祝福論(やまとことばの語源)・「しなの」

長野県には、「沢(さわ)」がつく苗字の家がとても多いのだとか。
「沢田」「沢井」「谷沢」「水沢」「赤沢」「柳沢」「深沢」「沢登」「沢東」「沢西」「沢村」「沢野」等々。
やまとことばの「さわ」の「さ」は、「裂く」の「さ」。
「わ」は、「割る」「分ける」「別れる」の「わ」。
「沢(さわ)」とは、山が裂けて分かれている谷あいの場所のこと。
急峻な山が続くこの地域では、多くの人々が水辺の「沢(さわ)」に住み着いていった。
人びとは、この「沢(さわ)」に深く愛着していった。
信濃(しなの)」とは、「深くとくべつに愛着する土地」、あるいは「祝福の地」、というような意味だ。
「祝いの品(しな)」という。「しな」ということばには、とくべつな「愛着」や「祝福」の感慨がこめられている。古代人のそういう感慨から、「しな」という音声がこぼれ出てきたのであり、それが、このことばの語源なのだ。
そして、「沢」という苗字が多いということは、信濃の人びとがもっとも深く愛しているのは山よりもむしろ「沢」であり、この「沢」という自分たちが住み着いている場所こそもっとも大切な祝福すべきものであるという感慨から、「しなの」という地名が生まれてきたのだ。
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古代、「しなの」の人びとがこの地の「沢」や「野」を愛していったということは、それはまた、急峻な山々に阻まれて外部との交通がままならない、ということでもあった。
このために奈良朝以前のころまでの「しなの」は、ほとんど孤立した地域であったらしい。
信濃と外部との往来が生まれてきたのは、信濃が大陸から輸入された馬の繁殖地なっていったころからで、奈良時代に入ってようやく人や馬が通れる道ができていった。
その道をつくった信濃の豪族には朝廷(天皇)から褒賞が与えられた、という記述もある。
とはいえ、信濃の険しい山道の往還が楽であるはずがない。
あの武田信玄ですら、東信濃の一部しか占領することができなかった。そうして、近代の「女工哀史」まで、信濃はつねに東と西を結ぶ交通の要所であると同時に、越えがたい難所でもあった。
そういう土地柄だからこそ、土地に対する愛着も深くなり、そんな感慨から「しなの」ということばが生まれてきた。
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「しなの」は、古代には「科野」という漢字が使われていたらしい。
古語としての「野(の)」は、「斜面」という意味であるのだとか。
だから「斜面=山」ばかりの土地だから「斜野(しなの)」といったのだという説もあるのだが、古代の「しなの」人々がその地をそう呼んだわけは、そんな単純なことではあるまい。「野(の)」という言葉ですでに「斜面」という意味があるのだから、この場合の「しな」には、そんなこととは別の、土地の人々のそれなりに深い感慨がこめられているはずだ。
「斜」という漢字は、外部のもの(たぶん大和朝廷の識者)によるたんなる「当て字」であり、「しなの」の「しな」の語源は、あくまでひらがなで考えるべきだ。
「の」は「飲(の)む」「伸(の)す」の「の」。「すべる」あるいは「すべり落ちる」動きのことを「の」という。
「のるかそるか」というときの「のる」は、すんなりとことが運ぶこと。
飲み込んだ水は、喉という斜面を滑り落ちてゆく。水が流れている場所は、「沢」でもあり、「野(の)」でもあった。比較的傾斜のきつい場所を「沢」といい、ゆるやかな斜面を「野」といったのかもしれない。あるいは、水のまわりを「沢」といい、そこからすこし離れた場所を「野」といったのだろうか。
で、「しなの」の「し」は、「しーんと静か」の「し」、「静寂」「孤独」「固有性」の語義。つまり、「とくべつ」ということ。
「な」は、「なじむ」「なれる」「なつかしむ」の「な」、「親愛」の語義。
「しな」とは、とくべつな愛着のこと。
古代人が、細く削った竹を編んで竹籠をつくる。木の繊維を編んで衣服をつくる。渋柿を干して甘い干し柿にする。するとそれらは、とくべつな愛着のあるものになる。かれらは、それを「しなもの」と呼んだ。これが「しなもの」の語源であり、「しなの」は、人が住むことによって「しなもの」になった。
「しなの」とは、とくべつな愛着のある場所のこと。
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中西進氏は、「<しな>とは、<区切り>という意味です」といっておられる。それが、「しなの」の「しな」の語源であるのだとか。
たしかに「とくべつな愛着」のあるものは、、ほかのものとは区別される。
しかしそれは、結果としてそうなるだけであって、「しな」ということばに、区別しようとする衝動は含まれていない。
竹籠や衣服や干し柿はなまの自然と区別されるが、「しな」はあくまでそれ自体に対する固有の深い愛着を示すことばであって、「区別」という意味を表出している音声ではない。
「しな」ということばによって「区別」という「意味」が生じてくるが、「しな」という言葉が最初に生まれてきた現場においては、「区別」という意味を携えていたのでも、「区別」という意味があらわれたのでもない。
あくまで、人びとに、それ自体に対する「固有の深い愛着」が共有されていっただけだ。
「しな」ということばが、いったい何を「区別」しているというのか。
「しな」という音声にどんな感慨がこめられているのか、そこのところに推参できなければ、「しな」ということばの語源にはならない。
「しな」とは、「しなやか」の「しな」ですよ。まず、その音声の響きに立ち止まったところから、語源に対する探索が始まる。
「しな」、と何度も声に出して、その音声の響きに含まれているであろう感慨に耳を傾けてみなければならない。
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「しなふ」とは、「しなやかに反り返る」こと、とひとまずそういわれているが、それが語源的な意味ではない。
「ふ」は、「現在進行形の状態」の語義。
では、この場合の「しな=愛着」はどこにあるのか。
それは、「いのち」との親密な関係にあることを指している。つまり、ほんらいならぽきんと折れて死んでしまうはずなのに、折れないでまだ生きている状態を、「しなふ」という。
「しなふ」とは、いのちと親密な関係にあること、これが語源だ。
だから万葉集のころは、生命力の旺盛なりりしい若者のようすを、「しなぶる」といった。べつに「やわらかく曲がっている」からではない。
もうひとつ、「しなゆ」ということばがある。しおれていること。
「ゆ」は、「過程」の語義。
「湯(ゆ)」は、水が沸騰して水蒸気となって蒸発してゆくまでの「過程」の状態にあるもの。
日本列島の住民は、「過程」そのものすらも、ひとつの完結した状態であるとして、「湯(ゆ)」という独立した名称を与えた。
「湯=ゆ」に相当することばは、ほかの国にはない。
中国語の「湯=たん」は、「スープ」のことをいう。やまとことばの「湯=ゆ」と同じではない。「湯=ゆ」のことは、中国でも西洋でも「水」という。「温かい水」というように。
まあ、このへんは、考えるときりがないところです。
それはともかく「しなゆ」の「しな」もまた、「いのち」への愛着を意味している。
「しなふ」がいのちから愛されている状態だとすれば、「しなゆ」は、いのちへの「未練」を持った状態だといえる。そういう意味の「愛着」であり、心が、というのではなく、体が、存在そのものがいのちに対する未練を残してしおれた状態にある。「しおれる」とは、まさにそういう状態であるにちがいない。
古代人は、うまいことをいう。
彼らは、われわれよりずっと「いのち」に対しても、しみじみと「愛着」する心の動きに対しても敏感だったのだ。
「しな」とは、「しみじみ」の「し」と「なつかしむ」の「な」を合わせた感慨のこと。
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中西氏は、はじめから「しな」とは「区切り」のことだと決めてかかって、「しな」という音声の響きのことなどすこしも考えていない。
古語としての「階」「科」「級」、すべて「しな」と読む。これらはすべて「区別」を表している、と中西氏はいう。
たしかにそうだ。一階二階の「階」、ネコ科イヌ科の「科」、初級中級上級の「級」。
しかし、やまとことばしか持たなかった古代の日本列島の住民の「区別」の感覚と、大陸人のそれとはおそらくちがうだろう。
大陸人のように「階」「科」「級」を解釈しても、それは、やまとことばの「しな」とはちがう。
日本列島の住民が「区別」するとき、区別されたそれぞれがそれじたいとして完結している。
一方大陸では、「区別」することによって全体を統合してゆく。
たとえば、「階段」の「階」。
大陸人は、その階段全体で「階」という。
しかしやまとことばで「階=しな」というとき、一段一段を完結させて「階=しな」と呼んでいる。
階段を上るとき、平らなところを流れるように歩くのとちがって、一段一段足の運びが立ち止まるように完結してゆく。だから、一段一段一歩一歩それじたいとして完結している、という感慨をこめて「階=しな」という。
階段のことを「階(きざはし)」ともいう。
「きざはし」だなんて、まさに、それじたいで完結しているという、思い入れたっぷりのことばではないか。
「きざ」は、「刻(きざ)む」。「は」は「空間」「スペース」、「し」は「固有」の語義。「はし=端」とは、「ここで世界は終わり」「ここで世界は完結している」という固有のスペースをあらわすことばである。
「きざはし」とは、「完結している刻まれたスペース」のこと。たぶん「切れはし」の語源になったことばだ。
古代の日本列島の住民は、その「一段」その「一歩」に「とくべつな愛着」をこめて「階=しな=きざはし」といった。
区別することは、もう区別する余地がない、というパラドックス
「しな」には、「完結している」という意味もある。それが、「しなの」の人びとが「しな」ということばにこめていった感慨なのだ。
「しっかりと」「しみじみと」「なつかしく」「なじんでいる」土地だから、「しなの」という。
わかりますか、中西先生。
いや、あなたにはわかるまい。
「しな」ということばにこめられた感慨がどんなものか考えたことのないあなたには、わかるまい。