「かみ」というやまとことば・神道と天皇(13)

万葉集の中の「神ながら」という言葉を見てみよう。

やすみししわご大君かむながら神さびせすと(三八)
蘆原の瑞穂の国はかむながら言挙げせぬ国(三二五三)


前者は「神そのものとして」、後者は「神の御心のままに」と訳されている。
そして「神ながら」は、普通は「かむながら」と平仮名で表記されることが多い。なぜだろう。この場合の「かみ=かむ」は、「神」という意味ではないからではないだろうか。
もしかしたら「かむながら」という言葉は仏教伝来以前からあり、この場合の「かむ」は「神」という意味ではないのかもしれない。
「かみ=かむ」というやまとことばは、仏教伝来以前の日本列島には「神」という概念が存在しなかったことの証拠になっている。それは、仏教の「神」という漢語を、その当時の日本人の世界観や言葉の感覚にしっくりとなじむように言い換えたものにすぎない。仏教伝来以前の日本列島に「かみ=神」という意味の言葉があったのではない。
「かむ=噛む」という言葉があっただけだ。食い物を「噛む」ことは食い物の味に「気づく」ことであり、「かむ」とは「気づく」こと、仏教説話における「神」は、仏の徳に「気づいて」仏の弟子になっていった存在として語られている。ぴったり合わさること(この場合は、忠実な弟子としてぴったり寄り添ってゆくこと)も「かむ」といった。だからもう、「かむ=かみ」と呼ぶのが、語感としてもっともしっくりなじんだ。「かみ」は、「かむ」の体言、古代のころはそのまま「かむ」ということも珍しくなかった。
というわけで、それまでの縄文時代弥生時代の日本列島には「宗教=アニミズム」は存在しなかった、といってしまうのは無謀だろうか?「トンデモ説」だろうか?

精霊信仰や呪術信仰としてのアニミズム(原始宗教)が原始時代に自然発生してくることはありえない。それは、文明発祥、すなわち都市国家の発祥とともに生まれてきた。5〜6千年前の古代メソポタミア都市国家では、祭司=王が両手にたくさんの蛇を持って振り回すという、呪術の儀式をしていたらしい。まあ、悪霊退散の儀式、ということだろうか。
人が人や自然の「悪意」を意識するようになったのは、そもそも自分が人や自然を支配しようとする「悪意」を持つようになったからだろう。自分に悪意があるから、相手にも悪意があるように思えてくる。そうやって異民族に敵意を覚え、戦争をするようにもなってゆく。また、異民族に対する敵意を共有しながら、その大きくなりすぎた集団の結束や秩序をつくってゆく。そうして、とうぜん集団内にもいさかいが起こるし、悪人・罪人を処罰しなければ結束・秩序を守れない。
その都市国家では、まず悪霊の存在に気づいてゆき、悪霊を支配しコントロールする「祭司=呪術師」が王になっていった。
人や自然の世界を支配しコントロールするためには、支配の上に成り立った「世界の構造」を知らねばならない。そうやって「神」を頂点とする「支配の構造」がイメージされ、祭司は「神の代理=王」として都市国家(共同体)の頂点に立っていった。
そしてそういう構造の社会を生きていれば、とうぜん強迫観念としての「死の恐怖」も肥大化してくるわけで、そこからこの生を支配する霊魂の存在や霊魂の永遠がイメージされ、やがては死後の天国の世界が導き出されてゆく。

人類史における宗教は、国家というややこしい集団を持ってしまったことによって生まれてきたのであって、原始社会で自然発生してきたのではない。
現在の未開の民がとても迷信深いのは、それだけ宗教の歴史が浅いからだ。その宗教は、文明社会から伝播してきた観念から生まれてきた。
南アジアの島々では、「いつか白い肌をした救世主が船にいっぱいの荷物を積んでやってくる」という信仰を持っている。それは、大航海時代のヨーロッパ人によってもたらされたものだが、もしも1万年前からそんな信仰があるのなら、いいかげん忘れてしまって、それなりに洗練されたかたちになっていることだろう。
「生理中の女は悪霊がついているから村の外の小屋に隔離しておく」という迷信もあるのだとか。こんな習俗だって、何千年も経てばなくなってしまうにちがいない。彼らは、原始人に近い暮らしをしてきたがゆえに、つい最近まで宗教を持っていなかった。
「神」や「霊魂」や「生まれ変わり」や「天国」という概念は、古代の文明社会から生まれてきた。
そして2千年前までの日本列島には、文明社会の制度性が存在していなかった。もちろんそのとき、現在の未開社会よりもずっと進んだ文化を持っていたが、それでもそれは、宗教が存在していなかったことを物語っている。
古代の日本人には「創造主」としての神を想像することが不可能だった。だから古事記の物語は、この世界(あるいは宇宙)のはじまりのところから想像してゆくしかなかった。その一隅に神があらわれ、日本列島になってゆき、神が人間になっていった、と考えた。
彼らにとっては、神が自然をつくったのではなく、自然そのものが神だった。
といってもそれは、自然をうやまうエコロジーの精神、というのではない。神について考えることは自然から逸脱してゆくことであり、「森や石の自然の中に神が宿っている」と考えるとき、神は自然から逸脱した存在としてイメージされている。自然それ自体に自然から逸脱した部分がある。人間存在が自然の一部で、人間存在の祖先が神であるのなら、人間存在には自然から逸脱した部分がある、ということになる。
そのとき古代人は、自然から逸脱したものについて考えることに目覚めていった。死ぬことはこの生から逸脱してゆくことであり、この生そのものがこの生からの逸脱をともなっている。そのようにしてこの体には神が宿っている。つまり、神は「霊魂」であると同時に、「霊魂」ではない。古事記においては、神だって死ぬ。「コノハナノサクヤヒメ」を娶ったことによって神は不死の存在ではなくなった、と書いてある。そうやって神の子孫は、だんだん人間になっていった。
まあ古事記の神は、イザナギイザナミ以来、セックスして子を産むことばかりしてきた。ほとんどそんな話ばかりなのだ。
神が火をつくったとはいっていない、神が火の神を生んだ、といっているだけだ。

仏教伝来とともに「神」とか「霊魂」という概念を知った日本列島の住民は、ひとまず「ああ、そんなものもあるのだろうな」と思った。そして、それについてけんめいに想像をめぐらし、それを自分たちなりにアレンジしていった。古事記には、仏教の影響がおおいにある。おそらく、仏教をもとにして出来上がっていったのだ。しかしそれがもうひとつの仏教ではなく宗教ともいえないような神道になっていったということは、この国にはもともと宗教というものがなかったことを意味する。それは、生と死について考えることだった。そして彼らの生と死についての考えは、仏教とはおおいに違っていた。だって、神ですら死んでしまうのだもの。
現在のこの国の知識人は「日本人には<外部>に対する思考がない」などとよくいうのだが、日本人にとっては自然それ自体が自然の「外部」であり、生命それ自体が生命の「外部」なのだ。
人の心は、この生から逸脱してゆく。そのようにして古事記の奇想天外な神々が造形されているわけで、「生命賛歌」だけではすまないのだ。
キリスト教や仏教がよい生き方をすれば「天国」や「極楽浄土」に行くことができると説いて「生命賛歌」をしているのに対して、古事記は、よい生き方をしようとしまいと神ですら死んだら何もない「黄泉の国」に行くという。
古事記がただの生命賛歌ではないということは、神について語っていてももはや宗教ではないということを意味する。
右翼の人たちは「日本列島は神の国である」などというが、その神ですら不老不死ではなく、人間のような存在でしかない。神道の神は、「隠れている」だけで人間に何もしてくれない。なぜならそれはすでに死んでしまった神であり、人間の祖先にすぎないからだ。だから、愚かな神もいれば、騒々しい神もいる。

この地球は生命にあふれているといっても、生命なんかこの宇宙の片隅のほんのちょっとしたはずみで生まれてしまったものでしかないのであり、それを考えたら生命賛歌なんかしている場合ではないだろう。日本列島の古代人は、無意識のうちにそんな感慨を持っていたのだ。それはまあ、おそらく「青い空」に対する「遠い憧れ」からきている。古事記では、「世界」のことを「天地(あめつち)」といっている。彼らにとっての「世界」は、無限の横の広がりではなく、「今ここ」の縦のパースペクティブの上に成り立っていた。
そのときすでに朝鮮半島も中国大陸も知っていたのに、なぜか日本列島だけを「世界」として描いていった。
朝鮮半島や中国大陸の文化を輸入しても、すべて日本流にアレンジしてしまうから、それはもう日本列島独自のものだ、ということだろうか。自分のほうから出向いて行って輸入してきたのだから、「影響された=支配された」という被害者意識はない。彼らは、「支配するもの=神」の存在を知らなかった。
彼らにとっての「世界」は、「今ここ」の「天地(あめつち)」として存在していた。横の広がりは考えなかったというか、横の広がりとしては日本列島だけのことしか考えようとしなかった。神は、大地を包む存在ではなく、あくまで「天」に存在していた。彼らはけんめいに「神」について考えようとしたが、それは「支配するもの」ではなかった。おおもとの神(たとえばアマテラス)は地上を支配する神を地上に派遣するが、おおもとの神自身が支配するのではない。神を知らないものたちが神について考えるこのあたりの思考回路は、なんともなやましくくるおしい。
それは、「青い空」や「星空」に対する「遠い憧れ」の上に成り立っていた。「神」は「遠い憧れ」の対象だった、と言い換えてもよい。神は人間を支配するものではなく、人間の祖先だった。そうでなければ「天皇だけが今なお神であることができる」という理屈は成り立たないし、その天皇ですら、即位後の大嘗祭という神との契りを結ぶ儀式によってはじめて神になるのであって、生まれながらにして神であるのではない。
皇太子は神ではないのだ。だから、次期の天皇候補のひとりである皇太子が権力闘争のあおりで暗殺されることはしばしば起きた。そのころは一夫多妻制だったから、皇太子も複数いた。
古事記の世界というか、日本列島の「祭り」の世界においては、神が人間になるし、人間が神になる。それは、宗教であって、宗教ではない。宗教を知らないものたちの宗教なのだ。時代が進めば、避けがたく大陸の文明社会から吹いてくる宗教の風にさらされてしまう。そのとき人々は、宗教を知らない体に宗教の衣装をまとっていった。古事記という物語には、そういうなやましさとくるおしさが色濃くにじんでいるのであって、本居宣長がいうような「ひたすら無邪気に神を信じていた」というようなことではないのではないだろうか。
文明社会においては、人は避けがたく「宗教的」になってしまう。そういう体験のなやましさとくるおしさから古事記という物語が生まれてきた。文明人が宗教的になってしまうのはもう避けがたい病理的な傾向であって、べつに人間性の自然でも尊厳でもない。われわれ普通の人間は、宗教者のように「生命賛歌」に邁進して生きることなんかできない。愚かでふしだらで女々しくだらしなく身もだえしながら生きてゆくしかない。
生きられない弱い存在であることの尊厳というのもある。人間的な知性や感性は、そこでこそ輝く。古事記はそういうなやましさやくるおしさを語っているわけで、精神障害児に人間的な知性や感性の輝きを見てはっとさせられることはあるではないか。

こんなことをいったらまた叱られそうだが、ドーキンスのように科学者のエリート意識で宗教批判してもしょうがない。そのエリート意識それ自体が「宗教的」であり、宗教者と「生命賛歌」を張り合っても不毛なだけだ。この世のもっともラディカルな宗教批判は、「宗教を否定するもの」のもとにあるのではなく、「宗教を知らないもの」のもとにある。生命賛歌をしてしまったら、宗教に変わる「もうひとつの宗教」を提出しているだけのことにすぎないともいえる。
神道は、仏教という宗教に変わる「もうひとつの宗教」であるのか?
古事記は、「もうひとつの宗教」としての道を模索しつつ、宗教であるまいとしている物語でもある。なぜなら「宗教を知らないもの」であることがこの国の伝統であり、そのときすでに、そういうかたちで文化を洗練発達させてきていたからだ。
ドーキンスはこういう。生殖する生きものの遺伝子は、みずからが生き延びるために有効な遺伝子を持つ相手をつねに選択してゆく、それが自然淘汰であり進化である、と。
そんなことをいっても、遺伝子や個体が「自己複製」することは「自己が死滅する」ということであり、動物であれ植物であれ細菌であれすべての生命が生命のもとになる同じ遺伝子(分子の鎖)を共有しているということは、そのおおもとになる遺伝子にとっての「自己複製=生殖」するための相手は「なんでもいい」ということになる。「自己複製」できるのなら、自己が死滅したってかまわないのだ。相手が奇形であれ障害者であれ、とにかく同じ遺伝子を共有しているのだから、それでぜんぜんかまわないのだ。
30億年前に生殖する多細胞生物が地球上にあらわれたとき、それはもう、シッチャカメッチャカなかたちのものばかりだった。つまり、奇形や障害者ばかりだった、ということだ。そこから多細胞生物の生殖の歴史がはじまっている。「生命=遺伝子」にとっては、「自己複製」できるのなら、自己が死滅したってぜんぜんかまわないのであり、相手は「なんでもいい」のだ。
われわれが木や花を見て感動するのは同じ遺伝子を共有しているからかもしれないし、それ自体ひとつの生殖衝動かもしれない。
人間と山羊がセックスしても子供は生まれないが、セックスの衝動がはたらかないとはいえない。
われわれは、「もう死んでもいい」という勢いでセックスをする。自己が生き延びるためにセックスをするのではないし、相手は男(女)なら「なんでもいい」のだ。いやもう、男どうし女どうしでもかまわない。それが、命のはたらきの基本というものだろう。死んでもかまわないのだし、死んでもかまわないから「自己複製」ということが起きる。生きものは、死んでもかまわない、という勢いでセックスする。だから相手は、奇形の障害者であろうと、山羊であろうと、男どうしであろうとかまわないのだ。セックスができるのなら、ダッチワイフでもかまわないのだ。
「性選択」なんて、笑わせてくれる。そんなことは、おそらく生物学的に間違っているのだ。美人の女と結婚していい気になっているなんて、文明社会の制度性にまみれた人間だけのことだろう。もともと男(オス)は、女(メス)が女(メス)であればそれだけでいいのであり、生物はそうやって進化してきたのだ。
まあ、感動することは、ひとつの性(生殖)衝動かもしれない。「死の衝動」と言い換えてもいい。男は、相手が女であることそれ自体に感動して勃起する。「もう死んでもいい」という勢いで勃起する。
つまり、「生命賛歌」でちんちんは勃起しないし、感動は起きてこないのだ。
われわれが花を眺めて感動するとき、性衝動と同様に、われわれの無意識では「もう死んでもいい」という勢いがはたらいている。

長くなりすぎた、結論を急ぐことにする。
やまとことばとしての「かみ」という言葉を、もっとよく考えてみる必要がある。
「神ながらの国」などといっていい気になっているわけにはいかないのだ。
柿本人麻呂が「蘆原の瑞穂の国はかむながらの国」といい、本居宣長のような神道オタクの大家がその言葉に飛びついていったとしても、それでも「かみ」というやまとことばには一筋縄ではいかないニュアンスがこめられているのであり、ただの「神賛歌」ではすまない。
それは、「神なんか知らない」の「かみ」でもあるのだ。
柿本人麻呂はそのとき、遠くに旅立っていった友人に対して、もう二度と会えないかもしれないというかなしみに浸されながら、「(大和は)かむながら言挙げせぬ国」だが、それでも「どうか無事に帰って来てくれ」と呼びかけずにいられない……と詠っている。したがってこの「かむながら言挙げしない国」は、一般的に訳されているような「神の御心のままに言挙げしない国」という意味ではなく、「(大和は)あえて言挙げして『会いたい』といわなくても人と人の出会いのときめきが豊かに生成している国」だけれどそれでも不安でたまらない、といっているのだ。
この場合の「かむながら」の「かむ」とは「ぴったり合わさる」の「かむ」であり、すなわち「うまくいく(=また会える)」ということ。そして「言挙げ」はそのまま「神頼み」という意味であり、だったら「神のみ心のままに神頼みをしない」なんて、何か妙な言い方ではないか。
「かむながら」を神道オタクよろしく「神のみ心のままに」と訳せばそれなりにもっともらしく落ち着くのだろうが、これは、じつは誤訳なのだ。古代人は、それほどオカルトじみてはいなかった。「言挙げせぬ=神頼みなんかしない」といっているのに、どうして「かむながら」を「神のみ心のままに」と訳すことができるというのか。
「かむ=かみ」の語源は、「気づく」というニュアンスの表出にある。すなわち「出会いのときめき」、もともとそういう言葉だったのであり、「神」専用の言葉として生まれてきたのではない。
仏教説話の「神」は、「仏」との出会いにときめいて弟子になっていった。だから古代人はそれを「かみ」といったのであって、最初から「神=かみ」というかたちでその言葉を持っていたのではない。そのときまで「神」なんか知らなかった。
英語の「カム(come)」だって、そういうニュアンスをともなっている。トランプゲームのいい目が出たときは「come on!」と叫ぶ。「やったぜ!」ということ、すなわち「出会いのときめき」、その体験がもとになってその言葉が生まれてきたのだろう。西洋の女は、オルガスムスのときに「come!」と叫ぶらしい。それだって「出会いのときめき」の表出にほかならない。
「かむ=かみ」は、人類普遍の音声感覚として「出会いのときめき」をあらわしているのであって、べつに「神」専用の音声=言葉として生まれてきたのではない。古代の日本人は、「神」なんか知らなかったから、それを「かみ」といったのだ。すなわち古事記という神の物語の解釈は、そこから考えはじめる必要がある。神道オタクじゃあるまいし、「神ながらの国」といって分かったような顔をされても困る。たしかに神道はこの国の伝統ではあるが、古代人はべつに神道オタクではなかった。
古代人が「かむながらのくに」というとき、「人と人の出会いのときめきが豊かに起きている国」という感慨をあらわしていたのであって、本居宣長が説明するような「まるごと神を信じている心」でそういったのではない。
「神」なんか知らない人たちだったから、「神」のことを「かみ」というようになっていったのだ。
古代人は「かみ=かむ」という言葉を「出会いのときめき」のメタファーとして使っていたのであり、それがまあ古事記という物語の通奏低音にもなっている。