人類拡散・かなしみとときめきの文化人類学3


人間は、きらきら輝いているものが好きだ。
そうやって心が華やいでいれば、生きるにせよ死んでゆくにせよ、なんとかなる。人間にとって、衣食住よりもそのことの方がずっと大事です。衣食住=経済が大事などという理屈は現代の先進国のもので、人類の歴史は心が華やいでゆく体験とともに流れてきた。その体験として火との親密な関係を結び、その体験によって原始人は、地球の隅々まで拡散していったのです。
世の中が平和で豊かになって衣食住が充実してくれば、なんだかそれがいちばん大事なことのように思えてきて、戦後社会はいつの間にかそれに耽溺してゆく人がどんどん増えてきたが、ほんとうに人間的な心華やぐ体験はそういうところにあるのだろうか。
現在は、衣食住に耽溺して生きている大人がたくさんいて、そこにこの生の真実や充足を感じている。そして、若者たちはあんがいそんなことに対する興味は薄い。食い物はコンビニ弁当でけっこうだし、着るものはユニクロでじゅうぶんだという。そういう世代間のギャップが生まれてきた。
いったい、どちらのほうが心が華やいでゆく体験を豊かにしているのだろう。
もしかしたら若者たちは、心が華やいでゆく体験が衣食住のところにはないということに気づいてしまっているのかもしれない。ひとまず衣食住の心配のない環境で育ってきて、それで満足ということもなかった。何かが足りない、という思いのほうがあった。
「萌え」とか「癒し」とか「かわいい」とか、ひとまずそれは心が華やいでゆく体験でしょう。さらにいえばそれは、暗闇の中で揺らめく火を眺めるような、「世界の終わり」から心が華やいでゆく体験のひとつだといえる。
暗闇の中でこそ、きらきら輝くものがより鮮やかに見える。暗闇すなわち「世界の終わり」、そこでこそ心は華やいでゆく。人は、そういう体験に誘惑されて存在している。そこから、歴史が動いてゆく。人間は、無意識のところにそういう心の動きを持っている。そうやって、かわいいものやきらきら光るものに魅せられている。



きらきら輝いていることを「映(は)ゆ=映える」という。
「はゆ」「はかなし」「はなやか」……すべて頭に「は」がつきます。
「は」は「はあ」というため息から生まれたことばで、「空虚」とか「空間」を意味する。
「あはれ」は消失感覚から生まれてきた言葉で、「はれ」は「何もない」こと。「晴れた空」とは、雲がなく澄み切ってどこまでも遠い空のことです。「晴々している」とは、何もないさっぱりした気持ちのこと。
何もないことは、華やかなことでもある。
つまり「映(は)ゆ」というキラキラ輝いている現象は、何かが消えてゆく現象でもあるのです。古代の人々は、無意識のうちにそのようなものを感じながら「映(は)ゆ」といった。
「は」とはひとつの喪失感および消失感覚から生まれてきた音声で、それは「死」に対する認識だったのかもしれない。だから、「墓(はか)」といった。「墓(はか)」とは、人が消えていった場所のこと。
「はかな」とは、消えてしまうこと。
「はかなし」は、「かなしみ」が極まった状態。「はあ……」と嘆息しながら「かなし」という。
人の心は、「かなし=喪失感」とともに華やいでゆく。はかないことは、華やかなことでもある。



「かなし」の感慨は、人類の歴史がはじまったときからあった。原初の人類は、「嘆く猿」だった。「嘆く猿」として華やいでいった。
原初の人類はチンパンジーの祖先と同じような猿だったはずだが、チンパンジーはほとんど拡散しないで、いまや絶滅の危機もささやかれている。それに対して人類は地球の隅々まで拡散し、とうとう地球上を席巻してしまった。
何が人類拡散の契機になったのかということについて、おそらく現在の人類学はきちんと説明できていません。科学的に証明できることではないからあまり熱心にタッチしたくないことかもしれないが、考えなくてもいいというものでもないでしょう。
「狩の獲物を追って」とか「ユートピアを目指して」とか、そんな薄っぺらなことをいっていてもしょうがありません。
人間は、生きのびようとして生きるのではなく、「世界の終わり」から生きはじめる存在です。
アフリカの外まで拡散していったのがおよそ200万年前で、そのときはまだ狩など知らない存在だったのです。そして、もともとはチンパンジーと同じようにアフリカの中央部の猿だったのだから、そこから拡散しはじめていったのは、アフリカを出るさらに数百万年前になるはずです。つまり、二本の足で立ち上がったときからすでに拡散がはじまっていた、ということです。
また、「ユートピア」などというものは、住みなれた土地であるに決まっています。体も生活習慣もそこで暮らしやすいようなかたちになっているのだから、その外側に「ユートピア」などというものがあるはずがありません。しかも人類拡散というのは、一足飛びに遠くまで旅して移住していったというのではなく、じわじわと生息域が広がっていっただけなのです。
そして、移住すればするほど住みにくい土地になっていったのです。
それでも移住していったのであり、そこのところを考えないといけない。
結論からいえば、人類は「かなし」のの感慨をカタルシスとして汲み上げることができる存在だったからで、住みにくい土地であればあるほどカタルシスが豊かになっていったのです。



集団ごと移住していったのではない。ひとりずつ群れからはぐれていったのです。そしてはぐれたものどうしが出会ってときめき合い、もとの集団の外に新しい集団をつくっていった。その果てしない繰り返しによって拡散していったのです。
チンパンジーは、はぐれたものどうしがときめき合って新しい集団をつくってゆくということはしません。それぞれもとの集団に戻ってゆくだけです。
しかし人類は、はぐれたものどうしがときめき合っていった。この生態の違いは、かなり意味深いことではないでしょうか。いろんなことを考えさせられます。
人間は「別れ」を体験することができるが、チンパンジーにはできない。だから彼らは、拡散できない。チンパンジーには「世界の終わり=死」に対する親しみとしての「かなし」の感慨がない。
集団からはぐれることはアイデンティティの喪失であり、人間はその事態を受け入れることができるが、チンパンジーにはできない。
アイデンティティの喪失とは、身体の存在根拠を失うということです。チンパンジーにとってそれはできないことだが、人間はむしろそれを生きてあるかたちにしている。身体を忘れてしまうこと、身体が消えてしまうことにカタルシスを覚える。それが「かなし」の感慨であり、そのとき意識は、生きるための生活情報よりももっと別の何かに関心が向いている。たとえば、きらきら光るものを見ることのほうに心を動かされている。
まあ、そのとき身体がからっぽになっているのだから、生きることも食うこともどうでもいいことです。生きることも食うことも忘れてきらきら光るものに心を奪われているときに身体がからっぽになっていて、人間はその「世界の終わり=死」の状態にカタルシスを覚える。心はそこから華やいでゆく。
チンパンジーは群れからはぐれても心は群れにとどまっていて、当たり前のように群れに戻ってゆこうとする。でも人間は、集団からはぐれたことを受け入れ、新しいものとの出会いにときめいてゆく。それがきらきら光るものであり、新しい見知らぬ他者との出会いです。
すでに知っていることより、まだ知らない新しいこととの出会いにときめいてゆく。それはつまり、身体のことを忘れて身体の外にときめいてゆくということです。生きるための生活情報よりもきらきら光るものにときめいてゆく、ということです。
人間にとってきらきら光るものは、「世界の終わり=死」に対する親しみであり、身体を忘れてゆくためのよりどころだった。
人類が拡散していったのは、集団からはぐれてしまうことの「かなし」の感慨にカタルシスがあったからであり、「かなし」の感慨にカタルシスをおぼえる存在だったからです。きらきら光るものにときめいてゆく存在だったからです。
心が華やいでゆくということ、そこに人間的な体験があり、それによって人類の進化発展の歴史がつくられてきた。
人類の歴史は、生きのびるために食い物をどう算段するかとか、そんな下部構造決定論的な歩みだったのではない。



そのとき人類は、集団からはぐれた「かなし」の感慨を携えて新しい他者との出会いにときめいていった。そうやって「世界終わり」から生きはじめた。これが、人類拡散のはじまりの体験です。
われわれが、思春期以降に家族の外に出て新しい他者との出会いとして恋をしたり友情をあたため合うという体験してゆくことだって、そうした人類拡散のはじまりの体験が基礎になっているのではないでしょうか。
そのときわれわれは、家族からはぐれたひとりぼっちの人間として新しい他者との出会いにときめいていっている。その「かなし」の感慨が、人類の知性や感性を育ててきた。
チンパンジーは群れからはぐれても「ひとりぼっち」という自覚をもてないし、人間はそれを自覚できるから拡散していったのです。
「ひとりぼっち」という「かなし」の自覚は、身体がからっぽになっている感覚です。人間はそういう自覚を体験する存在だから、人間的な涙を流すようになり、きらきら光るものの華やぎが好きになっていった。
とにかくそうやって集団からはぐれて新しい他者との出会いにときめいてゆくことは、生きるための生活情報よりも、そんなことには役に立たないきらきら光るものにときめいてゆくということです。
たとえば食い物のことなどの生きるための生活情報を得ようとすることが人類の進化をもたらしたのではない。そんなことは猿でもしていることであり、そんなこと以上にそんなことにはなんの役にも立たないきらきら光るものにときめいていったから、恋をしたり友情をあたため合ったりする存在になり、人間的な知性や感性が発達進化していったのです。
人間には、生きることには無縁の役に立たないことが必要なのです。そこにこそ、この生の華やぎがある。



集団からはぐれてしまったものどうしが出会ってときめき合っていった……これが人類拡散のはじめに起こったことであり、その喪失感と表裏一体の華やぎこそが人類拡散をもたらしたのです。
集団からはぐれることは身体を忘れてゆくことであり、二本の足で立っていることの居心地の悪さを抱えた存在である人間なら誰だって、そうした集団からはぐれてしまった「ひとりぼっち」の心は持っているはずです。
「ひとりぼっち」になろうとして人類は二本の足で立ち上がったのです。原初の人類は、他者と体がぶつかり合ってばかりいる集団の密集状態の中で、おたがいの身体のまわりの空間を確保し合う関係としてみんなで二本の足で立ち上がっていった。その姿勢になれば、四本足で這いつくばっているよりもひとりひとりが占めるスペースが狭くてすむ。そうやって体を動かせる自由を確保し合っていった。それはつまり、誰もが「ひとりぼっち」になろうとしてゆくことだったわけです。
「ひとりぼっち」になろうとするというか、「ひとりぼっち」になってしまう心を持っているというか、集団からはぐれてしまうのが人間の自然なのだと思います。
それは、現代人の誰の中にも息づいている心の動きであり、人類はその歴史のはじめからすでに「集団からはぐれてしまう」という生態を持っていたのです。そしてその「かなし」の感慨ではぐれたものどうしがときめき合ってゆき、人類拡散が起こっていった。
食うことの満足よりも、心が華やいでゆく体験にこそ人間の生きた心地があるのです。
すべては、「世界の終わり=死」に対する親密な感慨が基礎になっている。



人類史は、最初から拡散が起こっていたのです。
だからこそ、4万年前にアフリカ人が長い旅をしてヨーロッパに移住していったということなどありえないのです。人間の根源的な生態に照らし合わせて、そんなことはありえない。
4万年前ごろからネアンデルタール人の体や心がクロマニヨン人と呼ばれるようなかたちに変化してきた、というだけのことです。そして変化したために寒冷適応の体質が後退していっそう深く「かなし」の感慨を抱くようになり、それとともに文化がさらに発展進化していったのです。そういう喪失感が文化の発展進化をうながした。
この「かなし」の感慨は、アフリカにとどまっていた人々よりも、とうぜんそんな住みにくい地まで拡散してきたネアンデルタール人のほうがもともと深く抱いていたのであり、その感慨を基礎にしてクロマニヨン文化を生み出していったのです。
だいたい、アフリカ人が移住していったというなら、クロマニヨン文化が花開いたといわれている4万年前から1万3千年前までの氷河期明けの時期のアフリカでも同じような文化現象が起きていなければつじつまが合わないわけで、氷河期明けの文明競争においても、ヨーロッパ・中東のコーカソイドと呼ばれる人種とアフリカ中央部の黒人とは同じスタートを切っているはずです。
しかしじっさいには、まさにその時期のアフリカ中央部では、時間が止まったように文化の発展が停滞してしまっていたのです。
まあ、あるていど人類的な生活文化が発展して生きやすくなり、それ以上の文化の発展を促す「嘆き=かなし」の感慨がだんだん希薄になっていったのですね。氷河期のアフリカ中央部は今のような熱帯地域ではなく、地球上でもっとも温暖で生きやすい環境だったのです。
4〜1万3千年前のクロマニヨン文化の華やぎは、そこに移住してきたアフリカ人によってではなく、ネアンデルタール人が寒冷適応の体質を失っていったことによるその「喪失感=かなし」の感慨から生まれてきたのです。
そのころヨーロッパにやってきたアフリカ人など一人もいない。そのころのアフリカ北部のネアンデルタール人とアフリカ人(ホモ・サピエンス)との境界地域で血=遺伝子が混じり合い、その血=遺伝子が集落から集落へと手渡されながら伝播してゆき、やがてヨーロッパ北部のネアンデルタール人までがその血=遺伝子のキャリアになって寒冷適応の体質を減衰させてしまったのです。
しかし、そんな住みにくい地まで拡散してきた人類の末裔であるネアンデルタール人は、その「喪失感=かなし」の感慨からカタルシスを汲み上げてゆく心の動きを、そのころの地球上でどこよりも豊かにそなえている人々だった。その心の動きとともにクロマニヨン文化が花開いていったのであり、それはもう、温暖な地で住みよい暮らしをしていたそのころのアフリカ人にはできない芸当だった。
人類が地球の隅々まで拡散していったのは、「世界の終わり=死」に対する親しみとしての「喪失感=かなし」の感慨からカタルシス(心の華やぎ)を汲み上げてゆくタッチを持っていたからであり、その心の動きは、拡散の行き止まりの地で暮らすネアンデルタール人がもっとも豊かにそなえていたのです。



もともと二本の足で立ち上がることは、他者の身体とのあいだに「空間=すきま」をつくり合ってたがいに孤立した個体として存在するかたちになってゆくことだったのだから、人間はもう、存在そのもののかたちとして心が集団からはぐれてしまう「かなし」の感慨を持つようにできている。
そして、目の前に他者の身体が存在しなければその「空間=すきま」をつくれないし、そういう関係になっていないと二本の足で立つという姿勢は安定しない。だから人の心は、集団からはぐれてしまいながら、他者との向き合って立つ関係を希求している。
この二律背反的な心の動きが、人類の地球拡散を生み出した。
その先頭ランランナーだったのは、おそらく女です。
まず若い女が、集団からはぐれていった。彼女らは、体は大人になっても、集団の男と女のセックスの関係からは疎外された存在です。
男は、けんめいに女に寄ってゆく存在であるが、一度射精してしまえばそれで気がすんでしまう存在です。そして原始人は、おおむねセックスをしなれている大人の女を好みます。そういう女はセックスに対する反応が豊かだし、スムーズにやらせてくれる。若い女のように気まぐれではない。
おそらく、大人の男たちは、そう熱心に若い女に「やらせてくれ」と寄ってゆくことはなかった。
原始人の若い女がどのていどセックスに関心があったかは未知数ですが、とにかく、不可避的に集団からはぐれてゆくほかないような存在であったはずです。まあセックスに多少の関心があったとしても、目の前の大人の男と女のセックスの関係に参加してゆきたいという気持ちはなかった。そうして集団の外をうろついているときに見知らぬ男と出会い、ときめくという体験をしていった。男が寄ってくれば、「やらせてあげてもいい」という気になっていった。
まあ猿の社会だって、若いメスがよその集団に入り込んでゆくということはよく起きています。若い女は、根源的に集団からはぐれた存在であるらしい。
そして原始社会で若い女に関心があるのはまだセックスを体験していない若い男たちだったのであり、その男たちも集団からはぐれて若い女を追いかけていった。
そうやって、集団の外に若い男と女の新しいセックスの集団ができていった。まあこれは、現代社会でもそのような動きはあるはずです。彼らは、集団からはぐれた「かなし」の感慨を共有している。そこのところは、今だって原始時代だって同じの、人類の普遍的な生態であるはずです。
彼らは、若いということもあって、新しい場所の住みにくさなんか厭わなかった。人と人が豊かにときめき合うというその関係性によって彼らはそこに住み着いていった。
その、集団からはぐれた「かなし」の感慨と住みにくさの嘆きが、彼らをよりときめき合う関係にしていった。
そういう体験を何百万年もかけて果てしなく繰り返しながら人類は、とうとう氷河期の北ヨーロッパにたどり着いたのです。
ユートピアを目指してアフリカから一挙にヨーロッパまで旅してくるとか、そんな三流の劇画みたいな物語はなかったのです。
人間は、集団からはぐれてしまう「かなし」の感慨を持っている。その「世界の終わり=死」に対する親密な感慨を共有しているときにこそより豊かにときめきあってゆく……このことが人類拡散をもたらしたのです。この関係性の華やぎによって、人類の知性や感性が発展進化してきたのです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
一日一回のクリック、どうかよろしくお願いします。
人気ブログランキングへ