祝福論(やまとことばの語源)・「しな」と「なし」

昨日はくだらないことを書いてしまったので、なるべく早く更新したいと思っていました。
われながら下品な人間だなあ、といやになってしまう。
不用意な人間だから、読み返してみて「きゃっ」と叫びだしたくなるようなことをときどき書いてしまう。
腰を据えてパソコンに向かう時間がなくて、適当に何か書いて置こうというような心構えで書き始めると、ろくなページにならない。
いや、よく考えたら、ほんとに腰をすえて書いたことなど、一度もない。もともとそんなふうに書ける能力などないわけで、いやになるくらい腰のすわらないブログだ。
ザ・フーピート・タウンゼントが、「誰だって毎日薄い氷の上で踊っているだけさ(『アナザー・トリッキー・デイ』)」といっているが、このブログなんて、まさにそんなざまだ。
毎日つまみ食いのようなことを腰を据えて書いている人もいれば、僕のように腰が据わらないままひとつのテーマで書きつづけている人間もいる。
同じテーマで書いているからといって、何か確固とした理念があるわけではない。
気分で書いているだけだから、僕のような人間は自分を語らないほうがいいのだろう。
しかしそういいながら、こうして自分を語っている。
僕は、薄い氷の上でこわごわ踊りつづけている。まったく、トリッキーでややこしい毎日だ。
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古いやまとことばの「しな」とは、深い愛着のこと。しみじみとなつかしむこと。
信濃(しなの)」というと、すぐ地名の由来と山を結び付けて考えられがちだが、古代の信濃の人々にとって山は、愛憎あいなかばする対象だったはずで、それを自分たちの地名にしようというほどの無条件の愛着があったとも思えない。
その急峻な山々は、他国との往還をさまたげるだけでなく、集落どうしの行き来さえ困難にしていた。
たとえば奈良盆地の山々など、古代の人々でさえかんたんに越えてゆくことができたし、山の頂上に集落をつくることだってできた。
しかし信濃の山々では、そうはいかない。乗鞍岳槍ヶ岳も雲の向こうだ。そしてそれらの山すその谷をはさんだ隆起のひとつひとつさえ、奈良の山よりも高く険しいのだ。
中西進氏は、「しなの」の「しな」の語源をこう語っている。
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信濃(しなの)や更科(さらしな)はみな山深い地形で、まさに山あり谷ありと起伏に富んでいて、段々の連続するさまざまな傾斜のある地です。ごつごつしていて、区別できるところがある。そうした種別のそれぞれを日本人は「しな」と名づけていました。
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しかしこの場合の「そうした種別のそれぞれ」である「しな」は、中西氏のいうような「ごつごつしていて区別できるところ」のことではなく、それらのあいだにあって人が住み着いている「沢」や「野」だったのだ、ということを前回に書きました。
そんな「ごつごつしているところ」が、愛着の対象になるだろうか。
そしてお隣りの「富山(とやま)」の語源は、山がたくさんあるからではなく、山が行き止まりになっているからでしょう。その行き止まりの山々が、行き止まりのない水平線に対する不安をいやしてくれるからでしょう。
富山の人々にとっては山が行き止まりであることが慰めになっていたし、信濃の人びとにとってはその行き止まりであることが彼らの暮らしを困難なものにしていた。
現代人が信濃の山の風景の絵や写真を眺めて安らいでいるのとはわけが違う。そりゃあ、信濃の山の眺めは美しい。しかしそれが古代人の暮らしを豊かにしていたとはいえない。古代人がかんたんに征服できるような半端な山々ではないでしょう。
古代の「しなの」の人びとが深く愛していたのは、山ではなく、山と山のあいだの自分たちが住み着いている「沢」や「野」だった。そういう住み着いた土地に対する愛着を込めて、「しな」といったのだ。
何を好きこのんで、そんな「ごつごつ」したところを自分たちの地名にするものか。
「しなの」の人びとは、「しな」ということばに格別の愛着があった。そのことばとともにその困難な地に住み着いていったのであれば、それは、「ごつごつ」した山なみのことではない。
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「しな」ということばをひっくり返せば、「なし」になる。
ひっくり返しても同じ音韻なのだから、語源的には似たような感慨がこめられているのだろう。
「なし」というやまとことばは、ただ「ものがない」というだけではすまない。そういう「意味」をあらわす以前に、そういうことに対する感慨をあらわすことばであったのだ。
「しな」も「なし」も「な」と「し」で成り立っているのだから、ともに「固有の深い愛着」をあらわすことばであったはずだ。
大切なものをなくせば、なくしたものに対する愛着はより深くなる。
「しな」がすでに持っているものに対する愛着だとすれば、「なし」は、なくしたものへの愛着をあらわしている。
「なし」ということばは、大切なものをなくした体験から生まれてきた。というか、なくすことによってはじめてそれが大切なものであったことに気づいた。
はじめに「なし」という言葉があった。そしてそういう体験を繰り返すことによって、持っているものに対する「しな」という愛着の感慨が生まれてきた。
すなわち、「しなの」の人々の、ごつごつした高く険しい山を前にしたときの絶望と喪失感から、自分たちが住み着いている「沢」や「野」に対する「しな」という愛着の感慨が生まれてきた、ということだ。
「ときめき」は、「なげき」から生まれてくる。
はじめに「なし」ということばがあり、そこから「しな」ということばが生まれてきた。
「しなの」の人びとは、その「なげき」とともに「しな」ということばを大切に守り育てていった。
おそらく、古代の東国のことばであったといわれている「かなし」ということばは、「しな」ということばに対する深い愛着をもっていた「しなの」の人びとのあいだから生まれてきたのだろう。
そのことは、次回に。