祝福論(やまとことばの語源)・「せせらぎ」

日本列島の住民にとって「無常」とは、どんなイメージか。
鴨長明は、行く川の流れがどうとかと語っているが、川の水の流れこそそれをもっともたしかに感じさせる象徴的な現象なのだろうか。
日本列島の住民ほど「無常」ということばが好きな民族もいない。
唐木順三は、鴨長明だけでなく、兼好も一遍も道元も、中世の知識人はみな「無常」のことになるととたんに饒舌な美文詠嘆調になる、といっている。
折口信夫は、「まれびと」の概念は、古代人による永遠不死の国である「常世(とこよ)信仰」からきているという。
古代人は永遠を信じ、夢見ていた……現代万葉学の権威である中西進氏がそういうとき、折口信夫のそんな説を継承しようとしているのだろうか。
だったら、日本列島の住民は、中世になってからようやく無常に目覚めてきたのだろうか。
それは、仏教によって教えられただけの世界観であるのか。
折口信夫や中西氏は、そういっていることになる。
だったら中世の知識人たちが、あれほどもむきになって、まるで自分の裸も恥部もさらけ出すような調子で「無常」を語り上げるというようなことをするものか。
べつに、仏教に教えられてはじめてそれに目覚めたのではない。中世に「無常」ということばを差し出されて、ようやく庶民も仏教を受け入れる気になっていった、というだけのことだ。そういうことならわれわれの気分にかなっている、と。
日本列島の住民は、縄文時代からずっとそんな世界観で歴史を歩んできたのだ。
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ローマ帝国の都は最初から最後までローマだったが、大和朝廷の最初期の都の跡だといわれる弥生時代後期の「纏向遺跡」から始まって平安京の京都に落ち着くまでの500年間に、古代人はいったい何十回都を変えたことか。それは、縄文時代以来の「宿替え」癖の伝統であり、彼らはそれほどに「無常感」に浸されて生きていたのだ。
歴史家の多くはそれを、めまぐるしく外部からの侵略があったからだといっているが、そういうことではない。ただもう、すぐ「宿替え」をしたがる「無常感」のなせるわざだったのであり、大和朝廷は最初から最後まで大和の人が中心になって運営されていたのだ。
侵略者ではなく、皇族どうしで殺し合っていただけさ。
よそからやってきて朝廷内でのし上がっていった人間はいるだろうが、侵略者が新しい天皇になって遷都をしたとか、おそらくそういうことではないのだ。侵略者だったら、「天皇」と名乗るものか。人々から「天皇」と呼ばれるものか。
ましてや大陸からの侵略者がうちたてた都なら、そうかんたんに遷都なんかするものか。そして、侵略されないための頑丈な城壁をめぐらすことだろう。古代の大和朝廷なんか、そういう点はじつに無防備だったのであり、それもまた根底に「無常感」があったからだ。
そのころ大陸からやってきた帰化人たちは、こいつら何を考えているのだろう、と不思議がっていたにちがいない。
大陸人のように「永遠」なんか信じていたら、天皇が変わるたびに遷都をするというような行き当たりばったりのことをするものか。
小林秀雄にならっていえば、折口信夫も中西氏も、縄文時代の小娘ほどにも「無常」ということがわかっていない。
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誰かが、「せせらぎ」といっていた。
鴨長明も、それを眺めながら、「行く川の流れはたえずして……」という「方丈記」の書き出しの想を練っていたのだろうか。
川の流れは、日本列島の住民の心をいやす。
縄文人だって、集落の周りに環濠のごとき小さな「せせらぎ」をつくって、それを水洗便所代わりにしていたのだ。
「細流」と書いて「せせ+らぎ」と読んでいたらしい。「せせらぐ」の体言。
「らぐ」は、「ゆらぐ」「うすらぐ」の「らぐ」だろうか。小刻みにゆっくり動いてゆくこと。
「せ」は、「瀬」でもある。川の浅いところ。
「背(せ)」は、夫、男の恋人のこと。
「背表紙」とか「背(そむ)く」というから、「裏がわ」のことを「背(せ)」というのだろうか。
たぶん、そうじゃない。
「せ」は、声と息が背中合わせになったようにして発声される。
並んでいることや、近しいことを、「せ」という。だから、夫や恋人のことを「背(せ)」という。
べつに背中が夫たること恋人たることをあらわしているからではない。そんな漢字など知らない時代から使われていたことばなのだ。
「背」は。たんなる当て字だ。
中西進氏は、「頼れる背中」の持ち主だから「背」といったのだといっている。何をステレオタイプなことをほざいていやがる。古代は女系社会だったから、女のほうが強かったのだ。万葉集にも、そういう母親がうっとうしくて怖いという歌がいくらでもある。ましてや弥生時代なんか、男はろくに働きもせず、女に食わせてもらっていたのですよ。そのころは、女が中心に農耕をしていたのです。
日本列島の稲作の基礎は、女がつくったのだ。
川の「瀬」も、底がすぐそばに見えるから「せ」といったのでしょう。
背中のことを「背(せ)」といったのは、べつに「裏がわ」だからではなく、胸や腹と並んで垂直になっている一対の側面だからでしょう。
「競(せ)る」といっても、古代人にわれわれほどの競争意識あったわけでもないでしょう。
「せる」とは、並ぶこと。にじり寄ること。
「せき」は「堰(せき)」、流れににじり寄って流れを止めている土手のこと。
「気持ちが急(せ)く」といえば、気持ちが目的ににじり寄ってゆくこと。
「関(せき)」は、二つのもの(地域)のつなぎ目、あるいは二つのもの(地域)を隔てているところ。
「き」は「完結」の語義。「せき」とは、にじり寄ることが完結している部分のこと。
並んで一緒に力を合わせるときに「せーのー」という。並んで一緒にいることが「せ」で、力を入れることを「の」という。
「せ」は、並んでいることや近しいこと。その「せ」がふたつ繰り返されて「せっせと働く」というときの「せっせ」は、「しきりに」とか「絶え間なく」というような意味になる。
「せせらぎ」とは、浅瀬の小さな波が絶え間なく並んだりもつれ合ったりしている流れのこと。
そしてこのときの「せせ」は、流れの音を模倣した表出でもある。
古代人は、視覚と聴覚の両方で「せせらぎ」を体験していた。
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行く川の流れはたえずして……。
「せせらぎ」は、水の流れの動いているさまが、視覚と聴覚の両方から伝わってくる。
つまり、体ごと、存在ごと、それを感じることができる。われわれはたぶん、そうやっていやされている。
ただそれは、「行く川の流れはたえずしてしかももとの水にあらず」というような「無常」の「意味」を汲み上げるからではない。
それは、ただもう何のてらいもなく、粛々と流れている。
なのに人の心は、何かにまとわり付かれたり、自分からまとわりついていったりして、たえず澱んでゆくということを繰り返している。
誰もが、心のどこかに澱んだ部分を抱えている。
「せせらぎ」を眺めていると、そんな澱んだ心がすーっとやわらかく動きはじめるような心地がする。
「せせらぎ」を眺めることは、それ自体ひとつの「みそぎ」の体験になる。
そんな体験をするから、「せせらぎ」の水を汲んで体に浴びるという「みそぎ」の儀式が生まれてきたのかもしれない。
「体を洗い清める」といっても、体の汚れを落とす、ということではない。澱んでいる心がスムーズに動きはじめるために「みそぎ」をするのだ。
体が汚れるから「けがれ」というのではない、心が澱んで動かなくなるから「けがれ」という。
「女は血を流すけがれた存在だ」、という。しかしそれは後世の形式的な思考習慣であり、もともとは、そうなったときの、女自身の、心が停滞してしまうどうしようもないうっとうしさのことを「けがれ」といっていたのだ。そうやって女自身が「けがれ」を感じていたのであり、それは、血を流して体が汚れることではなく、心が停滞してしまうことをいったのだ。
「みそぎ」とは、心がスムーズに動いてゆくようにする行為であって、べつに体をきれいにするためにしているのではない。逆にいえば、体がきれいになるとは、心がスムーズに動いている状態にほかならない。
「身を清める」という。「身(み)」とは体の中の心がつまっているもののことをいうのであって、体そのもののことではない。心は、何の中に詰まっているのか。心臓とか脳みそとか、そんなことをいってもしょうがない。体の「中身(なかみ)」につまっているのだ。心臓も脳みそも、その一部に過ぎない。古代人は、そう考えていた。
「みそぎ」とは、体の中身である身(み)を削(そ)いで心を洗い清めること。体を洗い清めることではない。
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「心身合一」、体が勝手に動いてしまったり、よけいな毒素を排出したり、体自身が「心=精神」であるかのような「志向性」を持っている……などとくだらないことをほざいている哲学者がいる。僕は、こういうことをいわれると、殺意すら覚える。
体も心も、「世界」に「反応」する装置なのだ。
はじめに「世界」からのはたらきかけがある。心も体もそれに「反応」しているだけで、根源的にはいかなる「志向性」も持っていない。
世界からのはたらきかけなしに勝手に動いてゆく心も体もないのだ。勝手に何かを目指している心も体もないのだ。
世界からのはたらきかけがなければ、心も体も、心でも体でもなんでもないのだ。
「志向性」という哲学的思索の裏に、どうしようもなく下種なスケベ根性がうごめいている。僕は、それが気に食わない。その、制度的なスケベ根性が気に食わない。そうやってのうのうと制度性に居座っているその鈍感さと傲慢さが気に食わないのだ。
「志向」するから「反応」できるのではない。「志向」しないから「反応」できるのだ。古代人は、そういうことをちゃんと知っていた。だから、体も心もさっぱりと洗い流して「みそぎ」をした。
赤ん坊がたえずピーピー泣いているのは、世界に反応しすぎるからだ。われわれだって、何もかも洗い流して生まれたばかりのような心にならなければ、世界に対する「反応=ときめき」を失ってゆく。古代人は、そう思っていた。
「志向性」とやらで何かにまとわりつき、まとわりつかれていれば、心はどんどん澱んでゆく。心の根源に「志向性」があるのなら、そんなものを当てにできるのなら、「みそぎ」なんかしない。
人はなぜ、一緒に暮らしている相手のことがだんだんうっとうしくなってゆくのか。それは、「あなた=世界」が存在することが当然の前提になってしまって、心が「あなた=世界」にまとわりついていってしまうからであり、まとわりつかれてしまうからだ。そうやって「反応」する心の動きを失ってしまうからだ。
「出会いのときめき」は、「あなた=世界」が存在するという前提のないところで起きる。一緒に暮らしていると、そういう心の動きを体験できなくなってしまう。
古代人は、「あなた=世界」にときめく心を取り戻そうとして「みそぎ」をした。それは、「世界が存在するという前提(=志向性)」を持たない、ということだ。
離婚することは、ひとつの「みそぎ」だろう。それが必要な人は、すればいい。
お願いだから、「志向性」などというまとわりつきまとわりつかれる心を止揚するような言い方をしないでくれ。いや、したければしてもいいのだけれど、僕はそんなくだらない言説はぜったい認めない。
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「せせらぎ」という川の流れは、「志向性」というまとわりつきまとわりつかれる心を洗い流して「みそぎ」を体験させてくれる。
それは、「志向性」というどんな「意味」も「意図」もなく、ただもうあるがままに粛々と流れている。
川が「流れてゆく」ということに、どんな意味も意図もない。ただもう、あたりまえのように流れている。
心にまとわりつくものを抱えている「私」は、その自然に置き去りにされている。
いやされるとは、「自然に置き去りにされている」と「反応」している心の動きのことだ。そうやって、自然にたいしてひざまずいてゆく心の動きが起きている。
そうして、自分の中のまとわりつきまとわりつかれている心が洗い流されてゆくような心地になっている。
それは、まとわりつきまとわりつかれていることに対する「なげき」を抱えている人の心の動きである。
停滞しそうになってなげいている心は、「流れている」という、その、意味も意図もない全き必然性にひざまずくように同化してゆく。
「いやされる」心地は、「なげき」の深さのぶんだけもたらされる。
女は、存在そのものにおいてそういう「なげき」を抱えているから、すんなりとこのような体験ができる。
しかし男は、どうしてもそこに「無常」という「意味」を付与してゆきたがる。「意味」を付与しようとするその鈍感な「志向性」というスケベ根性が、この社会をややこしいものにしている。
女子供や古代人の、直截な、「意味」以前の体験のことを、小林秀雄は、たしか「全的な認識」というような言い方をしていた。
「流れている=動いている」という現象を体ごと感じることは、「永遠」と出会うことではもちろんない。そういう体験をしてしまったものにはもう、「いまここ」しかない。
「流れている=動いている」という「いまここ」、それは、一瞬一瞬生起し、一瞬一瞬消えてゆく。
「永遠」なんかどこにもない。
「せせらぎ」の声を聞きながら、眺めながら、心は、まとわりつくものが何もない「いまここ」にひたされ、流されていっている。
ここにはもう、未来も過去もない。「存在する」というあらゆる「前提」がない。
古代人の心の、その「喪失感」という名の「解放感」は、「志向性」などとほざいているあの連中ののうてんきな「哲学」とやらとは無縁のものだ。