喪失感と華やぎ・かなしみとときめきの文化人類学2


人は、「世界の終わり」から生きはじめる。
実の世界と虚の世界、虚実の皮膜などともいう。焚き火の火を眺めていると、心は虚の世界に浸され和んでゆく。虚=死の世界と親密になってゆくことが、原初以来の人類の生きる作法だったのであり、それが日本列島の文化(美意識)の伝統にもなっている。
政治や経済を実の世界というのなら、学問や芸術やスポーツや恋愛やセックスは虚の世界です。労働と遊び、といいかえてもよい。そして人間性の基礎は「遊び=虚」の世界にある。
とすれば、一般的社会的な人と人の関係は虚実の皮膜にある、ということでしょうか。しかし根源的なときめき合う人と人の関係は、虚の世界を共有し虚の世界に浸されてゆくことにある。
人と人は、「世界の終わり」に立ってときめき合っている。「世界の終わり」というか「終わりのあとの世界」というか、そこにこそ感動があり、美があり、ときめき合う関係がある。
人は、「廃墟の美」を感じる無意識を持っている。
われわれが生きてある「今ここ」が、すでに終わりのあとの世界です。成長した子供は、家族から離れてひとりぼっちになったところに立って他者との出会いにときめき、恋をしたり友情を育んでいったりする。まあ、そんなようなことです。
原初の人類が二本の足で立ち上がることは、猿の世界が終わったあとの世界を生きはじめることだった。
猿の世界が終わったというか、猿の世界を失ったというか。
人が生きてあることには、何かしらの喪失感がともなっている。喪失感こそ、人の心の基礎であり、根源のかたちである。人は、喪失感から生きはじめる。
まあ、生き物の雌雄の歴史は、独立した一個体では生をまっとうできなくなってしまったところからはじまっているわけで、喪失感は雌雄を持った生き物の本能だともいえる。この生は、喪失感の上に成り立っている。
喪失感の上に成り立っているからこそ、ときめき感動するし、探究心も起きてくる。
喪失感の深さこそ、猿の心と人間の心を分けるものかもしれない。
世界の終わりや喪失は、誰にとっても愉快なことではないが、それが原初以来の人間性の基礎であり、心はそこから華やいでゆく。
日本人はことにこの喪失感を深く抱きすくめてゆく傾向が強い。喪失感こそ日本文化の基礎です。
日本語には、喪失感をあらわすことばが、もう無数にある。ここでちょっとその例を挙げてみるが、これらの言葉のニュアンスは外国人にはよくわからないらしい。
「気にやむ」「気まずい」「気にさわる」「気がねをする」「気おくれする」「もったいない」「くやしい」「わびしい」「そこはかとない」「なつかしい」「てれる」「はにかむ」「ばつがわるい」「かっこうがつかない」「ひっこみがつかない」「みれんがましい」「けなげ」「すねる」「ひがむ」「ひねくれる」「ふてくされる」「やけくそになる」「わだかまる」「すまない」等々、これらの言葉はすべて「喪失感」の上に成り立っている。
この喪失感に対する愛着は、死に対する親しみでもある。
外国小説の翻訳もしていた二葉亭四迷は、女の訴える「アイ・ラブ・ユー」のせりふを「死んでもいいわ」と訳したそうです。「世界の終わり=喪失感」から生きはじめる民族は、そういう言い方や心の動きで恋をしてきたらしい。
その「世界の終わり」という「死」に対する親しみとしての喪失感はもう、日本人だけというよりも、原初以来の人類普遍の心模様なのです。人の心は、そこから華やいでゆく。そうやって人類は、火や水のきらめきや金銀宝石に魅せられていった。
この喪失感を、古いやまとことばでは「かなし」といった。



「かなし」というやまとことばはもう、縄文時代からあったのではないかと思えます。それくらい古い言葉のはずだが、もともとはたんなる「悲しい」という意味だけで使われていたのではない。
基本的には「いとおしい」というニュアンスの言葉だが、「悲しい」とか「かわいそう」とか「悔しい」という意味にも使われていた。つまり、ひとつの「喪失感」の上に成り立っている言葉だったわけです。
古代や上代の人々にとって「喪失感」は、けっしてネガティブな感情ではなかった。それ自体が彼らの生の基調であり、そこから心は華やいでいった。
言葉は、新しくなればなるほど意味が限定されてきて、古い言葉にはひとつの意味に限定されない豊かなニュアンスがあった。
「かなし」の「か」は「離(か)る」、すなわち「離れる」ということ。「な」は「なれる」「なじむ」「なつく」の「な」、「親愛」の語義。つまり「かなし」とはひとつの「喪失感」であると同時に、その失われてゆくものへの「愛惜」の感慨をあらわす言葉だった。
赤ん坊をかわいいと思うとき、自分がもうそのころには戻れないという喪失感がともなっている。赤ん坊だって、いつまでもかわいい赤ん坊のままではいられない。そういう愛惜の感慨で、赤ん坊や子供のことを「かなし」といったりした。
人との別れの喪失感は、そのまま別れる人に対する深い愛着でもある。
「かなし」というやまとことばには、ただ「悲しい」というだけではすまない「愛惜」の感慨がこめられている。
「はかなし」とは、「はあ」というため息をついたあとに「かなし」といっている言葉で、しみじみとした「かなし」の感慨、とでもいうのでしょうか。そのようなかたちで「かなし」を強調している。
なんにせよこの生が出会いと別れの体験の上に成り立っているところから「かなし」という言葉が生まれてきた。
かなしみそれ自体がときめきでもあるような感慨を「かなし」という。今どきの「癒し」とか「萌え」とか「かわいい」という感慨もまた、そのような感慨だといえそうな気がします。
それは、旅の感慨でもある。ふるさとや家を離れる喪失感を抱いて旅にでる。
地球の隅々まで拡散していった原初の人類の歴史は旅の歴史でもあったわけで、日本文化もまた、そうした「別れ」と「出会い」の体験における「かなしみ」と「ときめき」の感慨を通奏低音にして生まれ育ってきた。
現在における人と人の関係にしても、この体験の歴史の上に成り立っている。
「かなしみ」と「ときめき」、すなわち「かなし」こそ人が人に対して抱く感慨の根源のかたちであり、それはもう、現代社会においてもなお変わることはないのではないでしょうか。
「かなしみ=喪失感」それ自体が「ときめき」でもある、というのか。



「かなしみ」の「み」は、中に詰まっているもののことをあらわしています。「実」の「み」、胸の中に「かなし」の感慨が詰まっていることを「かなしみ」という。
「さよならだけが人生だ」といった作家もいるくらいだから、「別れのかなしみ」は、人間が生きてあることの基底にある感慨のひとつに違いありません。
「別れのかなしみ」を抱いて人は死んでゆく。しかしそれは、ただ「悲しい」というだけではない。この世界や他者に対するどうしようもない「いとおしさ」がともなった「愛惜」の感慨であるはずです。見送る人も別れて死んでゆく人も、そこでこそもっとも深く豊かに相手に対する「いとおしさ」を体験している。それが「かなし」という感慨です。
人が生きてゆくことには、つねに「別れ」の体験がともなっている。
この世に生まれ出てくることは、胎内世界との「別れ」です。そのとき、胎内世界の記憶があるようなないような、そんなことはよくわからないが、ひとまず「喪失感」はあるに違いありません。生まれた瞬間の赤ん坊がおぎゃあと泣くのは、ひとつの喪失感でしょう。何を失くしたのかよくわからなくても、何かしらのそうした「かなし」の感慨があるのでしょう。そこから、人の人生がはじまる。
まあ胎児期から乳幼児期までの赤ん坊の脳細胞は、どんどん死滅して入れ替わってゆく。それは、どんどん体が変化して環境世界との関係も変わってゆくからでしょう。そうやって彼らは、たえず「別れ」に浸されながら生きてゆく。
生きていれば、何かを失くすということは、つねについてまわる。「今ここ」に存在していることは、「過去」を喪失しているということです。昨日という時間はもう戻らない。その「喪失感」とともに人類の記憶の能力が育ってきたのかもしれない。
何を失くしたのかということがよくわからなくても、「喪失感」が生きてあることの感慨として意識の奥底ではたらいている。
別れたくないといっても、生きてあることそれ自体が「別れる」という体験なのでしょう。
人間のいとなみには、避けがたく「別れる」という体験がついてまわる。人間は「かなし」の感慨とともに生きてある。



「かわいい」という言葉だって、「かなし」から派生してきたのかもしれない。
「かなし」と「かわいい=かはゆし」。「はゆ」とは「映える」、すなわちキラキラしていること。「かなし」=「かなはゆし」=「かはゆし」、ただ「かなし」というだけでなくキラキラ輝いていることを「かはゆし」という。
「かわいい」ものは、どこかキラキラしている。
まあ人間はキラキラ輝いているものが好きで、金銀宝石、この社会はそれを一番の価値にして動いている。
「かなし」の「涙」だって、世界が揺れてきらきらしている体験の象徴に違いない。
原始人の社会での人と人の別れに際して体験される「かなし」の感慨は、現代人のそれよりもずっと直截的で深いものがあった。
原始時代は、医療技術も呪術もなかった。ただもう、そばで見守ってやること意外になすすべはなかった。彼らの生や人と人の関係は涙とともにあった。心は、そこから華やいでゆく。
何はともあれ、原初の人類にとっても、キラキラしたものを見ることはもっとも大きく心が動く体験だったのです。その体験の蓄積の上に、金銀宝石を価値とする文明史の習俗が生まれてきた。すなわちそれは、人の心の底に「世界の終わり=死」に対する親密さが横たわっているということです。



自然界のキラキラしたものといえば、水とか火とか空の星などでしょうか。
しかし、猿はそんなものに興味を持って眺めるということはしない。猿に興味があるのは、食い物とか敵か味方かとか、そういう生活の有用な情報に関してだけでしょう。キラキラしていようといまいと、ただそれだけのことです。
しかし人間は、キラキラしているというそのことに対して興味深く眺める心の動きを持っている。
人が涙の粒のキラキラした輝きに心を動かされるのは、そこに「かなし」の感慨を見ているからであり、「かなし」の感慨に心を動かされている。
猿の仲間であった原初の人類が二本の足で立ち上がることは、とても不安定である上に、胸・腹・性器等の急所を外にさらしてしまうというきわめて危険な姿勢でもあった。そんな姿勢を常態化しているということは、いつも身体の居心地の悪さとともにいるということでもある。だから、身体のことを忘れていたい。忘れていなければ、その姿勢を常態化させていることはできない。身体のことを忘れていられるのは、身体の外の世界や他者に関心が向いているときです。そうやって人類は、身体の外の世界や他者に対する関心を強く抱く存在になっていった。
猿のように食い物や敵か味方かなどの生活情報に関心を向けることは、自分や自分の身体にかかわることだから、身体のことを完全に忘れるというわけにはいかない。
身体とは何の関係もない情報に深く関心を向けているときこそ、もっともたしかに身体のことを忘れていられる。そうやって人間は、身体にかかわる役に立つ生活情報よりも、どうでもいいことに関心を向けているときにこそもっともたしかに生きた心地を覚える存在になっていった。
人類の歴史が、食い物などの有用な生活情報を求めてゆく歴史だったと考えると間違う。
人間は、食い物という有用な生活情報よりも、ただキラキラしているだけで何の役にも立たない金銀宝石をもっとも価値あるものにしていった。それほどに身体のことを忘れたい存在だったのであり、それほどにキラキラしたものが好きだった。キラキラしたものは、心の華やぎの象徴であると同時に、「世界の終わり=死」の象徴でもある。



とにかく原初の人類は、身体を意識しないですむ情報に関心を向けていった。身体を意識しなですむ情報こそ、もっとも心を動かされた。
身体、すなわち生きることにはなんの関係もないものに大きく心が動かされるようになっていった。
では、他者は自分が生きることとかかわっている存在だからあまり興味はなかったのかといえば、そうではない。他者と抱き合えば、自分の身体を忘れて他者の身体ばかり感じている。他者こそ、もっとも自分の身体を忘れさせてくれる存在だったのです。他者の身体を上書きして自分の身体を消してしまう。
他者の身体に対する関心こそ、人間性の根源ではたらいている心の動きであろうと思えます。
人間がいつから人間的な「かなし」の感慨を抱く存在になっていったかはわかりません。しかし、二本の足で立ち上がったときから、いずれそうなることは決定付けられていたのでしょう。それは、身体の居心地の悪さを嘆きながら生きてゆく姿勢なのだから。
人間は、最初から「嘆く猿」だった。
10万年前ころにはもう貝殻の首飾りをするようになっていたらしいから、そのときはすでにキラキラ光るものが好きな存在になっていたのでしょう。
そうして火に対する親しみを持ち、やがて電気の灯りの現代文明を生み出していった。
すべては、「世界の終わり=死」に対する親しみとともにキラキラ光るものが好きになったところからはじまっている。



人間は「嘆く猿」だったから、キラキラ輝くものが好きになっていった。「かなしみ」で涙があふれて世界や他者がキラキラ輝いて見えるとき、身体のことをすっかり忘れている。まずそういう体験が基礎にあって、他者の涙に心を動かされるようになっていったのでしょうか。
人間が金銀宝石を好きになっていったのは「嘆く猿」だったからで、嘆く猿だからこそ豊かに心が華やいでゆく体験をするようになっていった。その「きらめき」は、「心の華やぎ」の象徴であり、「世界の終わり=死」の喪失感でもあった。
そしてもうひとつここで確認しておかないといけないのは、金銀宝石が生きるための生活情報にはなんの役にも立たないものだ、ということです。
人類の文化の発展の歴史をつくってきたのは、生きるための生活情報ではなく、そんなものとは無縁の役にも立たないことに対する関心だったのであり、人間にとってはそうやって心が華やいでゆく体験のほうがずっと大切なのだということです。
人間は、身体に執着して身体を生かそうとすることが第一義の存在ではないのです。生きてあることを忘れないと生きていられない存在なのです。
人間は、どうでもいいことに熱中するし、みずからの命を否定して自殺したりするし、他者を殺そうともする。
人類の歴史は、生きるための生活情報以上に、生活の役に立たない情報により強く心を動かされながら流れてきた。なぜなら人間は生きてあることを嘆いている存在であり、その嘆きによって生活の役に立たない情報により強く心を動かされながら人間的な知性や感性を発達させてきた。
何はともあれ人類の歴史は「嘆く猿」としてはじまった。「嘆く猿」は、キラキラ光るものが好きなのです。
その喪失体験の嘆きそのものに、キラキラ光る華やぎがある。
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