高貴な輝き・神道と天皇(10)

映画や演劇に例えると、一神教の神は作者や監督のような存在で、多神教の神はあくまでも「俳優」の存在にすぎない。『古事記』の神は、森羅万象をつくったのではなく、森羅万象それ自体なのだ。というかそれは、森羅万象それ自体であると同時に、それ自体ではない。森羅万象に宿っている森羅万象の本質を「神」という。神は人間それ自体である当時に、人間それ自体ではない。人間に宿っている人間の本質を「神」という。神は人間の祖先であり、神が人間になった。だから、神と人間はセックスをすることができる。それが大嘗祭とか新嘗祭のコンセプトになっているわけだが、神は猿でも狐でも鳥でも雲でも太陽でも風でもあるのだから、姿かたちを持っていると同時に持っていない。神は抽象的な存在であると同時に、とても具体的な存在でもある。それ自体であると同時に、あくまでそれ自体の本質を指して神といっているだけでもある。日本列島の神のイメージは、とてもアクロバティックなのだ。
まあ、もともと神というものを知らなかった民族だから、そのイメージの仕方が首尾一貫していないというか、どんなかたちにもイメージできる。
本居宣長は「神はありがたく畏(かしこ)き存在である」などというが、そんなことをいってもしょうがない。日本列島の神は人間を超えた存在であると同時に、人間以上に人間的で俗っぽい存在でもある。
日本列島の住民は神道に対してとても親密で、それはもう歴史的身体的に親密だともいえるのだけど、べつに宣長のような神道原理主義者でも神道オタクでもない。べつに神道をありがたがらなければならないいわれもない。
神道の神は存在しないことが存在証明なのだから、天罰なんか下さないし、ご利益もない。であれば、べつに神を畏れ敬う必要もありがたがる必要もない。神が神罰を下したり御利益を与えたりする宗教にはそういう気持ちが必要なのだろうが、そういう意味では基本的に神道は宗教ではない。ただ、神社の清浄な気配は命のはたらきのことなんか忘れさせてくれるのであり、さっぱりした気持ちになればいいだけのこと。そういう「みそぎ」の体験の場として機能している。その清浄な気配はこの生の外の気配であり、「神は存在しない」という気配が神の存在証明になっている。
神はこの世界の外の存在であり、この生のいたたまれなさに身もだえして生きている存在である人間は、避けがたくそういうこの世界の外の存在に対する「遠い憧れ」を抱いてしまう。仏教伝来とともに神という概念を知った日本列島の住民は、そうやって「ああ、神というのはいるかもしれないなあ」と思った。この生を支配する神ではなく、この生の外にいる神を想った。
もともと人類史における神という概念は、人々の自意識が肥大化していった文明社会においてこの生やこの世界を支配する存在として生まれてきたのだが、そのような神を想う歴史を歩んでこなかった日本列島の住民は、もっと純粋にこの生やこの世界の「外」の存在としてイメージしていった。この生やこの世界の「外」の存在としてなら認識することができたというか、そういうかたちでしか認識することができなかった。
神道の神は、「存在しない」ことにこそ存在の根拠がある。ひたすら「隠れている」のであり、古事記の神はそういうかたちでイメージされている。
神は存在するのではない。あくまで「気配」が生成しているだけなのだ。神の存在の不可能性こそ神の存在証明である……たぶん、世界中どこだってそのように神を認識している。それは、人の心のはたらきの問題であって、「科学的な真実ではない」といってもせんないことなのだ。
この生のはたらきは、この生から逸脱・超出してゆくことの上に成り立っている。
心は、この生を忘れてしまうことによってさっぱりする。生命賛歌ばかりしていたら、鬱陶しいだけだ。生命賛歌こそ、心の「けがれ」なのだ。この生のことを忘れて、この世界が存在することの不思議に驚きときめいてゆく……この世の「神」という言葉は、そういう体験の上に成り立っている。

古事記』は、仏教の影響を受けている。神武天皇という奈良盆地の救世主が西の九州高千穂からやってきたという話は、阿弥陀如来西方浄土からやってくるという話の焼き直しかもしれない。
とはいえ、九州高千穂が西方浄土だったというわけではないし、彼らは西方浄土というものをうまく信じ込むことができなかった。だから、天からそこに下りてきて、そこから奈良盆地にやってきた、という話になっている。
そしてそのとき地上は「根の国(地下)」からやってきた神(=国つ神)が支配しており、いまだに無秩序な状態にあった。で、そこに秩序を与えるために天の国の神(=天つ神)であるニニギノミコトガつかわされ、その三代あとの神武天皇すなわち「カムヤマトイワレヒコ」が奈良盆地に向けて東征していった、ということらしい。
だから、古代の支配者=貴族は、すべて「天つ神」の子孫だということになっており、ここからが古事記の中巻になる。
では民衆はすべて「国つ神」の子孫かというと、そこのところはよくわからない。そこのところは「テキトー」でよろしかろう、ということだろうか。古事記はあくまで「神」の話であって、聖書のような「人間と神の関係」の話ではない。
日本列島の「神」は、そういう「神と自己の関係」などという肥大化した自意識の上に成り立っているのではない。
天皇は、即位後の大嘗祭の儀式によって、神と同化する。つまり、そういうかたちで自意識をそぎ落としてゆく。それはひとつの「みそぎ」の体験であり、神になってしまえば、もう「神と自己との関係」など意識する必要がない。
そのようにして天皇は、日本列島の住民が「神と自己との関係」という肥大化した自意識を持たないための根拠として機能している。
あるいは、天皇は神に捧げられた「生贄」である、ともいえる。
日本列島の神は、「存在しない」ことが存在の根拠なのだ。
日本列島の住民は、「神と自分との関係」なんか持っていない。神なんか、「畏(かしこ)くもありがたい」存在でもなんでもない。ただ「親密」な対象であるだけだ。
天皇が被災地に訪れたりすると、その辺の名もない庶民が喜々として天皇に語りかけてゆく。彼らにとってそれはこの生の外に超出してゆく「みそぎ」の体験であり、「畏れ多くて口もきけない」などというのは自意識過剰の権力者だけだ。
天皇は神の「形代(かたしろ)」であると同時に、「神は存在しない」ということの根拠でもある。日本列島の住民は、神という概念に対して、無意識のうちにそういうアクロバティックな思考をしている。
古事記の神々の造形は、それ以前の日本列島の住民が神というものを知らない歴史を歩んできたことの証明になっている。日本列島の神は「存在しない」ことが存在することの証明であり、この生のいとなみはこの生の外に超出してゆくことにある、ということが表現されている。

日本列島の神の機能は、この生を称揚することにあるのではなく、この生の「けがれ」をそそいでこの生の外に向かって「みそぎ」を果たしてゆくことにある。
神は「存在しない」のだから、神のありがたさもくそもないし、「存在しない」ことが畏くもありがたいのだ。
古代の日本列島の民衆の心には、「神と自分との関係」というような肥大化した自意識はなかった。古代以前の日本列島には、宗教はなかった。彼らは神を信じていたのではなく、神の話をつくったのだ。それ以前には神の話はなかったから、自分たちでつくった。古事記のストーリーに仏教の影響があるということは、それ以前に神の話などなかったということを意味する。
本居宣長は「古代人は神のありがたさやかしこさをしんそこ信じ切っていた」というが、だったら「神が世界をつくった」ということにしたほうが、もっと深く豊かにそのことを信じ込むことができる。しかし古代人は、そういう世界観を持つことができなかった。神は世界の中から現れてきたのであり、神にできることは、世界=森羅万象をつくることではなく、神=森羅万象を産むことだった。それはもう、宗教ではなく、ひとつの「進化論」だった。非科学的な進化論というか、日本列島の住民は、縄文時代以来、そういう死生観や世界観で歴史を歩んできた。神を信じることができないものたちが、信じることができるようなかたちで神を造形していっただけのことだし、それをせずにいられないような切実な時代状況があった。仏教という本格的な宗教とともに国家権力の支配が覆い被さってくるという、切実な時代状況が。
奈良盆地にたくさんの人が集まってきて大和朝廷という国家共同体が生まれてきたことはもう避けがたい歴史のなりゆきだったにせよ、この生の鬱陶しさやいたたまれなさはますます大きくなってきた。それはつまり、人としてこの生から超出してゆこうとする衝動がますます切実なものになってきた、ということだ。まあそれによってさらに大きな快楽が得られるということでもあるわけで、そんな状況から古事記の神々が造形されていった。
大和朝廷という国家建設のダイナミズムは、仏教だけではなく、仏教に代わって新たに起こってきた神道もまたひとつの推進役を担っていた。
権力者は仏教によって支配を強化しようとし、天皇は民衆に祀り上げられながら神道と結びついていった。そういう二重構造があったわけだが、天皇という存在は、権力者にとっての権力支配のアリバイになっていた。
天皇は、その歴史のはじめから権力者だったのではない。権力者によって権力者であるかのように偽装されていただけだ。聖徳太子天皇になる資格を持ちながら天皇にならなかったのは、じっさいに政治を動かす権力者になりたかったからだろう。だから彼は、天皇の一族でありながら、神道ではなく、支配のアイテムとしての仏教を優先させた。「和をもって尊しとなす」などといっても、それは自分のまわりの権力闘争をけん制していただけのことで、民衆にとっての「和」は、あくまで神道の祭りによって他愛なくときめき合ってゆくことにあった。
つまり、戒律をはじめとする仏教の教義は、権力階級をコントロールするためにこそ必要だったし、また権力闘争に明け暮れる権力者たちの肥大化した自意識は、いつ殺されるかもしれないという不安とともに極楽浄土の救済にすがっていった。
民衆は、極楽浄土なんか信じていなかった。死んだら何もない「黄泉の国」に行くと思っていただけだ。そして天皇家がそういう神道の儀式を守ってきたということは、いつの時代においても権力闘争の道具にされながらも実質的な権力はほとんど持っていなかったことを意味する。実質的な権力者になるためには天皇になってはいけないし、そうなればいつも権力闘争におびえていなければならない。
天皇になることは、権力を失うことであると同時に、権力闘争から解放されることでもあった。権力者はつねに天皇が最高の権力者であるかのように偽装するが、もともと天皇は権力者として生まれてきた存在ではない。民衆を支配する存在としてではなく、民衆から祀り上げられる存在として生まれてきたのだ。だから支配のアイテムとしての仏教ではなく、祭りの儀式としての神道を守ってきた。まあ、権力者たちが天皇神道の中に閉じ込めてきたともいえる。

天皇がなぜあんなにも自意識の薄い人であり得ているのかという問題がある。それはきっと今日的な問題であるはずだ。天皇家の歴史にもいろいろ紆余曲折はあったが、現在の天皇が醸し出す自意識の薄さは、天皇家2000年の伝統に違いない。天皇とは、本質において、そういう存在なのだ。すでにこの生から超出してしまっているというか、そういう気配に対して民衆の心が引き寄せられている。
天皇なんて、好きでできる仕事ではない。天皇として生まれてきてしまったから、その運命に従って生きてきただけだろう。現在の天皇にしろ昭和天皇にしろ、「俺だって天皇でいるより、ただのとんかつ屋のおやじとして一生を終えたかったよ」というような思いがあるかもしれない。いや、その思いすら捨てて生きねばならないのが天皇という立場だ、ということだろうか。
天皇の心模様なんか、誰にもわからない。天皇であるとはどういうことかということは、天皇にしかわからない。現在の天皇が「生前退位」を申し出たのも、年をとってから天皇になることのしんどさが骨身にしみているからかもしれない。これ以上皇太子に待たせておくことはできない。天皇になるためのトレーニングというのは、じつはないのかもしれない。あれこれの行事をこなすことができても、それだけで「天皇になる」ことはできない。天皇であることの「境地」というようなものは、天皇になってからでないと身につかない。そしてそのトレーニングは、歳をとってからはじめるのは、とてもしんどい。とくに昭和天皇の存在は歴史的にも人格的にもとても大きかったから、先代と比較されながらそれを引き継ぐことのつらさは並大抵ではなかったに違いない。だから自分は、偉大な天皇になる前に辞めたかった。平成になってから大きな地震が相次いだり、右翼的な潮流が盛り上がってきたりして、自分に対する評価が上がってきていることは肌で感じているに違いない。しかしそれでは困るのだ。現在の皇太子によけいな苦労をかけることになる。その前に辞めたかった、のかもしれない。
庶民が家業を継ぐことだって、先代が偉大であればあるほどしんどいものになる。
まあ現在の天皇は、偉大な天皇になどなりたくなかった。そしてそれが、天皇天皇であることのゆえんなのだ。
今どきの右翼のように、天皇を何か国の家長であるかのように崇拝するなんて、愚の骨頂なのだ。「親密であること」というか「親愛の情」こそ、民衆と天皇の関係の本質なのだ。
起源においては、そうやって祭りの場におけるカリスマとして祀り上げられていったのであって、偉大な権力者として君臨していたのではない。まあ、このことはもっと書き進んでからあらためて検討するつもりだから、ここではこれ以上いわない。

近ごろのカッコつけた右翼の知識人が「今の皇太子はぼんくらだから次期天皇は弟のほうがいい」などといったりするが、「ぼんくら」であることこそ「高貴・高雅」であることの資質であることを、彼らは何もわかっていない。今の天皇だって最初はぼんくらだといわれていたし、現在も宮中の歌会始で披露される彼の和歌なんか、皇后のそれと比べてもどうしようもなく凡庸でぼんくらそのものだろう。しかし、もっとも本格的な高貴・高雅は、そこにこそ宿っている。彼には、変なスケベ根性がないのだ。そこにこそ、「みそぎ」を果たした人の姿がある。たぶん、そばにいる皇后は、そのことをいちばんよくわかっている。
自意識をそぎ落とすということ、まあそういう意味では、本居宣長がいう神もまた、「ありがたく畏き存在」であるといえる。
しかし本居宣長小林秀雄も妙な神道オタクの部分もあったわけで、神道そのものである天皇にそういう思い入れというか雑念はない。
ぼんくらであることの高貴な輝き、そういう雰囲気は、天皇でなければ醸し出すことができないのかもしれない。あれこれよけいなことは思わない、ただもうひたすら生まれたばかりの子供のようにときめき微笑んでいるということ。こんなことは、天皇にしかできない芸当であるのかもしれない。