物々交換の起源(3)・ネアンデルタール人論61

「貨幣」はもともと生き延びるための道具だったのではない。人間存在の普遍的な「もう死んでもいい」という無意識の感慨から生まれてきた。
 原始時代に生き延びるための物々交換という行為などなかった。自分が生き延びることなど忘れて他者にときめき他者を生かそうとしてゆく「捧げもの」の行為があっただけです。そういう心模様や行動習性なしに人類という猿よりも弱い猿が生き残ってくることなどありえなかったし、その心模様や行動習性が人類集団のダイナミズムになっていった。
 はじめに「貨幣」があった。「物々交換」はそのあとの文明社会になって生き延びようとする欲望が膨らんできたことにって生み出されていった。「物」の代替として「貨幣」が生まれてきたのではなく、「貨幣」の代替として「物」を差し出し合っていったのです。そしてそれは最初、厳密には「交換」という行為ではなく、たがいに「捧げもの=プレゼント」として差し出し合っていっただけです。「ときめき」の形見として、自分の大切なものをたがいの身体のあいだの「空間=すきま」差し出し合っていった。
 生き延びるための便宜としてたがいの不用になったものを交換し合うという行為は、文明社会になってから生まれてきた。そして不要な物だからこそそこに「貨幣」という価値を置く必要が生まれてきたし、「貨幣」に対する「愛着=価値意識」があったからこそ、その不要な物に「価値」を与えることができた。自分にとって生き延びるために必要な物ではなくても相手にとっては必要だと思うとき、たがいに生き延びようとする欲望を抱いているということが合意されている。
 しかし少なくとも氷河期のネアンデルタール人クロマニヨン人は、生き延びようとする欲望を持つことができない苛酷な環境に置かれていた。そしてその「もう死んでもいい」という無意識の感慨から誰もがけんめいに他者を生かそうとしている社会だった。そこから、ビーズの玉という「貨幣」が生まれてきた。そしてそれに衣食住のための「物」よりも上位の価値を置くということは、ひとつの「小さな死」の体験だった。


 きらきら光る石ころや貝殻の、人類の「貨幣」による交換の起源においては、交換の対象である衣食住のための「物」よりも「貨幣」のほうに上位の価値があった。「等価交換」だったのではない。その「貨幣」に比べれば衣食住のための「物」など無価値に等しかったからこそ、受け取ったそれが「私有財産」になっていった。
 文明社会における本格的な「貨幣」の発生においても、まず「貨幣」のほうに上位の価値があったはずです。
 人類最初の本格的な貨幣は、もちろん丸いコインにあるのでしょう。古代のエジプトとかメソポタミアとかギリシャとかローマとか、王が臣下に下されるものとして発生してきた。そのとき臣下は王に捧げものをしたり忠誠を誓ったりする。あるいは、戦争で目覚ましい働きをすれば、恩賞が与えられる。
 王は「物」は与えない。恩賞という「価値」を与える。一方的に「物」を受け取る、あるいは搾取する。しかしその返礼として王の権威を象徴する「価値」を与える。それが、コインだったのでしょう。だから、それには王の横顔が刻まれた。そのコインによって、王の代わりに地域を支配する権利というかその土地を所有する権利がが与えられた。古代の中国や大和王朝では、銅鏡や剣が下賜されたりした。それは、直接的には衣食住の「物」ではなかったが、それを獲得する(収奪する)ことのできる王のお墨付きだった。そのようにしてやがてコインで「物」が買える仕組みになっていったのでしょう。そのコイン=貨幣の「価値」は王の権威によってもたらされたものであり、衣食住のための「物」よりも上位の価値があった。
 人々にとって王は別世界の神のような存在であり、つまり「死者の尊厳」を体現する存在だった、ということです。人類普遍の「死者の尊厳」を思う心が、やがて「王の尊厳』という「権威=価値」になっていった。王は死者と同じで生きることに無能な存在であり、だから生きるための衣食住の「物」は与えない、「権威=価値」を与える。
 人類の「死者の尊厳」を思う心が「貨幣」の「価値」をもたらした。本格的な貨幣の歴史は、文明社会に「王」という存在が誕生したところからはじまっている。
 そのとき「王」は、「死者の尊厳」を体現する存在だった。
 インディアンの族長がみんなの前で自分の財産を全部壊してしまうことだって、それによって「死者の尊厳」を獲得する行為だったのでしょう。


 ともあれ、原始社会には、一方的な「贈りもの」の習俗があっただけです。その習俗がきわまって、死者の埋葬に大切なビーズの玉を添えるようになっていった。それは「死者の尊厳」に対する「捧げもの」だったのであって、死者がそれによって天国に行くとか行かないというような話ではない。あくまでも生き残ったものたちのかなしみの形見であり、一方的な「捧げもの」だったし、死者が何を返してくれるわけでもない。死者とのあいだに「交換」など成り立たない。「死者の霊が集団を守ってくれる」とか、原始人にはそのような現代的な損得勘定の観念などなかった。ただもう、死者とのあいだの「空間=すきま」にそうした「かなしみ=愛着」の形見を置かずにいられなかった。
 貨幣だって、人と人のあいだの「空間=すきま」に置かれることによって「価値」が発生する。その「空間=すきま」は、人が人にときめいていることの形見というか、それを担保にしてときめいてゆくのです。
 生きているものと死者とのあいだには、決定的な「空間=すきま」が横たわっている。そこに、死者の尊厳がある。究極の「空間=すきま」、その尊厳。それが貨幣の起源をもたらした。
 人類においては、衣食住のための「物」よりも「ときめきの形見」のほうが価値があるのであり、そうやって「貨幣」が生まれてきた。
 物々交換の代替として貨幣が生まれてきたのではない。貨幣のほうが価値が上位であり、貨幣で物が買える習俗があったから、そのバリエーションとして物々交換が発想されていったにすぎない。
 物々交換の最初は、ひとまず一方的な贈り物としてたがいのあいだの「空間=すきま」の場所に黙ってそれ(商品)を置いていっただけだった。そういうことがあれば、受け取る側だって、やがてそれにこたえて同じようなことをするようになってくる。それはあくまで一方的な無償の行為であり、その行為に対するときめきが、やがて「交換」になっていった。
 最初から損得勘定を駆引きする「交換」だったのではない。起源においては「ときめき合う」という関係がその行為を成り立たせていた。一方的にときめいて一方的に「贈りもの=捧げもの」をしてゆく。現代においてもそういうことができる人は魅力的だし、人と人の関係の本質・自然は、あくまで一方的ときめいてゆき、ときめき合っているだけではないでしょうか。そこには、一体化することのできない「空間=すきま」が横たわっている。その超えがたい「空間=すきま」こそがときめく心をもたらす。その「ときめく」という「飛躍」の心模様が人間性の基礎であり究極のかたちであり、そこから人間的な知性や感性が生まれ育ってくる。


原始人は、物々交換などしていなかった。それは、文明の発生以後に生まれてきた習俗にすぎない。世界的な集団的置換説の提唱者であるストリンガーの著書を読むと、ネアンデルタール人クロマニヨン人などの原始社会の暮らしを説明するのに「共同体」や「交易」などという概念をいとも無造作に使いまくっているし、現在のこの国の研究者以下の古人類学フリークたちも当たり前のようにそれを信じて合唱している。
もう、やめてくれよと思う。そんな安直な思考ですませていたら、いつまでたっても原始人の暮らしや人間性の自然・本質に迫れない。
 極東の島国である日本列島は、世界でもっとも文明の洗礼を受けるのが遅れた地域の一つです。文字や国家を持つのが、中後大陸よりも何千年も遅かった。しかしそのあいだに、原始的な文化をそのまま発達洗練させてきた。そこに、日本文化の独自性というか風変わりなところがある。まあ、オリジナルというより、原始的なのです。
 人類の遺伝子や観念(文化)は、たちまち世界中に伝播していってしまう。日本列島は、地理的な条件として、アフリカやアマゾンの未開の地よりももっと文明の洗礼を受けるのが遅かったし、遅かったからまるごと文明的な観念に染まってしまうこともなかった。
 たとえば「神」とか「霊魂」という概念が世界でいちばん定着していないのは、日本列島でしょう。世界の最先進地域の欧米人も、アマゾンやアフリカの未開人も、日本人よりももっと確かにそれを意識している。
 まあ世界中の未開人が現在の日本人よりももっと確かにそれを意識しているから日本列島の古代人や縄文人ももっと確かに意識していたはずだと歴史家は考えているのだが、おそらく文明の洗礼を受けて間もない古代人や文明の洗礼を受ける前の縄文人は、現在の日本人よりももっとその意識があいまいだったはずです。
 縄文人は、神も霊魂も知らなかった。そう考えないことには、現在の日本人神や霊魂のことをじつにいいかげんに考えていることの説明はつかないはずです。
 5千年前の日本人が古代のエジプトやメソポタミアと同じように神や霊魂の存在を信じていたら、日本列島もまた同じような歴史を歩み、同じような世界観や生命観の文化になっていたはずです。
 なぜ日本列島の文化が風変りかといえば、文明の基礎となっている世界観や生命観があいまいで、今なおどこか原始的であるからです。
 日本人は、村と村のあいだの峠での原始的な「沈黙交易」を明治・大正の時代になってもまだやっていたのであり、たとえば「口に出していわなくても察し合うことができるのがほんとの人と人の関係だ」といったりするのも、まあそうした「沈黙交易」のタッチの心模様からきているのでしょう。
 日本人は、損得勘定で交換したり他者を説得したりすることに対する戸惑いやはにかみがある。それは生き延びるためにはけっして有利な心模様ではないが、そういう心模様を共有してゆく関係の親密さや日本的な集団の連係プレーのダイナミズムもある。
 それは「いわなくてもわかる」というよりも、説得することに対する戸惑いやはにかみであり、たがいの身体のあいだの「空間=すきま」を祝福してゆこうとする態度です。わかってもわからなくてもいい、目の前に他者がいてそのあいだに「空間=すきま」が確保されていることのめでたさというものがある。それは、原始的な心模様のタッチであるはずです。つまり「交換」などしないということ、たがいに一方的にその「空間=すきま」に捧げものをしてゆくということ、たがいに無償の行為を捧げ合うということ、それが「交換の起源」であり、原始人はわれわれが考えるよりももっと基礎的であると同時に高度でもある人と人の関係に対する心模様を持っていた。
 他人を説得して駆け引きが上手にできるからといって、何を自慢することがあろうか。そういうことに「無能」であることのほうが、もっと豊かに直接的に他者にときめき、もっと高度な知性や感性を宿していたりする。


 人類の交易は、自分にとって不要になったものを交換し合う行為としてではなく、自分にとって大切なものをたがいの身体のあいだの「空間=すきま」に差し出し合う行為としてはじまった。そういう原始的な心模様がいまなお日本人の中には残っているし、それが、トランプやボールゲームなどの遊びから言葉の本質や交易にいたるまでの人類の普遍的な生態の基礎になっている。
 会話をすることは、たがいの身体のあいだの「空間=すきま」に言葉を置き合う行為です。その「空間=すきま」において人と人はときめき合ってゆくし、その「空間=すきま」が壊れたときに憎しみ合ったりしてゆく。
 人類の文化は、人と人がときめき合っていった結果として生まれてきたものであって、生き延びるためにつくられていったのではない。現代人がそんなことに躍起になったりそれに充足したりしているとしても、その欲望が「起源」の契機になっているのではない。
 人は、人と人がときめき合う関係なしには生きられない。その体験を失うと心を病んでゆく。ときめかれることがなくても、ときめいてゆくことができなくなれば、心は停滞し衰弱してゆく。
ときめかれているということなどわかりようもないことだが、それでも人は、一方的に世界や他者にときめいてゆく心の動きを持っている。そうやって「自分=この生」を忘れてときめいてゆく。猿よりも弱い猿として歴史を歩んできた人類の「もう死んでもいい」という死に対する親密な無意識の感慨が、そういう心模様を生み出してきた。
 その死に対する親密な感慨の形見としてきらきら光る石ころや貝殻などの「貨幣」が生まれてきたのであり、原始人はそれを、まるで自分の人生を清算するかのようにすべて死者に捧げていったりした。
 人の生きるいとなみは、「小さな死」として成り立っている。
 原始人は、他者を殺して生き延びようとするよりも、自分が「もう死んでもいい」という心地になっていったのです。そこから心が華やぎ、人類史の文化の進化発展が起こってきた。そういうことを考えるなら、生き延びるための物々交換が当たり前の自然のように生まれてきたということはありえない。世の歴史家は、それがどのようにして生まれてきたかということを立ち止まって考えてみるということをしていない。それは、彼らが考えるほど自然な行為ではない。社会的な関係においてはともかくとして、われわれはいまだに友情や愛情などの個人的な感覚の世界においてはその行為をうまくできないし、できないことの方に人間性の自然を感じたりしている。


 たがいの身体のあいだの「空間=すきま」に物を置くということ、何はさておいてもそれが人と人の関係の基本なのではないでしょうか。そうやって言葉が生まれてきたのだし、交易・交換の起源もおそらくそこにこそある。
 それは、相手に手渡されるのではない。その「空間=すきま」に置かれるだけであり、言葉の本質だって同じでしょう。決して届かない。永久に届かない。しかしその「空間=すきま」を共有し、その「空間=すきま」に対するときめきを共有している。原初においてそういう人と人の関係があり、それが「沈黙交易」という習俗になっていった。
 現代社会はもちろん「貨幣=お金」で動いており、誰もがその価値を信奉し執着しているとしても、それでも誰もがどこかしらでそのことに対するうしろめたさのような感慨も持っている。
 生身の人間は、そうそうスムーズに「等価交換」ができるわけではない。それは原初において一方的な「捧げもの=小さな死」としてはじまった行為であり、現代でもなお、そうした損得勘定の交換からの解放としての「プレゼント」の習俗が残されている。世の中の仕組みが「等価交換」であっても、生身の人と人の関係はそれだけではすまない。
 世の中には、お金のことでも人間関係においても「ぜったい損はしたくない、少しでも人より得をしたい」という主義の人もいるが、そういう人はむしろ少数派で、多くの場合嫌われ者になってしまう。
 人間であるかぎり、誰もがどこかしらに、たとえ損をしても一方的な「捧げもの=小さな死」をせずにいられない衝動を持っている。自分が生き延びることを忘れて他者を生きさせるということ、死者の尊厳にひざまずくということ、人間ならどこかしらにそういう衝動を持っている。貨幣の起源にも、そういう人間性の基礎であり究極でもある死の衝動があった。


 原初の貨幣は、死者への「捧げもの」だった。物々交換の代替として生まれてきたのではない。貨幣の存在が先にあり、その代替として物々交換が生まれてきた。そのあいだには長い歴史の時間があり、「沈黙交易」は、「物々交換」の段階に進む前夜の習俗だった。
 すなわち「物々交換」は、文明社会において「所有(私有財産)」の意識が芽生え、「贈与(プレゼント)=捧げもの」の関係を排して「等価交換」の関係になっていったことによって生まれてきた。
「所有(私有財産)」というミーイズム、すなわち文明人の「自我」の意識とともに「物々交換」が生まれてきた。
 戦争や競争をして殺したり殺されたり奪ったり奪われたりする社会になれば、とうぜん「自我=所有(私有財産)」の意識も強くなってくる。そういう歴史は、氷河期明けの文明の発祥以降のことにすぎない。
 その「物」はそれぞれおたがいの「私有財産」である、という合意の上に物々交換が成り立っている。人類の歴史は、「私有財産」という概念を持つようになって、はじめて「物々交換」をするようになってきた。
私有財産」という概念が社会に定着していなければ、「物々交換」はできない。
 原始人が無邪気にのどかに「物々交換」をしていたというようなことはないのです。それは、「私有財産」という共同体の制度的な観念=概念を持たなければできることではない。だから、「沈黙交易」という過渡的な習俗があった。それは、たがいに一方的な「捧げもの=贈りもの」をする行為であり、たがいの相手に対する「ときめき」の上に成り立っていた。そこに置かれたその「物」を相手がなんの対価も支払わずに勝手に持ち去ってもかまわないのです。そこにそれを置くものは、それでもかまわないという相手に対する「ときめき」があったし、持ち去るものにも返礼をせずにいられない「ときめき」があった。そしてそこにこそ、人と人の関係の基礎と究極のかたちがある。なんのかのといっても、われわれ現代人だって、私生活においてはそうやって「ときめき」の形見として「プレゼントをし合う」という習俗を持っている。それが「文化」というものであり、いろんな意味でそういういわば「無償の行為」ができるタッチを持っていなければ人に好かれない。損得勘定だけではすまない、そういう「人と人の関係のあや」というものがある。
 人類の歴史は、物々交換が存在しない時代がずいぶん長く続いた。日本列島では、縄文時代に物々交換などなかったし、その証拠(痕跡)として、近代になってもまだ村と村のあいだの峠での「沈黙交易」をしていた。峠に置かれた道祖神などの石は、その「沈黙交易」を成り立たせるための守り神であると同時に、「ここでそれを行う」という目印でもあった。
 原始人にもかつての日本人にも、「等価交換」をすることに対する戸惑いやはにかみがあった。いや、それはもう人類が普遍的に共有している歴史の無意識であるのかもしれない。誰もがどこかしらに、他者にときめき「捧げもの=小さな死」を体験しようとする無意識の衝動を持っている。そうやって人は、みずからの生を忘れて他者を生かそうとする。そうやって猿よりも弱い猿であった人類は、700万年の歴史を生き残ってくることができた。
 べつに、生き延びる方法を追求してきたのではない。


 今どきの歴史家による、原始人はのどかに物々交換をしていたなどと説く「貨幣の起源」なんて、ぜんぜんだめです。それは、「物々交換」の代替として生まれてきたのではない。まず「貨幣」が先にあった。原初の「貨幣」は、他者=死者に対する「ときめき」の形見だった。「死者の尊厳」が、貨幣に「価値」をもたらした。そしてそれが「王の尊厳=権威」を象徴する形見になることによって、「物」と交換できる本格的な貨幣として共同体内で流通していった。したがってその「価値」は、共同体内でしか成り立たなかった。そうやって人類は「交換」という行為を身につけていったが、国境を越えてそれを成り立たせようとして、ようやく「物々交換」という関係の作法に気づいていった。古代の貿易はすべて「物々交換」だったし、現代の「貿易収支」だって、ひとつの「物々交換的な数値」であるはずです。「物々交換」はひとつの「文明」であり、異なった共同体間における貨幣の価値すなわち貨幣に対する信頼が消失している場での貨幣による交換の代替行為として生まれてきた。それは、けっして原始的な行為ではなく、きわめて文明的な関係の作法なのです。
 原始人がのどかに物々交換をしていただなんて、人間性の自然・本質に対する認識がいいかげんすぎます。誰だって物と物を交換することの戸惑いやはにかみはあるじゃないですか。そのことを思うなら、原始人はそんなことを当たり前のようにしていたのだろうか、という疑問はとうぜん起きてくるでしょう。
「物々交換」は、文明社会から生まれてきた。この魚とあのリンゴが等価であるかどうかなんて、永久にわからないことで、それをとりあえず「等価である」と合意してゆくのは、すれっからしの人間どうしの「駆け引き」の世界で成り立っていることです。それなら、おたがいにそれをお金で買った方がずっとすっきりする。おたがいにそれをプレゼントし合った方がさらにすっきりする。そこに原始性があり、普遍的な人間の本性・自然がある。
「物々交換」が生まれてくる前に、まず貨幣によって物を買うという習俗があった。「物々交換」は基本的に「等価交換」であり、その「等価」であるという認識は、貨幣価値という物差し(=観念)を持っていなければ成り立たない。
 まあ人類は、きらきら光る貝殻や石ころという衣食住の「物」よりも大切な対象を持ってしまったのであり、それを基礎にして「交換」という行為をするようになっていった。
「物々交換」をするということは、この魚には100円の価値があり、あのリンゴにも100円の価値がある、と認識し合ってはじめて成り立つことです。貨幣価値の意識がなければ「物々交換」は生まれてこない。そしてその意識があれば、異なる貨幣の共同体間でも交換が可能になる。かたや「この魚にもあのリンゴにも1ドルの価値がある」と思い、一方は「あのリンゴにもこの魚にも100円の価値がある」と思っていてもかまわない。とにかく、貨幣価値の観念を持ったことによって人類の物々交換がはじまった。それは、異なる通貨の共同体間から生まれてきた。共同体が生まれ貨幣という価値の基準値が生まれてこなければ物々交換は起きてこない。物々交換は、異なる共同体間で、貨幣による売買の代替の行為として起きてきた。それは、文明社会のいやらしい「駆け引き」の観念を持っていなければ成り立たない。
原始人がのどかに物々交換をしていたなどいうことがあるものか。


 世の中には「物々交換=等価交換」という駆け引きの関係の習俗があるとしても、われわれの個人的な関係においては、誰だってそれをすることに対する戸惑いやはにかみがある。そんないやらしいことをするくらいならお金で買った方がずっとすっきりするし、ただもう一方的にプレゼントし合う関係になった方がずっと親密な関係になれる。
 なんのかのといっても人は、根源・自然において、他者に何かを捧げようとする衝動を持っている。会社に入って働くことは、自分の技能や時間を捧げる行為です。その「捧げる」というメンタリティがなければ、じつは人類の労働も経済も成り立たない。
 物を売るという行為だって、できるだけ良いものをできるだけ気持ちよく買ってもらえるようにサービスする気持ちを込めないと成り立たない。その「捧げる」という態度を失えば、商品経済は衰退してゆく。そうやって「等価交換」というマルクス経済論を根拠にした20世紀の共産主義社会は衰退していった。等価交換をしようとすることは、人間性の本質でも本能でも自然でもない。マルクス主義社会の崩壊は、そういうことを証明した。
 ただもう一方的に捧げようとすること、そこにこそ人間性の基礎と究極がある。
「物々交換」という等価交換、それは、共同体の制度性に洗脳されたすれっからしの文明人が生み出したのであって、原始人がはじめたのではない。
「物々交換」が生まれる前に、まず「貨幣による交換」があった。そしてその前に、レヴィ=ストロースいうところの「贈与と返礼」の関係があった。現在でも未開社会は、この関係を中心に成り立っている。それは、本質的には、たがいに一方的に捧げ合う関係です。「返礼」などあてにしないで一方的に捧げてゆく。「捧げる」という行為のカタルシスがあった。それが起源です。
自分が生きてあることなんかいたたまれないだけのことであり、それを忘れて一方的に捧げてゆくことの心の華やぎがある。その華やぎが、人間的な知性や感性の基礎になっている。べつに学者や芸術家であろうとあるまいと、本格的な知性や感性を持っている人は、そういう「華やぎ」を体験している。そこにこそ人間的な「快楽」がある。氷河期の極北の地でいたたまれない思いをして生きていたネアンデルタール人は、そういう心模様の「華やぎ=快楽」の極限を生きた人々だった。人類の知性や感性は、彼らとともに本格化していった。
2万年前のスンギールのクロマニヨン人の埋葬遺跡におけるおびただしいビーズの玉の副葬品は、彼らがいかにいたたまれない思いをして生きていたかということや、いかに死者=他者に「捧げる」という行為に深いカタルシスを体験していたかということを物語っているのであって、そのへんの凡庸な人類学者のいういかに知能が発達していたかというような安直な問題ではない。まあ彼らは、知能(知性や感性)そのものの本質・根源の問題が何もわかっていない。彼らは、ネアンデルタール人よりも同時代のアフリカのホモ・サピエンスの知能のほうが発達していたというが、そうじゃない、人類の知能は、「いたたまれなさ」の極限を生きたネアンデルタール人とともに本格化してきたのです。ネアンデルタール人ほど「捧げる」すなわち他者を生きさせようとする心模様(衝動)を豊かに「交歓=交換」していた人々もいないし、人類の知性や感性はそこから生まれ育ってきた。
 原始社会の人と人の関係は、たがいに一方的に捧げ合う関係だったのであって、「物々交換」の契機としての「等価交換」の関係だったのではない。人間としての「もう死んでもいい」という無意識の感慨から心が華やいでゆきながら、誰もが自分のことなど忘れて他者を生きさせようとしていたのであり、そうやって一方的な捧げ合う関係をつくっていた。
「自分=¬この生」を忘れてゆくところに、人間的な「快楽」がある。
 原始時代に生き延びるための「物々交換=等価交換」などなかった。人間性の自然に、そんな関係が生まれてくる契機はない。「物々交換=等価交換」は、文明社会の制度的な関係として生まれてきた。文明社会の制度は、そうやって「物」に「価値」を付与していった。制度性とはそういう「作為」のことであり、しかし原始人はそんな生き延びようとする「作為」よりも、「もう死んでもいい」と思い定めたところから生まれてくる「せずにいられない」ことをして生きていたのであり、それが「捧げる」という行為だった。
「捧げる」とはサービスするということ、人間性の自然にそういう衝動があるから、搾取や支配という関係も成り立つ。というか、そういう関係が歴史のなりゆきとして生まれてきた。
 人間はサービスをする生き物であるということ、そこから「貨幣」の歴史がはじまったのであって、「等価交換」の道具だったのではない。
 人間は「平等」ではない。自分なんか生きていてもしょうがない存在であり、自分よりもこの世のすべての他者のほうがずっと生きるに値する存在であり、ずっと確かに生きてあるように感じられる。「自分」は、「自分」を忘れて世界や他者にときめきながら生きているのだから、「自分」ほどあいまいな存在もない。自分は、この世のもっとも不確かで生きるに値しない存在です。それでも、「すでに生きてしまっている」という存在の事実がある。その事実のいたたまれなさからせきたてられるようにして人は、他者に「サービスする=捧げる」ということをせずにいられない。「せずにいられない」ことが人間を生かしているのであって、生き延びようとする欲望によってではないし、「しなければならない」ことも何もない。それででも人は「せずにいられない」ことを持ってしまう。


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 はじめに「捧げる=サービス」ありき、それが人と人の関係の基礎であり、そうやって原初の人類は二本の足で立ち上がったのだし、そうやって起源としての「貨幣」が生まれてきた。
そのきらきら光る貝殻や石ころの首飾りは、自分を見せびらかして自分が生き延びるためのものではなかった。自分を忘れて世界や他者にときめいてゆく、すなわち自分の心を世界や他者に捧げてゆく道具だったのです。生きてあることはいたたまれないことだから、人はそうやって自分を忘れて何かに夢中になってゆくことをせずにいられない。
それは、「自分=身体=この生」に耽溺してゆくための道具ではなく、「自分=身体=この生」に張り付いた意識を引きはがして世界や他者に向けてゆくための道具だった。
生き物の身体は、生きるような仕組みになっている。生きることは身体がしていることであって、「意識」によってではない。意識は、この生について思っているのであって、この生をつくっているのではない。そして、この生をいたたまれないことだと思うから、この生を忘れたときめきが生まれてくる。つまり原始人の首飾りであれなんであれ、人類の文化の起源は、この生を忘れるときめきとともにあった。
 自分=この生を忘れて何かに夢中になってゆくことこそ、猿のレベルを超えた人間のアドバンテージであり、そのとき自分=この生を忘れているのだから、生き延びるための「作為」などはたらいていない。「せずにいられない」ことをしているだけです。そこにこそ人間性の自然があり、人間的な知性や感性の源泉がある。
そのきらきら光る貝殻や石ころの起源としての「貨幣」は、自分=身体が生き延びるための道具だったのではない。それは、意識が自分=身体から引きはがされて世界や他者にときめいてゆく体験の形見だった。その「ときめき」が、やがて価値意識になってゆき、現在の金銀宝石をいちばんの価値とする社会になっている。
「貨幣」の歴史は、世界や他者に対する「ときめき」の形見としてはじまった。そして人がもっともときめいてゆく対象は「死者」であり、その「死者の尊厳」が貨幣に価値を与えた。人間の社会は、今なお「死者の尊厳」が「価値」を与え続けている。つまり、「自分=この生」を忘れて何かに夢中になってゆくこと、「サービス=捧げる」ということ、そこにこそ人類の文化の起源における普遍的な問題がある。
 つまり、今どきの歴史家のように、意識を「自分=身体=この生」に張り付かせて生き延びようとする現代的な観念制度を人間性の基礎にしているようでは人類の文化の起源に推参することはできない、ということです。それは、文明社会の病理的な観念のはたらきにすぎない。彼らはすでにもう、人が何かを知ること感じること思うことの基礎や本質に対する考察のところでつまずいてしまっている。
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