祝福論(やまとことばの語源)・「あはれ」と「はかなし」4

源氏物語をはじめとする平安時代の王朝文学では、「あわれではかない」というような言い方をよくする。
どちらかひとつでよさそうなものだが、「あはれ」と「はかなし」では少しニュアンスが違う。
「あはれ」とは「もの」の存在感があいまいで薄いことであり、「はかなし」は、存在感がないことや消えてしまうことをいう。
つまり、「あはれではかなし」とは、存在感がだんだん薄くなっていってやがて消えてゆく、という過程をあらわしている。最初から「ない」のではない。だんだん薄くなってやがて消えてゆくという、そういう「心の動き」をあらわしている。
最初から「ない」というだけなら、不安なだけで、カタルシスはない。「ある」と感じられるものがだんだん消えてゆくところに、カタルシスがある。
身体は、「ある」とかんじられる対象である。腹が減ったり、痛いとか苦しいと感じたり、寒いと感じれば、身体の存在をいやおうなく思い知らされる。そこから、そうした苦痛やうっとうしさが消えてゆけば、身体のことなど忘れてしまう。その「消えてゆく」という感覚に、カタルシスがある。
二本の足でじっと立っていれば、苦痛である。しかし、そこから歩きはじめれば、しだいに身体(足)のことなど忘れてゆく。「消えてゆく」ことのカタルシスは、人間存在の根源的なかたちである。そういうカタルシスをくみ上げながら、われわれは生きている。
女は、みずからの身体の存在感のうっとうしさをいやというほど思い知っている。だからこそ、身体が消えてゆくオルガスムスというカタルシスも、より深く体験することができる。
王朝の女流文学者たちがつい洩らしてしまう「あはれではかなし」という言葉づかいの中にも、女の生理と、人間存在の根源的なかたちが潜んでいる。
彼女らは、この世界の中の自分の居場所がしだいに消えてゆく「嘆き」を「カタルシス」として、深く体験していた。
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知り合いに、定年退職をして隠居暮らしを楽しんでいる人がいる。
べつに優雅な贅沢三昧をしているのではない。昼間は、本を読んだり狭い庭をいじったり、たまに詩吟の会に出かけたりして過ごし、夜は街に出て「養老の瀧」でいっぱい引っかけ、気が向けば安いカラオケスナックに行く。そんなことを飽きずに繰り返し、サラリーマン時代よりずっと楽しく充実している、という。
隠居暮らしになって濡れ落ち葉のようになってしまう人と、逆に生き生きしてくる人がいる。
生き生きしてくる人は、この国では少数派らしい。
濡れ落ち葉になりたくなくて、定年後も働きたがる人のほうが多い。
社会保障の恩恵がないから定年後も働かざるを得ない、という人もたしかに多いのだろうが、働きたがる人が多いから老後の社会保障が充実しない、という側面もある。
ヨーロッパの先進国では、働いているうちの税金は高いが、老後の社会保障は充実している。それは、誰も、歳をとってからも働きたいとは思わない社会だからだ。
老人に働き場所を与えるのがよい社会なのか、働かなくても生きてゆける社会にするのがいいのか。
その隠居暮らしを楽しんでいる人は、かつて、はた目にはわりとのんきなサラリーマンのように見えた人だが、それでも、会社勤めをしていたときの自分がいかにストレスフルな生き方をしていたのかがよくわかった、という。
つまり、自分では気楽にやってきたつもりだったのに、無意識のところでいっぱいストレスをため込んでいた、と。
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誰もがかけがえのない命を持っている、などという。
働いていれば、この社会に自分の居場所が約束されている、という安心がある。金を稼ぐとはつまりそういうことで、その安心は、自営業だろうとサラリーマンだろうと同じだ。
人はそういう場所を求め、そういうポジションを得ることで、ひとまず安心する。そうやってこの世界の中の自分の居場所を確認し、自分の命はかけがえのないものだ、と確認してゆく。
しかしそれは、働いていないと自分の命のかけがえのなさを自覚できなくて、しまいには、自分はこの世の中で生きていてはいけない存在だと思うようになってゆく、ということでもある。
そうやって、うつ病になったり自殺したりする人は多い。
人は、その胸のどこかしらに「自分は生きていてもしょうがない存在だ」、「この世に自分の居場所はあるのだろうか」という思いを抱えている。
それはもう、存在論的に、避けがたくそういう思いを持ってしまうようにできているのだ。
だから、働くことをやめると、とたんにその思いが頭をもたげてくる。
そうしていつまでも働いていようとするのだが、そんなことはただのごまかしだし、いずれは働けなくなるときが必ずやって来る。
死を目前にしたそのときに、さあどうする?
働くことで居場所を見つけてきた人に、働かないでも居場所を確認することはできない。彼には、居場所がないことと和解する心の動きはない。しかし人間は、根源的に「居場所がない」という心の動きを抱えこんでしまっている。
飯を食ってさっぱりすれば、身体のことは忘れている。それは、身体の居場所を見失っている心の動きであり、それこそがじつは生きてあることのカタルシスになっている。生きていれば、そのような体験の蓄積が、しっかりと無意識に刻まれてゆく。
どうせ、誰もがそのうち死んで行くのだ。死んでゆくということは、居場所がなくなってしまう、ということだ。
「ない」のではない。なくなって「消えてゆく」のだ。そのことと和解しなければ誰も死んでゆけないし、そのことこそ生きてあることのカタルシスのかたちでもある。
生きた心地とは、この身体がなくなって消えてゆく心地なのだ。
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この世の中に、自分の居場所などないのだ。
この体は、空っぽの空間なのだ。空っぽの空間になってしまう心地をくみ上げながら、われわれは生きているのだ。
若者や子供や家の中の女たちは、みんな、この世の中に自分の居場所がないことに耐えて生きているのであり、だからこそ彼らは他者やこの世界に深くときめくことができる。
この社会で働いて居場所を得ているといい気になっていても、あとになってうつ病やボケ老人やインポになったりという報いがやってこないという保証はない。
自分の居場所を確認することばかり考えていたら、他者や世界に対するときめきなんか起きるはずがない。そうやって、心がよどんでゆく。人と人の関係を上手につくろうことはできても、ときめいてなんかいないじゃないか。
自分の居場所を確認することはとても不自然な心の動きであり、意識の表層ではいい気になっていられても、心の奥によどんだストレスがじわじわたまっていっている。
「この世に自分の居場所はない」という不安とともに生きている人が、世界や他者にときめくことができる。
言い換えれば、誰もが、そういう不安から解き放たれるようにしてときめいているのだ。
人間は、根源においてそういう不安を抱えているからこそ、ほかの動物よりも深く世界や他者にときめくという体験する。「女(おんな)」の「な」という音韻には、女とはそういう体験をしている生きものである、という日本列島の住民の感慨がこめられている。
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「俺は、サラリーマン時代、人にときめくことも世界が輝いて見えるということなかった。この社会の中に自分の居場所を確保するということに汲々として生きてきた」……仕事をやめて、そういうことに気づく人は少ない。
多くの人は、いぜんとして世界や他者にときめくことよりも、自分の居場所を確保しようとし続けている。
因果なことに人間は、ストレスを食べて生きている存在である。それが、人間の人間たるゆえんであり、ストレスが人間の知能を発達させてきた。
この世界に居場所がないというストレスと、無理をして自分の居場所を確保してゆくことのストレスと、どちらを選ぶかといえば、後者を選ぶのが現代社会である。そうやって現代人は自我を確立し、その代償として、世界や他者にときめく心を失ってゆく。
それに対して、自分の居場所がないという不安とともに生きている若者や女たちは、世界や他者にときめきながら、この社会の大人たちから、、「自分の居場所を持てない人間は生きている資格がない」と強迫され続けている。
そうやって、多くの若者たちの心が壊れていっている。
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まあ、いつの時代も、共同体の制度のもとでは、世界や他者にときめいている者ほど生きにくいようになっている。なぜなら、「自分の居場所がない」という疎外感を抱えたまま社会の動きに参加してゆくことは、ひとつの矛盾であるほかないからだ。
しかしじつは、人間ほんらいのダイナミックなチームワークは、そういう「疎外感という矛盾」を共有してゆくところから生まれてくる。
たとえば五万年前の氷河期、極寒の北ヨーロッパネアンデルタールという人々が暮らしていた。そこは、人間の住めるようなところではないのであり、じっとしていたらたちまち凍え死んでしまう世界だった。彼らに、この世界の「居場所」はなかった。だからこそ彼らは、毎晩セックスをし、ダイナミックなチームワークでマンモスなどの大型草食獣の狩をしながら生き延びていった。
どんな時代になろうと、人間は、そうした「矛盾」をはらんでこの社会の中に存在している。
だからこそ、芸術が生まれてくる。
芸術は、そういう矛盾を抱えた者たちによって生み出されるのであり、そういう矛盾を共有してゆくかたちで人々に賞賛されてゆく。。
平安時代の王朝文学は、女たちの「この世界に居場所がない」という疎外感から生まれてきた。そしてそのあと、列島中が「無常」という疎外感を共有していったように、われわれの社会もまた、いずれそうした疎外感を共有できる時代が来るのかもしれない。
人の心は、この世界に対して疎外感を抱くようにできているのだし、それを持たなければ生きた心地も死との和解も得られない。
現代社会の病理は、おそらくそういうかたちでしか解決できない。
行き着くところまで行けば、今の大人たちの心がいかにゆがんでいるかということが見えてくる。
「この世界に自分の居場所を見つける」ということは、もともと日本列島の住民の性に合わないのだ。性に合わないことにうつつを抜かしているから、ストレスがたまって、うつ病になったり、ぼけ老人になったり、E D になったり、死を前にして大騒ぎをしたりしなければならない。
われわれは、この先もそういうストレスを共有して生きてゆこうとしているのか。
それとも、「私はこの世界から置き去りにされている」という根源的な疎外感を共有しはじめているのか。人間は、そうした疎外感を抱えていると同時に、どうしようもなく群れ集まってしまう生き物である。人間ほんらいのチームワークは、その「疎外感という矛盾」を共有してゆくことにある。
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「はかなし」という疎外感・無常観が、この国の伝統として息づいている。そして、それこそが人間の心の動きの根源的なかたちであり、したがって、この社会の自分の居場所を確保してゆこうとすることは、とても大きなストレスをともなう。
ストレスをため込んでいるくせにストレスだと自覚できないから、そうしたあれこれの現代的な病理を引き起こしたり、いつのまにか心や人格がゆがんでしまったりして、若者から毛嫌いされる人間になってしまうのみならず、若者を逃げ道のないところに追いつめてしまっている。
若者を教育しようとなんかするな。あなたたちに教育されねばならない若者こそ、いい迷惑だ。
たがいに「疎外感」を共有しながら、一緒に生きてゆけばいいだけではないか。そういう「チームワーク」こそ、われわれの目指すものではないのか。それが実現されれば、こんなよどんだ社会よりも、ずっと豊かで生き生きとした社会になる。
派遣切りをして、なおジリ貧になっていった会社はいくらでもある。なぜなら、そんな会社では、ダイナミックな「チームワーク」が生まれないからだ。
節約すればいいってものじゃない。
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消えてゆくこと・滅びてゆくことと和解できる心が、ダイナミックなチームワークを生む。
そういう無常観を共有していったチームワークで、王朝文学の時代に続く中世の武家集団が台頭して来た。
それに対して江戸時代の「士農工商」という身分制度は、それによって誰もが「この社会の居場所」を保障されていったことを意味する。どの身分が上か下かということなど、たいした問題ではない。そうやって誰もが、消えてゆくこと・滅びてゆくことと和解できる心と、ダイナミックな「チームワーク」を喪失していったのだ。そうしてあげくのはてに「鎖国」だの「五人組」だのという停滞してよどんだ集団が出来上がっていった。
それによって太平の世は続いたが、明治維新という革命が起きてくるのもまた、必然的な成りゆきだった。
そのころ、徳川幕府の「チームワーク」は、すっかり停滞し崩壊しかけていた。
徳川家康徳川幕府は、日本列島の住民がほんらい備えていたはずのダイナミックなチームワークを、すっかり骨抜きにしてしまった。
明治維新は、この世界の居場所を失った者たちの「疎外感」を共有したダイナミックなチームワークによって打ち立てられた。そのとき、伝統という地下水脈がよみがえったのだ。
まあ、その新しい時代がいい時代であったのかどうかということは僕の考えの及ぶところではないが、少なくともその時代の変わり目においては、日本列島の伝統である「疎外感」と「無常観」を共有したダイナミックなチームワークが生まれてきたことはたしかだろう。
平たく言えば、はぐれ者どうしがチームワークをつくっていったのだ。はぐれ者こそ、チームワークの醍醐味をいちばんよく知っている。
余談ではあるが、近ごろ話題の「坂の上の雲」や「竜馬がゆく」は、そういう話として読めなくもない。