祝福論(やまとことばの語源)・「あはれ」と「はかなし」3
われわれの観念は、「ある」を「ない」と思うことはできない。曇り空を見上げて「晴れている」と思うことができないように、「ある」は「ある」なのだ。
「なにもない」から「ない」と感じるのだ。
みずからの身体を「ある=存在」として扱いながら生きてきたわれわれが、死を目の前にしていきなりそれの「ない=不在」と和解せよといわれても、そうかんたんにできることではない。
みずからの身体が「何もない」空間と感じられる体験をするトレーニングは生きているあいだにしておいたほうがよいし、それこそが、じつは「生きた心地」でもある。
われわれの「生きた心地」は、そういうパラドックスの上に成り立っている。
身体が物体として存在することの自覚は、「生きた心地」としてではなく、暑いとか寒いとか痛いとか空腹であるとか、「生きてあることの苦痛」としてやってくるだけである。
だからほんとうは誰もが、みずからの身体が「何もない」空間であると感じられることのカタルシスを体験しながら生きている。
だから誰もがちゃんと死んでゆくことができるに違いないのだし、あんまりみずからの身体の「存在=自我」にこだわってばかりいると死んでゆくことができなくなってしまうともいえる。
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みずからの身体を「ない=空間」と感じることは、この社会に対するひとつの疎外感である。
われわれの意識において、他者の身体は、「ある=存在」として立ちあらわれる。
この社会は、「ある=存在」としての身体の集合として成り立っている。身体は「ある=存在」である、という合意の上にこの社会がつくられている。
それに対してみずからの身体だけが、「ない=空間」として感じられることをアイデンティティとしている。
「私の身体」は、この世界の「ない=空間」であって、この世界を構成している一部ではない……そういう「疎外感」が、誰の中にもどこかしらにある。
われわれは、意識の根源において、この世界に対する「疎外感」を負っている。
それが、やまとことばの「はかなし」という感慨である。
人は、みずからの疎外感の投影として、「はかなし」ということばを発する。
言い換えれば、みずからの疎外感を体験していないものが「はかなし」と言っても、どこか空々しい。日本列島の住民が「はかなし」ということばを愛惜するかぎり、誰もがどこかしらに避けがたい疎外感を抱えて生きているのだ。
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世界に対する疎外感が深いから、世界に愛着してゆく感慨も深くなる。
「はかなし」の「なし」は、そういう愛着の感慨をあらわすことばであって、「ある」と「ない」、の「ない」という意味ではない。
「はか」ということばそのものに「はかない」という意味があり、その意味に深く愛着してゆく感慨、すなわちそういう「疎外感」を込めて「なし」という音韻がくっついていったのだ。
「な」は、「なる」の「な」、「なれる」「なじむ」の「な」。「愛着」の語義。
「な、怒りたまひそ」といえば、その「な」には、「どうか怒らないでください」という「愛着・哀願」の感慨がこめられている。
「ない」の「な」には、「何もない」ことに対する愛着がこめられている。「何もない」ことに心が引き寄せられてゆく感慨から「ない・なし」ということばが生まれてきた。
身体の苦痛は、身体が「ある=存在」として意識にのぼっている状態であり、苦痛がなければ、身体のことなど忘れ、身体は「ない」という状態になっている。
「何もない」と認識することのカタルシスがある。
信州の「伊那(いな)」という地名は、そこに暮らす人々の土地に対する深い愛着をあらわしている。「否(いな)」と否定することは、ひとつの「愛着」の感慨である。それはおそらく、身体を「ない」と否定するカタルシスに由来している。「ない」=「いな」、どちらも同じ音韻で成り立っているのだから、同じような感慨から発せられているはずである。
女は、身体に対するうっとうしさを深く抱えて生きている。すなわちそれは、身体が「ある=存在」と感じられることのうっとうしさであり、だからこそ、「何もない」と感じられることのカタルシスも深く体験している。
そういう感慨から、「はかなし」ということばが生まれてきた。
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「女(おんな)」の古語は、「をみな」。
時代が変わってそのことばが持っている「感慨」の表出の機能が薄れてきたために、いまや女という「意味」を説明しているだけのように使われているが、「な」という「愛着」をあらわす音韻だけは、しっかり残っている。
女とは、「愛着」する生きものらしい。「な」という音韻がなければ、女をあらわすことばとしてしっくりこないらしい。
「おとこ」の対語として「おなご」などということばもあるが、やっぱり「な」がついている。
「な」という音韻こそ、女をあらわす音韻らしい。
それが、日本列島の住民の無意識なのだろう。
「をみな」の「を」は、「うおっ」と驚くときの「を」、あとに続くことばのニュアンスに驚きときめきながら、それを強調している。
「み」は、「やわらかい」ことをあらわしている。心のやわらかさか、体のやわらかさか、まあおっぱいのやわらかさを象徴しているのだろう。
「をみな」が「おんな」になって「み」という音韻が消えてしまったということは、さしあたって「やわらかい」というニュアンスはたいした問題ではない、ということだ。
「な」という音韻にこそ、女の女たるゆえんがあるらしい。
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「な」は、「愛着」「憑依」の語義。
女は、世界に愛着し、憑依する。それはつまり、みずからの身体に対するうっとうしさを深く抱えているからであり、身体から離れて世界に愛着し憑依するときに女のカタルシスが体験される。
女の呪術的性格はそういうところにあり、古代人は、女とはそういう存在だと思っていた。
われわれ現代人だって、いくぶんかはそう思っている。
そういう性格が、女の恋愛やセックスに対する感受性の深さや能力になっている。
古代人は、恋愛やセックスのことは、女に教えてもらっていた。だから、女が年上のカップルが多かった。また、そういう面では、心身ともに女のほうが早く成長する。
月や花や季節をめでる感受性にしろ、女は世界と深く結ばれている。そこから、天変地異に対する呪術も、女の能力に託されるようになっていった。
仏教が入ってくる以前は、男の呪術師などいなかった。だから仏教が入ってきたときに最初に僧侶に選ばれたのは、女だった。
古代以前において、社会は女が支配していた。
ただ女は、政治という調整能力がなかった。一途に憑依する存在であれば、そういう能力は持ちようがなかった。
男と女の関係にのめりこんでいる女は、政治や社会のことなどどうでもよくなってしまう。女は、恋愛やセックスのプロフェッショナルであり、そう思うからこそ男は、女を支配してバランスをとろうとする。
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弥生時代が終わって大和朝廷が生まれてきたころ、この社会に政治の世界が出現した。それによって女と男の立場が逆転し、女は置き去りにされていった。
男たちは、女との1対1の関係や家族から逃れて、男どうしのホモセクシュアル的な集団をつくっていった。それが政治の世界であり、もともと女を排除した集団だったのだ。
男は色恋においてはアマチュアだから、男どうしの集団をつくりたがる傾向がある。それはたぶん、原始時代からそうだったのだ。
政治の世界では、女は政治のための「道具」であって、色恋の対象ではない。
色恋の世界では、女にはかなわない。だから、色恋の世界を置き去りにするかたちで政治の世界がつくられてゆく。
縄文時代から弥生時代にかけては、社会は色恋の世界としてあったから、女がリードする社会になっていた。
しかし大和朝廷の成立以後はもう、男がリードする社会になってゆく流れを押しとどめることは女にはできなかった。
それでも、日本列島には、縄文時代いらいの、色恋の社会として長い歴史を歩んできた伝統があった。だから、文字を覚えると同時に、色恋の文学が発生していた。それが万葉集であり、その後の王朝文学も、女や政治の世界から脱落した男たちの色恋の文学として花開いていった。
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万葉集から王朝文学にかけての時代は、色恋の問題を第一義とする女がリードする世界が侵食されていった時代だったのかもしれない。
そこで女たちは深く嘆いた。
その嘆き(=疎外感)から、「はかなし」という詠嘆のことばが生まれてきた。
はじめは、ひたすら「はかなし」と嘆いていた。それがやがて、この世界の普遍的なありようとして「はかなし」と詠じるようになっていった。
なまじ縄文以来の色恋を第一義とする長い歴史を歩んできたあとだけに、この時代の女たちの疎外感は、いっそう深いものであったに違いない。
現代でこそ女も政治や仕事などの社会参加をしているが、この時代の女たちは、そんなものにはまったく興味がなかったのである。彼女らは、まだ、色恋が第一義であった長い歴史の余韻を引きずっていた。
男たちがホモセクシュアルな政治の世界をつくってしまったからには、女たちももう色恋だけにのめりこんで生きてゆける環境ではなくなってしまった。そんな環境で短い生を終えてしまわねばならないことの「はかなさ」が、深く体験されていった。そして、色恋があろうとなかろうとこの生は「はかない」ものだという詠嘆に発展してゆき、やがて中世の無常観を基調とする芸術運動へと発展していった。
政治の世界が生まれてきた古代において、女たちが深く「疎外感」を体験したことが、その後の日本列島の芸術や美意識を方向付けた。
人間の赤ん坊が、見ることも歩くことも這うことすらもできない無力な存在として生まれてくるということは、そこで決定的な世界に対する「疎外感」を体験させられる、ということである。われわれの生涯は、そのようにしてはじまっている。
「はかなし」は、「疎外感」から生まれてきたことばである。
女は、「疎外感」の深さのぶんだけ、世界や他者に対する「愛着」も深く体験してしまう。「疎外感」も「愛着」もほどほどであればもっと生きやすいものを、そうはいかないところに女の不幸があり、そこから「はかなし」ということばが生まれてきた。
「私はこの世界から置き去りにされている」という「疎外感」は人間存在の根源的なかたちであり、古代の女たちは、それを発見してしまった。
時代の運命によって。