原始人の首飾り・ネアンデルタール人論62

 原始人の生、すなわち人類の普遍的な生のいとなみの基礎=自然は、「未来に対する計画性」すなわち「生き延びるため」のものではない。人は、誰もがどこかしらに「もう死んでもいい」という無意識の感慨を持っている。生きてあることはそれほどにいたたまれないことだし、心はそこから華やいでゆく。
原始人は、未来に向かって生き延びることに「無能」であったそのぶんだけ、目の前の「今ここ」に対するときめきが豊かだった。それが猿よりも弱い猿だった人類の歴史であり、そこにこそ人間的な知性や感性の源泉がある。生きてあることがいたたまれないものであるからこそ、豊かなときめきが生まれてくる。そしてそこにおいてわれわれは「死者の尊厳」を思っている。ネアンデルタール人は、そうやって「埋葬」という習俗を持つようになっていった。「死んだら天国にゆく」とか「生まれ変わる」とか「死者と対話する」とか、そういう問題ではない。「死者の尊厳」は、もう生きることをしないでもすむ存在になっている、ということにある。「死者の尊厳」を思うことは、生きてあることのいたたまれなさを思うことであり、さらにいえば、生きてあることの卑しさや罪深さを思うことです。
生き延びることがそんなに大切で素晴らしいことであるのなら、死はただのけがらわしいものでしかない。生き延びようとする欲望が盛んな現代人は心の底のどこかしらでそういう思い方をしているのだが、しかしそれでも人間であるなら一方で「死者の尊厳」を思わずにいられないわけで、そういう自己矛盾を取り繕い正当化するための方便として、「死んだら天国にゆく」とか「生まれ変わる」とか「死者と対話する」というような物語をつくり上げている。まあそういうことを信じたい人は信じればいいけど、そういう思い方が人間性の自然だとはいえない。それは、文明社会の制度的な観念のはたらきにすぎないわけで、原始人はそんなふうにして「埋葬」という習俗をはじめたのではない。原始時代に霊魂とか天国というような概念はなかった。彼らはもっと純粋に「死者の尊厳」を思っていたし、その思いの痕跡はわれわれの中にもある。
人類は、生きてあることのいたたまれなさから「死者の尊厳」を思うようになっていった。それだけのことです。「死者の尊厳」を思わずにいられないほどに、生きてあることがいたたまれなかった。氷河期の極北の地に住み着いていたネアンデルタール人は、そういう心模様の極限を生きていたのであり、そこから「埋葬」という習俗が生まれてきた。そしてその心模様は人間なら誰でも持っているわけで、その習俗はたちまち世界中に伝播していった。アフリカにも、です。
世の凡庸な人類学者たちは、そのころヨーロッパのネアンデルタール人よりもアフリカのホモ・サピエンスのほうが知能が高ったなどと安易に合唱しているが、そんなはずがないし、べつに知能の高さが埋葬をはじめとする人類の文化の起源の契機になったのではない。
猿よりも弱い猿として歴史をはじめた人類は、その生きてあることのいたたたまれなさとともに、猿よりもはるかに深く豊かに世界や他者にときめいてゆく心模様を持つようになっていった。そこから人間的な知性や感性が育ってゆき、人間的な文化を生み出してきた。


 人類の首飾りは10万年前くらいのアフリカが起源だといわれている。
 しかし最近の考古学の発掘調査では、同じころのネアンデルタール人も首飾りをしていたということがわかってきた。
 では、どちらが先にそれをはじめたか?
 置換説の研究者はアフリカのホモ・サピエンスのほうが知能が発達していたと信じて疑わないから、とうぜんアフリカが起源だと主張しているわけだが、人はなぜ首飾りをするようになったかという問題は、彼らのいう「知能が発達したから」とか「象徴思考をするようになったから」とか、そんな安易な問題設定では説明がつかないし、まずそのことが問われなければならない。
 また、どちらで出土した首飾りのほうが古いか、ということだけで結論が出るわけでもない。この先もっと古い首飾りがどちらかで出土してくるかもしれない。
 アフリカ以外でもっと古い人類の骨は中央アジアのドマニシ共和国の遺跡で発掘された180万年前のものだといわれているが、だからといって人類がアフリカの外に拡散していったのがそのころだという証拠にはならない。パキスタンから200万年前の石器が発掘されたという情報もあるし、もっと古い石器がどこかから発掘される可能性がないともいえない。
 けっきょく、人類はどのようにして拡散していったのか、どのようにして石器を使うようになったのか、どのようにして首飾りをするようになったのか、という基礎的な問いからはじめるしかない。
 多くの人類学者は、人類はみずからの身体を飾って人に見せるための道具として生まれてきた、と考えている。つまりその首飾りは、自分の身体の価値(あるいは美しさ)を象徴するものだった、というわけです。しかしそれは現代社会の女たちのよくある発想であって、原始人も同じだったかどうかはわからない。現代人だって、それによって自分の心が安定・安心するからという理由でつけている場合も多い。だから、欧米人やアマゾンやアフリカの未開人は、男でもそれをつける。古代や原始時代は、世界中の男がそれをつけていた。
 人類の首飾りをつけようとする衝動は、「みずからの身体を飾るため」という論理だけでは説明がつかない。
 また「社会的な身分を象徴するものとして」とか、「みずからの集団への帰属意識を象徴するものとして」などという説明もあるが、10万年前の原始社会に「社会的な身分」などあったはずもないだろうし、「集団のアイデンティティ」などというものも文明社会になってから生まれてきたものです。だいいちそれは、「どんな首飾りをするか」という二次的な問題であって、「なぜ首飾りをするか」という起源の問題ではない。
原始時代の人類集団に「集団のアイデンティティ」などなく、つねに流動的だったからこそ、人類拡散が起きたのです。置換説の論者たちだって、アフリカを出るものと残るものがいた、といっているわけで、流動的でなければ彼らのいう「大量のアフリカ人がヨーロッパにやってきた」ということは起きないでしょう。
 人類拡散が起きたということは、人類は集団に対する帰属意識など持っていなかったということです。そして、それでも首飾りをつけるようになっていった。
 人が首飾りをつけたがることには、生きてあることに対する実存的な問題が潜んでいる。生きてあることのいたたまれなさをどうやってなだめてゆくかという問題です。そうやって人は、首飾りをつけることによって安心している。ヨーロッパ人が十字架の首飾りををするのは、まさにその心の安定・安心のためでしょう。彼らは、ネアンデルタール人以来の歴史の無意識として、生きてあることに対するいたたまれなさを深く抱え込んでいる。生活苦があろうとあるまいと、身分が高かろうと低かろうと、誰もが実存の問題として生きてあることのいたたまれなさを抱え込んでいる。ヨーロッパ人であれアフリカ人であれ、人間なら誰だってそのいたたまれなさを抱え込んでいる。そこから首飾りをつけるという習俗が生まれてきた。


 もともと衣装は、身体を隠すものとして生まれてきた。
 人は、根源において、身体を見せようとする衝動は持っていない。
 人類の二本の足で立つ姿勢は、避けがたく身体の居心地の悪さを意識させられる。それは、とても不安定なうえに、胸・腹・性器等の急所を外にさらしてしまって攻撃されたらひとたまりもない。したがって人はもう、本能的に見られることに居心地の悪さ覚える。だから裸でいられないのだが、同時に前に倒れやすいその姿勢は、他者と向き合っていることによって、他者の身体が心理的な壁になって安定する。攻撃されたらひとたまりもないのだから当然逃げようとする衝動もはたらいているのだが、同時に無防備になって向き合いときめいてゆくことによって安定する。その二律背反の上に人類の二本の足で立つという姿勢が成り立っているわけで、その二律背反の居心地の悪さを克服する装置として衣装が機能している。見られることは居心地の悪いことだが、衣装によってその居心地の悪さに耐えることができる。見られたくはないが、見られていないと生きられない、それが人類の二本の足で立つ姿勢です。
 衣装も首飾りも、見せるためのものではないが、見られることに耐えながら向き合い見つめ合ってゆくための装置になっている。それは、見せるためのものではなく、見つめてときめいてゆくための装置なのです。人は、世界や他者とそういう関係で存在している。まあ、隠しながら、見せている。見せながら隠している。
首飾りはおそらく、未開人のボディペイントやペニスケースと同様、衣装の前段階の衣装です。起源としての衣装、それは確かに身体を飾って見せているのだが、ほんらいの機能は、見られることに耐えながら見つめてゆくことにある。
人類にとっての身体は居心地の悪さを覚える対象であり見られたいわけではないが、他者の身体と向き合い他者の身体を見つめていないと生きられない。つまり衣装は、身体の居心地の悪さを悪さを忘れ、意識を世界や他者に向けてゆくための装置として生まれてきた。首飾りをつけることには、そういう安心とときめきをもたらす効果がある。
現代人の首飾りなど衣装の下に隠れていることも多い。それでもそれをつけずにいられないのは、とうぜん見せるためではなく、それによって身体の居心地の悪さを忘れていられるからでしょう。そしてそれは、きわめて原始的な身体感覚であると同時に、人類普遍の実存感覚でもある。
身体の居心地の悪さ、すなわち生きてあることのいたたまれなさ、それが人類に首飾りをつけさせた。
であれば、ヨーロッパのネアンデルタール人とアフリカのホモ・サピエンスのどちらが先に首飾りをつけはじめたのかという問題は、証拠がないのだから決めつけることはできないが、氷河期の北ヨーロッパで暮らしながら身体の居心地の悪さの悪さや生きてあることのいたたまれなさをより深く抱え込んでいたネアンデルタール人のほうにその習俗が生まれてくる契機が豊かにそなわっていたといえなくもない。


そしてこれは、首飾りの起源だけの問題ではない。文化の起源そのものの問題です。生きてあることのいたたまれなさから人類の文化が生まれ育ってきた。
たとえば世の俗説においては、言葉の本質的な機能は「意味の伝達」にあるというが、それは現代的な自我による自分を見せようとする衝動でしょう。原始人には、そんな衝動は希薄だった。そのとき彼らは、あらかじめ言葉と意味をつなげて思い浮かべながらその音声を発したのではなく、思わず発してしまっただけです。その音声に「生き延びる=伝達する」ことができる「意味=価値」を作為的に付与していったのではないし、それを示そうとしたのでもない。ただもう、発せられたあとからその音声にこめられた感慨のあや(ニュアンス)に気づいていっただけです。その音声に感慨のあやを付与したのではない。感慨のあやがその音声を生み出した。その音声を発しようとしたのではない。発してしまっただけです。発せずにいられなかっただけです。
原始人の首飾りにも言葉にも、見せようとか伝達しようという「作為」などなかった。
 人は、生き延びようとする「作為」によって生きてあるのではなく、すでに生きてしまっているのであり、その生きてあることのいたたまれなさからせきたてられながら「せずにいられない」ことをしているだけでしょう。
 みんな、「こうしか生きられない」というかたちで生きている。
 人類は、生き延びるための道具として作為的に言葉を生み出したのではない。ときめいて思わずその言葉=音声を発してしまっただけです。首飾りだって同じで、起源においては、見せようとする作為など何もなかった。


まあ、ここで「直立二足歩行の起源」や「貨幣=首飾りの起源」を書いても、「そんなことにこだわっているなんてよほどの閑人(ひまじん)だな」という感想を持たれるかもしれない。彼らは、人間であることの喫緊の問題は生き延びるための方法を追求することにある、と思っているらしく、そうやって実用書やハウツー本が売れたり、「生活者の思想」が称揚されたり、衣食住のことに執着して自慢し合ったりしている世の中になっていて、今どき人間であることの本質や自然を問おうとすることなんかよほどの閑人か学者のすることだ、ということになる。
 そんなことは学者にまかせておけばいい、という。
 そうでしょうか。学者にまかせておいても、ろくな解釈が提出されてこないじゃないですか。マルクスヘーゲルレヴィ=ストロースを読めばぜんぶ答えが出ているというわけではないのです。
 そういう本質的な問題にこだわって考えるのは、ひとつの「学問をする」という態度かもしれない。だからかれらは「そんなことは学者にまかせておけばいい」というわけだが、それをいった時点で彼らはすでに「学問」を放棄している。人いちばい知ったかぶりをして知識を自慢してくるくせに、彼らの脳味噌こそ、思考停止という暇を持て余して退屈しきっている。
 人類が世界や他者にときめいてゆく存在だということは、「学問」は学者だけのものではなく、人が生きてあるかたちそのものがすでに「学問」であり「芸術」なのだということです。それは、生き延びるための方法論ではない。
 今どきの大人たちは、自分を忘れて世界や他者にときめいてゆくという心模様が希薄で、ひたすら自分が生き延びる方法論を追い求めている。他者に対する関心よりも自分に対する関心・愛着が先行している。それが現代人の、現代社会の制度性にからめとられてしまった「自我」という意識の正体なのでしょう。
 学問や芸術なんて学者や芸術にまかせておけばいい、などと居直ってもせんないことです。それで魅力的な人間になれるわけでも、豊かな知性や感性を持てるわけでもないし、しまいにはボケ老人になってしまうのが落ちです。
人間にとっては、生きてあることそれ自体が、学問であり、芸術なのです。
 学者や芸術家であろうとなかろうと、世界や他者に対する「ときめき」が豊かな人はみな学者であり芸術家なのです。彼らは、うまく生きてゆく方法よりも、この世界の真実や本質を知りたがっている。生きていれば誰だってそれが知りたくなるし、大人になると、すでに知っているつもりのいい方ばかりするようにもなる。しかし「すでに知っている」ということは、その先はもう何も考える必要がない、ということです。そうやって大人たちは思考停止してゆく。いったいあなたたちが何を知っているというのか。ただもう通俗的でジャンクな情報を知識としてため込んでいるだけのくせに「すでに知っている」つもりでいる。それは、何も知ろうとしていないことと同義なのです。彼らは、この世界の真実や本質を問うことはしない、「すでに知っている」つもりでいる。なぜなら「すでに知っている」つもりでいることがうまく生きてゆくための最善の方法だからです。


 幼児が口癖のように「なあに?」と何度も何度も問うてくるとき、彼らこの世界の真実や本質を問うている。だからわれわれは思わず答えに窮して口ごもってしまったりする。みずからが「すでに知っている」つもりになって抱え込んでいる通俗的でジャンクな情報や知識をあらためて問い直してみると、それらのどこにも答えがないことを思い知らされる。
 この世界の真実や本質を知ろうとするのは、人間の本能のようなものです。なのに大人になると、貨幣の本質を知ることよりも、そんなことは「すでに知っている」つもりになって、たくさんお金を稼ぎたくさん持っていることばかりに関心が向いてゆく。お金をたくさん稼ぎたくさん持っていることが、お金のことを知っていることになる。もう、幼児のように「お金とは何だろう?」と問うことはしない。
 幼児はつねに「本質」を問うている。そして大人になってゆくと、その問いを忘れてゆく。問わないでも「すでに知っている」つもりになってゆく。本質を問うことなど学者や芸術家にまかせ、そこから下りてくる情報を知識としてコピペしてゆけばいい、という態度になってゆく。
 今どきのこの社会では、幼児の「なあに?」という問いを大人になっても持ち続けてゆくことは、けっしてかんたんなことではないのか。大人にとっては、貨幣の起源や本質を問うことよりも、貨幣をたくさん持っていることの方に価値があり、生きることの真実がある。
 しかし幼児に「その本質は何か?」という問いを突き付けられて「そんなことは知らなくてもいい」と居直り怒り出したりしながらも、そのときどこかしらで人間というのは本質を知ろうとする存在だということにあらためて気づかされている。
 学者や芸術家であろうとあるまいと、人間は本質を知ろうとしている存在なのです。
 人類に言葉が生まれてきたのは、思わず発したその「音声」のニュアンスの本質に無意識のうちに気づいていったからです。そこに、たんなる「意味」を超えたさまざまな心模様のあや=ニュアンスがこめられていることに気づいていった。人類の言葉の本質は「意味」にあるのではなく、「意味」を超えた豊かなニュアンスを持っていることにある。言葉の本質が、「意味」だけですむはずがない。
 たとえば、やまとことばの「はし」の語源=本質は、「危なっかしい」というニュアンスにある。「橋」も「箸」も「端」も「嘴」も、すべてそういうニュアンスの上に成り立っている。上る「はしご」も病気の「はしか」も体の動きの「走る」も、すべて「危なっかしい」ものだからです。「はし」という言葉の本質は「危なっかしい」というニュアンスにある。それらの言葉は、その語源において、それぞれの橋・箸・端・嘴という具体的な意味を超えた「危なっかしい」というニュアンスを共有しているわけで、原初の日本人は、無意識のうちにその「本質」に気づいていった。それはまぎれもなく学問的芸術的な態度のはずで、その「気づき」がなければ人類の言葉なんか生まれ育ってこなかった。
人間にとって、生きてあることそれ自体が学問であり芸術なのです。
 人間なら誰だって、学問や芸術をして生きている。
 だからわれわれは、今どきの思考停止した大人たちのように、学者や芸術家にコンプレックスを抱く必要も、ありがたがってひれ伏してゆく必要もない。
 そして生きることに無能だからといっても、それはもうしょうがないことです。無能であるのはいたたまれないことではあるが、そこにこそ人間的な知性や感性の源泉がある。人は、そこから世界や他者にときめいてゆく。


 人間が何もしないで生きていられるはずがない。生きることに有能なものたちは「しなければならない目的」を掲げて生きてゆく。それに対して無能なものたちは「せずにいられないこと」をする。人間的な知性や感性は「せずにいらない」ところから活性化してゆく。現代人の脳のはたらきは、「しなければならない目的」に縛られながら停滞し、やがて自滅してゆく。生きてあることに有能であるためには、しなければならないことがたくさんある。しなければならないことを何も持っていなければ無能であるほかないが、そこにこそ「せずにいられないこと」にせきたてられてゆくダイナミズムが生まれてくる契機が潜んでいる。
 まあ人類の文化のイノベーションは「せずにいられないこと」にせきたてられながら生まれてきたのであって、「しなければならない目的」に執着していった結果ではない。「しなければならないこと」すなわち「意味」に対する執着が知性や感性を停滞させる。生きることに「意味」なんかない。「生きてある」という「事実」があるだけです。その「事実」にときめいてゆくのが知性や感性であり、学問や芸術なのではないでしょうか。
 文明人の思考は「意味」の世界に幽閉されてある。
 学問や芸術は、「意味」なんか問うていない。ただもう目の前の「事実」を問うているだけです。「意味」にときめいているのではない。「事実」にときめいているだけです。
 原始人だって、そこにそれが存在するという「事実」にときめいていたのであって、「意味」に執着していたのではない。彼らが首飾りをつけはじめた契機に「集団のアイデンティティ」などという「意味」に対する執着などなかった。身体の価値(美しさ)という「意味」に対する執着もなかった。
原始人、ことに氷河期の北ヨーロッパを生きたネアンデルタール人にとっては、この生も身体も執着するべき「意味」など持たない「いたたまれない」ものだったのであり、彼らの首飾りは、そこからの解放として目の前の環境世界や他者にときめいてゆく装置だった。そして、彼らがときめいてゆくのに、世界や他者が美しいとかの「意味」を持つ必要など何もなかった。存在それ自体にときめいていった。そこには、身体すなわちこの生が存在するという「事実」と、目の前に環境世界や他者が存在するという「事実」との対照があっただけであり、心は両者のはざまにおいてときめいていた。「意味」などというものに心を動かされていたのではない、「存在する」という「事実」こそが彼らの心がときめくために必要でじゅうぶんな条件だった。それほどに彼らの「身体=この生」はいたたまれないものだったのであり、そのとき首飾りは、意識を「身体=この生」から引きはがす装置になった。
 もしも彼らに、身体やこの生そして環境世界や他者が存在することの「意味」に対する執着があったのなら、心はそのまま直接両者に憑依してゆけばいいだけで、首飾りなど必要ない。しかし彼らは、心が両者のはざまでときめいていることの形見として首飾りをつけずにいられなかった。何はさておいてもまず意識を「身体=この生」から引きはがさないことには世界や他者にときめいてゆくことはできなかったし、首飾りは引きはがしてくれる効果を持っていた。
人類の「衣装」は身体と環境世界のはざまに存在し、その機能の本質は、意識を身体から引きはがすことにある。人類にとって生きてあるのはいたたまれないことであり、意識が身体=この生に張り付いているのは居心地の悪いことなのです。そのいたたまれなさ=居心地の悪さから、自然に衣装をまとうようになっていった。衣装をまとわねばならない「目的」があったのではない。衣装をまとわずにいられなかった。まとわずにいられない「理由」があった。人類の身体は、生きることに無能であった。人類が生きられるはずのない氷河期の極北の地に置かれていたネアンデルタール人はその「無能性」の極限を生きた人々であり、彼らには「衣装=首飾り」をまとわずにいられない「理由」があった。


人類学者は「首飾りの起源は、知能の発達とともに首飾りに<意味>を付与していったことにある」などというが、そいうことではない。首飾りをつけないではいられなかっただけです。「意味」なんか何も意識しなかったが、それによって心が安心・安定した。それだけのことです。それだけのことでなければ「起源」の契機にはならない。ただなんとなく、いつの間にかそういう習俗になっていった。「知能の発達」などということは、その「結果」としてもたらされたにすぎない。
「言葉を生み出そうとして言葉が生まれてきた」だなんて、それだったら、言葉が生まれる前から言葉のことを知っていたということになる。それは、論理矛盾です。言葉が生まれてきたから言葉のことを知っただけです。起源においては、言葉のなんたるかなど何も知らないままその言葉のようなニュアンスを持った音声を交し合っていた。たがいの身体のあいだの「空間=すきま」にそうした音声があることそれ自体にときめき合っていたのであって、「意味」なんか意識していなかった。であったときに「やあ」とか「王」といってときめき合っていった。それだけのこと。しかしそれだけのことが、猿には永遠にできないのです。その「ときめき合う」という人間的な体験が言葉を育てていったのであり、それは「意味を伝達し合う」などという体験ではなかった。まずはそういう無意識的なときめき合う体験の長い長い歴史があり、その果てにようやく「意味を伝達する」という現代的な機能が生まれてきたにすぎない。
 原初の言葉は、人と人の他愛なくときめき合う関係をもたらした、それだけのことです。人が生き延びるためのアイテムとして機能していたのではない。生き延びようとして言葉を生み出したのではない。
 お願いだから、そんな合目的的な論理で「文化の起源」を語るのはやめにしていただきたい。今どきの学者も含めた人類学フリークたちは、そんなことばかり合唱している。それは、人類史の真実ではない。


 言葉の起源であれ首飾りの起源であれ、「目的」などなかった。もしかしたらそれらは、子供たちのあいだから生まれてきたのかもしれないのですよ。
 子供や若者は大人よりも生きることに「無能」な存在であり、よりラディカルに生きてあることのいたたまれなさを抱えている。そして、大人よりも無意識的な存在である。彼らは大人たちのような「しなければならないこと」に対する執着は薄く、無意識的な「せずにいられないこと」に対する衝動をより豊かに持っている。
 原始人の首飾りだって、ただもうつけずにいられなかっただけです。その契機は、子供や若者のほうが豊かに持っている。彼らのほうが、人間としての生きてあることに対するいたたまれなさをより深くラディカルに抱えて生きている。原始人もまたそういう心模様とともに「身体=この生」のことなど忘れてきらきら光る首飾りにときめき、世界や他者にときめいていった。そのとき首飾りは、世界や他者にときめいていることの形見だった。それは、生きてゆくことに「無能」な存在の「もう死んでもいい」という無意識の感慨とともにあった。その感慨とともに、首飾りをよりどころにしながら意識を「身体=この生」から引きはがし、世界や他者にときめいていった。
 そのとき氷河期の北ヨーロッパで生きてあることのいたたまれなさの極限を生きていたネアンデルタール人は、そのいたたまれなさを忘れてゆくよりどころとして首飾りをつけずにいられなかったし、つけることによって、より豊かに他愛なく人と人がときめき合う社会になっていった。そして、子供や若者たちがそういう社会をつくっていったともいえる。子供や若者たちがやがて大人になって新しい時代が生まれてくる。大人になれば子供や若者であったころの心模様をしだいに失ってゆくが、それでも、前の時代の大人たちとはすこし違う。そうやって時代は変わってゆく。それにネアンデルタール人のほとんどは30数年の寿命しかなかったわけで、彼らは、子供や若者であったときの痕跡が残っているあいだに死んでいった。
「老いては子に従え」などといったりするが、それができるのは子供や若者であったときの痕跡を残している大人であって、今どきの大人たちは逆に、子供や若者を自分の都合のいいようにつくりかえようとする。まあ、そうやって世の中が閉塞的な状況になっているのでしょう。今どきの大人たちは長生きしていつまでも元気で、子供や若者であったときの痕跡がすっかり消えてしまってもまだ社会の主導権を握っている。そうして、子供や若者のうちから子供や若者らしい「無能性」を失い、すでに生きることに有能になってしまっていたりする時代になってきた。
 平和で豊かな時代だから、「生きてあることのいたたまれなさ」を大人も子供もあまり実感できなくなっているのかもしれない。実感しないのが理想であるかのような社会的合意もある。まあそうやって大人がのさばっているというか、大人の観念的作為的な論理が優勢な社会になっている。そうしてそんな社会に思考を汚染された凡庸な人類学者たちは「人類の文化は生き延びるための装置として進化発展してきた」などと合唱している。


10

 人間は長く生きれば生きるほど人間として完成されてゆくだなんて、死の恐怖を抱え込んで悪あがきしている大人たちによるただの幻想です。
 人間であることの本質・自然、すなわち人間的な知性や感性のダイナミズムは、生きることに無能である子供や若者たちのもとにある。その人間的な「生きにくさを生きる」ところから、人類史の文化のイノベーションが起きてきた。
 おそらく人類の首飾りの起源は、子供や若者たちのところから起きてきた。小さな子供が花の首飾りをつくって喜んでいるのは、自分の身体を飾るためでも集団への帰属意識の表現でもない。ただもうその首飾りにときめいているだけであり、それをつければ世界が輝いて見えることを無意識のうちに体験している。その体験にこそ、人類の首飾りの起源の契機がある。
 原始人のきらきら光る石ころや貝殻の首飾りは、世界が輝いて見えることの形見だった。彼らにとっては、その体験こそが生き延びることよりももっと大切だった。人類史の貨幣価値の起源は、その体験にある。そうやってきらきら光る金銀宝石が、衣食住のための「物」よりももっと価値ある対象になってきた。
 人類最初の本格的な貨幣は、きらきら光る金銀宝石の代替として生まれてきた。そうやって文明社会の金貨が生まれてきたのだろうし、いまだに金が貨幣価値の基準になっている。
 生きることに「無能」である人類にとっては、生き延びることの根拠である衣食住のため「物」よりも、世界に対するときめきの形見であるとと同時に世界が消えてゆく現象を象徴する「きらきら光るもの」のほうがもっと価値がある。それはもう、原始人であろうと現代人であろうと、人類普遍の心模様であるのでしょう。
 生き延びようとあくせくしている大人たちと違って子供や若者たちは、目の前の「今ここ」の世界や他者にときめいてゆく体験をよりどころにして生きているわけで、そこにこそ人間性の自然・本質がある。その体験とともに人類史の文化のイノベーションが起きてきた。
 大人や老人たちの生き延びようとする知恵や知能や欲望が人類の歴史をつくってきたのではない。そんな思考はただの妄想であり幻想にすぎない。「人類の知能の本質は未来に対する計画性にある」だなんて、笑わせてくれる。「今ここ」の目の前の世界や他者にときめき反応してゆくことができる心の動きを持てなくて、何が人間なものか。そういう心の動きの形見として人類は、きらきら光るものに魅入られていったのです。
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