がある。
日本人の心というか視覚は、「今ここ」の「一点」に焦点を結ぶ。西洋人は、つねに世界や物事の全体を考えている。だから、日本人よりは「天国」を上手に実感できるのかもしれない。
「死んだら何もない黄泉の国に行く」という死生観の宗教があるだろうか。それは、死後の世界は思い描かない、ということでもある。死後の世界を思い描かない宗教があるだろうか。イザナギは、「千引石(せんびきいわ)」という巨大な石で黄泉の世界の入り口を塞いでしまった。であれば、死んだらもう、どこにも行けない。日本人にとって、死んでゆくことは「今ここ」に消えてゆくことであり、そういう死生観が、そういう話を生み出した。それはつまり、明日のことを思わないで生きるということでもあり、日本人がイメージする「はじめ」にどんな目的もない、ということだ。
われわれのこの生をうながしているのは、「目的」ではなく「きっかけ」なのだ。われわれは何かに「反応」するところから生きはじめるのであって、「目的」に向かって生きているのではない。「反応」する心がなければ、生きられない。「目的」を持ってしまったら、心はすでに「目的」という「未来」に憑依しているのであり、「今ここ」に「反応」することを失っている。
「目的」を持つことによって、命や心のはたらきが停滞・衰弱してゆく。旅行の計画を綿密に立てることによって、かえって行く気が失せてしまう、ということはよくある。なんだかもう、行って帰ってきたような心地になってしまう。
老後の生きがいとして学問や芸術がしたい、という計画を立てても、「生きがい」といえるほど熱中してゆける人はめったにいない。趣味ていどの手慰み(気晴らし)になるならまだいい方で、計画倒れのまま死んでゆく人も多い。命や心の停滞・衰弱が計画を追い越してしまうのだ。
それならまだ、生涯現役で働き続けるか、老いらくの恋や金に飽かせた女遊びにうつつをぬかしている方がましかもしれない。とはいえ、それらのことだって、命や心はたらきの停滞・衰弱に追い立てられていることではあるのだが。追い立てられて、いずれ追い越されてしまう。
「ときめく」とは、心が「今ここ」に憑依してゆくことであり、宗教的な「恍惚という自己陶酔」とはまた別のことだ。
やまとことばの「はじめ」は、自分を忘れてときめいてゆく、ということでもある。

世界のはじまりにおいては、何もなかった。そこに「天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)」が現れて「世界の中心」すなわち「今ここ」を定めた。それが「きっかけ」になって、「天地(あめつち)」が生まれてくる気配が生じてきた。
天之御中主神」というくらいだから、まず「天」が定められた。しかしそれは、「天の位置」が定められたというだけで、「天」がつくられはじめたということではない。つくられはじめるためには、そういう「気配」を持った神が「きっかけ」として現れてこないといけない。それが、「高御産巣日神タカミムスビノカミ)」と「神産巣日神カミムスビノカミ)」だ。
「天」は、「高」いところであると同時に「神」が現れてくるところでもある。この二柱の神は、そういう「天」が生まれてくる「気配」を持って現れてきた。
神が天をつくったのではない。神はあくまで天の住人であり、神の仕事は神を産むことだけで、世界をつくることではない。神は、世界をつくらない。世界は「おのずからなる」、というのが日本列島の思考の伝統だ。神は、そうやって世界がつくられてゆく「気配」として現れてくるだけだ。
神は、「気配」として世界の「姿」に宿っているのであって、「霊魂」として世界の「内実」をつくったのでも支配しているのでもない。
ここで問題になるのは、「産巣日(むすび」」という言葉だろう。
本居宣長は、「むす」とは「苔むす」の「むす」で、「生まれ出る」ことだと説明している。それはまあそうなのだが、この言葉のニュアンスは、それだけではすまない。
食べ物を蒸気で「むす」とき、「蒸気が生まれ出る」ことをいっているのではなかろう。蒸気で食べ物を「覆ってゆく」ことを「むす」という。苔だって、石や土の表面を覆っている。
「覆い被さってゆく」ことを「むす」というのではないだろうか。
紐と紐を「結(むす)ぶ」ことは、紐と紐が覆い被さり合うことだ。
相撲の最後の取り組みのことを「結びの一番」というのは、「終わり」が覆い被さってゆくことだからだろう。もっと続けたいのにこれでもう終わりにしないといけないというとき、「終わり」に覆い被さられているような心地になる。
「口を結ぶ」とは、口を閉じてこぼれ出てしまいそうな言葉に覆い被さって沈黙してしまうことだ。
「苔がはえる」というときの「はえる」は、「生える」ではなく、ほんらいのニュアンスは「這える」なのだ。苔は、這うように土や石の表面に覆い被さってゆく。
「むすぶ」とは、「覆い被さる」こと。
「姿」とは、物に覆い被さっている「気配」のこと。日本列島の「姿の文化」の世界観は、それを「かみ」といった。
高御産巣日神タカミムスビノカミ)」は、「高い」ところを覆っている「気配」として現れ出てきた。そして「神産巣日神カミムスビノカミ)」は、神が神を産むこと、すなわち「神に覆い被さっている神」として現れ出てきた。
古事記の神は、けっして世界をつくらない。世界が「おのずから生まれてくる」ときの「きっかけ=気配」として現れ出てくるだけであり、それが、もともと神を知らない民族である日本列島の住民の思考の流儀なのだ。そうやって「産巣日(むすび)」の神が現れ出てきた。
「むすび」というやまとことばを、本居宣長のように「生まれ出る」と訳してしまうべきではない。それでは「古語のふり」に忠実な思考態度だとはいえない。
高御産巣日神タカミムスビノカミ)」……神が「高い」ところを生み出したわけではない。そこは最初から「ある」のであり、その位置を「気配」として覆っていったのだ。日本列島の「姿の文化」は、そういう発想をさせる。そしてそこは、「神産巣日神」の出現とともに神々に覆われてゆく「気配」が生まれていった。

で、この三柱の神々は、「独神(ひとりがみ)」としてやがて姿を隠していった。
「ひとり」というやまとことばも気になる。
「ひと」は、もちろん「ひとつ」「ふたつ」の「ひと」だが、「人」という呼び方にも使う。
古語としての「人(ひと)」は、「特別な存在」というニュアンスの尊称だった。
「ひ」は「ひっそり」の「ひ」、「秘密」の「ひ」。「と」は「止まる」の「と」、「完結」「究極」の語義。「り」は「あり」の「り」、「状態」をあらわす。
「ひとりになりたい」ときは、多かれ少なかれ誰にもある。ひとりになることは、集団から隠れることであり、消えることでもある。
「群衆の中の孤独」などといったりするが、そうやって自分が消えている心地になってゆく。
「ひとり」であることは、集団から逸脱して(はぐれて)いること。
「ひとつ」というやまとことばは、「孤立」というニュアンスを持っている。そういう認識をともないながら「ひとつ」という言葉が生まれてきたのだ。
そして、「ひっそり」の「ひ」、「完結」の「と」、「状態」の「り」、「ひっそりと完結している状態」を「ひとり」という。
人は、「ひとり」になりたくて「ひとり」になる。「り」という音声は、「きっかけ」をあらわすニュアンスを持っている。「さっぱり見えない」というときの「さっぱり」は、「見えない」ことの「きっかけ」の表現なのだ。「とっぷり日が暮れる」「やっぱり駄目だった」「めっきり衰えた」「てっきりそうかと思った」「しっかり出来上がる」「くっきり映える」「かなり美しい」……これらの「り」は、あとの言葉の表現力が華やぐ「きっかけ」の役割を果たしている。
「り」という音声の響きは、鮮やかできらきらしているが、細くてかそけくもある。まあ「きっかけ」とは、そういうニュアンスのものではないだろうか。
「ひとり」であることは、「ひとりになりたい」という「きっかけ」がある。この言葉がいつ生まれてきたかはわからないが、そういう「きっかけ」から生まれてきたに違いない。「ひとり」「ふたり」といってそのあと「三人」「四人」「五人」と漢数字で数えてゆくということは、「ひとり」と「ふたり」が特別な言葉だということを意味する。それは、ただ「数」だけのことを意味しているのではない。その状態及び関係に対するそれなりに切実な思い入れがこめられている言葉なのだ。
「みな独神(ひとりがみ)となり坐して、身を隠したまひき」というとき、「ひとりがみ」であることそれ自体か「身を隠す」ことの「きっかけ」になっている。つまり、「ひとりがみ」とは身を隠そうとしている神のことであり、なぜそうするかといえば、そのあとのことを支配するつもりがないということだ。人は、「きっかけ」にうながされて生きているのであって、「目的」に向かって生きているのではない。同様に、この世界の森羅万象もまた、「きっかけ」によって起きているのであって、「目的」があるのではない。日本列島の「かみ」は、この世界を支配しようとする「目的」など持っていない。「きっかけ」として現れるだけだ。すべてのことは、先のことは何もわからない、というかたちではじまる……これが、もともと宗教を持っていない民族の世界観であり、もともと宗教を持っていない民族の宗教なのだ。
世界のはじまりは、はじまりの「気配」だけがあって、いぜんとして何もなかった。これが古事記の本文の書き出しであり、それらの三柱の神は「気配」の神だった。日本列島にはそういうなやましくもアクロバティックな発想をしてしまう文化風土の歴史があり、そうやってかつては無謀な戦争をはじめてしまったし、今どきはそんな発想のマンガやファッション等の文化現象を「ジャパンクール」などといって世界から注目されたりもしている。