祝福論(やまとことばの語源)・「か・なし」と「かな・し」

このブログでしつこく繰り返している、「あなた」や「世界」に対する「ときめき」とは、「意味」が発生する以前の心の動きのことで、そういう心の動きこそ、ひとつの「自然」として誰の中にもあるはずです。
「ことば」は、そこから生まれてきた。「意味」を携えて生まれてきたのではない。
つまり「ことば」は、原初的な「ときめき」と「意味」の中間(=すきま)において生成している。
したがってやまとことばの語源を考えることは、原初的な「ときめき」に推参することにほかならない。
「ことば」は、「意味」以前の意識が発生した瞬間の世界に対する「ときめき」からこぼれ出てきた。
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「なし」と「しな」は、同じ音韻で成り立っているのだから、同じ感慨を含んでいるはずです。
「なし」は「なくしたものへの愛着」であり、「しな」は「大切なものへの愛着」。「なし=しな」に「か」ということばをかぶせて、「かなし」ということばが生まれてきた。
「かなし」は、古いことばであると同時に、少々ややこしい構造をもっている。
「か」は、「かっとなる」の「か」、「つよい気持ち」「はっきりした気持ち」、「昂揚」「確認」「実感」の語義。
また、だからこそ、頭に「か」という音韻をかぶせることによって、あとに続くことばを強調してゆくという機能にもなっている。
たとえば、「か細い」「か弱い」というように。
「かなし」ということばにしても、そのように「なし」を強調する音韻として「か」がかぶせられている、と解釈することもできる。
すなわち「か・なし」。
ものをなくしたことの落胆やなくしたものへの愛着がひとしお胸にしみることを、「か・なし」という。
「深い喪失感」、おそらくこれが、もっとも語源に近い「かなし」ということばのかたちでしょう。
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長野県伊那地方の人びとは、今でもこのようなニュアンスで「かなし」ということばを使っているらしい。
もしかしたら「かなし」ということばは、伊那地方が発祥の地であるのかもしれない。
そのことばの原初的なニュアンスが今でも残っているということは、その地はそういうことばが生まれてくる必然性を持っている、ということを意味する。
ことばは、他の地域に伝わってゆくことによって、それぞれの地域の風土性を加味しながら変化してゆくのだろうから。
なぜ伊那地方に「かなし」の原型が残っているのか。
それは、伊那地方がほかの地域よりも周囲の環境に対する嘆きが深く、またそれゆえにこそみずからの住み着いた土地に対する愛着もひとしおだったからだろう。
高く険しい山々に囲まれていることは、他国との往還を阻まれているという「喪失感」をつねに抱えながら暮らしていたということであり、だからこそみずからの住み着いた土地の一木一草にもひとしおの「愛着」が生まれてくる。
そういう土地柄から「かなし」ということばが生まれ、大切に守り育てられてきた。
まあ、伊那地方でなくとも、日本列島の住民は、その歴史の始めに大陸から切り離され、遠い水平線を眺めながら、「われわれはもうどこにもいけない」という深い喪失感を味わった。そういう「喪失感」から「かなし」ということばが生まれ育ってきたのだ。
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「か」によって強調されていることばは、まだまだいくらでもある。
「叶(かな)ふ」も、強調の「か」と、「縄をなう」の「なふ」でできているはずだ。
「か・なふ」。
「縄をなう」とは、縄と縄を(親密に)寄せ合わせていくこと。
「かなふ」とは、願いと現実が親密に寄り合わさり、ついに一体化してゆくこと。願いと現実がだんだん寄り合わさりひとつになってゆくときのときめきから「か・なふ」ということばがうまれてきた。
「かならず」は、「か・ならす」。「ならす」は、「調和させる」こと。それを「か」で強調して、未来が決定された自明のことのように思うこと。
「かがむ」は、「か・かむ」。「かむ」は「噛む」、噛むことをだめ押しするような姿勢だからだ。
「かすむ」は、「か・すむ」。「すむ」は「澄む」、対象が、澄むを通り越して透明になってしまったように見えるからだ。
「かしづく」は、「か・しつく」。「しつく」は「しつけ」、関係をととのえること。「かしづく」は、なついていって関係をより緊密にすること。
「かぶる」は、「か・降る」。降り積もること。帽子は、頭に降り積もる。他人の罪を「かぶる」とは、他人の罪が身に降り積もること。
「かくれる」は、「か・暮れる」。暮れながら見えなくなってしまうこと。
「かする」は、「か・する」。「する」は「すれ違う」の「擦(す)る」。すれ違いざまにくっついてしまうこと。
「かつぐ」は、「か・つぐ」。「つぐ」は、「付く」、あるいは「継ぐ」。いずれにせよ、大げさで重たい付きかた、継ぎかた。
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小林秀雄は、「語(かた)らふ=語(かた)る」の「かた」は「こと(言)」が語源であろう、といっている。
しかし、これはたぶん違う。
これも、「か・たる」だと思う。
「たる」は「足る」、「納得・充足」の語義。
言葉を交わすことの、深い納得・充足、すなわちカタルシスのこと。
「有名人の名を<かたる>」などというとき、「話す」という意味ではない。「なりきっている」という意味だ。「なりきる」ことの「深い充足・カタルシス」を「か・たる」という。
九州の一部の地域では、仲間に加わることを「かたる」という。この場合も、仲間に加わることの充足やカタルシスをあらわしている。
「物語(ものがたり)」という。
「「もの」とは「まとわりつくもの」のこと。
「かたる=か・足る」は、深く納得・充足してゆくことのカタルシス
「ものがたり」の「もの」は、たとえば、文字として書かれるか語られるかして「まとわりついてくる」ストーリー(フィクション)のこと。そうやってまとわりついてゆきながら、そのフィクションがあたかも現実であるかのよう体験させて「深く納得・充足してゆくカタルシス」をもたらす話のことを「ものがたり」という。
それにたいして、ノンフィクションのときは「ことがたり=言語り」などといわれたりする。
「ことがたり」ということばがあるということは、「かたる」の「かた」は「言(こと)」ではないということを意味するはずだ。
「語(かた)る」は「か・たる」、深く納得し充足してゆくこと。
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「かなし」ということばのもうひとつの構造は、「かな・し」。あるいは「か・な・し」
このときの「か」は、「な=愛着」を強調している。いとしくてたまらないこと。
「し」は、「うれし」「たのし」「さびし」「うつくし」「あやし」といった形容詞の語尾。固有のとくべつな感慨であることをあらわしている。「し」は、「固有」の語義。
「かな」は、「深い愛着」「大切な人」のこと。
大切な子供や恋人のことを「かな」という地方もある。
「美しきかな」というときの「かな」も、ひつの「深い愛着」としての詠嘆であろう。
「愛(かな)し=かな・し」とは、どうしようもなくいとおしいこと。
「か・なし」というときの「な」は、もちろん「なし」の「な」であるが、「かな・し」というときの「な」は、むしろ「しな」の「な」に近い。
「しな」とは、大切なもの、あるいは大切なものへの愛着のこと。
で、伊那地方の「いな」は、「しな」の発展形であろうと思える。
「いな」の「い」は、「いのいちばん」の「い」、これもまた強調の機能をもった音韻である。
「いのいちばん」というように、「いな」の「い」は、「な」という愛着の感慨よりも、「しな」の「し」という音韻がもつ「固有性」の語義を強調している。「い」は、「固有性」を強調する音韻。たぶん、「し」が、いつのまにか「い」になったのだ。つまり「しな」という感慨を強調して「いな」になったのではないだろうか。
「うつくし」は、現在では「うつくしい」というかたちで「い」が加わっている。このことは、「し」という感慨が深まると「い」に変わってしまいやすい、ということを意味している。
九州宮崎の山深いところに、「椎葉(しいば)村」という地域がある。平家の落人伝説で有名なところだ。「しいば」とは、「固有の地(=場)」という意味で、「しなの」から「な」を取れば、「しいば」になる。
伊那地方は、もっとも信濃らしい信濃であるのかもしれない。そして、そういうところから「かなし」ということばが生まれてきた。
いや、もちろんこれは古代の伊那地方のことで、現在の伊那地方がどんなところかは、行ったこともないのでまったく知らないのだけれど。
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あなたは、「人を救いたい」とか「誰かの役に立ちたい」と願うご立派で清らかな「誓願」を持つことと、「どうしようもなくいとおしい」とときめくことと、どちらを選びますか。
日本列島の村落共同体は団結力が強く、もたれあい助け合って生きている、という。
だから誰もが「人を救いたい」とか「誰かの役に立ちたい」と願って生きていたかというと、そんなことはない。村人なんて、エゴイスティックでずいぶんいやらしいところや薄情なところもある。
それはつまり、西洋的な「愛の精神」なんか持ち合わせていない、ということだ。
彼らがもたれあい助け合って生きてきたのは、結果的にそうなってしまっているというだけのことであって、べつに「愛の精神」によるのではない。
日本列島の村落共同体は、「喪失感」が強い。彼らの団結は、「もうどこにも行けない」という「喪失感」の上に成り立っている。
日本列島は山ばかりの地形である。縄文時代以来、人びとは山に囲まれた土地に住み着き、山を仰ぎながら、「もうどこにもいけない」と嘆き、同時に「ここがすべてだ、もうどこに行かなくてもよい」と充足していった。
村人は、「喪失感」という「嘆き」を共有している。そんなところから、「団結」も「もたれあい」も生まれてきた。それはたんなる「結果」であって、「喪失感」と同時に「人」や「土地」に対する「愛着=ときめき」を共有しながらその歴史を歩んできたのだ。
そのタイトすぎる人と人の関係も人にときめきすぎるからであり、また自分たちの土地に対する愛着の深さにしても、ひとつの「喪失感」の上に成り立っている。
やまとことばの「愛=かな」には、「人を救いたい」とか「誰かの役に立ちたい」とか、そんなしゃらくさい意味はなかった。
ただもうときめいていることが、「愛=かな}ということばの語源だ。
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「かな・し」の「し」は、「固有の感慨」の語義。
「うれし」「たのし」「さびし」「くるし」、なぜそういう心の動きをあらわすことばの最後に「し」という音韻がつくかというと、そのときその場ではその感慨が「唯一」で「すべて」だからだ。
日本列島の住民は、心の動きとはそういうものだと思っていた。どんな小さいこと、小さいもの、小さい心でも、そのときその場においてはそれが「唯一」で「すべて」だという感慨から、「しな」や「いな」や「かなし」ということばが生まれてきた。
哀しいときは、「哀しい」という感慨しかない。「いとしい」ときは、「いとしい」という感慨で胸がはちきれそうになっている。
「かなし」ということばをそっと10回つぶやいてみればいい。そうすれば、その音声の中に、この心の動きが「唯一」で「すべて」だという古代人の感慨が息づいているのがわかる。
そのときその場ではもうそれしかないしそれがすべてなのだから、「ただときめいて生きていればいいのさ」という思いが日本列島の住民の心の底に流れている。そこから、「しな」や「いな」や「かなし」ということばが生まれてきたのだ。